第35話「隠者の追憶」
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翌日、俺はマルデガル魔術学院の教官たちを集めた職員会議で皆に説明した。
「この学院では、国防に役立つ魔術師を育成することが求められている。だが魔術師は貴重な人材であり、前線で消耗して良いものではない」
実際にはどんな一兵卒であろうが消耗されて良いはずはないのだが、ここで戦争そのものの愚かさを説いても仕方ないので割愛する。
今はとにかく、ここの生徒を無駄死にさせない方策が必要だ。
「魔術師を銃兵のように運用するのはもったいない。魔術にはもっと役立つものが多数ある。そこでまずは教官諸君にそれを身につけてもらう」
俺は石壁に白墨で概要を記す。
「戦争は盤上遊戯と違い、お互いの『情報』を得るところから始まる。敵に先んじて情報を得られれば、多少の数の差は覆せる」
師匠が我々に伝えた魔術のうち、最も重要なものが情報を得るための術だった。研究に不可欠だからだ。
例えば遥か高空から鷹の目で見下ろすように、敵味方の動きを読み取る術がある。
また『過去視』の術のように、この場所で敵の軍勢がいつどこに向かって何人ぐらい通過したのか読み取る術もある。
読み取った情報の分析には知識が必要なので意外と難しいが、術そのものは少ない魔力で使える。
「そしてその情報を伝える『通信』。魔術を使えば早馬で3日かかる連絡が一瞬で片付く。この優位性は魔術師には理解しがたいと思うが、軍事的には兵力を何倍にも高めてくれる」
魔力波で通信を行う『念話』は俺たち3人しか使い手がいないが、そんなに難しい術ではない。
これは情報収集の魔法と違って分析の必要がないので、すぐにでも実用化できるだろう。
「当面はこの2つを生徒たちに教え、サフィーデ防衛に役立てたい。まずは教官である諸君に、これらを習得してもらう。いずれは将兵の治療や衛生に役立つ治癒術や、土木に役立つ構築術なども取り入れる予定だ」
治癒術は魔術師1人で治療できる人数が少なく、劇的な効果は期待できない。各師団に少数配属して、司令官や幕僚たちの損耗を防ぐぐらいが限界だ。
また構築術は地形を変えてしまうほどの力を持つが、それだけに魔力の消費が激しい。それに土木や建築の知識を必要とするので、今は無理だろう。
俺が説明を終えると、ゼファーがいそいそと立ち上がる。
「では本日より情報と通信を司る術の教授を行う。まずは『念話』と『伝言』の術を教えよう」
伝言の術は相手と連絡が取れないときに、仮想空間に念話の情報を残しておく術だ。単なる伝言だけでなく、情報の蓄積や共有も可能となる。
師匠が異世界を旅しているときに、「インターネット」あるいは「イントラネット」という科学技術から着想を得てこれを開発したという。
そして数日後。
俺は教官長なので、教官たちの構築した魔力情報網を管理者権限で閲覧させてもらう。なお、俺がチェックすることは事前に通告してある。
『本日4限、1年の物理学概論は赤の講堂に移動』
『赤の講堂は4限に2年の代数学演習の補講で使用します』
『学院長に相談してみたら?』
『学院長室が空っぽだ。どこ行った?』
『4限、青の講堂空いてるよ』
案の定、業務連絡に使われていた。教官たちは貴族や富裕層の子弟で、性格はともかく頭は良い。だから新技術もすぐに使いこなす。
『夕刻の鐘の後で第2教官室に集合な。メリルの特級入荷したぞ』
『俺、今夜の巡回当番なんだけど』
『飲んでから回りゃいいじゃん』
ダメだよ。教官長や学院長が閲覧してるってことを完全に忘れてるな。
