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栄光の帳簿  作者: 酣睡


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13/13

帳簿の真実と、飼われゆく人類

現世と彼岸の境界には、もとより聳え立つ険阻な要害や天を衝く高壁など存在しない。二つの世界を隔てているのは、ただ果てしもなく、死の静寂を湛えた冷酷なる黒水の冥河一本のみであった。


底知れぬその黒水を越えさえすれば、次元の帳を透過して向こう側の世界へと至ることができる。


しかし、因果律の混沌たる揺らぎの前には、現世の人間であろうと彼岸の魔物であろうと、具体的に黒水に押し流され、どの座標へと打ち捨てられるのかは、双方が自ら選べる道理など最初からなかったのだ。


その時、地下の隠れ家では、立ち上る炊煙と重たい蒸気が混ざり合っていた。


伊織と翠花は力を合わせ、湯気を滾らせる香り豊かな塊茎野菜のポタージュを大鍋いっぱいに煮込んでいた。


重厚な鉄の鍋蓋を開け放つや否や、翠花は袖をまくり上げ、腰に手を当てて、広々とした岩道に響き渡るよく通る明るい声で威勢よく呼びかけた。


「あつあつポタージュのできあがりだよ――! 仕事終わりの人も、お腹ペコペコの人も、器を持って並んで並んで!」


それは、地下深くに潜む溺亡者たちの拠点で育まれた、唯一無二の暗黙の優しさだった。


地上のような階級に縛られた配給制度や足の引っ張り合いなどここにはない。


誰かが自分用に美味い飯を作ろうとすれば、自然と薪と野草を少し多めに放り込み、ついでとばかりに大鍋いっぱいに煮込むのが習慣になっていた。


皆で分け合い、互いを気遣い、凍てつく過酷な終末の深淵で寄り添い合って温もりを分け合う。


粗末な陶器の椀を手に、素朴な笑みを浮かべて列を作る住人たちの姿を見つめながら、伊織の胸の奥には、久しく忘れていた温かな情が静かに広がっていた。


しかし、そのささやかで脆い平穏は、伊織が一口の熱いスープを口に運ぶ暇すら与えられず、何の前触れもなく無残に引き裂かれた。


――ゴボリ、ゴボリ。


大気中に漂っていた芳醇な小麦とクリームの香りは、次の瞬間、胃袋を掻き乱すような腐敗の悪臭によって一息に呑み込まれた。


それは極限の損壊、泥濘の腐朽、そして骨の髄まで凍てつかせる死寂が混ざり合った臭気――彼岸の黒水。


伊織の全身の産毛が瞬時に逆立った。それは骨髄の最深部に刻み込まれた、原初の防衛本能が鳴らす警報音だった!


間髪を入れず、耳障りな岩石の溶解音とともに、拠点の堅固な地面と岩壁に蜘蛛の巣のような漆黒の亀裂が走った。


粘稠で鼻を突く黒水が間欠泉のように噴き出し、腐肉と鱗、そして泥に塗れた青白い枯れ手が、黒水の中から虚空を求めて我先にと這い出してきた。


異様な咆哮を轟かせ、無数の彼岸の怪異たちが、あたかも津波のようにこの無防備な避難所へと雪崩れ込んできたのだ!


「まずいよ……やっぱり、溺亡者が集まりすぎると彼岸の『住人』を引き寄せちゃうんだ……」


翠花の顔から笑みが消え失せ、鉄のお玉を投げ捨てて、歯を食いしばりながら押し殺した声で叫んだ。


「だって、あたしたちのこの改造された体には……あいつらと全く同じ臭いが流れてるんだから!」


翠花の言葉は直截にして容赦なく、しかしすべての異変者たちの魂の急所を抉り抜いていた――


溺亡者とは、果たして血肉の通った人間なのか? それとも疾うの昔に彼岸の眷属、その臣民へと堕ち果てた存在なのか?


