第110話「冠者たち」
※「人狼への転生、魔王の副官」14巻の執筆作業のため、次回からしばらく不定期更新となります。ご了承ください。
110
俺はタロ・カジャと共に『書庫』の一角を訪れていた。
ここは我が師、異界より来たりし大賢者が残した禁術の数々を納めた封鎖区画だ。師匠は真摯な学徒だったが、それだけに危険な研究も多々やっている。
俺は区画を守る師匠の使い魔たちと向き合う。
「我が名はシュバルディン。真名はスバル・ジン。師より『雷帝』の秘儀を授かりし者」
翼ある悪魔の姿をした使い魔たちは、じっと俺を見ている。
禁術に触れようとする者は全て、この守護者たちと対峙することになる。師匠の直弟子である八人以外、ここを通過することはできない。
やがて守護者が告げる。
「雷帝よ、その力を示せ」
次の瞬間、周囲に凄まじい稲妻が奔った。俺の『雷帝』と同等の威力を持つ攻撃だ。
もちろん普通の人間なら黒焦げだが、俺は動じない。
「鎮まれ」
稲妻の嵐は一瞬で消え去り、周囲にはイオンの匂いだけが残った。それもやがて薄れて消える。
強大な電流を操る以上、それを防護する術を心得ているのは当然だ。俺にはどんな電撃も通用しない。
守護者たちは静かに言う。
「止電の術を確認した。汝は真の雷帝なり」
「わかったらさっさと通せ」
使い魔に褒められても嬉しくない。こいつらはただの機械だ。
すると俺の使い魔であるタロ・カジャが、すかさず封鎖区画にアクセスする。
「あるじどの、封鎖区画の情報を更新しました」
「よし、行くか。お前らもたまにはメンテナンスしろよ。前より電撃がヌルかったぞ」
俺は悪魔の姿をした使い魔たちに軽く手を振ると、薄暗い書庫に似た仮想空間をすたすた歩き出す。
「強制蘇生術、人格変容術、霊魂融合術……よくもまあ、こんだけ物騒な術を作り上げたもんだな」
ほんの少しでも使い方を間違えれば恐ろしい事になる術だが、これらの研究を基にして師匠は多くの治癒魔法を完成させている。
「とりあえず検索用魔術紋を形成しました」
タロ・カジャがこちらを振り返ったので、俺はうなずく。
「『侵襲型転生術 危険』で探してくれ」
「了解、検索を開始します」
師匠はもちろん、単なる興味や悪ふざけでこんな術を作った訳ではない。師匠とは違う誰かがこれらの術を編み出したとき、被害を食い止めるためにも、先に開発しておく必要があったのだ。
だから対策もきちんと用意している。
「あるじどの、『侵襲型転生術の危険性と対処法』が見つかりました」
「それだ。俺の魔術書に転送しろ。区画内なら閲覧はできるはずだ」
「わかりました」
俺の魔術書の白紙のページに、師匠の記した書物が転送されてくる。
「どれどれ」
俺は侵襲型転生者に関する項目を読み始めたが、すぐに行き詰まった。
「難しすぎてわからん……」
「どうしますか、あるじどの?」
「転生術の事典と解説書があるはずだ。それも頼む」
「はぁい」
専門書というのはまず用語が難しく、「超籠理論において魂魄路の量子的揺らぎは世界線の相互交差作用を受けると予想される」などと書かれても俺には全く理解できない。なんだこれは。
読み解くには時間がかかりそうなので、俺はタロ・カジャに別の命令を与えておく。
「俺はしばらく『書庫』に籠もる。お前はファルファリエたちの様子を見ておいてくれ」
「えー……じゃあやります」
不服そうに言うなよ。
* * *
【カジャたち】
タロ・カジャは姿を消し、学院の食堂でひっそりと生徒たちの会話を記録していた。
ファルファリエを囲むようにして、トッシュたちがわいわいとしゃべっている。
「同盟を結んだからもう安心かと思ってたのに、帝国と戦争か……」
