第43話「戦支度」
043
王宮からの帰り道、俺はベオグランツ帝国の出方を考える。
楽に勝てると思ってサフィーデに攻め込んだ帝国は、全く予想外の抵抗を受けて侵攻に失敗した。
ここで退けば皇帝の失政になる。
かと言って攻め続ければ、帝国軍がどんどん鉄錆荒野の土になるだけだ。
退くに退けず、攻めるに攻められない。仕方ないので同盟を結んだことにして、いったん兵を退く。帝国国内向けには、「サフィーデを屈服させた」とでも宣伝するのだろう。
もちろん皇帝は再びサフィーデを狙うはずだ。そうでないと無能な支配者と思われ、家臣や支配民の離反を招きかねない。
とりあえずサフィーデが形だけでも同盟を結ぶことにしたので、今ごろ皇帝はホッと安堵しているだろう。
だが……と、俺は考える。
『サフィーデ王が休戦に応じたのは、もしかすると失敗だったかも知れないな』
『あら、どうして?』
念話でマリエが不思議そうに問う。
『私も謁見の内容は聞いていたけれども、良い考えのように思えたわ。今この国に必要なのは、魔術師を養成して軍を再編する時間でしょう?』
『その通りだ。だが休戦に応じたことで、そのことを敵に知られた可能性がある』
俺はマリエに問い返した。
『ここでサフィーデが休戦に応じたら、ベオグランツの皇帝は不思議に思うんじゃないか?』
しばしの沈黙。
マリエはぽつりとつぶやいた。
『確かにそうだわ。皇帝からしてみれば、サフィーデが休戦に応じる理由は見当たらないわよね』
『ああ。帝国軍は圧倒的な戦力差で撃退されたからな。普通に考えれば、このままサフィーデの怒濤の反撃が始まるはずだ』
魔法王国の異名を持つサフィーデが、強力な魔術師で構成された軍で大攻勢に転じる。ベオグランツの皇帝や将軍たちは、そんな事態を最も恐れていたに違いない。
だからこそ、彼らは何としても休戦協定を結ぶ必要があった。……かも知れない。
『サフィーデ王は少しばかり人が好すぎたな。休戦など応じるものか、お前たちをブッ殺してやるとでも息巻いておけば良かったんだ』
『その後、さんざん渋ってから休戦に応じるって訳ね』
『その通り。それなら不思議には思われないだろう』
サフィーデ王は「わはは、マルデガル魔術学院の精鋭がいれば我が国は無敵だ!」などと調子に乗るようなバカではなかった。だから話がこじれないうちに休戦に応じた。
だがその堅実な外交判断が、結果的にこちらの手の内を晒してしまったことになる。
『皇帝は今ごろ、なぜサフィーデが休戦に応じたのかを分析させているはずだ』
『外交って面倒ねえ。聞けばわかることをあれこれ推測しなきゃいけないんですもの』
聞いたって教えてもらえないからだろ。
『ベオグランツの皇帝がどの程度の人物なのかはわからんが、もし俺の予想通りだとしたら油断できんな』
『そうね、脅威は高めに見積もる方がいいわ。相手を侮っても、良いことは何もないから』
『意見が合うな』
『当然でしょう? あなたの妹弟子ですもの』
マリエがそんなことを言うので、俺は苦笑する。
『じゃあゼファーとも意見が合うはずだな』
『それはないわね』
即答された。
『なんか矛盾してないか?』
俺がまた苦笑すると、マリエは不機嫌そうに返す。
『本当に理屈っぽいわね、あなたって』
『褒め言葉と受け取っておこう』
逆に「理屈っぽくない」と言われたら、たぶん俺は落ち込むだろうからな。
だがなぜか、マリエからは溜息をつかれた。
ときどきこいつのことがよくわからん。
よくわからんと言えば、ベオグランツの今後もよくわからないな。情報を集めたいが、俺がサフィーデを留守にすると少々都合が悪い。
魔術師の養成はゼファーに、そして魔術師たちを軍の命令系統に組み込む作業はディハルト参謀に、それぞれ委ねることにする。
学院に戻った俺は、ベオグランツ帝国の次の一手を警戒することにした。
もし俺が皇帝なら、マルデガル魔術学院に密偵を送り込む。来年の新入生や新規採用の教官は要注意だな。
ありがたいことに迎撃任務がなくなったので、しばらくはトッシュたち新入生の世話に没頭できる。
こいつらを今のうちに勉強会で鍛え上げておこう。
「『念話』で思考のやりとりをするのは最初の段階だ。慣れてきたら五感を共有することができる」
俺はいつものように寮の食堂で、みんなに魔術の手ほどきをする。
「思考はどうしても雑念が入る。五感を直接共有するのに比べると、情報の精度が落ちる。さっきの実験でもわかっただろう?」
俺がそう言うと、全員がトッシュを見た。
さっきの実験は、先入観によるヒューマンエラーについてだ。
トッシュは味方の『念話』を全て正しく受信したにも関わらず、指揮官への報告で敵兵の数を1桁間違えた。
