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機尋(はたひろ)

「では、今日からよろしくお願いします」


 次の日。釦は丸パンとミネストローネのようなスープという極々普通の朝食をとった後、ナディア神官に地下室――漫画のような薄暗い場所ではなく、教室ほどもあるがらんとした部屋だが――に連れていかれた。魔法が暴発した時のために、ものの置いていない大きな部屋が必要だからね、とは誠の言葉である。釦もそれに対しては賛成だ、ものはできるだけ壊したくない。ただ、彼はこれから用事があるらしく、付添いはしてもらえなかった。それが少し寂しい。


「こ、こちらこそ、お願いします」


そんな釦をよそに、ナディアは淡々と説明を始めた。


「まず、大まかな概要からですね。この世界には魔法を使える人間が、人口の5割ほどいます。その人たちの中でも特に優秀な使い手は、城の魔術師団に入り仕事をしています。それ以外の人間は、日常を少しだけ便利にするために魔法を使っている、という具合でしょうか。仕事は一般的な職についています」

「はあ」


 いまいち想像ができない。そんな釦の様子が伝わったのか、丁寧にもナディアは説明を付け足してくれた。


「例えば、ある家で暖炉が壊れたとします。その人はすぐに火が使いたい。すると魔法がつかえる近所の人を呼び、火をつけてもらい、時間の空いたときに修理士を呼ぶのです」

「だったら、暖炉を直してもらったらいいじゃないですか。せっかく便利な力を持っているんでしょう?」


 そう釦が聞くと、ふふ、と金髪の美女は微笑んだ。


「マコトと同じことを言います。あなた方の世界には魔法がないのでしたか」

「ええ、本の中でしか」


「だからか、魔法を『すべてのことができる力』というように考えているようです。実際は、魔法ができることは限られているのです。例え魔術師団の人間であっても、壊れた暖炉を直すことは難しい」

「どうして?」


 釦がそう問うと、ナディアは首をかしげ眉根に皺を寄せた。怒っているのかとも思ったが、「うまく言えるかわかりませんが」という彼女の言葉に、日本語が不自由なのだと今更ながらに気付く。


「ごめんなさい、どんどん質問して」

「大丈夫です。私こそ、説明が苦手で申し訳ありません。大屋八郎が残した本のなかの言葉と、マコトから教えてもらったいくつかの単語しか知らないので、あまりうまくしゃべれません。言いたいことはたくさんあるのですが」


 そう言って、ため息をつく。そのまま目を瞑って動かない。間。




 釦がこの世界の魔法を見たのは、誠が紙を飛ばしたあの一度きりだ。どういうメカニズムになっているかはわからないが、あれをメールとするなら、魔法は機械みたいなものなのだろうか。しかし、釦をこの世界に召喚したのも魔法の力だろう。異世界移転装置なんて、あちらの世界には存在しないし、できる気配もない。どう考えても魔法は「すべてのことができる力」だと思うのだが。




 突然ナディアが言葉を発した。


「想像力です」

「想像力?」


 思わず鸚鵡返しに聞き返す。想像力がどうしたというのか。


「魔法の使い方として、一番合う言葉です。この世界の魔法は、想像力でできているのです」

「…………?」


 釦が首をかしげると、早口で彼女は言葉を紡ぐ。


「魔法は想像できるものでないと作用しないのです。魔法の完成後のイメージがつかないと、正常に作動しません」


「暖炉が直ったところなんて、簡単に想像できると思うけど」

「いいえ、いいえ」


 彼女はぶんぶんと頭を振る。今までどこか遠慮がちな話し方だったが、ここにきて気分が上がってきたらしい。いかにも欧風の(というと誤解を生みそうだが)上品だけれどどこか溌溂とした表現をする。


「火で考えてみましょう」

「火?」


「ボタン、例えばあなたが『永遠に消えない火』を作りたいと考えたとします。しかし、それは不可能なのです。『永遠』をイメージできないから。もし仮にそれができたとしても、あなたがその火の存在を忘れてしまったら、あっという間に魔法は解けます」


「じゃあ、暖炉は?」

「その家で、ずっと暖炉が動いている様子を想像し続けなくてはいけません。その上、壊れた暖炉のそれぞれの断面が、元通りピッタリと合わさっているところを完璧に脳内で再生できるでしょうか」