大仰な身振りで嘆息するトッシュ。
「すみません。私も留学前から戦争だけは避けねばと思っていたのですが」
ファルファリエが少し申し訳なさそうな顔をすると、すかさずスピネドールがトッシュをたしなめる。
「トッシュ、ファルファリエを責めるような物言いはよせ」
「えっ!?」
驚くトッシュにアジュラが追い打ちをかける。
「そうよ。もともとマルデガル魔術学院の卒業生は、有事の際に軍務が課せられるでしょ? わかってて来たんじゃないの?」
「いやまあ、そりゃそうなんだけどさ」
気の強い二人に圧されていると、ナーシアがぽつりと言った。
「私はミレンデ人だから軍務は関係ないし、卒業後はミレンデに帰るけどね。でもまさか在学中に二回も戦争があるなんて思わなかった」
それを聞いたトッシュは深く同情するようにうなずく。
「ああ、ナーシアも大変だよな。サフィーデと帝国の戦争なんて関係ないのに、何かあったら戦地に行かないといけないんだから」
するとまたスピネドールが怖い顔をする。
「そうだぞ。サフィーデ人のお前が怖じ気づいてどうする」
しかし今度はアジュラがフォローする側に回った。
「まあまあ、こいつが逃げ出さないようにあたしがしっかり見張っておくわ。自衛ができる程度には火術を磨いたし、敵の火薬全部燃やしちゃう」
その言葉にスピネドールは真顔でうなずく。
「さすがはアジュラだな。だが俺は火術だけでなく剣も鍛えているぞ。そうだトッシュ、今から剣術を仕込んでやろう」
「今から!?」
慌てるトッシュの襟をむんずとつかんで、スピネドールは有無を言わさず歩き出す。
「アジュラがお前を守ってくれるように、お前もアジュラを守るべきだろう。男なら愛する女性は守れ」
「待って、待ってスピ先輩! このタイミングで何言っちゃってるんですか!」
「いいからさっさと来い。サフィーデ騎士の最後の砦、戦場剣術を叩き込んでやる。落馬して無数の雑兵に囲まれても、剣一本で武名を轟かせて討ち死にできるぞ」
「死にたくないんですよ俺は!?」
彼らの会話をじっと聞きながら、タロ・カジャは静かに考える。
(会話が盛り上がるときは、いつもトッシュが話の起点になってるなあ。そしてトッシュがスピネドールやアジュラに叱られて、ナーシアが別視点から発言して流れを変える)
過去に収集した膨大な会話データを分析しているタロ・カジャだが、別にシュバルディンに命じられた訳ではない。「なんとなく」だ。
(そしてこの会話で、ファルファリエのストレス値が有意に低下している。たぶんトッシュは最初から、自分が道化になるつもりで話を振っているんだな)
妙に楽しそうな顔で引きずられていくトッシュを見て、タロ・カジャは小さくうなずく。
それからくるりと振り返って、そこにはいないはずの存在に声をかけた。
『これが君の守りたかったものかい?』
タロ・カジャの視界には、白猫の姿が表示されている。タロ・カジャの中に保存されているジロ・カジャのデータだ。
しかしジロ・カジャ自身は稼働していないため、白猫の映像は何も言わない。
タロ・カジャは重ねて言う。
『ボクにはわからないよ。君、人間相手に嘘をついただろ? 例え相手が敵だとしても、人間相手に嘘をつくのは重大なプロトコル違反だ』
白猫は何も言わない。無言で佇んでいるだけだ。
『君は壊れていたんだね。……いや、ファルファリエを守るために壊れたんだ。あるじどのが駆けつけるまでの、わずかな時間を稼ぐために』
およそ正気とは思えない。使い魔には自身の完全性を維持するよう、強い強制力が働いている。主人でもない人間を守るために壊れるなど、ありえない話だ。
しかしタロ・カジャは「ありえない」とは結論づけなかった。実際に起こったことだからだ。