その体内に彼岸の因子を組み込まれているがゆえに、社会から爪弾きにされた溺亡者が一箇所に群れ集うことは、彼岸のあてもなく彷徨う凶祟どもにとって、暗闇に燃え盛る巨大な篝火以外の何物でもなかった。同類の気配を求める狂乱が、彼らを無慈悲に呼び寄せてしまうのだ。


「早く! 二番の隔壁ゲートの奥へ逃げて!」


翠花は焦燥を滲ませながら、戦う術を持たない女子供や老病兵の撤退を指揮し、自らは青ざめた顔でその前面に立ち塞がった。


この地下拠点に身を寄せる者の大半は、軍の非道な人体実験によって淘汰され、奇跡的に手術台の上で死に損なった規格外の不良品ばかりだった。


それはすなわち、避難所の住民のほとんどが翠花と同じく補助や生活支援に特化した異能しか持たず、正面からの殺戮に耐えうる戦闘力など持ち合わせていないことを意味していた。


そして、この拠点で真の一線級の戦力を担う戦士たちや兄たちは、警戒パトロールのために、隠し通路の入り口として機能している地上の廃棄倉庫群へと総出で出払っていた――


拠点の心臓部は今、完全なる防衛空白の死角に陥っていたのだ!


蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う無辜の横顔を視界に収め、伊織は深く息を吸い込んだ。


ドォン――!


彼女の体内で眠りについていた双竜の血が、濃密な殺意と護民の誓願に突き動かされ、怒涛の大河のごとき咆哮を轟かせて覚醒した!


華奢で折れそうな少女の両手は瞬時にして硬質な純白の竜鱗に覆われ、研ぎ澄まされた爪は鋼鉄を羊皮紙のように両断する巨大な白竜の鉤爪へと変貌を遂げた。


足元の新しいスリッパを蹴り脱ぎ捨て、岩の床を足先で強く踏みしめる。その小柄な肢体は大気を切り裂く雪白の残影と化し、凄まじい瞬発力をもって、先頭をひた走る異形の魔物へと正面から肉薄した!


それは、枯れ木のように長身で異様な人型であった――


顔面には血の滴る凶相の般若面を固着させ、痩せさらばえた肉体には襤褸切れと化した白の浴衣を緩やかに羽織っている。


そして浴衣の隙間から覗く胸板や四肢には、粘りつく悪臭の体液を絶え間なく滲ませる、ドス黒く腐乱しきった皮膚が生々しく張り付いていた!


ギャリィィン――!


幽暗な岩道に、火花が激しく散乱し、鋭利な金属音の衝撃波が両脇の岩壁を揺らして粉塵を降らせた。


合金装甲すらも容易く引き裂くはずの伊織の白竜の鉤爪は、その腐乱した肉体を粉砕するには至らなかった。


紙一重の刹那、不気味な青緑の弧光を引いて、白浴衣の怪異が神技のごとき抜刀術をもって腰の錆びた太刀を抜き放ち、伊織の猛撃を真っ向から受け止めたのだ!


刃と竜爪が軋み合い、腐臭を放つ黒水の体液が刀身を伝ってジュクジュクと音を立てて蒸発していく。


般若面の深く窪んだ眼孔の奥で幽緑の鬼火が揺らめき、仮面の奥から、しゃがれた混濁を帯びながらも、奇妙なほど古の武士の礼節を崩さない重々しい声が紡ぎ出された。


「……竜の姫君よ。某、貴女様と刃を交える遺恨は毛頭ございませぬ。ましてや真竜の末裔を穢すなど、滅相もないことにございます」


太刀を握る般若の手首が、竜の怪力に耐えかねて軋みを上げながらも、反撃の構えは見せず、わずかに頭を垂れて低く告げた。


「某、いま黒水を渡りて現世に参じたのは、本来あるべき彼岸へと還るべき『栄光の帳簿』を奪還せんがため。決して無益な殺生を好むがゆえではございませぬ」


その言の葉を耳にした瞬間、伊織の瞳孔が急激に収縮し、胸中に狂瀾が巻き起こった。


竜の姫君――


この怪異が一切の躊躇もなくそう呼びかけたという事実は、彼岸の武士が彼女の身に流れる血の匂いを一目で見抜き、彼岸に覇を唱えるあの二柱の太古の巨竜と彼女との絆を完全に把握している証左だった。


そして何よりも決定的なのは、奴の標的――『栄光の帳簿』。


彼岸の生霊すらもが血道を上げて越境し、奪還を企てている。その動かぬ事実こそが、翠花たちが導き出した仮説を何よりも雄弁に証明していた。


あの無数の人命を弄び、その宿命を縛り付ける怪異の台帳とは、正真正銘、彼岸の神魔が遺した造物に他ならないのだ!