 粉々に壊れたものを、完璧な状態で、しかも永久に想像し続ける。それは人間には


「無理……です、ね」

「だから、魔法は不完全なのです」


 今まで彼女が読んできた本のなかでは、魔法は本当に素晴らしい力だった。ドラゴンを倒し、箒で自由に空を飛び、薬草で怪しげな製品を作り、一瞬にしてドレスを作り出す。そんな便利で万能な力だったというのに。


 事実は小説よりも奇なり、なんてうそっぱちね。事実は小説よりも世知辛い。釦は心の中で呟いた。


「この世界で魔力がある、というのは、想像力が高いということになります。どれほど詳細に世界を見つめ直せるか、というのが重要なのです。」


 そうナディアはきれいな言葉で飾るが、つまりは妄想癖のある人間がこの世界で「魔術師」と呼ばれているというだけのこと。なんとも興ざめな話だ。


 碧眼の美女はなおも言い募る。


「そして、魔力が高ければ高いほど、複雑な魔法も具現化できるようになっていきます。誰かに伝言を伝えたり、危険なものから身を守ったり……という形で。ここまでの説明は理解できましたか」


 だが、これでなぜ誠が釦にならできると言ったのか理解できた。釦は本が好きだ。特にファンタジーの部類が好きなのも、誠はよく知っている。中学生の時、たまに会っては本の話――それから少し家族の話――ばかりしていた。そのときの記憶を引っ張り出して、誠は釦なら適任だと思ったのだろう。


 そして、釦も同意見だ。ミステリか経済小説ばかり読んでいた彼よりも、日々夢の世界へ浸っていた自分の方が想像力はあるだろう。


「習うのは、大変ですか」

「そればかりはなんとも言えません。個人の適性がありますので」


 それでも。


「ありがとうございます。大体はわかりました」


 できる限りのことはやろうと決めたのだ。誠の足手まといにならないように、きちんと妖怪退治をして、そして元の世界に帰りたい。そのために必要な一歩なのだから。


「魔法を、教えてください」


 そう言って、釦は深々と頭を下げた。




「無理。できない」


 夕方、釦は自室の寝具に寝そべりながら泣き言を言った。外ではゴーン、という重厚な鐘の音が響いていて、それがまた悲壮感を増させた。


「ボタン、まだ一日目です。成果が出ないのは当然のことですよ」


 脇に立つナディアが優しく慰めるが、それでも彼女の心は浮上しない。


「それに、まだ素質がないと決まったわけじゃありません。1,2か月してようやく使えるようになる人間も少なくないのですから」

「棒を見つめてひと月……心折れそう」


 そう言って広いベッドの上をゴロゴロと寝転げまわる。


 ナディアが魔法の練習にと持ってきたのは、一本の細い棒だった。何をするのかと釦が問うと、彼女は


「これを切ってください。あなたの手を使わずに」


と無理難題をけしかける。つまり、想像力だけでものの形を変えろ、とこの神官は言ったのだ。


 釦は、あくまでも魔法の存在しない世界からやってきたよそ者で、今まで妄想が現実に干渉した事例など聞いたこともない。そもそも、その大前提からイメージできないため、ものを切るどうこう以前の問題である。常識を壊せ、というのは、言うことは簡単でも行うのは難しい。どうしたって、理性的な部分が「なに馬鹿馬鹿しいこと考えてるの」といって邪魔をする。


 本日の釦の行動は、傍から見れば棒をひたすら眺めつづけていた、それだけ。断面をイメージしても何も起きず、手を振っても変化なし。ヒントを乞うても、ナディアは「下手に助言すると、より難解になる可能性があります」といって頑として教えてくれなかった。


「まだ一日目……」

「魔法の想像方法は人それぞれなのです。私のやり方とボタンのやり方が同じだとは限らない――いえ、ありえないのです。それと同じく、習得する期間も人それぞれ。気長にやっていきたいと思っています」


 多分、釦がこの世界の一般家庭の子供なら、これほど根を詰める必要などないのだろう。だが、彼女はできる限り早く習得して、誠に合流しなくてはならない。それが釦に与えられた役割だから。


