表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/127

第94話「ナーシアとファルファリエ」

094


 ファルファリエ皇女が少しずつ学院に馴染んできたことで、俺の心理的な負担はかなり軽くなった。

「最近は顔色が良いわね、シュバルディン」



 寮の自室に勝手に遊びに来ているマリエが、心なしかホッとしたような顔をしている。

 どうやら彼女にも心配をかけていたらしい。口は悪いし態度も悪い妹弟子だが、根は優しいヤツだ。



 俺は椅子にもたれながら苦笑する。

「ファルファリエ皇女は依然として俺たちの敵だが、『話の通じる敵』になりつつある……と思う」

「そうね。彼女自身、そうありたいと考えている節があるから」



 ベオグランツ帝国がサフィーデ人を皆殺しにするつもりでなければ、どこかでサフィーデ王室と交渉して戦争を終わらせる必要が出てくる。

 サフィーデを属国か属州にして、王室に統治を委託するのが帝国にとっては一番楽だろう。



「帝国がサフィーデ侵攻を考えている以上、その成否にかかわらず交渉役が必要になる。それは俺たちも同じだ」

「そのときにあの子が交渉役として出てくる訳ね」

「あるいは交渉の仲介者としてかな」



 最近の彼女の動きを見ていると、裏方に徹している印象がある。おそらく手柄は皇帝に譲るつもりだろう。

 なんせ皇帝は一度、サフィーデへの武力侵攻に失敗している。失地回復が必要だ。



「そんなこんなで彼女の意図もだんだん見えてきた。スパイとして本国に情報を送りつつ、サフィーデ王室とのパイプ役になるつもりだ」

「なんだか物騒ね」



 マリエが溜息をついたので、俺も真面目な顔でうなずいた。

「ああ、物騒な任務だ。ファルファリエ皇女は物理的にも政治的にも危険な状況にある。俺たちが守ってやらないと」

「そうじゃなくてね」



 マリエがまた溜息をつく。何か違うらしい。

「あなた本当にお人好しね。まるで師匠が乗り移ったみたいよ?」

「そいつは嬉しいな」

 この世で俺が最も尊敬する人物は三人いる。両親と師匠だ。



「はあああ……」

 とうとうマリエに特大の溜息をつかれた。

「あの子は敵よ?」

「だが子供だ」

 マリエとのこのやりとり、もう何度目になるだろう。



「子供には甘いのね」

「ああ。そのぶん大人には厳しいぞ」

 ファルファリエ皇女が大人になったら容赦はしない。

 だが人というものは何歳ぐらいから大人なんだろうか……。俺なんか三百年も生きてきたが、まだ大人になりきれていない気がする。



 マリエは俺の顔をじっと見ていたが、俺の枕にぱたりと顔を埋めた。

「もういいわ……あなたの好きにして」

 なんなんだこいつは。



 俺は窓の外の景色を見る。男子寮と女子寮の間にある中庭で、ファルファリエ皇女がボール遊びをしている。師匠の『書庫』から発掘した「ドッジボール」とかいう球技だ。

 書庫の情報によると、「ドッジ」とは「回避」を意味する言葉らしい。飛び道具を回避する技術は魔術師にも必要なので、とりあえず運動実習の科目に入れてみた。



「行きますよ!」

 ファルファリエ皇女が奇麗なフォームでボールを構える。ゴムの類はサフィーデでは採れないらしく、麓の村で革製のボールを作ってもらった。



「おわあああ!」

 情けない悲鳴をあげて逃げているのがトッシュだ。それをかばうように立つのがアジュラとスピネドール。



「本当に世話が焼けるんだから、もう!」

「俺の後ろに隠れていろ、トッシュ!」

 情けないお調子者に見えるが、やはりトッシュのあれは人徳だなあ。



「ふんっ!」

 お姫様らしくない掛け声と共にファルファリエ皇女がボールを投げる。投擲のフォームは球技ではなく槍投げやナイフ投げに近い。「投げる」というより「打つ」といった感じだ。



