第111話「血の円卓」
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【血の円卓】
ベオグランツ皇帝ギュイは焦りを感じながら、大理石の廊下を足早に歩いていた。
(いかん、いかんぞ……予想外だ。まさかファルファリエ殿がサフィーデと結託して謀反を起こすとは)
あの歳の離れた従妹はいつも冷静で、帝室のことを第一に考える思慮深い少女だった。
父もギュイも、彼女のことは一族の中でも信頼できる人物と考えていた。だから留学生として選んだのだ。
(サフィーデの連中がファルファリエ殿に何か吹き込んだのか、それともあの導師のように妙な術でも使ったのか)
そう考えたギュイはふと、足を止める。
(いや、まさかあの導師が何か良からぬことを……?)
その可能性は十分にあった。あの少女の姿をした導師は何か異常な執念に取り憑かれて行動している。帝国の未来など全く考えていない。
ギュイの知らないところでファルファリエと接触し、危険を感じたファルファリエがサフィーデに亡命した可能性もあった。
(だとすれば、なおのこと導師に頼らずにこの国難を乗り切らなくては)
再び足早に歩き出したギュイは、宮廷の片隅にある会議室の扉を開いた。
「皆の者、急な招集ですまな……」
だがギュイは絶句し、半歩後ずさった。
「な、なんという……」
会議室は血まみれだった。
一族の重鎮、忠実な廷臣、帝室派の有力貴族、歴戦の将軍。
帝室を支えるかけがえのない人材たち数十人が、一人残らず血まみれになって床に転がっている。
そしてそこに立っているのは、あの「導師」だった。
「遅かったですな、陛下」
「貴様、自分が何をしたのかわかっているのか!」
ギュイは抜剣したくなるのを必死に堪えながら怒鳴った。
「この者たちは帝国に不可欠の人材だぞ! 彼ら抜きで戦争などできぬ! サフィーデ軍が侵攻してくるときになぜ殺した! わからぬか、貴様自身も破滅するのだぞ!」
いかに導師が狂人とはいえ、この状況で帝室会議のメンバーを皆殺しにするとは予想外だった。そんなことをしても何の得にもならないはずだ。
しかし導師は血まみれのマントを翻して薄く笑う。
「私が破滅? 破滅ならとうにしています。だが愚かな皇帝よ、あなたはまだわかっていないようですな」
導師は鮮血に濡れた床を無造作に歩き、死体を踏み越えながら近づいてくる。
「シュバルディンはベオグランツ人をやけに贔屓している。理由はわかりませんが、サフィーデにいるのもベオグランツ人を守るためでしょう」
「な、何を……何を言っている?」
シュバルディンというのは、たぶん歴史上に名高い「三賢者」の一人だ。サフィーデのマルデガル魔術学院の長はゼファー。三賢者の一人だという。
そのゼファーが最近、シュバルディンを教官長として呼び寄せたところまでは把握している。だがそれ以上の動向はつかめていない。
しかし導師はギュイの困惑など全く気にしていない様子で、早口にまくし立てる。
「あいつから何もかも奪ってやる。ベオグランツなど滅びてしまえばいい。ベオグランツ人は根絶やしだ。それが復讐というものだ」
「こ、この狂人め……」
ギュイは腰の剣に手を置いたが、すんでのところで踏み止まった。
これだけの力を持つ相手に、ギュイ個人の武勇など通用するはずもない。父のように廃人にされ、操られるだけだ。
(帝室会議が皆殺しにされた挙げ句、私までこいつの操り人形にされたら帝国は間違いなく滅びる。臣下や民はもちろん、先祖にも申し訳が立たぬ)
どう動くのが最も正解に近いのか。
ギュイは必死に考える。
(そうだ、ファルファリエ殿だ! 彼女は先々代皇帝の直系にして帝室の正式な一員、そして今、サフィーデ軍を率いてこちらに向かっている!)
