第108話「叛旗の皇女」
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俺はマリエに紅茶を淹れてやりながら、サーリヤと名乗った敵の魔術師について説明した。
「シュバルディン、相手は本当に侵襲型転生者だったの? 師匠が『魂の乗っ取り』と忌み嫌っていたあれ?」
「ああ。タロ・カジャに調べさせたから間違いない。人格や思考は明らかに老人だが、肉体は十代だ。そして若返った痕跡がない」
「自然発生した転生者である可能性は?」
「その可能性もあるが、だとしたら『書庫』の魔術を操っていることの説明がつかない。事前詠唱まで使っていた」
俺は溜息をつく。
「それにサーリヤの使っていた魔術は、一般に普及している元素術や精霊術や古魔術じゃない。師匠の直伝に近い」
「でも師匠の直弟子じゃないのよね」
「そうだな。『書庫』の技術は何とか扱えているようだが、体系的に学んでいない印象を受けた」
マリエは少し考え、それからこう言う。
「とりあえずリッケンタイン、レメディア、ユーゴの弟子たちは除外ね。それに私たち三人の弟子ってこともないわよね」
「確証はないが、まあそうだろうな」
俺は弟子を取った経験がないし、ゼファーの弟子は魔術学院の生徒だけだ。マリエは弟子に治癒術しか教えていないし、そもそも『書庫』の情報は渡していない。
そう考えると可能性は低そうだ。
「もしそうだとすれば、残る『八賢者』は二人」
「アーティルとラルカンか」
「ええ。でもアーティルの弟子でもなさそうよね?」
「アーティルの弟子なら魔道具でゴテゴテに武装してるだろうからな……」
この世界に現存する魔法の道具のうち、高度なものはほぼ全てが兄弟子アーティルとその一派による作品だった。俺が手に入れた雷震槍もそうだ。
「以前、この学院にハンググライダーで侵入しようとした連中がいただろ?」
「ええ、確か飛竜の骨で作ったヤツよね」
「そうだ。貴重な飛竜の骨なんかより、アルミ合金や炭素繊維の方が軽くて丈夫だ。おまけに加工しやすい。アーティルの高弟なら材料工学はお手の物だ」
俺は指先に電気を走らせ、軽く放電してみせる。
「あいつらなら電気精錬ぐらい訳もないぞ?」
「そうよね。アーティルたちは後継者の育成をせずに作品作りに没頭してたから、しばらくしたら途絶えちゃったけど」
マリエは真剣な顔をする。
「アーティルでもないとすれば、ラルカンしかないわね」
「あの人の弟子なら、俺たちを憎む理由は十分すぎるぐらいあるな」
俺は溜息をつく。
「ラルカンの高弟なら元素術や精霊術の術式をわざわざ使わないだろうし、矛盾はないな」
「逆恨みもいいところだけど」
「恨まれる側からすれば、恨みってのはだいたい逆恨みだ」
俺は『書庫』から古い記録を引っ張り出す。
「ラルカンの弟子は大勢いたが、サーリヤなんて名前の弟子はいない。偽名か、あるいは転生後につけられた名前だろうな」
「目星はつけられそう?」
「いや無理だろ。ラルカンは人望があったから、弟子全員から恨まれてる可能性がある」
やむを得ない事情はみんなわかってくれたと思うのだが、理性と感情はまた別だしな……。
「いずれにせよまだ推測の域を出ない。サフィーデ王室や軍の協力が必要だな。ファルファリエからも事情を聞きたい」
するとタロ・カジャから念話が入る。
『あるじどの、そのファルファリエ様がお二人にお話があるそうです』
『何だ?』
『なんか相談したいことがあるとかで』
何だろうと思っていると、ファルファリエが戻ってきた。
「ジン殿、マリエさん」
「呼び捨てでいいぞ」
「私も」
俺とマリエがそう言うと、ファルファリエはうなずく。
「わかりました。ではジン、マリエ。相談があります」
「何だ?」
ファルファリエは少し悩みつつも、俺に質問してくる。
「サフィーデの軍事力で帝国軍と真っ向から戦えますか?」
難しい質問だ。規模や装備は帝国軍の一軍団と大差ない。
しかしディハルト将軍の地道な訓練と再編計画によって、サフィーデ軍は念話通信を生かして機動的な戦闘ができるようになっていた。
