表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
106/127

第106話「潜伏皇女」

106


 いつまでも帰ってこないジロ・カジャを心配しながら、ファルファリエは息を潜めていた。

 すぐ近くに山狩りの農民たちがいる。



「そっち、何かいるかー!?」

「いや何にもおらんぞう!」

「本当にこんな森に若い娘の盗賊が逃げ込んだのか?」

「わからんが領主様の御命令だ」



 どうやらファルファリエは盗賊ということになっているらしい。

(なるほど、所持品で身分を証明しても盗品扱いされて終わりか)

 敵もなかなか周到だ。そしてかなり陰湿だった。



(しかしそれならそれで、やりようはいくらでもある)

 岩陰の茂みに身を潜めつつ、ファルファリエは農民が近づくのを静かに待つ。

 農民たちは一列になって茂みを叩きながら歩いていたが、隊列はあまり揃っていない。訓練された戦列歩兵とは訳が違う。



「ファッゴ、そんなに前に出るな」

「そうだ、危ないぞ」

「ははは大丈夫大丈夫。盗賊といっても小娘だろ? 領主様からの褒美は俺が頂くぜ」

 そんなことを言ってずいぶん先行している農民がいたので、ファルファリエは彼に狙いを定めた。茂みの中からそっと近づく。



 ファルファリエは一瞬の隙を突いて、ファッゴと呼ばれていた農民に茂みから騎兵銃を向けた。

「静かに、ファッゴさん。騒げば撃ちます」

「んぁっ!?」



 着剣した騎兵銃を向けられて、痩せた中年男が硬直する。彼が手にしているのは山歩きの杖だ。腰には鉈を差しているが、抜く前に撃ち殺せる。

 ファルファリエは他の者に聞こえないよう、声を潜めて続けた。



「私は盗賊ではありません。名は明かせませんがこれでも貴族の子です。私に危害を加えれば死罪ですよ」

「嘘だろ!?」

「静かに」

 銃剣を突きつけて黙らせる。



 ここで相手が騒げば、ファルファリエは逃げるしかない。撃てば銃剣しか武器がなくなる。

 だからファルファリエはこの交渉に己の命を賭けた。

 たっぷり脅しておいてから、ファルファリエは大粒の宝石を見せる。



「私を見逃してくれれば、このプラユイエ産の緑鳳玉をあげます。都市の宝石組合に持ち込みなさい。一生遊んで暮らせます」

「ほ、本当か!?」

「静かに」



 そのとき、後方から他の農民たちが大声を出した。

「おーい、ファッゴ! どうした?」

「そこに何かいるのか?」

 するとファッゴは慌てて声を張り上げる。



「何でもねえ! いや、毒蛇が出やがった!」

「マジかよ!? どこだ!?」

 ファッゴはさらに叫ぶ。



「わかんねえ! 踏もうとしたら逃げやがった! そっち行ったかもな!」

「冗談じゃねえぞ、おい避けろ避けろ」

「このへんは探さなくていいだろ……」

「そうだな、噛まれて死んだら褒美もクソもねえや」



 農民たちはファッゴとファルファリエのいる辺りを避け、捜索を続けていく。山狩りの隊列が通り過ぎて行った後、ファルファリエは彼に宝石を手渡した。

「ありがとう、助かりました」

「いや……うん」



 仲間を騙したのが気まずいのか、ファッゴはおずおずと宝石を受け取る。

 ファルファリエは彼が裏切らないよう、こう付け加えた。

「変な気は起こさないでください。この銃口は用心深いですし、私が捕まればあなたが賄賂を受け取ったことを暴露しますよ」



「だ、大丈夫だから。ほらもう早く逃げちまってくれ」

 ファッゴは仲間を追って、慌てて森の中に消えていった。



「ふう……」

 腰が抜けるほど安堵したファルファリエだったが、すぐに移動を開始した。ここが安全とは限らない。そのまま南へ向かう。敵の魔術師はジロ・カジャを追って北に向かったはずだ。



