第95話「皇帝」
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ファルファリエ皇女の説明に納得できないナーシアは、再び訴えかける。
「ねえ本当に何も知らないの!? 皇帝陛下の姪なんでしょ!?」
「本当に何も知らないのです。本国からは手紙が全く届きませんし……」
何者かが手紙のやり取りを妨害しているせいで、ファルファリエ皇女には本国からの情報が全く入ってこない。
だがさすがに俺たちに助けを求めることはできず、彼女は帝国の情報網から孤立していた。
困った様子のファルファリエ皇女は、俺をちらちら見てくる。
通信を遮断してるのは俺じゃないぞ。
仕方ないので助け船を出す。
「ファルファリエ殿は帝室の対ミレンデ外交については、どんなふうに聞いているんだ?」
「我が国がミレンデと対立するのは得策ではありません。もし港を一つでも攻めれば、ミレンデの全都市が敵に回ります。交易による収入が途絶えてしまいますから帝室も困ります」
そりゃそうだ。
帝国は強大な国軍を有するが、その莫大な維持費は絶え間ない領土拡大によって帳尻を合わせている。征服した国に重税と兵役を課すのだ。
そして次に新しい国を征服すればその兵役はなくなり、税も通常の水準に引き下げられる。
だからみんな必死に戦う。
しかしそれではいずれ行き詰まることぐらい、帝国も承知している。
そこで帝国は広大な支配地域を活用し、各地の特産品を海外に輸出することでも富を得ていた。交易は帝国にとって不可欠の収入源だ。
「そういう事情がありますから、皇帝陛下がミレンデに対して強硬策を選ぶということは考えにくいのですが……」
困りまくっているファルファリエ皇女にナーシアが言う。
「そんなこと言われても、現に帝国がミレンデに圧力をかけてきてるんだよ!? ねえ、ファルファリエの力で何とかならないの!?」
「残念ですが、私にはそんな権限はありません。帝室の一員とはいっても、傍系の女子ですから」
彼女の言葉に嘘はないようだ。
もっとも仮にそんな権限があったとしても、ファルファリエは動かないだろう。彼女は帝室の忠実な手駒として動いている。そこはブレていない。
するとスピネドールが少し険しい表情で言った。
「帝国は自分が不利益を被ることも厭わずに、ミレンデを支配しようというのか。だとすればサフィーデもどうなるかわからないな」
サフィーデ人にとっては帝国は怖い相手だ。つい先日攻め込んできたばかりだし、まだ全く信用できない。
そんな連中が妙な動きを始めたとなれば、警戒心は高まる。
「ファルファリエ。このスピネドールの友として教えてくれ。帝国は本当に休戦協定を守ってくれるのか? 俺たちは友でいられ続けるのか?」
スピネドールの問いかけは穏やかではあったが、それだけにごまかしを許さない凄みがあった。
だがファルファリエ皇女はうつむきがちに、こう答えるだけだった。
「私には何も言えません。私はただの留学生で、外交官ではありませんから……」
「そうだったな。悪かった」
スピネドールは謝罪し、あっさりと引き下がる。
だがもちろん彼も納得した訳ではないだろう。単に「この会話を続けても無意味だ」と悟ったに過ぎない。王子である彼は、こういう相手に質問することの愚かさをよくわかっている。
なんとなく強張った雰囲気になってきたので、ジジイである俺は若い学友たちをなだめる。
「もうよせ。ファルファリエ殿下は帝国の代理人ではない。個人に国家の全てを背負わせるような真似をするな」
トッシュがすかさずうなずいてみせる。
「そうだよな。帝国は帝国。ファルファリエはファルファリエ。国同士がどうなろうと、俺たちは仲間だよな。そうですよね、スピ先輩?」
スピネドールは視線をそらし、フンと鼻を鳴らす。
「当然だろう。いちいちくだらないことを聞くな」
「でも先輩、さっきは『俺たちずっと友達だよな? 見捨てたりしないよな?』って……」
「そこまでは言ってないだろ!」
スピネドールがトッシュの頭をぐりぐりしている。
「あだだだだ!? 痛い! やっぱスピ先輩って見かけによらず力強え!?」
「当然だ。お前らと一緒にするな」
多少とはいえ武芸も修めてるからな、そいつは。
