6-18 回復の魔法
衝撃が収まっても、俺の視界は暗闇のままだった。リゼが俺を守るために、体をくの字に折ってお腹と両腕で俺を包み込むように抱いたからだ。じゃあ、俺を守ったリゼは?
リゼの荒い息が聞こえる。それと同じ間隔で、リゼの胸が動く。
「リゼ、俺は大丈夫だ。離してくれ」
そう言い終わらないうちに、リゼの腕がぱたんと力なく地面に投げ出された。解放された俺は視界を取り戻す。
馬車に別の馬が突っ込んできたという、交通事故みたいなもの。街中だったということで、周囲に人が集まり始めている。
俺とリゼは馬車から投げ出されたらしい。それなりの距離を飛ばされ、リゼは地面に叩きつけられた。横向きに倒れているリゼはいかにも苦しそうで。
「よか……った…………コータが……無事で……けほっ!」
痛みをこらえながらという様子でそう言ったリゼは、咳き込んで同時に血を吐いた。
これはまずい。大怪我じゃないか。
「リゼ! 無事か!?」
ターナがこっちに走ってくる。幸いにして、彼女は大きな怪我はないようだ。擦り傷程度しか見当たらないし、普通に立って歩けている。
「わた……しは……がはっ! だ……大丈夫……です。……それより……あ、あの子を…………」
血を吐きながらも、同乗させた女の子の心配をするリゼ。お前はそれどころじゃないだろうに。お前だって死にそうなんだ。
「喋るな。わかったから。おいリゼ、すぐに医者を呼ぶからな」
「ううん…………それより……ヒール……魔法……」
ヒール魔法。そうか、回復させる魔法だって俺は使えるはず。
「わかった。どうすればいい?」
「……"聖なる……光よ…………その傷を癒せ…………ヒール"わ、わたしの…………元気な……す、すがたを……思い………」
「わかった。もうわかったから喋るな。楽な姿勢になれ」
リゼは仰向けになって、手足を弛緩させ目を閉じた。俺はリゼのお腹の上に乗って、そこに手を当て詠唱。聖なる光よ、その傷を癒せ、ヒール。
リゼの元気な姿ならいくらでも想像できた。
その途端に俺の手が光り、それはリゼの体の中へと注がれていく。魔法が使えているのは確からしいが、効果がどれほどのものかはよくわからない。
俺は医者じゃないから推測しかできないが、血を吐いているということは内蔵を損傷してるってことだと思う。口から胃までの食道の中のどこかに傷があるということかも。
とにかく、それを放っておくと命に関わるだろう。
だからリゼの体の上を歩きながら、腹から胸、首へと治癒の光を当てていく。それから、全身を順番に治していく。
「どうだリゼ、楽になってきたか? なんというか、痛みが引いたりはしてるか?」
傷が魔法で癒えるというのがどんな感覚なのか、俺にはよくわからない。本当に魔法が効いているのかもわかっていない。
ただ、リゼはこくりと頷いた。こころなしかさっきよりは、楽にしているようにも見える。
「どこか痛いところはあるか?」
「んー、だいたいは大丈夫かな……左腕が痛い。折れてはないと思うけど。捻ったかも」
さっきと比べて喋り方は普通で、苦しかったり痛みをこらえていたりという様子ではない。口に血が登ってくる状態も終わったらしい。
ローブの袖をめくって左腕を見る。特に外傷があるわけではない。リゼが自己申告した通り捻挫なんだろう。
すぐさまヒール魔法をかけていく。その他、とりあえずリゼの体中を歩き回って、一通りは光を注いでいった。これで、たぶん治癒は完了だと思う。
初めてやったことだから正直自信はない。今まで使った魔法は全部うまくいってたけど、今回に限って失敗とかだとさすがに洒落にならない。こんな奴でも死ぬのは嫌だ。
「リゼ……元気になったか? いや、大怪我した直後だし元気なはずないだろうけど。でも今すぐ死んだりとかはしないよな? ちゃんと生きてるよな?」
「もちろん! わたしは元気だよコータ! 心配してくれてありがと!!」
「ぐえっ!?」
突然リゼが状態を起こして、俺の体をぎゅっと抱きしめた。苦しい。
「コータのヒール魔法完璧だったよ! ほら! わたしもうこんなに元気! あはは! あははははは!」
どうやら元のリゼに戻ったらしい。いや、それにしても元気だなおい。
さっきまで死にかけてたのにこんなことするとか、もしかしてこいつバカなんだろうか。バカなんだけど。
でももしかすると、リゼなりに心配していた俺を元気づけようとしているのかもしれない。
「わかった! わかったから落ち着け!」
これだけ元気なら大丈夫かもとも思ったけど、大怪我してたのには変わりがない。しばらく安静していたほうがいいに決まっているから、静かにさせよう。
集まってきた野次馬達の視線が痛いし。
「うん。わかったよー。でもコータって本当にすごい使い魔だよねー。ほんとに死ぬかって思ったのに、すぐに元気になれたよー。ここまでできる魔法使いってほとんどいないよー?」
「そ、そうか。とにかくリゼが元気になってよかった…………」
そしてようやく、周囲の状況を見ることができた。
俺達の乗っていた馬車は横転して、明かりとしていた火が移って燃えていた。それは野次馬の中から出てきた、比較的行動力のある人達により鎮火されつつあった。
御者は生きているらしい。商売道具が滅茶苦茶なのは可愛そうだが、命があるのはよかった。
ぶつかってきた馬は、誰かが魔法で眠らせたのか倒れている。たぶんターナがやったのだと思う。
ターナはさっき一瞬見たけど元気そうだったな。それから、同乗していたあの女の子は…………。
「リゼ……」
ターナの声だ。リゼは立ち上がってそっちを見る。ターナはあの女の子の体を抱えあげていた。
どうやらリゼと同じように、馬車から投げ出されて体を強く打ったらしい。そして。
「わたしも治そうとはした。けど…………地面に叩きつけられて首が折れたみたいだ。……たぶん、即死だったと思う」
ターナは少女の体をそっと地面に降ろす。その少女は息をしていなかった。
リゼが口を抑え、息を呑む音が聞こえた。
ターナの言うとおり、その子の首が大きく曲がっていた。首だけじゃない。体中のあちこちが、普通ならありえない向きに曲がっている。
彼女の手には一輪の花が握られていた。職員室の花瓶から取ってきただけのそれを、この子は最後まで大事そうに持っていた。
将来に絶望した女の子が抱いたのは、目の前のすごい魔女と一緒に旅ができるかもしれないという希望で。
「――――――――!」
俺は叫んだんだと思う。それか泣いたのかもしれない。いずれにせよ声をあげた。
どんな声なのか自分にも聞こえなかった。