ともあれ、教官たちは通信関係の術に慣れたようだ。念話やその派生術は使い勝手がいいので、思った以上に順応が早いな。
これなら十代の生徒たちはもっと早く順応できるだろう。
そしてさらに数日後。
『ジン、今日の夕飯って何だっけ?』
『トッシュ、つまらん用事で記録を流すな』
『いいじゃんスピ先輩、今日の夕飯って何ですか?』
『いい加減にしろよ貴様! サフィーデマスの香草焼きと、黒芋の煮込みだ』
『やったぜ、ありがとうスピ先輩!』
『黙れ、その呼び方やめろ』
なんだこの無邪気なログは。
なるべく実践で習熟して欲しいので好き放題に使わせているが、1年特待生とスピネドールの合計5人で勝手にネットワークが構築されているのは何なんだ。
『スピ先輩、後で精霊術の実験に付き合ってくれる?』
『わかった。だがアジュラ、その呼び方はやめろ』
『あのスピ先輩、私も見学していいですか?』
『ナーシア、だからその呼び方をするな。見学は構わないぞ』
スピ先輩、すっかり後輩に懐かれているようだ。神経質で気難しい少年だが、それ以上に真面目なので慕われているらしい。
なんだかゼファーの若い頃を思い出すな。俺はヤツのことなど慕ってないが。
もちろんマリエも連絡をよこしてくる。
『シュバルディン、念話の情報網がごちゃごちゃして面倒だわ』
『今までは俺たちしか使ってなかったからな。今後は情報網を整備せんといかんだろう』
『そうね。ところで寮の夕食は何?』
『お前はトッシュか』
長いこと1人で世界中を放浪していた俺だが、何だか急に賑やかになってきたな。
こうしてマルデガル魔術学院は教育内容を変更し、射手ではなく技官を育成する場所となった。
だがゼファーは心配そうだ。彼は俺に王室からの書状を手渡し、こう言う。
「シュバルディンよ、通信や情報が本当に大きな価値を持つのか? 王室も疑問に思っているようだぞ」
「戦争は暗がりの中で行う盤上遊戯だ。お互いの顔も駒もよく見えない。だがその状況で自分だけ夜目が利くとしたら、どれだけ有利かわかるだろう?」
「ふむ」
あまり興味はなさそうだったが、ゼファーは少し考え込む様子を見せた。
「なるほど。今ひとつ腑に落ちんが、確かに優位性は高そうだ」
ゼファーは戦争どころか争い事をほとんど経験していないので、ピンとこないのだろう。羨ましい。
「御理解頂けて大変結構。だがお前は賢者とか呼ばれている割に、魔術以外のことはさっぱりだな」
俺が皮肉を込めて言うと、兄弟子は不服そうに溜息をつく。
「好き好んで呼ばれている訳ではない。私は自分を賢者だと思ったことは一度もない。お前もそうだろう?」
「無論だ」
まだ弟子時代の気分が抜けない。賢者などと呼ばれるのは心外だ。
そもそも「俺は賢者だ」なんて本気で思ってたら物凄くアホっぽいだろう。
「それはそれとしても、やはり世事には通じておくべきだぞ」
「魔術の研究と違って、人の世は不合理で理解が難しくてな……そもそも戦争など何のためにするのかわからんのだ。無駄が多すぎる」
賢すぎる人はみんなそういうことを言う。
俺は戦争で故郷を失った身として、こう説明した。
「1人の馬鹿が、パンを奪うために1人殺すだけでも戦争は始まる。殺された者の身内が報復を開始し、さらなる報復と略奪を呼ぶ。そして国と国が争い始める」
「ゼオガもそうだったのか?」
「似たようなものだ。ゼオガは小国なりに豊かな地で、技術も発達していた」
俺の故郷には「稲作」と「火縄銃」という2つの大きな特色があった。
米は労働力を投じることで、麦の2倍ほどの人口を養うことができる。狭い農地しかなくとも豊かに暮らせるのだ。
