証明
蒼は、一人そっと侍女や侍従達の部屋を伺った。思った通り、皆死んだように眠っていて、起きる様子もない。混乱が起こってしまってはいけないと、蒼は地位が高そうな臣下が眠る部屋を探した。
記憶は、全く戻って来ていなかった。しかし、それがこちらの方向だということは、何となくわかった。蒼は、突き当たりにある戸を押し開いて、そっと中を伺った。すると、そこには初老の男が一人、やはり死んだように眠っていた。
「翔…馬。」
蒼は、その姿を見て呟いた。思い出した…人世から神世に帰還した翔馬をここへ受け入れたのは、何百年前のことだったか。人と虎との混血で、そう、桜の宴の際には、己の血筋の者に、維心を殺害するよう言われ、悩んだあげく蒼に全てを打ち明けた翔馬。あれから、自分の重臣筆頭として、ずっと仕えて来てもらったのではなかったか。
「思い出した…」蒼は、囁くように言った。「思い出した、オレはこの月の宮の王だ。臣下達を守って生きて来たのに。」
蒼は、スッと手を上げた。そうして、月の力を使って翔馬の回りを包む、薄い膜のようなものを取り払い、呼びかけた。
「翔馬。起きよ。」
すると、翔馬は大儀そうに目を開けた。そして、目を瞬かせると、蒼を見て、慌てて起き上がった。
「王!」
蒼は、素早くそれを咎めた。
《念で話せ。主、もうなんともないの?》
翔馬は、突然のことだったので何のことか訳が分からなかったが、頷いた。
《はい。我は問題ありませぬ。しかし王がこのようなところへ参られるとは、一体どうしたこと。何かあったのでございまするか?》
蒼は、頷いた。
《碧黎に、記憶を封じられての。》蒼は、訥々と話した。《今、思い出した。臣下達は皆、眠らされておる。命に別状はないが、皆を解放せねばならぬ。しかし、碧黎のこと。またオレの記憶を封じて主らを眠らせる可能性もある…維心様達も同じように封じられておったが、今龍の宮の方へと逃れておるところ。あちらの出方を待とう。主、起きられるか?維心様から何か連絡があった場合、共に動かねばならぬかもしれぬ。》
翔馬は、頷いた。
《はい。宮の一大事に寝ておったとは、不甲斐ないことでございます。では王よ、こちらへ。王がまさかの時のためと言っておられたあの隠し部屋へ参りましょう。》
蒼は、頷いて翔馬と共に階下へと歩いて行った。
維心は、見慣れた場所へと出ていた。ここからは、龍の宮が臨める…しかし、自分が気を失っている今、結界は消え去っていた。
「やはり、結界は消えておるの。」
維心が言う。将維は、頷いた。
「はい。気が使えぬ今、良く見えませぬが、それでも結界が無いことは分かり申す。父上、どう致しますか?」
維心は、遠く宮を見てため息をついた。
「気が使えぬとは、ほんに不便なことよ。我が宮は、あのように高い位置にあるゆえ、ここから一度降りて、また登らねばならぬの。」と、自分の体を見回した。「…ま、出来るであろうて。」
将維は、頷いた。
「は。では…」
すると、急に足元の岩が音を立てて崩れ始めた。維心が、慌てて側の木の枝を掴んで、将維の腕を掴んだ。少し離れた位置に居た維明も、同じように側の木に掴まり、箔翔はその足に掴まっていた。
「将維!」
維心は、辛うじてぶら下がった状態で、必死に将維を持ち上げようとした。維心の掴んだ木の根は、半分が土を奪われて不安定に揺れている。維明の掴まった木の方がいくらか安定感があったが、それでも維明と箔翔の体は崖へとぶら下がった状態だった。
「登れ、箔翔!」
維明が、叫ぶ。箔翔は、維明の足からよじ登って、自分の腕で木の枝を掴んだ。維明は、箔翔の重みも支えていたのでホッとしたように崖下を見た…気が使えない今は、底がまだ全く見えない。箔翔が、叫んだ。
「維明!見よ、維心殿と将維殿が!」
維明が慌ててそちらを見ると、維心は片手で枝を、片手で将維を掴んでいる状態で、しかも維心の持つ枝の先に木の根元は、まだパラパラと土や石が落ちていて、今にも根元から落ちて行きそうな様子だった。
「父上…!」
将維は、維心を見上げて言った。維心は、額から汗を流しながら言った。
「離すでないぞ、将維!」
しかし、維心には引き上げるだけの力がないようだった。何しろ、気の力を封じられてしまって、片方の腕の力だけで将維と自分の体重を支えているのだ。しかも、掴んでいる先の木が不安定で、振り子のように振って将維を上げることも出来なかった。
