第74話「将軍の師」
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サフィーデ王国は新進気鋭の若手将軍ディハルトによって、かなり性急に軍の改革が進められていった。
「諸侯から兵を取り上げる代わりに、当主を指揮官として王室の軍隊に組み込みます。もっとも当主は多忙ですし戦死されても困りますから、実務は一門衆や家臣が代行することになるでしょう」
学院長室で茶を飲みながら、ディハルト将軍はそう説明した。
「これなら実質的な指揮官は変わりませんので、兵士に混乱はないと思いますよ。諸侯は官職を授かりますから、むしろ得したぐらいですね」
彼は笑顔で屈託なく言ったが、俺は溜息をつく。
「それは嘘でしょう」
「嘘……とは?」
ディハルトが眼鏡を押さえてキランと光らせたので、俺は言ってやる。
「ではディハルト殿はその形のままで帝国軍とやり合うおつもりですか?」
すると彼は当然のような顔をして首を横に振った。
「いいえ。そんなはずないでしょう?」
ほらみろ。
ディハルト将軍は薄く笑いながら、眼鏡を押さえる。
「今後、諸侯は王室から兵を預かる立場になります。以前よりも厳しい軍律に従うことになりますから、気の緩んだ者は交代させられるでしょう」
「ではいずれ親王室派だらけになりますね」
「なるでしょうね」
そうやって少しずつ指揮官の首をすげ替えていくつもりだ。最終的には軍中枢を親王室派で固めて、諸侯の軍隊をまるごとごっそり奪う気だろう。
俺は呆れ果てて、ソファに背中を預ける。
「いいんですか、そんな本音を俺に打ち明けてしまって」
「ジン殿なら安心ですよ。むしろ計画の不備や改善点を指摘してくれますし、何かあれば陰で手を回してくれそうですからね」
ずいぶんと虫のいいことを考えてるんだな。
「俺はただの学生です。何もできませんよ」
「ただの学生、ですか」
ディハルトの口調が変わったので、俺は「おや?」と思う。彼は真面目な表情だ。微かに緊張しているようにも見える。
「どうかなさいましたか?」
「いえ……」
諸侯をも欺く計略を掌で弄ぶ男が、俺を前にして妙に逡巡している。
そして彼は、ぽつりとこう言った。
「スバル・ジン殿。あなたは本当に17歳の若者ですか?」
おっと。これはずいぶんと鋭い質問だぞ。
これには俺も動揺したが、顎を撫でながらニヤリと笑ってやる。
「17歳に見えませんか?」
「見えません。いえ、外見は確かに17歳にしか見えませんが」
ディハルト将軍は俺をじっと見つめる。
「しかし17歳の人間が、数千の軍勢を殲滅できる魔術を操れるとは思えません。生涯を魔術の研鑽に捧げても、数人をまとめて倒すぐらいが限界だと聞いています」
「それは我が師のおかげですから」
本当のことなので俺はさらりと流したが、ディハルト将軍はなおも俺に詰め寄ってくる。
「魔術は私の専門外ですから、それだけなら納得もできます。しかしあなたは軍事における通信の重要性を理解していた。これは専門の軍学を修めた者にしかわからないことです」
「ゼオガ郷士の血筋ですから」
「ゼオガは三百年も前に滅んだ国です。火縄銃はあったが戦列歩兵はいなかった時代ですよ。通信の比重が今とは全く違います」
さすがに参謀出身だけあって博識だ。鋭いな。
俺が黙ってしまうと、彼はぐいぐい迫ってきた。
「私を無知蒙昧な小僧だと思って侮らないでください。軍主流派から疎まれつつも、実力と親のコネで参謀まで登り詰めた男です」
親のコネは自慢にならないと思うが、開き直れるのがこの若者の強さだ。
そもそも彼の父親は国王の軍学教授で、コネでもあるが足かせでもある。軍主流派から疎まれる最大の理由になっているからな。
そんなことをぼんやり考えていたら、ディハルト将軍はさらに言ってきた。
「夜戦で大砲を分散配置し、さらに工兵隊とも連携させるなど、古今のどんな兵法書にも書かれていない戦術でしょう。そもそも不可能ですから。普通の参謀なら思いつく前に思考から切り捨てます」
まあそうだろう。
俺にしても、「書庫」の情報がなければ思いつかなかった。そもそもゼオガには銃兵はいたが、砲兵はいなかったからな……。
しかし「書庫」の存在は明かせない。
あれは師匠が研究のために残してくれた、この世界全体の財産だ。特定の勢力のためだけに使うことはできない。
そんなことをすれば人類文明そのものにどんな悪影響を及ぼすかわかったものではない。社会が成熟していないところに変な技術をもたらすと、冗談抜きで人類が滅ぶ。
俺が答えに窮していると、ディハルト将軍は俺に問いかけてきた。
「あなたはわずか10年余りで、魔術も軍学も当世の最高水準まで修めたことになります。内政や外交にも通じ、交渉も巧みだ。しかも机上の空論や付け焼き刃ではありません。経験に裏打ちされた確かなものです。しかしそれではつじつまが合わないんです」
ここまで理路整然と疑問をつきつけられては、もう言い逃れは無駄だろう。彼の疑念をますます強めるだけだ。
仕方ない。俺は彼に事実を告げることにした。
「ディハルト殿。確かに俺は17歳の子供ではありません。この姿は魔術を使って若返ったもので、実際はあなたより遥かに年上です」