帝室を支える頭脳たちを全て失った今、ギュイには他に帝国を託せる人物がいない。敵となったファルファリエだけが唯一の味方だった。
(もはやファルファリエ殿に帝冠を譲り渡す以外、帝国を守る方法がない。それは現皇帝である私にしかできぬことだ。機をみて私が降伏し、彼女を正統な次期皇帝として認めれば混乱は最小限に抑えられる)
もちろん、その後にギュイは政権からは追われるだろう。殺されるかもしれないし、国外に追放されるかもしれない。
穏健なファルファリエが従兄に冷酷な仕打ちをするとは考えにくいが、彼女はサフィーデから兵を借りている身だ。サフィーデ王室がギュイに容赦するとは思えない。
そして大帝国たるベオグランツがサフィーデのような小国に屈するのは、自分の死よりも避けたい屈辱だった。
後世の歴史家たちはこの出来事を帝国の汚点とし、ギュイを愚帝と呼ぶに違いない。ギュイ自身、自分の愚かさに怒りを覚えていた。
(私の命などどうでもいい。これ以上の混乱を招かぬことが最優先だ)
ギュイは覚悟を決め、内心に渦巻く感情を必死に抑え込んで演技する。
「こ……こうなっては仕方ない。もはや導師殿しか頼れる者はおらぬ。ベオグランツ人を根絶やしにするのは思い留まり、どうか我が国を救ってくれぬか」
「そんなことをして私に何の得があるというのです、皇帝よ」
「あるとも。お前の望みはベオグランツ人を根絶やしにすることではあるまい。真の願いはシュバルディンとやらへの復讐であろう?」
父から学んだ弁論術と交渉の機微をフル活用しながら、ギュイは切々と訴えた。
「シュバルディンがベオグランツ人に目をかけているのなら、我らを根絶やしにしては意味があるまい? 無人の荒野となった帝国領になどシュバルディンは来ぬぞ」
すると導師は軽蔑したような笑みを浮かべた。
「何かと思えば、この期に及んで命乞いですか。つくづく呆れ果てた皇帝ですな」
「父を排除して帝位を奪った男だ、どのように蔑まれようと反論せぬ。今さら命乞いごときで躊躇いなどするものか」
目の前の狂人が気まぐれを起こせば、自分の命など瞬時に消し飛ぶ。そう思うとさすがにギュイの背中を冷や汗が伝う。
「だがそれでも私が皇帝であることに違いはない。私の命ひとつで帝国軍はあらゆる敵と戦い、臣民は我が意に従う」
(導師は己の知謀に自信を持っている。だが政治や軍事に疎いことは、こいつ自身も薄々わかっているはずだ)
迂闊にそれを指摘すると危険なので、ギュイは導師の反応をひたすら待つ。危険な賭けだ。
導師はしばらく血溜まりの上で黙っていたが、不意にぼそりとつぶやいた。
「私を御すつもりなら消えてもらいますぞ」
「いちいち宣言せずとも、私を殺すぐらいいつでもできるだろう。好きなときにやればいい」
導師が妙なところで猜疑心が強いことを、ギュイはこれまでのやり取りで見抜いていた。あまりに媚びへつらうと逆に危険だと判断し、ここは強気に出る。
案の定、導師は攻撃してこなかった。
「まあいいでしょう。別にベオグランツ人に恨みがある訳ではないですし、この帝国が復讐の役に立つなら見返りに存続を許可します」
傲慢な物言いに腹が立ったが、今は我慢するしかない。
ギュイは皇帝としての威厳を保ちつつ、重々しくうなずいた。
「帝国軍の総力を挙げれば、にわか仕込みのサフィーデ軍ごとき容易に蹴散らせる。そうなればサフィーデは賢者たちに頼るしかなくなる。そういう策で良いのだな?」
「物わかりの良い陛下で大変結構です。シュバルディンさえおびき出せれば復讐は成し遂げられる。あの戦闘狂がいなければ、サフィーデに残ったゼファーとマリアムを討ち取ることもたやすい」
クククと笑った導師は、サッと手を振った。
壁や床を汚していた血がドロドロと沸騰し、まるで意志を持ったかのように導師の指先に吸い寄せられていく。導師の周囲に大量の血が渦を巻いた。
「ハハハハハ! そうだ、使い魔だ! 私も使い魔を使役すれば勝てる! とびきり邪悪なヤツをな! ああ、先生! 先生はどうして使い魔もなしに、運命の輪を止める無謀な戦いを挑まれたのです!?」
(何を言ってるんだ、この狂人は……?)
ギュイは目の前の異様な光景よりも、導師の言葉の方に恐怖を感じていた。
(最初に会ったときも、正体を明かしたときも、こんな支離滅裂な言動をする人物ではなかったぞ? まさか、だんだんおかしくなっているのか?)
辺り一面の血を一滴残らず集めた導師は、巨大な血の渦の中で呪文を唱える。
「ヴァルハ・ゼム・ユゲオ・リュオンデル! 死者の魂よ、混濁し凝縮せよ!」
次の瞬間、血の渦が消え去る。
「できたぞ……これが合成霊魂か。おお、これはいい……。さすがに数十人の頭脳労働者を練り潰しただけのことはある」
妖しく煌めく真紅の結晶をつまみ、導師は微笑んだ。
「これを論理核にすれば私も使い魔を持てる! シュバルディンの使い魔は潰してやったからな! もはや私の勝利は疑いもない! ハハハハ!」
高笑いと共に導師の姿が消え去る。
唐突に静寂が訪れた。
ギュイは壁にもたれかかると、導師がどこにもいないことを確認した。
見れば廷臣たちの死体も消え失せている。
(我が友たちの御霊はどうなった? あの忌まわしい導師の術中に囚われているのか? なんということだ……)
思わず祈りを捧げつつ、ギュイは内心で続けた。
(友たちよ、この罪はいずれ我が命で償う。だが今だけは私に勇気を与えてくれ)
無人となった会議室で、孤独な皇帝はしばらく祈り続けていた。




