エピローグ
『偉大なるアストラ国王陛下にして、愛するお兄様へ』
その手紙は、そんな言葉から始まっていた。
『先日、私の友人から面白い本をいただきました。その友人が、どうしてもご家族にも読んでもらいたいと言うので、一冊お送りします。ですが、到底お兄様の趣味では無いでしょうから、読まなくても構いません。捨ててくださっても結構です。もしも読んでいただいたのだとしても、そちらの本の内容について、私は何も言う事はございませんのであしからず。それではどうか、お体にお気を付けくださいませ。私はいつでもお兄様の幸福を祈っております。──緑の館にて。クローディーヌ』
懐かしい綺麗な文字で書かれた手紙は、もう何度か読んでいる。その度に、もう少し近況を書けばいいものを、と思って苦笑してしまう。情報としては常に新しいものを仕入れてはいるが、本人から聞くのとでは印象が違う。そして何より、寂しいというものだ。
我らの末妹クローディーヌ、可愛いクロード。もう何年前か。アストラでの療養から戻って、すぐに別居を言い渡されたと知って時は驚いた。けれども同時に、いくら可愛い妹とはいえそれは自業自得、と思っていたものである。
緑の館へ移ってからのクロードは、裏切りの妃殿下、不義の妻、などと呼ばれるようになったようだ。しかし中には、同情する声も多少はあったようなので、評判は地に落ちたと言うほどでもない。
それに最近は、二人の王子と王女の母となった側妃とセドリック殿下が、揃って緑の館を度々訪れている様子から、過去の事は水に流す事にしたのでは、と囁かれていた。愛人と暮らしている事に変わりはないものの、それを聞いた時は兄として、そして国王として安堵したものだが。
もしも、この本に書かれた内容が真実ならば。安堵するも何も、クロードたちにとっては、予定調和の出来事だったに過ぎない事になる。体調不良を期にあっさり王位を退き、母上とジョアンナ様と別荘に引っ込んだ父上も、目を剥くに違いない。もしくは、大笑いするかのどちらかだ。
苦笑しながら本の背表紙を撫でる。と。
「失礼します」
ノックと共に入って来たのはアレクシス。先ごろ、ようやく結婚を決意した弟である。私の座る執務机の前まで来ると、きちんと最敬礼をして顔を上げた。その柔らかく微笑む顔を見ながら、兄弟からこのようにされるのは未だ慣れないな、と思う。
「陛下。我がイヴェールからの、今季の収穫について報告を纏めましたので。ご確認ください」
「適当にその辺に置いてくれるか。後で見ておく」
「お忙しそうですね」
机に積まれた書類の側に自分の分も置きながら、アレクシスは苦笑した。そして、私の手にした本を、目敏く見つける。
「……あれ、その本はもしかして。読んだんですね?」
クロードから送られてきた本の話しは、兄弟には話してある。というより、クロードがあのように手紙に書いていたので、私は後でいい、と碌に題名も見ずに丁度そこにいた姉上に渡したのだった。
その姉上からセレスへ、セレスからオーガストへ、オーガストからアレクシスへ。そして私の元へ返って来たというわけである。
「目を通したくらいだ。これは、本当の事なのだろうな」
「やっぱりそう思いますよね。クロードの性格を知っている者が読めば、これは真実だと確信します。しかし、何も言う事は無いという事は、おそらくこの本については、クロードの手は入っていないのでしょうが」
「何を考えているんだか、と呆れてしまったがな」
「そうですね。ですが、クロードらしいではありませんか。結婚は覆せない、けれど恋も諦めたくない。その結果、どれほどの悪評が流れようと、ね」
実にあの子らしい、とアレクシスが笑う。それは確かにと私も思うけれど、愛人を作ったという事実に変わりはなく、本来の役割を放棄した事にも変わりはない。この本はまだ世に出回っていない物らしいが、知れ渡ったところで変わらないものは多い。
既に愛人との間に子をもうけているし、いくら殿下と企んだ事なのだとしても、王族に生まれた娘としては失格なのだ。王族に生まれたからって、何もかも我慢なんてしたくない、とクロードなら言いそうな事ではあるが。
「私はクロードを愛している。しかし、全面的にクロードの味方をする気は無い。表立っての公務を側妃に任せきりで、本人は自由気ままに暮らしている。間もなく王妃となるというのに、その振る舞いは許し難い。戴冠式の時にでも、そうやって叱るつもりだ」
「ええ。ですから同行者にわたしを選んだのでしょう? 飴と鞭ですね」
ふふ、と笑うアレクシスにため息を吐く。甘やかし過ぎないか不安だが、まぁ良しとしよう。
「そうだ。せっかく来たのだから、一緒に昼食にしないか?」
「はい兄上、喜んで。どうせならオーガスト兄さんも呼んで来ましょう。今日は訓練場じゃなくて、城の方にいるみたいですから」
ではそうしようか、と答えた私に笑って頭を下げ、アレクシスは部屋を後にする。残された私はもう一度本に視線を落とし、箔押しされた題名を指でなぞりながら苦笑した。これはいくらなんでもそのまま過ぎないか、と。
その本に書かれた題名は。
『王子と王女の別居計画』




