距離
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気付いたら、お母様はいなくなっていた。言い捨てたお母様が立ち去る姿を見ていたにもかかわらず、わたしはそれを憶えていない。
どれくらい呆然としていたのかわからないが、ミラー夫人との約束に遅れてしまう。
頭を振って、重い身体を引きずるように玄関ホールに向かう。
既に玄関ホールには執事の一人が待っていた。お母様やお姉様が一緒の時は筆頭執事が見送ってくれたけど、現当主夫人でも次期当主でもないわたしには若い執事で充分なんだろう。
「・・・」
「・・・」
わたしも声をかける気が起きなかったが、年功序列で損な役回りを押し付けられた執事もそうだったらしい。気安く話しかけても何の良いこともなければ、逆に当主夫妻の怒りを買うかもしれない相手など、最低限の仕事さえすればいいと思っているんだろう。
その通りだから何も言えない。わたしに気を遣うなど、余計な真似をしたら見咎められる。
お母様の真意を知ってしまった今なら、その理由もわかる。
邪魔者の姿を見るだけで嫌なんだろう。
跡継ぎになる息子じゃなかったわたしは、家族でもない。ダヴェンフィールド家の駒にすぎないんだろう。それも、駒の癖に家に役に立つ縁談を持って来ず、事業契約にかこつけて押し付けるしかなかった出来損ない。
厭われるのもわかる。
わかる・・・けど、苦しい。
苦しくて堪らなくて、息がしづらい。
どうしてわたしが?
わたしが何かしたの?
何もできなかったわたしが悪いの?
好きになってくれ、とまでは言わない。
愛してくれ、とまでは言わない。
だけど、家族として思っていて欲しかった。
駒だなんて思って欲しくなかった。
それも、役立たずの駒だなんて。
・・・フェルナンドと結婚すれば、役に立つよね?
役に立つと思ってくれるよね?
フェルナンドとお姉様のカモフラージュに役に立てば、わたしも役に立っているよね?
執事に開けられた扉の向こうに見えた馬車は我が家の馬車ではなく、辻馬車だった。
「これは・・・」
自分の目が信じられなかった。わたしの目の前に止められている馬車は街中をよく走っている辻馬車だ。貸し馬車ですらない。
辻馬車は街中で呼び止めて乗れるので、乗合馬車のように一見してわかるようにしてある。
我が家の馬車はお父様やお母様が使う王都用の一台と、領地とそこまでの旅程で使う一台がある。
領地用の馬車は王都用の馬車より劣るとはいえ、王都用の馬車がない家は領地用の馬車を使う。領地用の馬車もない家なら、馭者付きで貸し馬車を使う。
他家の招待に辻馬車で応じるなど、常識を疑われる。どんなに貧しくとも、使う日時を告げて時間貸しで貸し馬車を使う。それか、知人の馬車に同乗させてもらう。
辻馬車を他家の敷地内で待たせるなど、あり得ない話だ。
「旦那様も奥様も予定がある」
「でも、辻馬車よ?!」
帰ってくるなっていうこと?!
それは口に出せなかった。あれだけ厭われていたのだ。あの遣り取りを見られて、そうだと言われたら、出かけられなくなる。
せっかく、ブライアンが作ってくれた領地経営をおぼえられる機会。大事な機会が失われてしまう。
今となっては無用なものかもしれないけど、これ以上、この家には居たくなかった。
今だけはここを離れたかった。
「奥様もお嬢様もお出かけにならないんだ。我が家の馬車を使うことは許されていない」
親しくないこの執事もメイドのローズやミナと同じように、わたしをこの家の“お嬢様”だとは思っていない。
それが今は仲間意識や親しさよりも、辛さを感じた。