 飛距離は伸びないが猛烈な威力のある投球を、スピネドールが胸板で苦もなく受け止める。

 威力があるといってもファルファリエ皇女は女の子。剣術やレスリングで鍛えているスピネドールには余裕のようだ。



「ははっ、サフィーデ魂を見たか!」

 あいつの頭の中では国威を賭けた大勝負になっているようだ。王子様だから無理もない。

「だが勝負とはいえ、俺は女性に物を投げつけるなどできん! ということで任せた」

 そう言ってアジュラにボールを渡すスピネドール。

 お前は何がやりたいんだよ。



 アジュラはしばらく目をパチパチさせていたが、やや遅れてうなずく。

「そ、そう? じゃあ遠慮無くいくわね」

 ニヤリと笑ってボールを振りかぶったアジュラ。実習で練習した通りの奇麗なフォームだ。



「炎の闘神よ、我が身に宿れ! 必殺……」

 アジュラが叫んだとき、女子寮からナーシアが駆けてきた。

 運動嫌いでドッジボールにも参加しないあの子が、あんなに必死に走ってくるのは珍しい。



「ファルファリエ!」

 すっかり仲良くなって呼び捨てにするようになったナーシアが、皇女の名を叫ぶ。

「なんだなんだ?」

 トッシュがアジュラとスピネドールの隙間から顔を出して、すぐみんなに言った。

「おいみんな、試合は一時中断だ」



 どうも問題が起きたようだな。

 俺は窓から飛び降りると、「落下制御」の術でフワリと中庭に降り立った。

 間近で見ると、ナーシアの顔は真っ赤だ。目もなんだか潤んでいる。これは珍しい。



 俺が声をかけるより早く、ナーシアがファルファリエ皇女に叫ぶ。

「どうしてミレンデを攻めるの!?」

 ミレンデはナーシアの祖国だが、それはどういうことだ? 穏やかじゃないな。



「ちょっと待てナーシア、ファルファリエは外交官じゃないぞ」

 俺がそう言って間に入ると、ファルファリエ皇女も困惑した表情で俺を見つめてきた。

「スバル殿、私にも事情がわかりません」

「偽証」の術に反応がないので、どうやら嘘ではなさそうだ。少なくとも彼女の主観ではそうなる。



 ファルファリエ皇女に聞いても仕方なさそうなので、俺はナーシアに向き直った。

「帝国がミレンデ連合を攻めるというのは本当なのか?」

「さっき実家から手紙が来たんだよ! ほら!」

 ナーシアが差し出したのは、上質な羊皮紙の便箋だ。流麗な筆致のミレンデ文字が記されている。



 ミレンデ語もサフィーデ語も似たようなものなので、読むのは簡単だ。

 そこにトッシュが首を突っ込んでくる。

「なあジン、なんて書いてあるんだ?」



「帝国がミレンデ連合の港を二つ、百年間の期限つきで借り上げたいと申し入れてきたらしい。港の借料は十分に支払うと言ってるそうだ」



 首を傾げるトッシュ。

「ならいいじゃないか。ミレンデを攻めるって話じゃないし。借りるだけだろ?」

「海のないベオグランツ帝国にとって、港は漁業や交易よりも軍事的な価値が特に高い。自前の海軍を持てるようになる」



 帝国が海軍を持てば、ミレンデの全ての港が海上からの侵攻を受ける可能性が出てくる。

 俺がそう説明すると、ナーシアが言葉を補う。

「もし断れば戦争になるだろうって、お父さんが言ってるの。ミレンデ評議会に密使が何度も来て脅してるんだって」



 俺には事態の重大さがわかったが、トッシュやアジュラたちには今ひとつ伝わっていないようだ。

 俺はなるべく噛み砕いて説明する。



「ミレンデは有力な交易商たちによる連合国家だが、帝国と国境が接している。ミレンデが独立を保ってこられたのは港のおかげだ」

 港は海上交易によって莫大な富を生む。



 帝国としても港は欲しいが、海上交易のルートや利権はミレンデが完全に掌握していた。

 帝国が海の向こうの国々と交易しようにも、どこの国も「ミレンデを通してくれ」と言う。ミレンデに嫌われたら交易ができなくなるからだ。

 そんなリスクを冒してまで、新参者の内陸国と取引するメリットはない。



 だから帝国は内心苦々しく思いつつ、ミレンデに対しては不可侵の姿勢を堅持してきた。ミレンデに侵攻して港だけ奪っても、交易はおろか海軍も保持できない。帝国には造船や航海術の技術者がいないからだ。



 俺も深い事情は知らなかったが、ナーシアの説明によるとそういうことらしい。

「うまいこと立ち回ってたもんだな」

 トッシュが感心したようにうなずくが、今はそれどころじゃない。

 どうもややこしいことになってきたぞ……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] マリエ、絶対クンカクンカしてるでしょこれw [気になる点] 最初、スバルはベットに寝転んでいた筈ですがいつの間に立ち上がったの? そして、マリエはいつの間にスバルのベットに寝転がってたの?…
[良い点] 「ドッジ」の解説は色々な意味でらしさ全開でしたね。 [気になる点] 唆されたんですかね? [一言] 妹弟子さんは最早自室のように過ごしてますね。
[良い点] ずいぶんきな臭くなってきましたが、マリエちゃんや 好きな男の子の枕に顔を埋めてくんかくんかしちゃってるのねwww
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