「な、なんだよ!? しょうがないだろ!? 前回の『念話』も前々回の『念話』も、敵兵は7千だって報告だったんだから! まさか急に7万に増えてるなんて予想できねーよ!?」
「そう、しょうがないんだ」
俺はトッシュの肩に手を置き、彼を慰める。
「人間の頭は常に情報を整理している。時にはそれが行き過ぎて、思い込みで誤った判断をしてしまう。普通に考えて、急に敵兵が6万3千も増えるはずがないからな」
「だろ?」
トッシュがバッと顔を上げたが、俺は首を横に振った。
「だが通信兵が自分の判断で数字を変えてはいけない」
「いやでも、ありえねーって!」
「戦場ではどんなことでも起こりうる。未発見の兵力と合流したのかもしれないし、前回と前々回の報告が間違っていた可能性もある。軍勢を隠蔽するのが得意な将軍もいる」
他にもいろいろありえるぞ。
「敵が『念話』を傍受し、自軍の魔術師を使って虚報を混入させた可能性だってあるんだ。そして実戦で敵兵の数を1桁間違えると、味方は全滅する」
「そりゃあ……そうだよな……」
俺の言葉にしょんぼりするトッシュ。別に責めてはいないんだ、元気出してくれ。
「だが、見たものを映像として直接伝えられれば、そういったミスは遥かに少なくなる。軍勢を自分の目で見れば、さすがに桁の間違いは起きないだろう?」
俺は鉄錆平原でベオグランツ軍と戦ったとき、その一部始終を映像としてゼファーに送っている。ゼファーはそれを記録し、『書庫』に保存した。口頭で報告するよりも遥かに多く、正確な情報を伝えられる。
「引き続き『念話』の使い方を練習していこう。いずれは上位の魔術も習得して互いの知覚を共有し、それを指揮官にも直接伝達できるようにしたい」
五感をリンクさせ、魔術師以外にも共有させる。かなり高度な魔術だが、これらを使いこなせるようになれば軍での地位は不動のものになるだろう。
幸い、ゼファーが卒業生にも声をかけて『念話』の指導をしている。当面は卒業生を軍に回すことになりそうだ。
彼らの多くは地方の下級官吏で、軍役の義務を負っている。
今のままだと彼らは敵の戦列歩兵と戦うために最前線送りだが、『念話』をマスターすれば通信兵だ。運が良ければ後方勤務になるし、前線でも指揮官と一緒に守ってもらえる。戦死の危険性は大幅に減るだろう。
おかげでゼファーの念話指導は大盛況らしい。
だから今はまだ、在学生には落ち着いて修業を積んでもらえる。
『この調子なら、魔術師たちが軍の通信を担うのは問題なさそうだな』
『でもそれだけで勝てる? こっちには十分な兵がいないのよ?』
マリエが心配そうに言うので、俺は考える。
『今から火縄銃を揃えようとしても、サフィーデの生産力と財力では勝ち目がないからな。「書庫」で見たミニエー銃でも作ろうかと思ったんだが……』
『なにそれ』
『簡単に言えば、物凄く強い銃だ』
銃身内部に螺旋状の溝を掘り、銃弾に回転を加えて安定させた改良型の銃だ。弾丸も専用のものを使う。
たったそれだけで飛距離と命中率が数倍に跳ね上がるらしい。
これがあれば戦列歩兵など歩く標的に過ぎない。
技術的には問題ない。生産も少数なら何とかいけそうだ。
ただ重大な懸念があった。
『そいつを敵に奪われると、数年後に恐ろしいことになる』
『帝国側が量産を始めたら優位性は失われるものね』
『下手をすれば、それが原因でサフィーデを滅亡に追い込みかねん』
秘密兵器にはロマンを感じるが、技術が漏洩したときのリスクが大きすぎる。
兵器が強力になればなるほど、技術力や生産力の差は顕著になる。拾った石ころで殴り合っていた時代なら生産力など関係ないが、製鉄や金属加工が必要になってくるとその差は歴然だ。
俺は頭を掻く。
『最低限、火縄銃はもう少し調達せんといかんな。敵から奪った銃が数千挺あるが、火薬が全くない。ディハルト参謀に相談してみよう』
戦場で拾った火縄銃は全部押収したが、壊れているものも多い。鉄砲鍛冶がほとんどいない国なので、修理が遅々として進まない。
『銃の修理は……そうだな、人工霊を使うか』
鉄砲鍛冶の人工霊はいないが、ニッポンの鉄砲使いの中には修理ぐらいならできる者もいるだろう。となれば、今度は士分より平民の方が良さそうだ。
ただ、拾った銃で鉄砲隊を作っても、規模はベオグランツ軍の1割以下だ。まだ足りない。
槍では銃兵の相手は務まらない。騎馬は維持費が莫大で、弓は訓練に時間がかかる。クロスボウは扱いが簡単だが、銃より複雑で量産が難しい。
やはりもっと銃が必要だ。もちろん火薬も。
魔術師がどれだけ迅速に通信を行ったとしても、肝心の兵が役立たずでは戦争に勝てない。
まだしばらくは俺が帝国軍と渡り合うしかなさそうだ。