第51話「友たち」
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ベオグランツ帝国との形ばかりの同盟が成立してから、俺の負担は一気に増えた。俺は傍らのカジャに問う。
「次の予定は何だ?」
「えーと、有機化学の講義……の監査ですね」
生徒のふりして教官たちの講義をチェックするの、なかなか大変なんだよな。
「それとあるじどの、その時間中にディハルト参謀から依頼されたサフィーデ軍の魔術師配備計画を作る予定になってますけど……」
「いかん、予定を重ねてしまったか」
講義サボって書くつもりだったんだが、ゼファーに監査を頼まれたせいだ。
「やむを得ん。講義中に念話で口述筆記しよう」
「わかりました。あとですね」
「今度は何だ」
俺の問いにカジャは淡々と報告する。
「ジロ・カジャからビアジュ家の監視報告が4件届いています。会話内容の判断が難しく、指示を仰ぎたいとか言ってます」
「うむ……」
人間の会話は、使い魔には理解しがたい部分がある。視線の動きやちょっとした仕草、口調の変化などで意味が全く変わってくるからだ。
「これは早めに確認しておく必要があるな。今から片付けよう」
「あるじどの、それとですね」
まだあるのか?
するとカジャは俺の顔を見て、こう答えた。
「あるじどのの疲労が、作業精度に影響を及ぼす水準に達しています。ただちに休息が必要です」
どうやって休むんだよ、このスケジュールで。
王室も軍も学院も俺を必要としている。ビアジュ家や国境の監視も必要だ。トッシュたちの勉強会もある。
俺は階段の壁にもたれて深呼吸する。
「この肉体は若い。多少の無理はどうとでもなるはずだ」
「精神は老人のままでは?」
脳機能は若返ってるはずだから、たぶん大丈夫だろう。
「休めば休んだ分だけ、予定が狂う……。予定が狂えば、ますます休めなくなる」
肉体的な疲労は魔法である程度何とかなる。内臓機能を強化するなど、多少の手立てがあるからだ。
しかしこれはどちらかというと、精神的な疲労のような気がするな。
「おい、ジン」
不意に間近から声をかけられ、俺はギョッとした。
「ジン、聞いているのか?」
2年筆頭のスピネドールが俺を見つめている。
「どうした、スピネドール」
「どうしたじゃないだろう。さっきからフラフラしている上に、訳のわからない独り言まで呟いておいて」
そんな前から近くにいたのか。疲労のせいか、警戒心がすっかり薄れていた。
本当は独り言じゃないんだが、カジャの声は聞こえていなかったようだ。
スピネドールは学院トップの秀才だが、さすがに使い魔の声は聞こえないだろう。あれは高度な隠蔽技術が使われている。
俺は壁にもたれたまま、ずっと年下の先輩に笑顔を見せる。
「大丈夫だ、心配ない」
「心配などしていないが、大丈夫じゃないのもわかるぞ」
心配そうな顔をしてスピネドールが壁に手をつく。俺を逃がさないつもりか。
「この『火竜』スピネドールを甘く見るなよ。お前がトッシュたちに隠れて、裏でコソコソとやっていることぐらいお見通しだ」
もしかして……。
俺が不安を感じながらスピネドールを見ると、彼は真剣な表情で言う。
「お前、ゼファー学院長から個別に指導を受けているんだろう?」
「いや違う」
良かった、賢いと言ってもやっぱりまだ子供だ。発想が学生だな。
スピネドールは不審そうに眉を寄せる。
「本当か?」
「ああ、学院長も多忙だ。そんな余裕はない」
「じゃあ何をしてるんだ。最近のお前はいつ見ても疲れ切っているぞ」
実は前から思ってたけど、こいつの口うるささって世話好きな性格のせいなんだよな。
「おい、ちゃんと寝ているのか? 個室だからって夜更かしして勉強しすぎてないか? 危険な研究をやってないだろうな?」
お前は俺の母親か。忙しいんだから放っておいてくれ。
この世話焼きの先輩をどうしようかと思っていると、さらに間の悪いことに誰かやってきた。
「あれ、ジンとスピ先輩じゃん?」
ここにきてお前なのか、トッシュ。最悪だ。
だがどうも偶然ではないようで、トッシュはあまり驚いた様子を見せない。
「スピ先輩もこいつのこと心配してたんですか?」
「ああ。お前からも言ってやれ。勉強もほどほどにしろとな」
するとトッシュは首を傾げる。
「いや、勉強ぐらいでこいつが疲れるはずないですよ?」
「じゃあ、こいつの疲れっぷりは何だっていうんだ。尋常じゃないぞ」
スピネドールの問いに、トッシュはあっさり答える。
「あれじゃないですか? 人知れずベオグランツ軍と戦ってるとか?」
正解だよ。なんだお前、賢者か。俺は頭を抱える。
スピネドールがフッと苦笑し、肩をすくめた。
「お前、マルデガル魔術学院はサフィーデ北西部にあるんだぞ? ベオグランツ軍が侵攻してきたのは南東部の国境地帯、鉄錆平原だ」