 必死に歩き続け、ときおり休息しては砂糖を舐める。野外活動には行動食が不可欠だと、マルデガル魔術学院で教わっていた。

(甘いものは良いと、スバル殿が言っていたな)



 彼の顔を思い出し、ふと心細くなる。

 水を持ち出す余裕はなかったので、ジロ・カジャが事前に調べておいてくれた沢で喉を潤した。安全な水場だという。



 そして砂糖壺が空になる頃、ようやく日没が訪れた。

(ここからが勝負か)

 実はファルファリエはまだ窮地を切り抜けられていない。ジロ・カジャがいない今、ファルファリエの居場所は学院側にもわからないからだ。



(どうにかして念話を成功させないと……)

 隠れていてもどうにもならない。救援が引き揚げてしまったらファルファリエは終わりだ。

 だから敵に居場所がバレることは覚悟の上で、救援側に自分の居場所を知らせる必要がある。



 ただ、ファルファリエは念話を成功させたことが一度もなかった。

(大丈夫、ジロ・カジャさんがコツを教えてくれた)

 ファルファリエは白猫との会話を思い出す。



『心の壁……ですか?』

『はい! ファルファリエ様は本音と建前をかなり明確に区別してますよね?』

『それはまあ、認めますけれど』

『念話初心者は本音の方がうまく伝えられるんです! 心の壁が心の声を遮断してしまうって、マスターが言ってました!』



(本音かあ)

 ファルファリエは額を押さえる。過去の練習では、本音を念話にして伝えようともした。だがうまくいかなかった。

 それもジロ・カジャによると「本音を心の壁越しに伝えようとしたから」だという。



(難しい……)

 そもそも帝室の人間が本音を口にすることなどありえない。全ては周到な配慮と計算によってなされるものだ。皇女の発言にはそれだけの重みがある。



(本音……本音……)

 沢の水を水筒に詰めながらぼんやりと考える。

 不意にスバル・ジンの顔が脳裏をちらついた。



 身だしなみにはまるで無頓着そうな黒い髪。実用一辺倒の鞄やブーツ。

 愛想が悪いかと思えば、意外なぐらい親切にしてくれる。

 戦えば恐ろしく強いのに、笑うとまるで無垢な子供のようだ。



 彼の顔を思い浮かべると、なんだか安心する。

(これはまさか恋? いえ、彼と結ばれたいという願望は全く……いやほとんど……まあ、そんなにはない気がする)



 スバル・ジンは、どことなく亡父を思い出させる。全面的に信じても大丈夫だという不思議な安心感。

 この感情が何なのか自分でもわからなかったが、これは嘘偽りない「本音」だろう。建前でこんなことは言えない。



(いやいや、これを念話にして飛ばすのは無理だろう。無理、無理)

 頬をパンパンと叩く。

 と同時に、ジロ・カジャの言葉をまた思い出した。



『ファルファリエ様の場合、恥ずかしくて絶対言えないようなのが本音ですからね! 本音を言うんですよ!』

『わ、わかりました』

『命がかかってるんですからね! 恥ずかしがって死んだらバカみたいですよ!』

『わかりましたから!』



 囮になって決死の陽動作戦を展開してくれているジロ・カジャ。

 さっき出会ったばかりだが、あの白猫の献身に報いねば皇女として、いや人間として失格だろう。

 とはいえさすがに言えないものは言えないので、違う本音を言わせてもらう。



(ありがとう、ジロ・カジャさん)

 念話になった感じはしない。

 もう一度。

(あなたは命の恩人です、ジロ・カジャさん)

 これも本音とは少し違うようだ。



(恥ずかしくて絶対に言えない……)

 改めて考えたとき、ファルファリエはハッと気づいた。

 自分の本心に。



 少し迷ったが、覚悟を決めてそれを叫ぶ。

『ジロ・カジャさん、死なないで! 帰ってきて! 不安なんです! あともっと撫でたい! ふわふわ可愛い! だからお願い、帰ってきて!』



 念話が成功した気がする。確信はないが、そんな気がした。

(猛烈に恥ずかしい! いや、今はそれよりも臨戦態勢を)

