第34話「第2次サフィーデ防衛戦」
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結論から言えば、このベオグランツ軍の第二波もどうということはなかった。
「マリエ、竜茨の制御は任せる」
「任せて。乗り越えそうな敵がいたら絡め取るわ」
竜でさえ手こずる強靱な茨に絡め取られたら、もう人間の力では逃れることはできないだろう。捕虜として手厚くお迎えさせてもらうことにする。
「敵は戦列歩兵、密集陣形だ。あれなら『雷帝』を使えば千人単位で殺せるんだが、それができることは隠しておきたい」
「あら、どうして?」
マリエが首を傾げたので、俺は苦笑する。
「サフィーデとベオグランツの戦争がどういう形で終わっても、『スバル・ジン』という17才のガキの処遇が問題になるだろう」
無詠唱の破壊魔法で千人以上まとめて殺せるようなヤツ、危なくて生かしておけない。
「両軍からこれ以上危険視されないよう、なるべく搦め手で決着をつけたい」
「とか何とか言って、本当は敵兵に同情してるんでしょう? あなたから見ればみんな幼子みたいなものだから」
マリエの言葉に俺は溜息をつく。
「妹弟子よ、お前の察しがいいのは知っている。次は『敢えて言わない』ということを学んでくれ」
「難しい課題ね……」
学ぶ気がないだけだろ。この妹弟子はワガママで頑固で甘えん坊だからな。
俺はいろいろ諦めつつ、『降雨』の術を完了させた。天候操作は『雷帝』の前提条件となっているので、俺は一通り使える。
俺は上空の様子を見上げつつ、マリエに言った。
「火縄銃は引き金ひとつで重騎兵すら打ち倒す兵器だが、致命的な弱点がいくつかある」
貴重な火薬を使用すること、装填に時間がかかること、命中率が心許ないこと。他にもまだまだある。
「雨に弱いことも大きな弱点だ」
俺は上空の大気を観測し、湿度と温度の仕上がりに満足する。これならすぐに巨大雨雲が発生することだろう。
ベオグランツ軍は前進を続けている。上空には雨雲ひとつないので、彼らはおそらく降雨に対しては全くの無警戒だ。
だが雲は見えなくても、雲の構成要素……飽和した水蒸気の塊はそこに存在している。
「火縄の火は小さく消えやすい。黒色火薬も吸湿性が高く、水には弱い。ゆえに」
俺は上空の大気に最後の操作を加えた。
「火縄銃を沈黙させるのに激しい稲妻は必要ない。穏やかな雨があれば十分だ」
次の瞬間、みるみるうちに雨雲が発生する。雲はあっという間に成長すると、対流圏にまで達した。そこから上へは雲が伸びることができないので、不満そうに左右に広がっていく。激しい雷雨を生み出す「かなとこ雲」だ。
最初の雨が地上に達した直後、猛烈な豪雨が平野を襲った。
「ジン、これのどこが『穏やかな雨』なの」
ちゃっかり雨傘を用意していたマリエが、淑女然として溜息をつく。
すかさず使い魔のカジャが謝罪した。
「申し訳ありません、マリアム様。あるじどのは加減というものが全くダメでして」
「ええ、カジャ。よく知っているわ」
俺は知らなかったぞ。むしろ結構手加減してると思うんだが。
俺は頬を叩く雨滴を心地よく感じながら、空を覆い尽くす真っ黒な雲を見上げる。
「ウルバーユ地方の雨季を思い出すな」
「知らないわ」
土壌を洗い流し下流に恵みをもたらす、あの恵みの豪雨が懐かしい。
「あのときは野営中に溺死しかけましたよね、あるじどの」
「いつものことだ」
俺は望遠鏡のレンズを拭い、ベオグランツ軍の様子を観察する。
「さっぱり見えんな。カジャ、観測しろ」
「はぁい。投影します」
送られてきた映像では、ベオグランツ人たちは将軍も兵卒もずぶ濡れになっていた。銃はまるで川にでも沈めてきたかのように水が滴っている。
「ベオグランツ軍、後退していきます」
「あれでは射撃どころか、銃剣突撃すらままならんだろうからな」
突然の豪雨で敵の攻撃能力を奪う方法は、かなり有効そうだ。ただしこの方法は火縄銃に限られる。
ベオグランツ軍が燧発銃を配備し始めたら、豪雨の中でも進軍してくる可能性がある。