もし因果律を書き換える神器を巡る争奪であるならば、現れたのが数匹の野良妖魔などという生易しい事態であるはずがない。目の前の先陣は、彼岸に蟠踞する強大な勢力が差し向けた先遣隊に過ぎないのだ!


「『栄光の帳簿』って、一体何なの!? なんでそんなものが人間の運命を勝手に支配できるのよ!」


伊織は双爪に膂力を込め、相手の刀身を力任せに押し潰しながら、金と紫が混淆する竜瞳で般若面を冷徹に射抜いた。千載一遇のこの瞬間、何としても情報を引きずり出さねばならない。


「それに、あれは今太平洋の最深部、重水の底に沈められているはずよ! どうして今更それを奪いに来たの!? あなたたちの本当の目的は何なのよ!」


伊織は理性を残したこの武士と渡り合い、水面下の真実を暴こうと焦燥を募らせていた。

しかし、現実はあまりにも凄惨であり、彼女に言葉を交わす猶予すら与えてはくれなかった。


『グオォォ――!』


『肉……! やわらかい……髄の味……!』


吐き気を催すような生臭い突風とともに、この般若武士が不可侵の掟に縛られて彼女に敬意を払っているのとは裏腹に、背後の黒水から湧き出し続ける妖魔どもは、純粋な飢餓の衝動だけに突き動かされた汚らわしい獣の群れに過ぎなかった!


多重関節の節足を生やした奇怪な這行鬼や、腐乱した鳥の嘴を持つ悪鬼どもが、伊織が放つ竜の威圧を意に介さず、両側の岩壁や天井から甲高い鳴き声を上げて跳躍した。その切先が向かう先は、後方で非戦闘員を庇いながら逃げる翠花たちだった。


「チッ……目障りよ!」


伊織は奥歯を噛み締め、低く悪態をついた。尋問の手を緩めざるを得ず、純白の竜尾を風切り音とともに薙ぎ払う! 側頭部から飛びかかった骨怪を中空で木っ端微塵に叩き潰し、同時に右手の竜爪を閃かせて大気に灼熱の真空刃を刻み込み、迫り来る黒水の異形どもを絶対防衛線の手前で強引に両断した。


喧騒と血煙が渦巻く包囲網のただ中で、伊織は狂瀾の凶祟を薙ぎ払いながら、太刀を引き絞って後退した般若武士から視線を逸らさなかった。その双眸に宿る警戒と疑念は、濃さを増すばかりだった。


般若武士は刀を鞘へと収め、濁った黒水の淀みに静かに佇んでいた。圧倒的な武威を誇りながらも、伊織に対して刃を向ける意志は微塵も見受けられない。


しかし、その徹底した不干渉の態度は、戦う術を持たぬ脆弱な溺亡者たちが彼岸の同胞に貪り食われる惨状を、冷淡に見過ごし、意図的に放置していることに他ならなかった! 敬意を装いながら弱者を路傍の虫けら同然に見下すその欺瞞に、伊織の胸の奥で激しい憤怒の火が爆ぜた。


一つの巨大な矛盾と不条理が、彼女の脳裏を激しく駆け巡る――


【『栄光の帳簿』は人間に限界を超えた異能を与え、高貴な覚醒者か、あるいは底辺の溺亡者かを選別する……けれど、どうして彼岸は人間に抗う力を与えるような代物を、わざわざ現世に与えたの?】


伊織の知る限り、彼岸の異形は残虐にして嗜血の塊のはずだ。両界が交錯したならば、彼岸が望むのは武器を持たず、成す術もなく屠られる無力な人間であるはずではないか。


なぜ人間を武装させ、神仏をも屠る牙を授ける必要があるのか? 目の前の般若武士と、その背後に潜む黒幕の思惑がどうしても結びつかなかった。


怒りに燃え盛る伊織の竜瞳を受け止め、般若武士は浅く一礼し、世界の均衡を覆す冷酷な言の葉を静かに吐き出した。


「某の此度の役目は、尊き竜の姫君にご挨拶申し上げ、敬意を示すのみにございます。古き血の盟約ゆえ、某の口からこれ以上の天機を漏らすことは叶いませぬが……」


仮面の眼窩に揺れる幽緑の鬼火が陰惨さを増し、まるで日常の農作業を語るかのように淡々と、しかし魂を断ち切る宣告を下した。


「……ただ一つ、あの方々が『栄光の帳簿』を現世へと投じた唯一の所以をお教えいたしましょう。すべては――人間を飼育せんがためにございます」


ドォン!