ただし稲作の可能な条件は麦よりも遥かに厳しく、豊かな水と温暖な気候が不可欠だ。ベオグランツ帝国でも最南端の旧ゼオガ地方でしか行えない。
そして火縄銃は、当時は最先端の兵器だった。
ゼオガの民は改良に改良を加え……なんでそんなに改良したのかわからないが、たぶん凝り性だったんだろう。とにかく、高性能な火縄銃と効率的な運用技術を持っていた。
「グランツと呼ばれる連中が大挙して南下してきたとき、ゼオガの民は為すすべもなかった。あいつらは異民族であるゼオガの民と共存する気などなかったし、一挺の火縄銃では百本の斧には勝てん」
ゼオガだけでなく、周辺の諸国も同じ目に遭った。
ゼファーはつぶやく。
「確かあの時期は、大規模な気候変動があったな」
「北方での食糧争いが激しくなって、グランツ人も追い詰められてたんだ。別にあいつらが極悪非道だった訳じゃない。追い詰められればゼオガ人も同じことをしただろう」
「丸くなったな、シュバルディン。師匠に『雷帝を教えてくれ』とせがんでいた少年とは思えん」
「……いろいろ経験してな」
『雷帝』は、この世界で人類が起こせる最大の放電現象だ。回避不能に近い必殺の魔法で、炎や竜巻よりも効率的に人を殺せる。
師匠はこの『雷帝』を教える条件として、俺をベオグランツ帝国に送り込んだ。
『やだよ師匠、俺はあいつらの国なんか見たくない』
『カボチャに触れずしてカボチャの切り方はわかるまい。敵への理解を深めておけば、百度戦っても危ういことはなかろう』
『なるほど! さすが師匠、頭いいな!』
『何と言ってもおぬしの師匠じゃからのう、ふふふ』
もっともこれが師匠の罠だと気づいたのは、それから数年後だった。
「グランツ人も家族や友人を愛し、正義と慈悲を重んじる人々だった。あくまでも『自分たちの共同体の中では』という条件つきだが、それはゼオガ人も同じだ」
つまり我々と彼らは同じ人間だった。
同じ人間だと思ってしまうと復讐の刃は鈍る。グランツ人の知り合いが増えるにつれ、俺は彼らに敵意を向けることができなくなっていった。
ゼオガの民がどれだけ悲惨な目に遭ったかは絶対に忘れないが、何も知らずに笑っているグランツ人の赤ちゃんを同じ目に遭わせることは、どうしてもできなかった。
師匠に出会う前の俺だったら、敵の赤ん坊でも平気で殺していただろう。だが多くを学び経験した後では、そんなことは頼まれても無理だ。
ゼファーがしみじみと言う。
「今にして思えば、師匠はお前が復讐を思いとどまるとわかっていたのだろうな」
「ああ」
師匠に弟子入りを志願したゼオガ人は他にもいた。だが師匠は俺しか弟子に取らなかった。
俺には復讐などできないと、師匠は最初から見抜いていたのだろう。何とかいう弟子に性格がよく似ていると言っていた。
俺は復讐を諦め、離散したゼオガの人々を世話することにした。
やがて彼らはベオグランツ帝国の民となり、安定した暮らしを手に入れる。官吏や富農になる者も大勢出た。
俺の役目は終わり、俺はどう生きていいかわからなくなった。
そして今に至る。
俺は溜息をつき、雷震槍で肩をトントンと叩く。
「戦争など全くもって実にくだらん。皆で串焼きの大食い勝負でもしていた方がよっぽど有益だ」
「寮の炊事係から苦情が出ているぞ。食い過ぎる新入生が2人いると」
片方はトッシュだとして、もう片方は誰なんだろうな。このシュバルディン、賢者などと呼ばれていてもさっぱりわからぬ。永遠の謎にしておこう。
俺は王室からの書状をチラリと見て、それをゼファーに返す。
「それよりも王室を納得させんといかんな」