マリエが戦況を分析する。
「火薬が乾いたらまた攻めてくるでしょうね」
「まあな」
血を見ない限り、戦争は終わらない。為政者たちがやめさせないからだ。
「あれだけ水浸しにしてやれば、数日はどうにもならんだろう。この平野も湿原みたいになってるしな」
これで竜茨がまた育つぞ。俺の可愛い竜茨たちがますます凶暴になるかと思うと、それだけでワクワクしてくる。命を育てるのは良いものだ。
「さて帰ろう。トッシュたちと夕飯を食う約束をしている。今日は鶏の串焼きだ」
何本食えるか勝負しているのだが、あいつかなり手強いんだよな。胃袋の大きさはほぼ互角なんだが、あいつにはがむしゃらな若さがある。
マリエが溜息をついた。
「男の子ってどうして競いたがるのかしらね」
「人類学的に言えば、群れの中での序列が重要だったからだな」
競い合うのが男の本能であり、自然な姿だ。
俺は目を閉じて腕組みし、戦略を練る。
「トッシュは串焼きの間に刺さっている香味野菜が苦手でな。あれを食べている間は速さが極端に落ちる」
「別にいいわよ、そんな話」
「ただ最近、トッシュは野菜をスピネドールに押しつけることを覚えたから、あれは禁止しないとな。トッシュの健康のためにも」
「ちょっと待って、あの2年生の子も参加しているの?」
「いや、スピネドールは文句を言いながら見てるだけだ」
ただあいつ、トッシュに甘いんだよな。
俺たちは戦場を後にして、平和な学院に戻る。
だがもちろん、戦いを忘れることはできない。
「用意はいいな、ジン」
「ああ」
トッシュと俺は力強くうなずき合い、そしてスピネドールが頬杖をつきながら宣言する。
「さっさと始めろ」
合図と同時に俺たちは鶏の串焼きに手を伸ばす。
「勝負だ!」
「負けんぞ」
いくらでも食える若い肉体を得た以上、いくらでも食ってやる。
俺が11本、トッシュが9本食べたところでゼファーがやってくる。
「『ジン君』、ちょっといいかね?」
ちょっと待て、ここから一気に勝負をつけるところなんだよ。
しかしゼファーの表情に微かな焦りを感じたので、俺は勝負を中断する。
「トッシュ、今日はお前の勝ちでいいぞ」
しかしトッシュは香味野菜を懸命に頬張りながら、涙目で首を横に振る。
「俺はまだ……たたかふぇふ……」
「無理するな。スピネドール、こいつが野菜を残さないか監視しててくれ。甘やかすなよ?」
スピネドールは自分の串焼きを上品に食べながら、フンと鼻を鳴らす。
「誰が甘やかすだと?」
お前だよ。
こいつ、自分が認めた相手にはとことん甘いからな。トッシュのどこを認めたのかさっぱりわからないが、気が合ったんだろう。
俺はトッシュたち若者との戯れに未練を残しつつ、大人としてやるべきことを片付けることにする。
学院長室に招かれた俺は、この賢者様からさっそく相談を受ける。
「学院のカリキュラムについて、そろそろ本格的に見直しをせねばならん。シュバルディン、お前の意見を聞かせてくれ」
「だからまず教育の目的を決めろって言ってんだろ」
どういう人材に育てたいのか、それが決まらないとカリキュラムも決められない。
「師匠がいつも言っていたように、教育には具体的な目的が不可欠だ。教えることそのものが目的になってはいかん」
「わかっているつもりだ。だがその目的をどうするかが悩みでな」
ゼファーは溜息をつく。
「王室は『国防に役立つ人材を育てろ』と言う。だが私は生徒を死なせたくない。彼らは大事な弟子であり、魔術を発展させていく基礎となる人材でもある」
「裾野が広くなければ研究や発展はありえないからな」
歴史に残る一握りの研究者たちを生み出すには、歴史に残らない大勢の研究者たちが不可欠だ。
戦争で生徒たちを死なせたくないというゼファーの気持ちは、人としても魔術師としてもよくわかる。
「国防に役立ち、なおかつ死なない人材にすればいいだけのことだ。王室とて貴重な魔術師を死なせたくはあるまい」
「そんな方法があるのか、シュバルディン」
俺は兄弟子をちらりと見て苦笑する。
「あるとも」
不勉強だぞ、兄弟子殿。