だから俺は同じぐらい悩みながら答える。
「入念に練られた作戦計画が大前提だが、緒戦でいくつかの勝利を収めることはできるだろう。だが消耗戦になればいずれ磨り潰される」
なんせ一回でも大敗すれば終わりだ。
しかしファルファリエはそれを聞いて、満足そうにうなずいた。
「わかりました」
何を考えているんだ。いやもううっすらとわかるが。
そしてファルファリエはそれを宣言する。
「ベオグランツ帝国と戦争したいのです」
ファルファリエ皇女がベオグランツ帝国に叛旗を翻した。
この情報はただちにサフィーデ王室と軍の知るところとなった。俺が教えたからだが。
「先生、ありがとうございます!」
魔術学院に駆けつけたディハルト将軍が、俺の手を握りしめたまま放さない。
「感服しました! まさか帝国の皇女を寝返らせるなんて!」
「いや違うんです。こら放せ、放しなさい」
小手抜きの要領でスルリと……いやガッチリ握られていたのでどうにか手を抜いて距離を取る。
「報告した通り、『神学生のサーリヤ』と名乗る魔術師がベオグランツ帝室に入り込んでいるようなのです。その者の言葉が本当なら、先帝は自我を失った操り人形であり、新帝ギュイは傀儡政権に過ぎないはずです」
「それでファルファリエ殿下がサフィーデの支援を受け、皇帝となって帝国に秩序をもたらすという筋書きですね」
筋書きって言うなよ。人聞きの悪い。
俺の当初の予定からはずいぶん違う展開になってしまったが、サフィーデとしては願ってもない僥倖だろう。
これでファルファリエが皇帝になれば、サフィーデとの友好は保証されたも同然だ。
新帝ファルファリエはサフィーデに大きな借りを作ることになる。彼女は帝国内での基盤が弱いため、統治初期に外交や内政の後ろ盾となるのもサフィーデだ。
おまけにサフィーデを征服する利点は乏しいので、外交上の得失を考えれば同盟を結ぶしかない。大恩人であるサフィーデを粗末に扱えば国内外の信用を失うことになる。
だからディハルト将軍も本気を出す。
「陛下に掛け合って、ありったけの兵力を動員する許可を頂いてきました。王立軍の戦列歩兵二個師団二万二千が、ファルファリエ皇女の戦力となります」
「二万二千……」
サフィーデにしては頑張った方だが、戦列歩兵を二万二千もよく揃えられたな。銃が足りないはずだ。
するとディハルト将軍はしれっと白状する。
「銃が足りないので、領主たちから騎兵と農民を集めてきました。二つの師団には騎兵連隊がそれぞれ三千ずつ入っています。あと臨時雇いの農民も千人ずつ輜重隊に編成されています」
「つまり八千人は歩兵ではないんですね」
それでも一万四千挺の火縄銃を調達したのだから、これはなかなか凄い。
「よく銃の生産が間に合いましたね」
「さすがに足りないのでミレンデから少し密輸しました。帝国領を通るルートだったので大変でしたよ」
ミレンデは帝国と隣接する海洋国家で、貿易都市の集合体だ。銃も火薬も調達できる。
帝国が圧力をかけてきたせいで、ミレンデは帝国との仲が険悪になっている。
「裏でいろいろやってたんですね、ディハルト殿」
「先生だけに苦労はさせられませんからね。私も相応の活躍はしないと敵が多いですし」
一介の参謀から大出世したので、この若き天才メガネには敵が多いようだ。失脚されると俺たちも困るので、うまく花を持たせてやりたい。
俺は彼に釘を刺しておく。
「ベオグランツ帝国の兵力は低く見積もっても十万はいます。銃を使った戦争では数の差がモノを言います。策を弄しても勝てません」
「ええ、射撃戦では数がそのまま攻撃力になりますからね……」
槍で突き合うような戦争なら、接敵していない兵は戦闘に参加できない。戦闘に参加できない兵を増やしてやることで、寡兵で大軍を撃破することも理論上は可能だ。
しかし撃ち合いになると結構遠くから弾が飛んでくるので、そうもいかなくなってくる。
ディハルト将軍は眼鏡を押さえながら、静かに言う。
「まともに戦えば磨り潰されます。戦術ではなく戦略で何とかしましょう。お力添えいただけますか、先生?」
「もちろんです」
先生はやめてくれと思いつつも、俺は力強くうなずいた。