「あー、確かにそうですね」
「ジンは毎日、講義に顔を出している。それで鉄錆平原まで戦いに行ける訳がないだろう」
普通に考えたらそうだよな。
転移魔法による長距離移動は知られているが、まだ実用化には至っていない。
なんせ座標計算に使う数学が恐ろしく難しい。惑星の丸みやら引力やら斥力やらを考慮せねばならない。
ほんの少しでも計算を間違えると地核や成層圏まで飛んでいくことがあるので、俺は使い魔にやらせている。
しかしトッシュは頭を掻き、にっこり笑う。
「いや、ジンならそれぐらいやりそうだなって」
「ふん。……だがもしそうだとしても、こいつは絶対に白状しないだろう」
スピネドールは俺をじろりと見て、小さく溜息をつく。
「お前が何を抱え込んでいるのかは詮索しないが、少しは先輩を頼れ。頼りない先輩ではあるが、そこらの凡百どもよりはよっぽど使えるぞ?」
確かにスピネドールぐらい判断力があり、魔術の腕も確かなら、いろいろ手伝ってもらうことはできそうだ。
しかし子供を国家的陰謀に深入りさせるのはなあ……。
そう思っていると、トッシュが俺の肩をポンポン叩いた。
「俺のことも頼りにしろよ? 同じ四天王だろ?」
勝手に四天王を作るなといつも言ってるだろ。本当に子供っぽいんだからしょうがない。
とはいえ、その子供たちに心配されているようでは俺も大人失格だ。
俺はいろいろ考えた末、半分ほど事実を交えて事情を説明する。
「実は今、学院長の研究を手伝っているところなんだ。これが厄介でな」
俺が今やっていることは、ゼファーの研究を存続させるための手段とも言える。だからあながち嘘ではない。
「やるべきことが多すぎて、確かに疲れ切っているところだ。心配させてすまない。ありがとう」
俺が正直に認めたので、スピネドールとトッシュは顔を見合わせる。
「だ、そうだ」
「スピ先輩の予想の方が近かったですね」
いやトッシュ、お前のその真実を見抜く力には驚いたぞ。ありえるかどうかを完全に無視して、直感だけで判断してるから偽装工作が通用しない。
スピネドールが俺に向き直る。
「俺たちに手伝えそうなことはあるか?」
「そうだな、いくつかある」
学院周辺の警戒ぐらいは任せても大丈夫だろう。警戒用の魔術紋を保守点検してくれるだけでも助かる。
それに王室や軍との折衝役も、生徒代表である彼らに手伝ってもらった方がいいかもしれない。卒業後に実際に働くのは彼らだ。
国王やディハルト参謀も、生徒たちのことをもっとよく知りたいだろう。
「では、少し頼んでもいいか?」
「当ったり前だろ? 俺たち親友じゃん?」
トッシュが屈託なく笑う。ちょっと不安になってきた。
だが考えてみれば、俺もゼファーも後進を育てて大勢の研究者を生み出すことを目的にしている。トッシュたちはその最初の世代だ。
だったら信じて任せてみることも必要だろう。
「そうだな。こんな簡単なこともわからないようでは、やはり賢者には程遠い」
「だろ?……で、賢者って何が?」
トッシュが首を傾げる。
そこにマリエがやってくる。アジュラとナーシア、それにユナも一緒だ。最近はこの4人で女子グループを作っているらしい。
アジュラが声をかけてくる。
「ジン、こんなとこにいたのね。マリエが心配してるわよ?」
「そうそう、マリエがね」
ナーシアがうなずき、フフッと笑う。なんだこいつ。
ユナは何も言わないが、妙にニコニコしていた。だからなんなんだ。
マリエはと言えば、ちらりと俺を見た後に溜息をつく。
「明らかに過労ね。医学的見地として、数日間の休養を推奨しておくわ」
「あのね、マリエさんは『ジンさんのことが心配だから、ゆっくり休んで』って言ってるんですよ?」
満面の笑顔でユナがそう言うと、マリエは腕組みをしたまま横を向いた。
「心配はしていないわ。ただ、休養はした方がいいと思うのよ」
「ほらね?」
何がほらねなのかわからないが、言うことを聞かないとマリエはすぐに怒るからな。
「まあ……わかった。今日の予定は明日に順延する。明日以降の予定は……」
「はいはい、そこから先はベッドで考えて」
アジュラが指をパチンと鳴らすと、スピネドールとトッシュが俺の両肩をがっちりとつかんだ。
「こいつは俺たちが男子寮まで責任を持って連行しておく。行くぞ、トッシュ」
「はい、スピ先輩! みんな、必ず寝かしつけるから安心してくれ!」
まるで罪人だ。振りほどくのはもちろん簡単だったが、俺は無抵抗のままずるずる引っ張られていく。
「じゃあジン、ちゃんとベッドで寝てね」
「無理しちゃダメだよー」
「そうですよ、マリエさんが心配しちゃうから」
「心配はしてないって言っているでしょう?」
こうして俺は女子4人に見送られながら、寮の自室まで引きずられていったのだった。
これじゃまるで介護されてるジジイじゃないか。反省しよう。