番外編 保養地の夕べ
「着いたー!」
うきうきしながらディートシウスが馬車から降りる。そのあとで、次に降りるカルリアナに手を差し出す。彼の手を取りながら、カルリアナは周囲を見回した。
ここはアーベントバーデン。王侯貴族や観光客からも人気の高い、温泉の湧き出る保養地である。
「素敵な町並みですね」
「うん。何度も来たことがあるけど、森に囲まれているし、空気もきれいなんだよね。浴場だけでなく、カジノも有名なんだよ」
「カジノには興味がないので、温泉に入りたいですね」
「無茶な賭け方さえしなければ、楽しいもんだよ。カルリアナはポーカーとか得意そうだね。……しかし、カルリアナは温泉のほうが好みかあ。泊まる予定の宿にある温泉施設は、混浴なうえ、サウナでは全裸なんだよ。カルリアナも一緒に回ろう?」
キリッとした顔で誘うディートシウスに、カルリアナは真顔で答えた。
「絶対に嫌です」
「えー? なんでー? せっかくの婚前旅行なのにー」
ブーブーと子どものように文句を言うディートシウスを前に、カルリアナは内心では赤面していた。
(ディートの裸を見るのも、自分の裸を見られるのも、まだ早いです……!)
羞恥心を隠しながら、平静を装う。
「当たり前です。まだ、結婚したわけではないのですから」
ディートシウスはそんなカルリアナを見て、何を思ったのかニコッと笑う。
「カルリアナらしいね。いいよ、別々に浴場を回ろう。ここの温泉施設はコース制だから、本当はカルリアナと一緒に回りたかったけど。俺たちは王室メンバーとその婚約者だから、他の観光客と居合わせることもないし、安心だ」
「何がですか?」
「君の裸や水着姿を、お付きやスタッフ以外の誰にも見られないで済む」
カルリアナは今度こそ本当に赤面した。
***
侍女のメラニーや女性の護衛隊員たちと、サウナやマッサージを含めた浴場コースを回ったカルリアナは、身体が温まってほぐれたせいもあり、上機嫌だ。浴場自体も、ドーム状の高い天井を見上げながら入浴できる素晴らしいものだった。
浴場では水着を着たし、サウナではタオルを着用したのだが、こんな姿をディートシウスに見られていたら、と思うと、やはり恥ずかしさが込み上げてくる。
今日はカルリアナもディートシウスも夕食を早めに済ませ、浴場を回り始めた。真夏の今は午後の九時ごろに日が沈むから、今はちょうど夕暮れだ。オレンジ色の光が、廊下の窓から差し込んでいる。
(なかなかできない体験でしたね)
自分の領地にも温泉が欲しかった、と思いながら、カルリアナはメラニーたちと別れ、ディートシウスと宿泊する部屋に入った。
スイートルームのリビングに足を踏み入れると、人の気配がした。ディートシウスが先に戻ってきていたらしい。
「カルリアナ、お帰り」
ディートシウスがソファから立ち上がる。
バスローブに包まれた、鍛え上げられた肢体。湯上がりのため濡れたホワイトブロンドの髪は、いつものようには束ねられておらず、無造作に背に流している。緑がかった青い瞳はしっとりとしていて、整いすぎた美しさに柔らかさを添えていた。
つまり色気がありすぎた。
色気だだ漏れな婚約者の姿に、カルリアナはしばし呆然と立ち尽くした。心臓が音を立て始める。カルリアナは反射的にディートシウスの顔から視線を外した。
(……っ!)
視線を下げると、そこにはディートシウスの鎖骨があった。
普段の服装なら気にならないのだが、今はとてつもなく色っぽく見えてしまう。
(こ、こんなことを考えているなんて、ディートに知られてしまったら……)
カルリアナはその場から逃げ出したくなった。
ディートシウスはそんなカルリアナを見て、目を瞬いていたが、すぐにいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「あれ? カルリアナ、もしかして俺の色気にクラクラしてる?」
ここは否定しなければ。
「そ、そんなわけないでしょう!」
「怪しいなあ。さっきから顔が赤いよー?」
「ゆ、湯上がりだからです」
「おかしいなあ。お湯から上がったあと、リラックスルームで休んだでしょ?」
「そういう体質なのです!」
「でも、さっきから俺の身体ばっかり見てない? 俺、人の視線には敏感なんだよねー」
図星だった。緊張と羞恥で、まともにディートシウスの顔を見ていられないという事情もある。が、鎖骨だけでなく、バスローブに包まれた彼の引き締まった身体に、ついつい目がいってしまう。
「そ、そんな……こと……」
しどろもどろになったカルリアナを、ディートシウスはじっと見つめながら、落ち着いた声で言った。
「俺も、君のその姿を見て、すごく興奮してる」
今はカルリアナもバスローブ姿だ。髪型もいつもの三つ編みではない。タオルで十分に水分を吸い取ったので、長いダークブロンドの髪を下ろして背中に流している。
自分の姿がそんなふうに思われているとは考えもしなかったカルリアナは、より一層動揺した。心臓の鼓動がますます早くなる。
(これは……もしかして、「そういう雰囲気」……なのでは……?)
