第72話「扇動者と先導者」
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デギオン公の謀反も終わり、ようやく平和な学園生活が戻ってきた。
あくまでも表向きは、だが。
「シュバルディン、御苦労だったな」
兄弟子のゼファーが学院長室で溜息をつく。裏方としていろいろやってくれたから、ゼファーもだいぶ疲れているのだろう。研究以外のことをやらせると、すぐに疲れてしまう繊細な男だ。
「ゼファーも大変だったようだな」
「なに、戦場に立つことを考えればどうということはない。怪我はしていないか?」
「するはずなかろう」
俺が最後に負傷らしい負傷をしたのは、もう何十年も前だ。何が原因だったかも思い出せない。
するとマリエが医学書を読みながらぼそりと言う。
「私が同行してるんだから、首と胴がちぎれてもくっつけるわよ」
完全に本気の口調だった。本当にやりかねないから怖い。
俺とゼファーはしばらく顔を見合わせていたが、ゼファーが小さく咳払いをする。
「ともあれ、おかげで当学院の存在意義を王室と軍に認めさせられた。ジンの発案で『念話』を使い、大砲を連携させたそうだな?」
「俺の発案じゃない。『書庫』で調べて丸写ししただけだ。俺の功績にするな」
異世界の誰かの功績を横取りする気はない。
しかしゼファーは首を横に振る。
「王室も軍も、そうは思っていないようだ。それに彼らは知恵の出所など気にしていない。帝国との戦争に勝てればそれでいいのだからな」
俺は学院長の机上に書類を投げ出す。
「そしてこれが帝国に勝利するために俺がまとめた報告書だ。やはり軍の指揮系統に問題がある。諸侯の寄せ集め軍隊では本来の力を半分も発揮できん」
「私にはよくわからん分野だ。王室に送っておこう」
ゼファーはそう言うと、窓から校庭を見下ろす。
「ここは王室直属の軍の学校として、今後も手厚い処遇を受けられるだろう。卒業生や在校生もな。もはや火縄銃相手に破壊魔法を投射する必要はなくなった」
マリエはそんなゼファーをじっと見ていたが、やがて溜息をつく。
「こうして世俗とうまく付き合って、潤沢な資金であなたの研究を進めていくという訳ね?」
「否定はしない。私は自分の研究にしか興味がないからな」
言い切れるのが兄弟子の凄いところだと思う。
だがそれは俺にとっても悪い話ではなかった。
「子供たちが死なずに済むのなら何でもいい。王室や軍との距離は俺が調整しよう」
「ああ、頼む。彼らの腹の底を探るのは、私やマリアムには難しいからな」
素直に不得手を認められるのもまた、兄弟子の凄いところだ。要するに他人からの評価を全く気にしていないだけなのだが、何にしても凄い。
「よし、昼飯でも食ってくる」
立ち上がりかけた俺に、ゼファーが最後にこう言った。
「これからも『スバル・ジン』として戦ってもらわねばならんだろう。すまんな」
「気にするな」
学院長室を出た俺は、食堂でのんびりと昼飯を食う。敵の襲撃に怯えることなく、温かい食事を食べられるのはやはり幸せなことだ。
「ねえジン、温かい食事をゆっくり食べられるって幸せね」
同席したアジュラが俺と全く同じ感想を抱いているので、俺は苦笑する。
「そう思うか?」
「さすがにね……もう戦場はこりごり」
女子生徒で唯一従軍したアジュラだが、さすがの彼女も戦場での食事はつらかったらしい。
「火の精霊術で温かい食事を提供できないか、研究してみようかな?」
するとマリエが軽くうなずく。
「兵士の健康維持にも役立つし、良い考えね」
従軍以来、俺たちの話題も少し変わった気がする。正直言ってあまり歓迎したくない変化だったが、マルデガル魔術学院はこれからも軍学校として生き延びていくのだ。受け入れるしかない。
そして周囲のささやき声。
「やっぱり雷帝の周りだけ空気が違うな」
「ああ、あそこだけ戦場の空気だ……」
別にそんなことはない。認知の歪みだ。
「さっき聞いたけど、ジンのヤツってデギオン公弟のシュマイザー卿を降伏させたらしいぞ」
「一騎打ちでもしたのか?」
「公弟殿下の放った矢を受け止めて投げ返したらしい」
「化け物かよ……」
事実なので否定する訳にはいかないが、シュマイザーの矢を投げ返した件は誰にも言っていなかったはずだ。どこから漏れた?