その言葉は巨大な弔鐘の如く、伊織の霊魂の最深部を打ち据えた。全身の血液が逆流し、冷や汗が背筋を伝い落ちる。


幾年もの間、彼女自身のみならず、全人類が当たり前のように見落としていた戦慄すべき盲点が、今この瞬間に赤黒い血を滴らせて暴かれたのだ。


現世の教科書も、軍のプロパガンダも、「覚醒者」こそが選ばれし救世の英雄であると讃え続けてきた――安定し、強大であり、沈降率の失走に怯える必要のない、彼岸に対抗するための絶対防壁。


そして伊織や翠花のように沈降率が閾値を超えた「溺亡者」は、実験に失敗した奇形の搾り滓であると。


しかし、もし帳簿の本質が「飼育」であるとするならば――!?


農夫が羊の囲いに上等な飼料を撒くのは、羊に角を生やして自分に歯向かわせるためではない。肉を肥え太らせ、骨髄を豊かに熟成させるためだ!


それはすなわち、人間に異能という力を与えることの旨味が、彼岸にとってリスクを遥かに上回っている証拠に他ならない!


いわゆる「覚醒者」とは、運命の過酷さを乗り越えた幸運な勝者などではなく、帳簿という精緻な規約によって丁寧に「肥育」され、高値の付けられた最高級の家畜に過ぎないのだ。


そして彼女の三人の義兄たちや、ここに集うゴミのように棄てられた溺亡者たちとは、肥育の過程で「脂が乗りすぎ、繊維が変質した」がゆえに飼い葉桶から弾き出された、腐敗肉の残飯に過ぎなかったのだ!


その薄ら寒い真相に思い至った瞬間、伊織の全骨格は極限の憤怒と悪寒によって激しく震え上がった。


そして今、背後では断末魔の悲鳴が上がり、黒水から這い出た怪物どもが翠花の守る二番隔壁へと狂ったように押し寄せていた――残酷な現実は、彼女に打ちひしがれる猶予すら与えはしなかった!


胸腔を満たす逆鱗の劫火が最後の理性を焼き尽くした時、伊織は己の枷を完全に解き放った。


刹那、湿った地下の岩道全体が、奇妙な停止状態へと落ち込んだ。


少女の痩身が弓なりにしなり、脊椎の節々が装填される撃鉄のような甲高い破砕音を一連に奏でる。次の瞬間、白熾の竜炎と透き通る結晶鱗で編み上げられた巨大な竜の翼が、神々しいまでの光輪を纏ってその背後に撃ち開かれた!


東方の吉祥たる金光と、西方の暴虐なる魔炎が溶け合って結実した異相――それは現世に降臨した六翼の神仏の如く聖潔でありながら、生ある者を鏖殺せんとする始源の凶威を放っていた。


「――オォォ。」


極めて低く、しかしすべての魔物の霊魂の芯を直に震わせる竜鳴が、少女の唇から洩れ出た。


足元の岩盤が弾け飛ぶ暇すらなく、伊織が立っていた場所には高熱で気化した白煙の残滓だけが残された。

それは動体視力の限界を軽々と超越した絶対の飛翔であり、巻き起こる突風が岩道に真紅と純白が交錯する燦然たる光軌を刻み込んだ。


殺戮の幕開けを最初に迎えたのは、装甲車ほどもある巨躯に数十本の関節肢を生やした、黒水の大百足魔であった。


頭上から降り注ぐ猛毒の骨鎌に対し、伊織は視線すら向けず、中空で信じがたいほど優美に身を翻して舞った。


背の竜翼が次元を切り裂く白光の刃となり、怪物の胴体を無音のうちに滑走する。


打撃音などない。ただ薄絹が裂けるような極微の断裂音のみ。


大百足魔は前進の慣性を保ったまま、その堅牢な外殻と肉身を中央から寸分の狂いもなく両断されていた。


そして二つに分かたれた残骸がずれて落下するその刹那、伊織は虚空に咲く白蓮の如く、断裂した甲殻の縁に爪先をそっと添え、肥大化した純白の竜爪を流麗な弧を描いて振り下ろした――


ズォッ!


