番外編2 男運と女運
カルリアナとディートシウスは、道中で出会った獣人族の少年・ギュスターヴを連れて、婚前旅行を再開した。
シュテルンバール城を再出発し、次の目的地であるノルトハーフェンの町までに点在する村々を回る。
村を二つ視察したところで夕方になったので、ディートシウスが所有するカントリーハウスの一つに向かう。
カルリアナが過ごしやすいよう、ディートシウスがあらかじめ準備してくれていた館だ。
カントリーハウスは昔の荘園時代の名残であるマナーハウスとは違い、領主の生活や社交に使われる居心地のいい館であるため、造りも立派で開放的だ。
ディートシウス、ギュスターヴと一緒に館内を探検したあと、三人で夕食を済ませる。
ディートシウスとギュスターヴは例によって、口を開けばケンカしていたが、それでもギュスターヴが、初めて訪れる場所に興味津々なことがわかり、カルリアナはほほえましい。
まだ幼いギュスターヴが早々に入浴を済ませ、寝室に行ってしまうと、ディートシウスがカルリアナに言った。
「カルリアナ、せっかくだし、このあと二人でワインを楽しまない? 昼間、葡萄畑を視察したし、君のことだからもう知っていると思うけど、この辺りは白ワインの名産地だからね。もちろん、赤も用意してあるよ」
「それはよろしいですね。ディートと食事以外でお酒を飲むことは、あまりなかったですから。この辺りだと白ワインは甘口が有名なので、フルーツティー好きのわたしでも楽しめると思います」
「さすが、よく知っているね。じゃあ、早速居間に行こう」
カルリアナとディートシウスは居間に向かい、執事にワイン一式を用意してもらった。二人並んでソファに座りながら、グラスを軽く触れ合わせて乾杯する。二人でワイングラスを傾け始めると、執事は退出していく。
ディートシウスがグラスを片手に聞いてくる。
「カルリアナ、疲れてない? 今は旅行中だし、慣れない子どもの世話で大変でしょ?」
「そこまで大変ではありませんよ。ギュスはおとなしい子ですし」
「おとなしい……」
ディートシウスは何か思うところがあったようだが、それ以上は言及しなかった。代わりに優しくほほえむ。
「カルリアナ、夜くらい羽を伸ばしてね。君は真面目で、なんでもきっちりやるタイプだから、ちょっと心配なんだ」
カルリアナは芳醇なワインを飲むのも忘れ、感嘆の声を漏らす。
「まあ……!」
自分の婚約者はなんと気遣いにあふれた人なのだろう。昼間は八歳児と同レベルに思えたが、肝心なときにこうした心遣いを見せてくれるなら、すべて帳消しになるどころか圧倒的にプラスに転じる。
しかも、仲の悪いギュスターヴの悪口は言わず、率先して彼の世話をしているカルリアナに対して、不機嫌になる様子もない。
カルリアナが感動していると、ふとディートシウスが言った。
「カルリアナは友達と飲んだりするの?」
ケルツェンでは十八歳以上になると飲酒可能になる。だから、カルリアナもある程度は酒宴の経験があった。
「つい先日まで、婚約に関するさまざまな準備やこの旅行の準備に追われていたので、最後に友人たちとお酒を飲んだのは婚約祝いをしてもらったときが最後ですね。メラニーはあまりお酒が得意ではありませんし……ですが、王室図書館にお勤めしていたころは、元同僚の方々とお酒を飲むこともたびたびありましたよ。特に、彼女たちと初めて飲んだお酒の席は忘れられません」
「へえー、どんな話をしたの?」
カルリアナは膝に置いた、グラスを持っていないほうの拳を握り締めた。
「男と結婚などに囚われず、女たちで強く生きようと決意し合いました。わたしは婚約破棄されたばかりで、同僚にも離婚した方がいらっしゃったので」
あのときの熱い思いは忘れ難い。
カルリアナが熱弁を振るうと、ディートシウスはなぜか表情をこわばらせた。
「へ、へえー……」
(ん? わたしは何か変なことを言いましたかね……?)
考えてもわからないので、カルリアナは忘れることにした。
そういえば、ディートシウスはふだん誰とお酒を飲んでいるのだろう? ディートシウスは女性人気が高いから、一緒にお酒を飲みたがる女性も多いかもしれない。そう思うと、もやもやが込み上げてくる。
カルリアナは探りを入れることにした。
「ディートはシュノッル准将やナウマン少佐と?」
ディートシウスはあっけらかんと答える。
「うん、前にも話したとおり、俺も君に出会うまでは女運がなかったから、よく愚痴を聞いてもらったよ」
(女性の影なし……よかった)
それはともかく、ディートシウスは婚前旅行初日に、近づいてくる女性に迫られまくっていたことを話してくれた。もしものことが起こりかねない酒の席では、女性と一緒になることを避けていたのだろう。
相思相愛の婚約者同士ということもあるが、ディートシウスに一緒にお酒を飲みたいと思われるくらい信頼されていることがうれしく、カルリアナは顔を綻ばせた。
カルリアナの機嫌のよさを察したのか、ディートシウスもにっこり笑う。
大好きなディートシウスの笑顔を見られて、カルリアナは思わず、ほうっ…と息をつく。
まさか、元同僚たちとあんな話をしていた自分が、ディートシウスのような雲上人と相思相愛になり、婚約することになるとは。人生何があるかわからない。
不意にカルリアナは思った。ディートシウスは現在の彼自身の境遇をどう思っているのだろう?