トッシュに続いてユナがナーシアに笑いかける。
「ミレンデのことは心配でしょうけど、ファルファリエ殿下に何とかしてもらうのは無理ですよ。留学してるんですから」
「そう……そうだよね。ごめん、ファルファリエ」
ナーシアが申し訳なさそうに頭を下げると、ファルファリエは微笑んだ。
「とりあえず陛下に手紙を出してみますね。なかなか返事がこないので、きっとお忙しいのだろうと思いますけれど……」
俺はふと気になり、ファルファリエに問いかける。
「そんなに忙しいのか?」
「陛下はもともと御幸が多く、特にこの時期は地方での祝祭や式典が重なって御多忙なのです。……あっ」
ファルファリエが露骨に「しまった」という顔をする。どうやら機密事項だったらしい。
彼女はしばらく気まずそうな顔をして指をつんつんさせていたが、とうとう俺を軽く睨む。
「スバル殿……」
「なんだ」
「まんまと国家機密を盗み出しましたね……」
「知らん」
確かにこのタイミングならポロッと漏らすかもしれないが、彼女の性格を考えればまずありえないことだ。全く期待していなかった。
俺は頭を掻き、それからこう言う。
「別に誘導尋問するつもりはなかった。今のことはサフィーデ王室には秘密にしておく」
「いいんですか?」
「俺たちは仲間だろ? 少なくとも学友ではある」
ファルファリエ皇女が口を滑らせたのも、俺たちに心を許してきた証拠だろう。気を緩めてもらった方がありがたいので、ここは配慮しておく。
それに秘密の共有は連帯感を強めるというし。
しかし妙な動きだ。ファルファリエ皇女の監視だけやっていれば良いという感じでもなさそうだが、かといって身動きが取れないしな……。
* * *
【皇帝の帰還】
皇太子ギュイは父の帰還に怯えていた。
「帰ったぞ、息子よ!」
力強い声と足音が宮殿の回廊に響き渡る。
「どうしたギュイ、顔色がすぐれんな?」
白髪とは対照的に日焼けした顔と、老いを感じさせないがっしりとした肩幅。礼服から覗く首筋も太く、日課のレスリングで鍛え上げられている。
目は笑っているが、本気になると眼光は恐ろしく鋭い。敵対者を睨むときは躊躇なく死を与える。
それがベオグランツ帝国皇帝、グスコフ二世だった。
「留守中の政務に滞りはなかったか?」
「はい、父上」
「ならばよし」
上機嫌でうなずく父。
豪放磊落で知られるグスコフ二世は細かいことにはこだわらず、些細な失態や怠慢をいちいち咎めたりはしない。
それだけに人を使うのがうまい。家臣たちが安心して働けるのだ。
そんな父のことだから、実の息子のことは信用しきっているのだろう。
そう思ってギュイが安心していると、グスコフ二世はマントを脱いで従卒に預けた。同時に軽く目配せする。
すかさず従卒たち全員が退出した。
ギュイが不思議に思っているうちに、彼は父親と二人きりになった。
「ギュイよ」
グスコフ二世は椅子に腰掛け、こちらをじっと見つめてくる。
「何でしょうか、父上?」
「お前はよくできた息子だ。学はできるし、武も悪くない。人望もある。そして何より、人の上に立つ者としての責任感と覚悟が備わっている。皇帝の器だ」
「……ありがとうございます」
話の流れがよくわからないが、とりあえず頭を下げるギュイ。
するとその頭上を、刃のような言葉がかすめた。
「だがお前には、皇帝の器として決定的に欠けているものがある」
ぎょっとして顔を上げると、グスコフ二世は鋭いまなざしを向けていた。
「お前には人を見極める目がない。奸臣佞臣にたやすくつけ込まれる」
そして父は静かに問う。
「お前の周りから良からぬ者の匂いがするぞ」
「そ、そのような者はおりません……」
「そうか、ではこの父の勘違いという訳だな」
グスコフ二世はあっさり引き下がり、ニコッと笑った。
「まあお前のことだ。道を誤ったりはせんだろう。だがくれぐれも気をつけろよ。皇帝や皇太子ともなれば、権力も財力も武力も絶大だ。それを目当てに有象無象がたかってくる」
「それは確かにそうですね」
「ああ。だがそんな連中も帝国の臣民だ。むやみに排除してはいかんぞ。それに使いようではいくらでも役に立つ。うまくあしらえ。それができてこその皇帝だ」
「……心得ました」
ギュイはもう一度、深々と頭を下げた。
* * *