《ああ維心様!将維!》
月で維月が叫んで、十六夜が慌てて力を下ろそうとしたが、すぐに碧黎の声が割り込んだ。
《邪魔をするでないぞ!》
グッと、自分の力を封じられる感覚がして、十六夜は叫んだ。
《親父!もういいだろうが!維心が死んじまうぞ、模範的な王なんじゃなかったのかよ!》
しかし、碧黎は言った。
《維心は死なぬわ。我が見たいのは、将維。なんのために崖を崩したと思うておる。》
維月が、泣き声で言った。
《お父様!酷いですわ!このままでは…!》
しかし、碧黎の声は落ち着いていた。
《ならぬ。我を信じよ。維心は、死ぬことはないわ。》
木の根の土がまたぼろぼろと崩れ落ちた。それと共に、ガクンと木が傾いた。維心はそれで揺さぶられて、将維の重さがずっしりと腕にかかり、苦しげな顔をした。維明が、こちらの木に掴まったまま、どうすることも出来ずに叫んだ。
「父上!無理でございます!もう、木が持ちませぬ!」
維心は、ちらと木を振り返った。確かに、二人の重さをこれ以上支えることは出来ぬようぞ。
将維は、維心にぶら下がったまま、汗だくになった維心を見上げた。
「父上、どうか、離してください!我はもう、今生では充分に生きておりまする!今は余生を送っておるだけであるのです、父上は、皆を治めて行かねばならぬ!」
維心は、将維を見た。
「将維…主、思い出したか。」
将維は、頷いた。
「はい。こうして命がけで我を助ける父上を。彎に捕らえられた6才の我を助けに来て、龍封じの縄に掛けられた時のことを。父上、我はもう、良いのです。父上には、世を平定する責務がある。生きねばなりませぬ。」
維心は、眉を寄せて小さく首を振った。
「ならぬ。主はいつまで経っても、我の子ぞ。ここで主を死なせてしもうたら、維月に何と申し開きせよと申す!」
「父上…。」
将維は、じっと維心を見ていたが、次に月を見て、そして、その手を振り解いた。
「将維!」
将維は、宙を舞った。
「あちらでお会いしましょうぞ!」
維心は、必死に叫んだ。
「将維!愚か者めが!なぜに…!」
将維は、底の見えない崖下へと落ちて行った。
維心は、崖下にじっと目を凝らした。だが、全く見えない。気が使えないのが、これほどに不便であったとは!
「父上…。」
維心は、ハッとして隣りの木を見た。維明と箔翔は、自力で木を伝って登り、崩れた崖の淵からこちらを見ている。維心も、頷いて崩れかけたその木を伝って登ると、急いで駆け寄って来た維明と箔翔に助けられて崖の淵から下を見た。
「…下へ参る。」
維明が、驚いて維心を見た。
「しかし…この高さから気が使えぬのに落ちたとあっては…。」
維心は、維明を見た。
「分かっておる。だが、どうあっても我はあれを連れ帰らねば。いくら逃亡の最中とは言うて、我はあれをこんな場所に放って置くことは出来ぬ。」
維明は、ためらうように箔翔と顔を見合わせたが、頭を下げた。
「は。では…蔦があちらにありましたゆえ。すぐに編んで、足場を。」
維心は、頷いた。そして、三人は蔦を使って崖下へと向かった。
《ああああ!!》
維月が、悲鳴を上げた。十六夜が、月の中でそんな維月の命を抱くようにして包んだ。その様子を、じっと黙って見ていた碧黎が、頷いた。
《…ようやったの、将維。さすがに維心と維月の息子。前龍王であるな。王の責務を知っておる。》
十六夜が、力いっぱい叫んだ。
《何が良くやっただ!死んじまったら、どうにもならねぇじゃねぇか!》
維月が、泣きながら言った。
《ああ!十六夜、思い出したのに!将維は私のかわいい息子なのに!あんな…あんな場所から落ちて逝ってしまうなんて…!どうにも出来なかったなんて…!》
しかし、碧黎の声は、穏やかだった。
《何を言うておる。死なせはせぬわ。》と、手を上げた。《そら。》
みると、将維の体が崖下ではなく空に浮いて、碧黎の人型の手の上にあった。将維は、気を失っているようでじっと目を閉じている。しかし、呼吸はしていて、胸が上下していた。
《ああ将維!》
維月がスッと人型になると、宙に浮かぶ将維を抱きしめた。碧黎は、頷いた。
《もう、こやつには用はない。月の宮へ連れ帰ってやるがよい。次に目覚める時には、全てが元通りであるわ。》
維月は、月を見上げた。十六夜も、同じように人型になり、維月と二人で将維をつれて月の宮へと戻って行ったのだった。