部屋には婚前旅行中の婚約した男女。どちらも湯上がりでバスローブ姿。お互いに相手の姿に色気を感じている。
心臓が壊れそうだ。
ディートシウスは黙ってこちらを見つめている。緑がかった青い瞳は優しく細められていた。
カルリアナは意を決して、心臓の音に耐えながら口を開く。
「……ディートは、その……『そういうこと』がしたいですか?」
ディートシウスは目を丸くした。
〝あら?〟とカルリアナは思った。もしかして、ディートシウスは「そういうこと」なんて全然考えていなくて、自分が先走り過ぎたのだろうか?
(恥ずかしすぎます……!)
内心で混乱するカルリアナとは反対に、ディートシウスは柔らかい表情で、「ちょっと長い話をしたいから、座ろっか」と言った。
ディートシウスに言われるまま、カルリアナはソファに彼と並んで座る。湯上がりのディートシウスからはいい匂いがした。
ディートシウスは端麗な唇を開く。
「実はさ、俺、カルリアナみたいな真面目な女が好みになったのには理由があって」
自分が彼の好みのタイプだということは知っていても、その理由を考えたこともなかったカルリアナは、じっとディートシウスの続く言葉を待った。
「カルリアナにとっては嫌な話かもしれないけど、正直に言うね。昔、初めて彼女が出来たとき、まだ付き合い始めたばかりなのに、関係を迫られたんだ。うれしいと思うよりも先に、ドン引きしちゃったから断ったけど。それが理由で振られたよ」
「それは……」
災難でしたね、と言っていいものかどうか迷ったので、カルリアナは出かかった言葉を呑み込んだ。
ディートシウスは明るい顔と表情で続ける。
「このあふれ出る魅力と色気と身分のせいで、そのあとも近づいてきた女たちから迫られるわ迫られるわ。でも、誘いを断ったら全員離れていった」
「それで、真面目な女性が好みに?」
「うん。この態度のせいで、真面目なタイプからは敬遠されたけど。でも、軽いタイプの女って、なんか違うんだよねー。やっぱり、関係はお互いが最高潮に盛り上がっているときに持つべきだと思うんだよ。たとえば新婚初夜とか」
「……意外に、乙女チックな思考をなさるのですね」
たぶんそうだろうと思ってはいたが、ディートシウスが軽々しく異性と関係を持つタイプではないと知って、カルリアナは安心した。
同時に、彼のことが気の毒になる。
ディートシウスはその華麗な容姿と漂う色気とは裏腹に、内面は学院に入学したばかりの男の子のようなところがある。そんな彼が女性から迫られ、どれほど戸惑ったかを思うと胸が痛い。
美人にはいい男だけでなく、変な男も寄ってくるのと同じ理屈で、ディートシウスにもよろしくない女どもが寄ってきたのだろう。
彼の場合は王弟という身分のせいもあり、早めに既成事実を作って「あわよくば王弟妃に」と思う女どもが群がってきたのだろうけれど。
(……でも、わたしも同じようなものかもしれません。ディートに色気を感じてしまっているのですから)
複雑な心境のカルリアナを見て、ディートシウスが優しく笑った。
「そんな顔しないで。俺、カルリアナに異性として見られるのは、むしろ好きだから。やっぱり、心から好きな人にそういう視線を向けられるのはドキドキするよ」
「わ、わたしも、ディートからなら、そういう視線を向けられても嫌ではありません!」
カルリアナの口から、自分でも思ってもいなかった言葉が出た。
ディートシウスの頬が、ほんのりと赤く染まる。数秒後、彼は何かをこらえるように口を開いた。
「……今日は君も俺も盛り上がっているけど、まだ早いよね。今はこうやってお互いの知らなかった面を知っていく時期だと思う。だから」
ディートシウスはカルリアナに身体を寄せると、後頭部に優しく触れた。そのまま、カルリアナの額にキスを落とす。
唇を重ねたわけでもないのに、彼の唇から熱が伝わってきて、胸が熱い。
ディートシウスは名残惜しそうにカルリアナの長い髪をすくと、耳元でささやいた。
「今夜はこれで我慢しておくね。あんまり君に触れすぎると、離したくなくなるから」
「はい……」
自分も、今はまだ我慢しておこう。少し、残念だけれど。
(って、わたしったら何を!?)
カルリアナが自分の思考にあわあわしながら赤面していると、ディートシウスが幸せそうにくすりと笑った。
おしまい
昨日、本作のコミカライズ1話がコミックシーモア様で先行配信されました!
とても素敵なコミカライズなので、ぜひご覧になっていただければ幸いです。
「ふわー! 自分の物語が超グレードアップしてる! 感動!!」と思うこと多々です。
何卒よろしくお願いいたします。
↓↓↓書影はページ下部にございます。