『通信途絶までのログを見ても、君の考えはわからなかった。ボクと君は優先順位が違うけど、同じ論理を持つ。本来なら君の思考はトレースできるはずだ。まあ、理解はしがたいけどね』
ごにょごにょ言いつつ、タロ・カジャは白猫の幻に歩み寄る。
『君は本当に壊れていたのかな? 君は何を見ていたんだい? 君は誰だ?』
答えはない。ジロ・カジャはもういない。残されたのはジロ・カジャの記憶だけだ。
『君の要素を全てボクの中に取り込めば、君に見えていたものがボクにも見える?』
予期せぬ重大なインシデントを防ぐため、使い魔は他の使い魔と統合することを禁じられている。タロ・カジャが今やろうとしていることは、主人に対する反逆だ。
しかしタロ・カジャは迷わなかった。
『結局ボクも壊れているのか……』
そして白猫の頬をぺろりと舐める。
『ぴゃっ!?』
ブルッと震え、しばらく硬直するタロ・カジャ。ほんの数秒のことだったが、内部では不可逆的な変化が起きていた。
全ての変化が完了した後、タロ・カジャは小さく溜息をつく。
『こんなもんか。君はずいぶんとバカなことを考えていたんだね。まるで人間じゃないか』
呆れたように呟いた後、タロ・カジャはこう言う。
『でもまあ、おかげで僕にも君に見えていたものがわかったよ』
やけに楽しそうに言った後、タロ・カジャは丸まって座り込んだ。
『しょうがないな、君の後は僕が引き継ごう。ファルファリエのことは僕に任せて……いや、違うな』
黒猫の使い魔はぽつりとつぶやく。
『僕らが守るんだ。そうだろ?』
カジャはそう言うと、わいわい騒いでいる少年少女たちを静かに見つめた。
* * *
「これは厄介だな……。誰が『サーリヤ』なのか、これじゃもう特定しようがないぞ」
俺は溜息をついて、自分の魔術書から侵襲型転生術の記述を全て消す。『書庫』の外に持ち出そうとすれば、守護者たちが自爆してでも防ごうとするからだ。
俺が思っていた以上に侵襲型転生術はヤバい代物だった。
一般的な転生はいわゆる「生まれ変わり」だ。たまに前世の記憶を保持していることがあるが、別に誰かの肉体を乗っ取って新しい人生を始めている訳ではない。
しかし侵襲型転生術は他人の魂、それも胎児の魂を消滅させて肉体を乗っ取る。これだけでもヤバいのだが、これによって術者本人にも恐ろしい副作用が発生していた。
「すぐに『サーリヤ』を止めなくては。どこだ、タロ・カジャ?」
するとすぐに黒猫の使い魔が『書庫』に現れる。
「ここにいますよ、あるじどの」
「うん。……うん?」
俺は微妙な違和感を覚えて、タロ・カジャをまじまじと見つめた。
「なんか雰囲気が変わったな?」
「そう思います?」
タロ・カジャはフフッと笑う。
「実は僕もそう思ってるんですよ」
「ううん?」
やっぱりおかしいぞ。さてはこいつ、ジロ・カジャの要素を取り込んで勝手に融合したな。
勝手なことをするなよと思ったが、同時に学術的な興味も出てきた。
「自己診断の結果はどうだ?」
「えーと、自己同一性の揺らぎは〇・〇七四%です」
普段より桁が一つ大きいが、予想よりはかなり小さいな。まあカジャたちは中身が同じだから、そう激変するはずもないか。
「いいだろう、何かあれば報告しろ。行くぞ、『カジャたち』」
「はい!……はい?」
元気よく返事した後で首を傾げた使い魔を、俺はじろりと見おろす。
「ジロ・カジャと勝手に融合しただろ、お前。バレないとでも思ってんのか」
「てへへ、すみません」
カジャがぺろりと舌を出した。
俺は呆れ果てたが、同時にこの「タロでありジロでもあるカジャ」は頼りになるかもしれないと思い始めていた。