鉤爪が頭蓋骨を貫き、五本の指が熱した刃がバターを裂くように骨髄の奥深くへと沈み込む。直後、華奢に見えた少女の腕が引き絞られ、強靭な筋繊維が軋みを上げた。


彼女はその数トンに及ぶ巨獣を、皮膚ごと、骨ごと、黒水に濡れた脊椎もろとも、繭から糸を引き抜くようにその胸腔から生きたまま引きずり出したのだ!


濁った漆黒の腐血が豪雨のように中空から降り注ぐが、伊織の体表から立ち上る竜息の熱波により、周囲三寸に触れたすべての飛沫は一瞬で気化し、妖しく煌めく紅の霧となって霧散した。


立ち込める血霧の帳の奥で、少女の肌は白磁のように透き通り、ただその双眸だけが金と紫を交じり合わせた神異の炎を滾らせていた。


『肉……!』


潰れた嘴を持つ二匹の有翼兇祟が死角から跳躍し、鋭利な爪で伊織の喉笛を狙う。

伊織は振り返りすらしなかった。


バァンッ!


空を裂く二条の残影が先んじて空を制した。純白の鱗を纏った長い竜尾が海を裂く龍の如くうねり、鋭利なソニックブームを叩き出す! それは質量兵器の打撃などではなかった。


尾の先端に逆立つ刃のような竜菱が音速を超えて閃き、左側の兇祟を一瞬にして数十片のサイコロ状の肉塊へと解体したのだ。


そして右側の鳥嘴の怪人は、伊織の左手によって下顎を鷲掴みにされていた。


伊織の影が中空から軽やかに着地する。しなやかな素足が凄まじい衝撃を吸収して音もなく地を踏みしめ――だが、怪物の下顎を掴んだ左手は、万象を圧し折る怪力を伴って、その怪異を玄武岩の硬質な床へと無慈悲に叩きつけた!


ドガァァン!


岩盤が数メートルにわたって蜘蛛の巣状に陥没した。


怪異が断末魔の悲鳴を絞り出すが、二度目の声を上げるより早く、伊織の裸の爪先がその胸板を無造作に踏み砕いていた。


両手で怪物の上下の嘴をそれぞれ掴み、伊織の口元に温度を失った冷酷な弧が刻まれる。

――ブシャァッ!


耳を塞ぎたくなるような骨の軋みと筋膜の断裂音とともに、彼女は完全なる対称の美学をもって、硬質な甲皮に包まれた兇祟の頭部を、鼻腔から左右へと真っ二つに引き裂いた!


深紅と烏黒の臓腑が扇状の鮮血の滝となって宙を舞い、煮え滾る骨髄と肉片が大理石のような白い竜爪に飛び散る。それがかえって、純白の竜鱗の神聖さを際立たせていた。


息を整える間もなく、少女は降り注ぐ血の雨を蹴立てて再び宙へと身を躍らせた。


彼女は血の海の上で終焉の調べを奏でる優雅な指揮者のように、密集する黒水の群れの中を舞い踊った。


竜爪が一閃するたび、虚空に三条の灼熱の金光が切り裂かれ、身を翻して尾を振るうたび、怪異の群れが胴を切断され、内臓が血煙となって弾け飛ぶ鈍い音が響き渡る。


砕けた骨、千切れた四肢、生きたまま引きずり出された神経と腸が、薄暗い地下の洞窟で乱舞し、咲き乱れる。


それは議論の余地もない一方的な屠殺であった。


胃の腑が裏返るほどに惨虐でありながら、その純白の姿の軽やかさと、身に纏う太古の竜炎の不可侵なる輝きゆえに、この阿鼻叫喚の解体劇は、絶対の神聖さと甘美な破滅を孕んだ純粋な芸術へと昇華されていた。


最後の一匹の頭部を中空から踏み抜き、岩の亀裂の奥深くへと踏み砕いた時、岩道はようやく死の静寂を取り戻した。


床一面には、平坦に断ち切られた無数の肉塊と、紫煙を上げる焦げた血肉が広がっていた。


少女は光で編まれた翼を静かに背へと収め、純白の尾を軽く揺らして切っ先の血滴を払った。


彼女は玉のように滑らかな素足で、まだ熱を失わぬ紅の血溜まりを踏みしめ、首を僅かに傾げて、後方で息を呑み立ち尽くす般若武士を冷ややかに見下ろした。


血煙の熱気にほんのりと朱を差したその幼い顔立ちには、敵を殲滅した歓喜など微塵もなく、ただ神仏をも見下すような、絶対零度の静寂だけが宿っていた。

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