真新しい死体
「綺麗なあ」
薰は夜空に手を伸ばす。
浅瀬に寝そべり、湯に浸かっていた。
温泉エリアを仕切っている<よしず>の囲い近く。
辺りに人はいない。
湯船は、昼間ほど人は無い。
広い川一面に湯気。
灯籠の黄色い明かりに人影が影絵のように揺れて見える。
「ほんとに。雲1つ無いんだ。星が掴めそうだ」
聖も、手をかざす。
手袋で覆っていない左手も。
……聖には亡き母の手に見える。
……薬指のリングが灯籠の光を反射して僅かに煌めく。
「ほお。セイの左手はめちゃ綺麗やん」
言われてぎょっとする。
まさか薰にも母の手に見えるのかと。
「手袋で守ってるから日に焼けてないんやな。真っ白やな」
「そかな……。川の中で、こんなにゆっくり寝そべって星を見るのは初めてだよ」
聖は、左手をゆっくり降ろした。
「これで酒が飲めたら、もっとええのに。しや(そうや)、セイとこの河原に露天風呂を造ろか。ドラム缶かなんかで。ほんならビール飲みながら湯に浸かって星が見れるで」
「ビールか。……飲みたくなるじゃん」
「飲みたいな。そろそろ出よか」
「うん。終了時間の前に出よう」
脱衣所で水着から浴衣に着替え、コートを羽織ってペンションへと。
同じように、浴衣にコートや綿入り半纏を羽織った宿泊客が、
川辺の道を、そぞろ歩いている。
道すがらコンビニでビール他を購入。
「お帰りなさい」
フロントには女性がいた。
レストランには数人の宿泊客がくつろいでいる。
夕食の時、隣の席にいた3人。
エスターとパールとアニーが、居た。
エスターは座っている。
(背中しか見なかった)
パールとアニーが、エスターの両脇に立ち、顔を覗き込んでいる。
「エスター、しんどいか? 座ってる方が楽か?」
「湯あたりしたんでしょう。気分が良くなったら上がって来て下さいね」
エレベーター(フロント横)を待っている間に、それだけの会話が聞こえた。
聖は、エスターの背中が、頷いている風に動くのを見た。
部屋に戻ったのが22時20分だった。
シャワーを浴びビールを飲んだ。
薰は運転疲れもあってか、一缶飲んだところで
「ええ気持ちや」
と、ベッドに倒れ込んだ。
「カオル、電気消そうか?」
「嫌や、まだ寝るには早い」
「じゃあ、30分くらい寝れば?……起こすから」
「うん。……絶対起こしてや」
30分後、
起こしたが、大鼾。
「ま、いいいか」
聖もベッドに横になり……眠ってしまった。
救急車のサイレンで目が覚めた。
「カオル、近くで止まったみたいだね」
「そんなことより腹減った。コンビニ行こ」
エレベーターで1階へ。
そこで救急隊員の姿が目に入る。
「マオちゃん、マオちゃん、」
悲痛な声。
長身で口ひげの…あの人が狼狽えている。
<エスター>が、テーブルに突っ伏して動かないのを
救急隊員が今、ストレッチャーに乗せようとしている。
チラ見して……聖は目を背けた。
しっかり見てしまえば、
エスターはもう死んでいると、知ってしまうから。
「一度様子を見にきました。11時頃です。『まだ動きたくないですか』って聞いたら、頷いたんです。え?……何も言わなかった。眼ですか? 多分、閉じていたと思います。それから30分くらい経っても、まだ上がって来ない。眠っちゃってるのかと……2人で見に来たんです」
アニーが救助隊員に状況説明している。
興奮からか声が大きい。
「ここにおったら、邪魔になるな」
薰はちょっと立ち止まっただけで、外へ出た。
聖は、ほっとする。
(記憶に染みついた死臭やらの邪気をな、払ったるねん……禊ぎや)
そう言ってたんだ。
また死体と遭遇は避けたい。
エスターは<死人>では無く<病人>と誤認させたい。
しかし、
薰の観察力は聖を上回っていた。
「まだ若いのにな。ぽっくり逝くやなんて、可哀想やなあ」
コンビニから出ると、薰は呟いた。
「あれ?……手遅れみたいだった?」
聖はとぼけた。
「セイ、騒ぎが収まってから戻ろう。そこでビール飲もう」
コンビニ前のベンチと灰皿を指差した。
「セイ、あれは死後1時間の、ご遺体やで」
「せっかく禊ぎしたのに、また見ちゃったね」
薰のテンションが下がってしまう、と予測した。
誕生日企画にケチがついたと。
ところが薰は
「セイ、禊ぎの効果はあったやんか」
笑みを浮かべている。
「……?」
「まだ体温が残っていそうな、さらっぴんの死体やで。臭くない、グロくない。あんな綺麗な死体、現場では滅多に見れない」
「へ?……あ、そうなんだ」
グロくない死体は平気?