だって、自分は王女でも公女でもない、単なる一伯爵だ。ディートシウスなら、もっと高い身分の女性を選べたはずなのに。
「……ディートはわたしと出会って、女運がよくなったのですか?」
「うん、すごくよくなった。低迷していたのが、急上昇したよ」
即答だった。ドキッとしてしまい、カルリアナは応答に困る。
「そ、そうですか……」
「あ、照れてるー?」
ここで否定をしては、可愛くない女に逆戻りだ。カルリアナは意を決して口を開く。
「わたしも、ディートと出会って、男運が急上昇しました」
「そ、そう……」
ディートシウスは頬をほのかに赤らめている。あまりの可愛らしさに、カルリアナはニコッと笑った。
「照れていらっしゃいます?」
「そりゃあ、照れるよ。……俺、頑張るね」
「え?」
「もっとカルリアナに男運が上がったと思い続けてもらえるように」
あまりの破壊力のある言葉に、カルリアナは固まった。そこまで彼に想われて、うれしくないはずがない。
カルリアナは自分の顔がポッと赤くなるのを感じた。
ディートシウスがニコニコ笑う。
「あ! 赤くなってるー! かわいー!」
カルリアナは動揺した。うつむくと、右手には白ワインの入ったグラスがある。
「お酒のせいです」
カルリアナは断言すると、証拠隠滅とばかりにぐいぐいとワインを飲み始めた。
ディートシウスの慌てたような声がする。
「カ、カルリアナ……いくら甘口でアルコール度数がそんなに高くないとはいえ、そんなに一気に飲んだら危険だよ?」
「大丈夫です」
空になったグラスに白ワインをつぎ、二杯目を飲み終えたところで、急に気分が悪くなった。
おかしい。ふだんの自分は、こんなにお酒に弱くないはずなのに。
カルリアナの変化を見逃さなかったらしく、ディートシウスが真剣な口調で言う。
「カルリアナ、大丈夫? 速いペースで飲み過ぎたね。今、水をつぐから少しずつ飲んで」
ディートシウスが水差しからグラスに水を注いでくれる。気分が悪いカルリアナは、ぼんやりとその光景を眺めていた。
ディートシウスにグラスを渡され、言われたとおり、少しずつ水を口に含む。
グラスが空になるころには、先ほどよりも気分がよくなっていた。
ディートシウスが心配げに聞いてくれる。
「大丈夫? 気持ち悪くない?」
「気持ち悪くはありません。ただ、まだ少し……」
これ以上、お酒は楽しめそうにない。せっかく誘ってくれたのに、ディートシウスにも迷惑をかけてしまう。カルリアナはふらつきながらも立ち上がった。
「……ディート、ごめんなさい。まだ気分が悪いので、今日はもう部屋に戻ります」
「うん、そのほうがいいよ。でも、そんなにふらつくようなら、歩いて部屋に戻るのは危険だよ。この館は君にとっては初めて来た場所だし」
「え……ですが……」
カルリアナがゴニョゴニョ言っているうちに、立ち上がったディートシウスがこちらの背中を支えながら、膝裏に手を差し込む。あっという間にカルリアナの身体はソファから離れ、ディートシウスに抱き上げられてしまった。
ディートシウスにこうして抱き上げられたのは、初めてではないけれど、今は状況が状況なだけに、より心臓に悪かった。
「このまま運ぶねー」
ディートシウスはカルリアナを抱えたまま、軽々と移動し、同じ階にあるカルリアナの寝室の前に立った。扉の前にたたずんでいた護衛隊員が、驚いた顔をしてドアを開ける。
「ありがと」
ディートシウスは寝室の中に入り、ベッドの上にカルリアナを寝かせる。靴を脱がせ、掛けた毛布を整えてくれる。酔いが回っているせいもあり、ディートシウスに触れられるたびに心地よさが襲ってくる。カルリアナはじんわりと感動していた。
(王弟殿下でもある婚約者がここまでしてくださるなんて……わたしは恵まれすぎています。しかも、不埒なまねは一切してこないなんて)
ディートシウスはそんなカルリアナを物欲しそうにじーっと見つめていたが、「理性を保て、ディートシウス」とつぶやく。そのあとで、ちょっと切なそうな顔をする。
「なんか……婚前旅行が始まってから、試されることが多いな。でも、初日に言ったとおり、今はまだ我慢するよ」
本調子でないカルリアナが反応を返せないでいると、ディートシウスの美麗な顔が覆いかぶさってきた。そのまま、唇にキスされる。わずかにワインの香りが漂う。
(これは、お休みのキス……というやつでは……!?)
混乱するカルリアナから唇を離すと、ディートシウスはちょっと艶っぽい笑みを浮かべた。
「じゃ、お休み。カルリアナ、いい夢を」
ディートシウスはカルリアナに手を振ると、寝室を出ていった。
「……っ!!」
残されたカルリアナは悶絶しそうになりながら、ベッドの中でごろごろと動き続けた。そのまま自然に眠気が襲ってくるまで、ドキドキする心臓を抱えるはめになったのだった。
おしまい
おかげさまをもちまして、昨日、本作の電子コミックス1巻がコミックシーモア様で先行配信されました!
表紙とおまけマンガは描き下ろしです。
コミックス派の方は、何卒よろしくお願いいたします。
↓↓↓書影はページ下部にございます。




