月の宮にて
維心達が、果てしなく続くのではないかと思われた崖下へとやっと降り立った。肩に蔦を輪にした物を背負って降りて行き、蔦の長さが尽きたら継ぎ足してを繰り返し繰り返し、やっと到着した場所だった。
そこには、いくらかの土砂と、崩れた時に落ちて来た木々が横倒しになっている状態で、足場が悪かった。
「将維はどこぞ。」
維心は、間違いなく落下したであろう場所を探したが、見当たらない。範囲を広げて歩き回っていた箔翔と維明が、戻って来て首を振った。
「あちらにも、見当たりませぬ。」
維心は、眉を寄せた。将維は、どこへ行った。碧黎のやりそうなこと…もしや、この崖が崩れたのも、全ては碧黎の差し金か。つまりは、将維はどこかへ移動させられた。生きている状態なのか、死んでいる状態なのかは定かではないが…。
「おそらく、碧黎がどこかへ移動させたのだろう。」維心は、言って目の前の林を見た。「どちらにしろ、この崖を降り切ったことは良かった。これで宮まで真っ直ぐに向かえるからの。あちらへ着いたら、また宮の位置まで登らねばならぬが、どうにかなるであろう。参るか。」
維明が、頷いた。箔翔は、後ろをふと見た。
維心が、それに気付いて問いかけた。
「何ぞ?どうした?」
箔翔は、首をかしげた。
「いえ…我ら鷹は、気を使わぬでも他の神に聞こえぬ音が聞こえることがあり申して。」と、まだ後ろを見ている。「神の、飛んでいる時の周波数の音が、あちらより近付いて参りまする。」
維心は、目を凝らした。しかし、いつもならば見えるものも、今の状態では見えない。
「炎嘉達ではあるまい。あちらも同じように気を奪われておると見ていいだろう。他の神がどうなっておるのか分からぬ状態で、今神と接するのは良くない。」維心は、踵を返して目の前の林を抜け始めた。「行くぞ、急げ!」
三人は、また走り出した。ここまで、かなりの距離を走って来ている…さすがに、三人にも疲労の色は出て来ていた。
少し遅れて走る箔翔に、維明は言った。
「箔翔?疲れたか。少し休むか。」
しかし、箔翔は首を振った。
「いや。あの先ほどの音、まだ聞こえる。どうも追って来ているように思う…しかも段々と近くなっている。休んでいる暇などない。」
維心が、それを聞いて振り返った。
「では、時間の問題ぞ。策を練る。」と、わき道へと入ると、そこでまた、ちょうど良さげな木の枝を折った。「さあ、仙術で強化する。相手が敵であった場合、対抗する術を持っておらねば。我が前に出る…多数であった場合、主らも身を守らねばならぬであろう。しかし、倒すのは我に任せよ。」
維明は、頷いた。軍神達が束になってもその場を動くこともなく倒した父王。今のように、気を使えず飛べもしない状態でも、負けるような気がしなかった。箔翔が、顔を上げた。
「…もう、側に。」と、今来た道を指した。「もう見えるはず。」
それを見た三人は、思わず息を飲んだ。
「あれは…!」
維明が、真っ直ぐにこちらへ向かって来る姿に言った。
「死んだのではなかったのか!」
聖が、炎嘉達三人を気で掴んで下に吊り下げた状態で、こちらへ向かって来ていた。
蒼は、待っても連絡が来ない維心達を案じていた。さっきから、十六夜の声も聞こえなくなった。連絡を取ろうにも、ここは地下深く月の気も通さない場所。奥には通路が伸び、結界外へと抜けることが出来る場所だった。蒼は、翔馬を振り返って言った。
「翔馬、もしかして維心様達は捕らえられたかもしれない。」蒼は、険しい顔だった。「とにかくは、オレは臣下達を少しずつ起こして来るよ。こちらへ皆を来させ、逃れるように対策を立てる。翔馬はここで、待っていてくれないか。オレが来させた者達の面倒を見て欲しいんだ。」
翔馬は、頷いた。
「はい。しかし王よ、碧黎様がいつまでも何もされないとは限りませぬ。どうか、お気をつけて。」
蒼は、頷いた。
「オレは大丈夫だ。行って来る。」
蒼は、また暗い宮の中へと歩き出した。
そうして、端から順に片っ端から術を解いて回っては、地下へ行くように命じていた蒼は、北側の庭を伺う場所へと出た。そこには、東を向いて、隠居した将維が住むために作った対が立っている。
確か、そこにも龍の侍女達が居た…。
蒼は、辺りを伺ってから、そっと将維の対へと入って行った。
思った通り、将維の侍女達もぐっすりと眠っていて、身動きしない。蒼が起こそうと手を上げると、その手を誰かが掴んだ。
「!!」
蒼は、びっくりして振り返る。すると、そこには十六夜が立っていた。
「十六夜!」と、慌てて口を押えた。《十六夜…降りて来てたのか?!》
十六夜は、笑った。
「大丈夫だ。親父はこっちには興味がねぇ。お前が宮に残っているのは、何となく気取れて分かっていたようだったが、それよりも今は維心達の方でな。」
蒼は、驚いて言った。