もしかして……好き?
謎だけど聞くのはやめた。
推し量るのも、やめた。
計り知れない奴だと再認識したから。
「肘の曲がり方から察すると、左手で胸を押さえてたんやな。死因は心臓や……ヒートショックやろ」
「病死なんだね」
事件でないなら
薰はこれ以上の関心を持たないだろう。
隣のテーブルにいただけの人だし。
言葉を交わしてさえいない。
気味悪い話が聞こえてきただけ。
(ウサギ男を見たと、人に喋ったら死ぬ)
とか。
あれも、結局たいした話ではなかった。
前にも誰かに話したと、本人が呟くのを聞いたから。
「早い段階なら心臓マッサージで助かってたんちゃうか。しゃーないな。連れがおって、知り合いのペンションでも、タイミングが悪かったら人知れず死んでしまうんやな」
「知り合いのペンション?……あ、そっか。男の人が『マオちゃん』って呼んでたね」
「エスターは、むっちりしたホッペタがツムギと似てたで。親戚やろ」
ペンション「TUGE」は家族経営、
夫婦と息子の3人で運営していると、薰は推測。
「寒なってきたな。酒買うてくる」
薰は焼き鳥も買ってきた。
タバコとライターも握ってる。
「部屋は禁煙やんか。俺、ここがええ。眠たくなるまで、ここで飲んどこ」
と、すっかり腰を落ち着けた。
「河原にな、ドラム缶で露天風呂造るやんか。屋根はあった方がええな」
いつの間にやら
ドラム缶風呂の話が具体化している。
「屋根? カオルは星を見たいんだろ?」
「しやった。……真上は穴開けよか。可動式の屋根もええなあ。脱衣所もあった方がええな」
話はふくらみ、酒は美味い。
長い時間つぶしになり、ペンションに戻ったのは午前1時30分。
女性のスタッフがフロントに居た。
レストランは照明が消えている。
「すみません、こんなに遅くなって」
聖は謝った。
「こちらこそ、お騒がせして申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。
泣きはらしたあとのような、悲しげな顔だった。
翌朝、
聖も薫も、早くは起きられなかった。
朝食時間内ギリギリにレストランへ駆け込んだ。
もう誰もいなかった。
「ゆっくり食べて下さい。チェックアウトも10時過ぎても大丈夫ですよ」
女性スタッフに声を掛けられた。
昨夜と違い、何事も無かったかのような明るい笑顔で。
厚切りベーコンと卵サンド。
たっぷりの野菜とヨーグルト。
全部おいしい。
アルコールもすっきり抜けた。
良い気分で駐車場に向かう。
「カミナガレ、さん」
大きな声が追ってきた。
振り向けばツムギがいた。
白シャツに黒ズボン
TUGEのロゴが入ったエンジのエプロン。
側まで来たのに黙っている。
俯いて、もじもじ、してる。
「あ、なにか忘れ物しました?」
聖は聞いた。
ツムギは何も持ってはいないが。
「あ、あの、その手袋、霊感剥製士の神流さん、ですか?」
ツムギは薰に聞いた。
「しやで。どないしんたんや?……顔色悪いやんか」
薰はツムギの肩に手を置いた。
小刻みに震えている、華奢な肩に。




