第191話:アクマ翻訳
「バターですか」
「バターはバターでも、ただのバターじゃないわ。これはルシア様が経営している最高級生乳から作った無塩バターよ」
バター。パンは勿論クッキーやケーキを作る上で大事な物であり、絶対に欠かせないものだ。
良いバターは濃厚であり、他の素材の風味を包み込む優しさがある。
俺も幾つか試して使っているが、中々奥の深い食材と言える。
ただ、バターは質が良ければ良いと言えない。
「何やら質が良さそうですが、どれくらい作れるのですか?」
そう、バターを作るには大量の生乳が必要なのだ。
牛の乳は様々なものに加工されるが、その中でもバターは変換率が悪いくせに需要がとんでもなく高い。
なので良いバターとは配給量が少ないのが当たり前であり、金を出したからって手に入らない可能性がある。
粉関係は大体手に入るのだが、バターは種類によっては入手が難しいので、大変なのだ。
金で解決できないと言ったが、俺ならば金で解決することは可能だ。
だがそれはこの世界の需要と供給を著しく破壊する行為なので、アクマのストップが掛かるのは確定だ。
特に無塩は完全に貴族でないと手が届かないものだ。
確かに風味は良いが、保存できる期間が短いので早めに使い切らなければならない。
「ふっふっふっ。なんと好きなだけ……とは言えないけど、数百キロは問題無いわ。ルシアさまが趣味で作ってるんだけど、ちょっと特殊でかなりの量が作れるの。味は物凄く良いんだけど、ここら辺ってあまり需要が無いのよ」
それは良いな。味次第では完全にこのバターに切り替えても問題なさそうだ。
その分の支払いはあるが、前回魔界の通貨をそこそこあるのでどうにかなる。
「それなら安心ですが、このバターを使った料理とかありますか?」
「このパンとこのクッキーがそうよ。ただ、両方とも有塩だけど、味や風味は分かるはずよ」
「それでは失礼して」
ポンと出されたパンとクッキー。とりあえずクッキーの方を食べてみる。
味的にプレーンクッキーだが、確かに風味が全く違うし、シルクを混ぜた時は違った溶け方をする。
少し重いが、それ以上に美味しい。
若干塩味があるが、これはこれでありだ。
次にパンの方を食べてみるが、噛めば噛むほどうま味が溢れ出てくる。
このままでも十分美味いが、サンドイッチとかにしても普通に美味しそうだ。
「美味しいですね。有塩と無塩の両方を頂く事は出来ますか?」
「どっちもあるから大丈夫よ。どう、気に入った?」
「はい。ここまでしっかりとしているとは、正直思いませんでした」
「ルシア様の趣味が高じた物だけど、これがとっても美味しいのよ。ただ、中々広まらないのよねぇ……」
国によるだろうけど、国のトップが作っている物を気軽に買うなんて早々出来ないだろう。
せめて他国の王族とかならばともかく、自国はなぁ……。
まあそのおかげで俺も良い物が手に入るので、ありがたいがな。
「頑張って下さい。話を戻しまして、バターは各五十キロでお願いします」
「分かったわ。後で用意しておくわ。それで、今回は何を教えてくれるの?」
「錦玉羹と呼ばれるお菓子になります。作り方は簡単ですが、料理人次第で化けるデザートです」
「きん……ぎょくかん?」
たどたどしく発音し、首を傾げる。
作り方は本当の本当に簡単だが、幾つか俺の方で用意しなければならない物がある。
幸い魔界でも手に入るので、メーテルの所で買えそうなら買うとしよう。
「味はそこまでですが、目で見て楽しむデザートになります。こちらの準備をお願いします」
「これは……直ぐに揃えられるけど、全くそんなデザートなのか想像できないわね」
サッと書いたメモを渡すが、絵までは描いてないので分からないだろう。
俺だって名前と食材を見せられてもピンとこないだろうし。
「他にも必要な食材があるので、今から取りに行ってきます。三時間位で戻るので、他の用意をお願いします」
「分かったわ」
「それではまた後程」
厨房を出て周りに人が居ない事を確認してから、万事屋の近くの路地裏に転移する。
俺が知っているのは此処とサタンの領地だけだが、本当に雰囲気の差が激しい。