 念話が成功したのなら、ファルファリエの居場所は敵味方に知られているはずだ。すぐにどちらかが現れる。



 魔術学院の救援が先か。それとも刺客の魔術師が先か。

 そして答えはすぐに判明した。



「そこにおいででしたか、ファルファリエ殿下」

 皇帝直属の近衛兵四人を引き連れた少女が、森の暗闇から現れた。見知らぬ顔だ。

 ファルファリエは騎兵銃を構える。



「あなたは味方ではありませんね。何者です?」

「神学生のサーリヤと申す者ですよ。殿下をお迎えに上がりました」

 言葉遣いは丁寧だが、明らかに敵意を感じる。

 近衛兵たちの様子もおかしい。あれは魔法で操られているようにしか見えない。しかも死体のようだ。



 ファルファリエは躊躇わなかった。

「あなたを敵と認識しました。降伏しなさい。さもなければ撃ちます」

「ははっ」

 彼女が笑った瞬間、ファルファリエはサーリヤの胸を狙って発砲した。



 だが銃弾はサーリヤの手前で止まり、衝撃でぐにゃりと潰れて地面に落ちた。

「ふむ。即座に殺しに来るところは先帝と同じですな。野蛮人の王に相応しいというか」

「叔父上に何をしたのです!?」

「それが知りたければ、これからあなたに同じことをしてあげますよ」



 サーリヤが唇を歪めて笑う。あんなにおぞましい笑い方をする人間を、ファルファリエはまだ見たことがなかった。

 騎兵銃の弾は撃ってしまったが、まだ着剣した銃剣がある。



 踏み込んで刺突しようとすると、サッと近衛兵たちが立ちはだかった。短槍をデタラメに振り回し、ファルファリエを力任せに殴り倒す。

「うぐっ!?」



「おとなしくなさい。悪い話ではありません。あなたを皇帝にしてあげましょう。ギュイはどうにも役に立ちませんから」

「どういう……?」



 するとサーリヤは面倒臭そうに溜息をつく。

「察しの悪い小娘ですね。あなたの脳をいじくって私の操り人形にするんですよ。その上で帝国の全権を掌握します」

「ならばここで自害するまでです」



「いけませんよ、すぐに死ぬだの殺すだのと。命を粗末にすると罰が当たります」

 サーリヤがそう言ったとき、頭上から懐かしい声がした。

「同感だな」

 次の瞬間、青白い稲妻が近衛兵たちの体に絡みついた。頭が次々に弾け飛ぶ。



「うわっ!?」

 サーリヤだけはかろうじて魔法の壁で防いだが、衝撃は凄まじく尻餅をついてひっくり返る。

 轟く雷鳴と共に、放電する槍を携えた少年がふわりと舞い降りた。



「ファルファリエ殿とジロ・カジャの勝利だ。ジロ・カジャが稼げたのはたった一手だが、その一手の差で間に合った」



 ファルファリエは思わず叫ぶ。

「スバル殿!?」

「ジンでいい。そういう約束だろう?」

 ジンはそう言って笑ってみせた。



 そしてジンはサーリヤに向き直ると、放電する槍を構えた。真っ暗な森の中で、青白い光に照らされたジンの表情は恐ろしいほどに険しい。

「お前、俺たちの学友を酷い目に遭わせたな?」

 雷光が森を青白く照らした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 『ジロ・カジャさん、死なないで! 帰ってきて! 不安なんです! あともっと撫でたい! ふわふわ可愛い! だからお願い、帰ってきて!』 ↑ 命懸けの窮地にあって尚このモフり欲!!(`・ω・´)…
[一言] 姫はモフモフが好き、と… 動物園を建てよう(錯乱)
[良い点] 「魔狼帰還」ばりに抜群の安心感! ジロちゃん報われたね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