「やはり……」
ディハルト将軍は微かな畏怖を表情に浮かべつつも、しっかりうなずいた。
「ジン殿の実力と落ち着きぶりから察するに、ゼファー殿の高弟なのは間違いないと思っておりました」
実際はゼファーの弟弟子なんだが、まさか「我こそは隠者シュバルディンなり」などと言う訳にはいかないので黙っておく。
だがディハルトは晴れ晴れとした表情で、ホッと安堵の息を漏らす。
「これでようやく納得できました。それならジン殿の溢れんばかりの知識も当然です。それと……」
彼が口ごもったので、俺は微笑みながら続きを促す。
「構いませんよ。もう齢も百をとうに過ぎています。いちいち咎めたりはしません」
「では恐れながら……。ジン殿はどちらかといえば叩き上げのように見えました。私の学友や同僚には早熟な秀才もおりますが、それとは明らかにタイプが違います」
実際その通りなので、俺は大きくうなずいた。
「そうです。単純な頭の良さ……論理力や洞察力や創造力なら、ディハルト殿の方が上でしょう。俺はただ師に恵まれ、他の人々よりも多くの時間を学問に費やしただけのことです」
俺はあまり頭が良くなく、どちらかといえば学問より武芸の方に熱心だった身だ。とても賢者などとは言えない。
するとディハルト将軍は意外そうな顔をして、一瞬黙ってしまった。少し間を置いて、彼はこう答える。
「世間で『賢者』と呼ばれる人物は、そういう人のことを指すのではないでしょうか」
「どうでしょうな」
俺は若者口調をやめて、歳相応の言葉遣いに改める。彼に対してもはや演技は不要だ。
「いずれにせよ、俺はこれからもサフィーデ王国のために働かざるを得ないでしょう。この学院に金を払ってもらわねば困るのです」
ディハルト将軍はじっと俺を見つめる。
「与する相手はサフィーデでよろしいのですか? 金ならベオグランツ帝国の方が払いが良いかもしれませんよ?」
まあそうなんだが、今さらトッシュたちを見捨てる選択肢はない。
だから俺は適当にごまかす。
「ゼオガを滅ぼした連中の飼い犬になるのは御免ですな」
「なるほど」
本当に納得してくれたのかどうか、レンズの奥のディハルトのまなざしからはわからない。ただ「偽証」の術には反応していないので、たぶん大丈夫だろう。
彼はゆっくりうなずいた。
「わかりました。これからもこのサフィーデを勝利に導いてください。お願いいたします」
「最善は尽くしましょう」
「それと知らなかったこととはいえ、年長者のジン殿に対するこれまでの非礼をお許しください」
「欺いていた俺が悪いのです。謝らねばならないのはむしろ俺の方でしょう」
するとディハルト将軍はふと、真剣な表情で考え込むそぶりを見せた。
「ですが、この秘密は私1人で抱え込むには大きすぎます。父や国王陛下には報告してもよろしいでしょうか?」
やめてくれ。
「俺はディハルト殿の個人的な洞察力と礼節に敬意を示して、重大な秘密を打ち明けたのです。王室やディハルト家に対してではありませんぞ」
俺はこの野心家の若者が結構好きなんだ。だが王室のことはそれほど好きではない。
だがディハルトは困ったような顔をしている。
「しかしジン殿、私はディハルト家の一員であり、サフィーデ王室に忠誠を誓う将軍なのです。こんな重大な秘密を胸に秘めたままというのは……」
それが俺の狙いなので、諦めてもらおう。
「秘密を共有する者は仲間です。その秘密は、重大で希少であればあるほど良い。そうは思いませんか?」
にやりと笑いかけると、ディハルト将軍は観念したように頭を掻いた。
「私を学院側に取り込もうとしても、そうはいきませんよ。私だって野心に手綱はつけているつもりです」
「それで結構。ディハルト殿はあくまでも王室側の人間、そして軍の代表として正しくあってくだされば良いのです。貴殿に背任を期待している訳ではありません」
この坊やには悪いが、俺の代わりに軍の改革をやってもらわねばならない。いわば、俺が軍に介入するための「手」だ。下手に学院寄りだと思われ、手としての役割を喪失してもらっては困る。
そしてもちろん、彼自身の栄達のためにもその方がいいだろう。俺は彼を利用する代わりに、彼の栄達にもできる限り協力するつもりだ。さすがの俺でも若者を一方的に搾取するような非道はできない。
するとディハルト将軍はとんでもないことを言い出した。
「私は以前からジン殿の知識と人柄に敬意を抱いています。年長者とわかった以上、これからは『先生』とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「御遠慮ください」
俺は先生なんてガラじゃないし、表向きはここの生徒だぞ。
しかしディハルトは執拗に食い下がってくる。
「せめて二人だけのときはそう呼ばせてください。私はジン殿から多くを学ばせて頂きましたし、これからも学ばせて頂くつもりです」
「そう仰られましてもな……」
なんなんだ、この坊やは。
しばらく押し問答になったものの、結局彼は「お呼びするのは私の自由ですよね」と強引に押し切ってしまった。
そんな一方的に決めておいて、俺への敬意はどこに行ったんだ。
まったく。