「とりあえず、今日はここまでにしましょう。夕食を用意させますね」


 そうして紙飛行機を取り出し、扉を開けて投げ放った。なるほど、こういう使い方もできるのか、と思うと同時に


「え、もう?」


 窓を見遣ると、昨日と同じく空が赤い。元の世界では放課後によく見ていた空模様。普通ならこんな時間に食事はしない。


「ずっと地下室にいたからわかりませんでしたけれど、もう夕襲の時間が近づいてきています。鐘が鳴っていたでしょう」

「あれが、その、時計代わりなの?」


 おずおずと釦が聞くと、ナディアはこくりと頷いた。


「先ほどのは、もうすぐ夕襲だと注意を促す鐘です。国民はできるだけ、妖怪が出歩く前に家へ帰りますから。そのため、大抵の家は夕食が早いのです」


「及川君は……」

「オイカワクン? ……ああ、マコトのことですね。それが何か?」

「彼は、いつもどうしているのですか?」


 妖怪退治をしているのなら、この時間からが活動時刻なのだろう。人が皆避難した後に、彼は一人で危険に身をさらしているというのか。


「彼は――この世界のルールに縛られない、特殊な存在です。私たちの時間軸に彼を当てはめることはできません」

「どういうこと?」

「彼の行動に、誰も文句は言えないということです。いつ帰ろうが食事をしようが、私たちがとやかく言う権利はありません」


 誠は、一体どういう立ち位置なのだろうか。かなり自由の利く身分だということはわかるが。


「私の知っている及川く……誠は、そんな人間じゃなかったんだけど」

「そうですか? 私としては、昨日の彼の方が驚きでした。マコトがあれほど他人に優しくしているところを、見たことがなかったので」


 嘘だ。釦は中学時代の誠を知っている。彼の本質は、もっとずっと優しい。


 そんなことを考えているうちにドアが開き、おいしそうな肉の香りが部屋に広がった。小柄な侍女らしき人は、一礼するとテーブル机の上に綺麗な布を広げ、料理を広げだす。


「私もこちらで食べてもよろしいでしょうか」

「勿論です」


 そういうとナディアは英語で何事かを少女につぶやき、自分の前にも料理を並べさせた。手のひらほどの大きさの鶏肉が蒸されたものと、レタスのサラダ。そして、驚くべきことにご飯までついてきた。


 ヨーロッパ風の世界で、米?


 釦は眼下に置かれている食べ物をまじまじと見つめる。実際は、パエリアなどからもわかる通り、ヨーロッパにも米文化は存在するのだが、そんなことを彼女が考える由もない。釦はただただ自分の考えていた世界との差に驚いていた。


 そんな様子を、ナディアは違う意味でとらえたらしい。「食べられないものがありましたか」と心配そうに聞いてくるので、首を振り「大丈夫です」と答える。ほっとした様子で彼女が目配せをすると、二人きりにしてくれるのか、一礼した後に侍女は退出してくれた。


 おいしそうだし、安心した。この世界は、やはり釦たちを拒んでいない。


「では、いただきます」


 釦がそういうと、ナディアは不思議そうにそれはなんですか、と聞いてきた。


「食前の挨拶です。私の国では食事の前と後に、作り手に感謝の言葉を言うんですよ」

「なるほど、面白いですね。神に祈りをささげないのですか」

「うーん、しいて言うならお米の神様にお礼をする、って感じなのかな。宗教に関しては、あまり細かい規定がないから」


 すると、ナディアは「私の国ではこうします」と祈りの手本を見せてくれる。両手を組み、額へ持っていく。ほとんどキリスト教と変わりのないその所作に、釦は異世界トリップを信じ切れていない自分を感じた。魔法はあるけど、それ以外はほとんど近世ヨーロッパと同じ、か。なんでこんな国が存在するのかはわからないけど、もしかしたら帰るヒントになるかもしれない、そう心に留めておく。それよりも食事だ。


 お互いに準備が整ったところで、香ばしいにおいをたてる鶏肉にフォークを入れた。思った以上に簡単に切れ、そこから茹でられたトマトが顔を出す。随分と凝った仕様である。端的にいうと、とてもおいしそうだ。


 いざ口に入れようとすると、「ボタン」と隣の席から声がかかった。


「はい?」

「食べながらでいいので、あなたの世界のことも教えてくれませんか」

「私の?」


「そして、あなたの知っているマコトのことも」


 まっすぐな瞳で、そう請われた。


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