第52話 大きな手(前半ギュスターヴ視点)
ギュスターヴは、一人で町中を歩いている。
確かめなくてもわかる。今の自分の尻尾はだらりと垂れ下がっているだろう。
三人で並んで歩いていたとき、カルリアナを見上げると、彼女は幸せそうな顔をしてディートシウスを見つめていた。
父を見るときの母と同じ表情だ。
そのことがなぜか無性に悲しく、ギュスターヴはカルリアナから手を離し、一人、町中をさまよっているのだった。
(カルリアナは僕がいなくなったことに気づかないかもしれない……)
まるで世界でたった一人になってしまったような感覚に襲われ、ギュスターヴは泣きそうになりながら目的の服屋とは逆方向に大通りを歩いていた。
考え事をしながら歩いていたからだろうか。ギュスターヴは通行人とぶつかってしまった。
鈍い衝撃のあと、はじき飛ばされるように尻餅をつく。
そのとたん、帽子が脱げた。頭と耳に風が当たる。
「痛た……」
痛みに顔を上げると、自分とぶつかったらしい体格のいい人族の中年男性が、こちらを蔑むように見下ろしていた。
「なんだあ? 人族かと思ったら、獣人族のガキか。ぶつかってきたってことはスリかなんかだろう。おい、泥棒猫。盗んだ財布を出しやがれ。俺がもらってやるよ」
「え……!?」
今まで聞いたこともないようなひどい難癖に、ギュスターヴは面食らい、すぐには反応を返せなかった。
助けを求めて周囲を見回すが、立ち止まってこちらを見ている人々は顔をしかめたり、ヒソヒソと何かをささやき合ったりしている。誰も助けてくれそうにない。
ギュスターヴはおびえるあまり、自分の耳がペタンと折り畳まれるのを感じた。
男がしゃがみ、ギュスターヴの胸ぐらをつかもうとする。
(怖い……!)
ギュスターヴが思わず目をつぶったそのとき。
「その子はわたしの連れだ。手荒なまねはよしてもらおうか」
聞き覚えのある声に目を開けると、背の高いホワイトブロンドの男性が、かがみながら男の手首をつかんでいるところだった。ディートシウスだ。
「てめえが保護者か!? 手を離しやがれ! このガキはスリ……痛え!」
「腕をへし折られたいか?」
ディートシウスは普段の軽薄な態度からは考えられないような冷たい顔で、男を眺めている。ギュスターヴは圧倒されてその光景を見つめていた。
ディートシウスが男の太い手首をつかむ手に、さらに力を込める。男が叫んだ。
「いいい痛え!! も、申し訳ありませんでしたあ! やめてください離してくださいっっ!」
「なら、とっとと消えろ」
「は、はいぃぃっっ!!」
男は通行人にぶつかりながら、脱兎のごとく駆け去っていった。
ディートシウスがしゃがみ込み、こちらと目線を合わせながら問う。
「大丈夫か?」
その顔はつい先ほどまでとは打って変わって、ひどく心配そうだった。ギュスターヴはびっくりしながらうなずいてみせる。
「……うん、大丈夫」
ディートシウスが手を取って立たせてくれた。彼はギュスターヴの帽子を拾い、頭にかぶせてくれると言った。
「人の多い町には、ああいう無茶苦茶な奴もいる。何があるかわからないんだ。町中で子どもが大人から離れるなよ」
もっと怒られたり、嫌味を言われたりするに違いない、と思っていたギュスターヴは拍子抜けした。たとえ子どもでも対等に接してくれるところは、カルリアナとよく似ている。
ギュスターヴはディートシウスを見上げた。
「あの……ありがとう。それに……さっきはごめんなさい」
ディートシウスは返事をする代わりに、ギュスターヴの頭を帽子越しにポンポンと叩いてくれた。
「……ほら、手」
ディートシウスが横に手を差し出してきた。ギュスターヴが戸惑いながら彼の手を見つめていると、ディートシウスはぶっきらぼうに言った。
「またはぐれたら危ないだろ」
ギュスターヴはこくんとうなずくと、ディートシウスの手を握った。父と同じ、剣だこの目立つ大きな手だった。
***
「ギュス! どこに行っていたのですか!」
ディートシウスと手を繋いで現れたギュスターヴを目にし、カルリアナはとっさに駆け寄った。
彼がいなくなったときは、生きた心地がしなかった。世の母親たちは常にこんな危険と隣り合わせで子どもを育てているのだと痛感した。
できることならギュスターヴを抱き締めたかったが、自分は彼の母親ではないので、ぐっとこらえる。その代わりに彼の細い両肩をそっと両手のひらで包む。
「大丈夫ですか? 変な人に絡まれたり、連れ去られそうになったりはしませんでしたか?」
ギュスターヴはディートシウスと目を合わせると、彼から手を離し、ニコッと笑った。
「大丈夫だよ、心配かけてごめんね。……ディートシウスが助けてくれたよ」
カルリアナは目をまばたいた。ギュスターヴが本人の前でまともにディートシウスの名を呼んだのは、初めてではないだろうか。
ディートシウスも少し意外そうな顔をしていたが、すぐににへらと笑う。
「そういうことー。ゴロツキみたいな奴に絡まれていたけど、俺がちゃちゃっと処理しといたから」
〝ディートがギュスを見つけてくれて本当によかったです〟と思いながらも、カルリアナは疑惑の目をディートシウスに向ける。
「また、乱暴なことをなさったわけではないでしょうね?」
ディートシウスは調子外れな曲を口笛で吹いた。
(したんですね……)
カルリアナがじっとディートシウスを見据えると、ギュスターヴが慌てたように間に入った。
「でも、僕を守るためにしてくれたことだよ!? それに、相手は怪我もしていなかったみたいだし」
ディートシウスは驚いたようにギュスターヴを見たあとで、キリッとした顔をカルリアナに向ける。
「そうそう。俺、手加減はちゃんとできる子だから」
「全くもう……」
カルリアナはため息をついた。護衛のためにディートシウスの後ろに控えていたクラウスが、近づいてきてこそっとカルリアナに耳打ちする。
「今回ばかりはわたしも胸がすきました。相手はしょうもないクズ野郎だったことですし、不問にしてあげてください。殿下は立派に保護者としての役割を果たされましたよ」
クラウスはギュスターヴがいなくなったとき、「ギュスターヴ王子が走り去った際に、ご報告が遅れたわたしの責任です」と言って、ディートシウスとともにすぐに動いてくれた。
それに、いつもはディートシウスに厳しい言動をするクラウスの頼みだ。カルリアナもそれ以上うるさく言うのはやめることにした。
「ですがディート、ありがとうございます。ギュスを見つけたうえに守ってくださって」
「いいっていいって。ところで、ギュスが言っていた服屋には行く? さっきの騒動でだいぶ時間を取られちゃったけど」
ディートシウスが取り出した懐中時計を覗き込んだカルリアナは、思わず声を上げた。
「え!? もうこんな時間ですか!? 図書館にだけは行っておきたいのですけれど……」
「じゃあ、服屋はまた今度にしよう。ギュスもそれでいいよな?」
「うん、あれは……ディートシウスに対抗するために、つい言っちゃったことだから」
「そっか。じゃあ、図書館に行こう」
四人そろって歩きだすと、メラニーがカルリアナにささやいた。
「……なんだか、あのお二人の間の空気が変わりましたね」
「そうですね。このまま仲良くなってくれるとよいのですが」