このまま万事屋に直行しても良いが、少しだけ観光を…………いや、止めておこう。
予定外の行動は騒動を生むのが定番だ。
路地裏から出て万事屋へと入り、二階に上がる。
相変わらず混雑しているが今回は並ぶ必要が無いので、受付まで直接行くと頭を下げられ、後ろから店員が一人出て来た。
しっかりと俺の顔を覚えているようだな。
「いらっしゃいませ。今日はどの様なご用件でしょうか?」
「問題なく過ごせているのかの確認と、少し欲しい物があってやってきました。これで宜しいですか?」
メーテルから投げ渡されたカードを見せると、頷かれてから中へと通される。
前回と同じ部屋に通され、待っているように言われたので座って待っていると、小さな影が入って来た。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
入って来たのはかえでであり、ゆっくりとだがこぼさずにお茶をテーブルに置いた。
表情は真面目そのものであり、しっかりと働いているようだ。
「お久しぶりです。元気にしていましたか?」
「はい。メーテルさんや、お店の人にも良くして貰っています。あの時は本当にありがとうございました!」
思いっきり頭を下げる姿は、決められた姿勢ではなく、感情のままに下げた感じだな。
たったの二週間だが、結構見違えたものだ。
「出会いはともかく、チャンスを掴んだのは貴方達です。気にしないで下さい。ところで、メーテルさんは?」
「す、直ぐに来るそうなので、少しお待ちください」
直ぐに感情の切り替えは出来ないが、まあ次第点の返事だろう。
かえでの名前が違っていたらあのまま立ち去っていたが、運命とは皮肉なものだ。
あの状況から考えられるパターン、街から逃げようとして捕まり、あの三人を人質に取られて無理矢理従わされる。
しかし人質だった三人が殺され、かえでが暴走……なんてな。
かえでに何かしら隠された力があれば別だろうが、仮にあったとしても、そんなものは悲しみや苦しみで引き出すものではない。
隠されている物は隠されたままの方が良い。
「よう来てくれたなあ。今日は何の用どすか?」
「……それ、とったらどうですか?」
お茶を置いたかえでが部屋の端へと下がると、直ぐにメーテルが入って来たのだが、その頭にはかえで達のペットとして渡した、ピンク色の狐が嚙り付いていた。
ついでにべっとりって程ではないが、血が出ている。
一体いつからこの世界はギャグマンガの世界になったんだ?
つか、聞き取りにくいのでそろそろ標準語か、せめて関西弁辺りに戻して欲しい。
(直せ)
『えー、こっちの方が似合ってない?』
(歯磨きで擦られるのと、一ヶ月おやつ抜きどっちがいい?)
前回は我慢したが、これからも付き合いがあるので、不意に笑ってしまってはまずい。
アクマの悪戯には基本的に付き合ってやるつもりだが、限度を弁えないならこちらも考えがある。
前回授業中にした会議ほど重くは無いが、刺せる釘は適宜対処しなければ、アクマは調子に乗る。
『仕方ないなー……普通に戻したよ』
(駄々を捏ねないで始めからそうしろ)
「気にしなくて大丈夫よ。それで要件は?」
……これはこれで違和感が凄いが、まあ良しとしておこう。
「一つ目は様子見ですね。どうやらしっかりと生活が出来ているようで」
「勿論よ。一度した契約を違える商人は商人ではないわ。あいた!」
メーテルの頭を齧っていた狐は俺の膝の上へと飛び降りた。
「こいつをどうにかせい! 隙あらば触ろうとして来て憂鬱しい!」
「かえで。これの名前は決めたのですか?」
「話を聞けい!」
てしてしと狐が腹を突いてくるが、服の下には鎖が巻かれているので全く痛くない。
「あっ、はい。さくらって名前になります」
さくらか……安直だが、分かりやすくて良い名前だ。
日本でも花の名を名前として使うのはよくある事なので、違和感もない。
ただ、花の名前の付いている生物は大体強くなる傾向があるので、少しだけ心配である。
「そうですか。とりあえず煩いのでどうぞ」
「あ、はい」
鎖でさくらの足を掴み、かえでに投げ渡す。
俺は様子見と買い物に来たのであって、遊びに来たわけではない。