俺が嫌な事実に思い当たったそのとき、食堂に変な連中が現れた。
「ジン殿、こちらにおられましたか!」
将軍となったディハルトが、取り巻きをぞろぞろ連れて食堂にやってきた。参謀と副官、それに護衛の近衛兵の団体さんだ。
さすがに生徒たちはびっくりしている。
「なんだ? なんだ?」
「王室の軍人?」
「あれ将軍じゃね?」
将軍だよ。出世してメチャクチャ多忙になったはずなのに、あの坊やが何でこんな場所にいるんだ。
ああもう、参ったな。
俺が露骨に迷惑そうな顔をしているのに、ディハルト将軍はつかつかと俺に歩み寄ってくる。
「ジン殿、先日はデギオン公討伐にお力を貸していただき、誠にありがとうございました」
王室の騎士団全てを統括する将軍が、俺に対して恭しく一礼なんかしている。演技くさいぞ。
「ジン殿の報告書を拝見しました。諸侯の軍権を取り上げ、国王の軍隊へと移行させる計画。実に大胆で斬新です。そして極めて実用性が高い」
「他国に例がありますから斬新ではないですね」
これも『書庫』で調べたものだ。俺は軍事の素人なので、自分で考えるよりも『書庫』で調べた方が早い。
しかしディハルト将軍はそんなことはどうでもいい様子で、俺の手をしっかりと握りしめる。
「今回のような反乱が起きてしまうのは、そもそも貴族が私兵を擁しているからです。彼らから兵の指揮権を取り上げ、国王が統帥する『サフィーデ軍』にする」
俺は手を握られたまま、うなずくしかなかった。
「はい。戦争のときにいちいち諸侯に触れなど出していては間に合いません。ベオグランツより総兵力の劣るサフィーデは、素早く効率的に兵を展開することが絶対条件です」
「素晴らしい」
ディハルト将軍は何度も深くうなずき、周囲の生徒たちが俺とディハルトの顔を交互に見比べる。
「あの1年、将軍に助言してるぞ……」
「まるで軍師だな」
こういう助言をするのは最近は参謀の仕事だ。
ひそひそ声がさらに聞こえてくる。
「あいつ魔術以外でも何でも詳しいんだな」
「そりゃそうさ、ゼファー学院長の直弟子だろ?」
「いや、シュバルディン教官長の弟子じゃなかったっけ?」
「どっちでもいいだろ、三賢者の弟子に変わりはないんだから」
本当にどっちでもいい。
ディハルト将軍は周囲の反応などほったらかしで、俺の手をますます強く握る。
「この計画は我が国が帝国と対抗するための礎、それも途方もなく堅牢な礎となるでしょう。あなたは救国の英雄です」
「言うほど簡単ではないですよ。諸侯の反発は確実です」
しかしディハルト将軍はニヤリと笑う。
「だからこそ、王室が反乱を鮮やかに鎮圧した今やるべきなのでしょう? 諸侯も反対はしづらいはずです。わかっていますとも」
「ええまあ、おっしゃるとおりですが……」
そろそろ手を離してくれないかな。
「なんかわからんけど、1年の首席すげえな」
「そりゃ戦場帰りだしな」
「噂だと今回の学徒動員、王室がわざわざジンを指名したらしいぞ」
「やべえな、さすがは白銀の雷帝だ」
だからその恥ずかしい呼び方やめろ。
しかしこの流れは良くない。ディハルト将軍は明らかに意図的な演出を行っている。
俺は念話でマリエに助けを求める。
『まずいな』
『あらそう? 将軍の坊やにちやほやされて、まんざらでもないのかと思ったけど……』
なんでそんなに言葉にトゲがあるんだ。
そういやマリエのやつ、俺が他の誰かと仲良くしていると妙に不機嫌だな。以前はそんなこともなかった気がするんだが、最近ちょっとおかしい。若返ったせいか?
『なんでもいいから助けてくれ』
『助けるのは構わないけど、具体的に何をすれば助けられるのよ?』
言われてみれば確かにそうだ。
『この坊や、俺を学院内における軍の象徴に祭り上げる気だ。偶像にするつもりだぞ』
『じゃあその子の眼鏡に水でもぶっかけてあげなさいな。そうすれば解決でしょ?』
確かに解決するが、軍や王室との関係が悪くなるとこの学院は困るんだよ。
マリエは少し間を置いて、ぽつりとこう言う。
『もう引き返せないところまで首を突っ込んでるのよ。諦めなさい。それに』
『それに?』
『坊やの演説、そろそろ終わるわよ?』
演説?
ハッとして顔を上げると、ディハルト将軍が生徒たちに向かって朗々とまくし立てているところだった。
「ジン殿のような天才が在学しているマルデガル魔術学院は、我が王国の宝であります! 諸君も勉学と鍛錬に励み、軍に力を貸して頂きたい!」
おいやめろ。
もちろんディハルト将軍がやめるはずはなく、片手で俺の手を握ったままもう片方の手を高々と突き上げる。
「この誉れある学び舎の生徒諸君! 我らの素晴らしい王国を共に守り、繁栄させようではありませんか!」
いいから手を離せ。こいつ握力メチャクチャ強いぞ。見た目に反して相当鍛えてるな。
食堂に集まっている生徒たちは喝采している。
マリエがつぶやく。
『この学院もあなたも、骨の髄まで利用されることになりそうね』
『ううむ……仕方あるまい。子供たちの安全とゼファーの研究を守るためだ』
自ら蒔いた種だ。自ら刈り取るしかないだろう。
ディハルト将軍の演説は、最後にまた俺を持ち上げて終わる。
「さあもう一度、救国の若き英雄に拍手を! 諸君もいずれはジン殿のように、我が国を救ってくれると信じています!」
見事な煽動者っぷりだ。
まずいぞコイツ、早く平和にしないと……。