「え…月の気に溶け込ませてるのに?」
十六夜は、苦笑した。
「確かに、お前の個の気は気取れなくなってたさ。親父も、それはよう考えたものだと感心していたよ。だがな蒼、お前はオレの子だろう。つまりは親父の孫だ。同じ命の波動を辿れば、お前の居場所なんてすぐに分かるのさ。元より、親父はお前の資質のことに関しては、他の神より寛大なんだ。だから好きにさせておけ、ここへ一人残ったという心意気だけでもう充分ぞ、と言っていた。」
蒼は、それはそれで面白くなかった。他の神の王達は、命がけで頑張っているのに。
「碧黎様も、結局は感情で判断なさっているんじゃないか。オレが、孫だからそれでいいってことだろう?」
十六夜は、首を振った。
「違う。お前はオレの代わりに王座に居る。そう生まれついたのでもないのに、その環境でそうやって必死にやってるじゃねぇか。元は人であったことを差っぴいたって、お前は充分にやってるのさ。」と、険しい顔をした。「だが、生まれながらの王達ってのは、そんなわけには行かない。王としての権利には、義務も着いて来る…義務をきちんと果たしているような心根なのかを今、試してるんだとさ。」
蒼は、十六夜を見た。確かに、自分は人で普通の男だった。なのにこうして、無理にここへつれて来られて気が付けば王座に座らされていた。だが、その義務を必死に果たそうとして来た。でも…では、今維心様は?
「十六夜、それで、維心様達は?」
十六夜は、少し黙ったが、軽く顎を振った。
「…こっちへ来な。」
蒼は、今起こそうとした侍女をちらりと見てから、十六夜についてそこを出て行った。
十六夜が歩いて行ったのは、将維の部屋だった。将維の奥の間に入って行くと、そこには人型の維月が座って、寝台の方を見ていた。十六夜と蒼が入って来たことを知ると、維月は言った。
「十六夜!蒼を見つけたの?」
十六夜は、頷いた。
「ああ。あっちから来てくれたからな。」と、寝台を見た。「どうだ?」
維月は、首を振った。
「まだよ。」
蒼は、寝台の上に逃れて行ったはずの将維が寝ているのを見て、絶句した。しかも、気を失っているようで、ぴくりとも動かない。
「将維!いったい…何があったんだ?!」
十六夜が、言った。
「維心達が立っていた崖を、親父が崩してな。」蒼は目を見開いて十六夜を見た。「そんなもの、神だったら飛んでおしまいなんだけどよ、みんな気を奪われた状態だったから…辛うじて、木にぶら下がってすぐには落下せずに済んだんだが、維心に掴まれてぶら下がっていた将維は、維心まで共に落ちてしまうのを避けるために、自分から手を振り払って崖下へ落ちたんだ。」
蒼は、目を見張った。確かに、将維ならそうするだろう。
「よく助かったな。高さがなかったのか?」
十六夜は、首を振った。
「いいや。100メートル近くあったんじゃねぇか。オレももう将維は死んだものと思った。だが、親父が将維を自分の手の中へ保護していて…オレ達にこっちへ連れ帰れってさ。」
維月は、涙ぐんだ。
「どうしてお父様はこのようなことを。こんなつらい思いをさせなくても良いのに。維心様も…」維月は、こぼれる涙を拭った。「お優しいお父様であったのに。」
十六夜は、維月の肩を抱いた。
「昔の親父は、地のためならば手段を選ばなかった。最近は神達と混じってその常識に合わせていたものの、あの磁場逆転で新しくなった自分、そして新しく生き直そうとしている人類、それなのに神だけが、安穏と同じ世襲制の王で長い年月生きていて良いのかと思ったらしい。古い考えを、場によって新しくして行くことも出来る、柔軟な王達で構成させて、地上を依り良くして行きたいと思っているんだそうだ。なので、あんなことをしている…最近では平和になりすぎて、その能力を女の取り合いなどに使っているだけだと親父は言っていたよ。ようは平和ボケした神の王を、その資質までもボケてないか確かめてるってことさ。」
維月は、十六夜を見上げた。
「お父様のお気持ちも分からないでもないけれど…確かに、維心様は私のことに、とても感情的になられることがあったから。そういう不安をお持ちになっても、仕方がないのかもしれない…。」
蒼は、ため息をついた。
「そういわれると、確かに碧黎様がされていることも、妥当なことなのかもと思うけど。でも、皆本当に苦しんだんだよ。」
拗ねたように言う蒼に、十六夜は苦笑した。
「見てたから知ってるさ。オレだって最初は反対したんだ。もちろん、今だって反対だ。何しろ、これで無駄だと思われたらその神の王は寿命を切られちまうからな。」
蒼の表情が、凍りついた。つまり、今にも…。
十六夜が、窓から空を見上げた。
「…そろそろ、皆龍の宮へ着く頃だ。」空が薄っすらと白み始めている。「そこで、どっちにしろお開きだ。」




