11-42 夜の散歩(2)
side マクシミリアン
「つまり言い換えれば、エティエンヌ猊下がリディアーヌ派だから、それに迎合するには不都合があるわけですよね?」
「リディアーヌ公女派……」
エティエンヌ猊下がなにやら思案に小首を傾げたが、そう言っても過言ではないと思う。今は気にしないでもらいたい。
「だったら簡単です。私は元ザクセオン籍、一応今もザクセオン籍の、元クロイツェン派の選帝伯です」
枢機卿というのは次期教皇候補であり、帝国でいう所の王や大公達にも匹敵するような位であろう。だがこの禁事棟において、彼らは選帝卿、こちらは選帝伯。皇帝選出権と資格においてはこちらの方が上位である。
マクシミリアンは、ザクセオンの選帝伯という立場でありながら、現状、クロイツェンではなくベルテセーヌ王に二票を投じる立場にあって、ベルテセーヌ派閥の中でもかなり特異な存在である自覚がある。
「エティエンヌ猊下は純ベルテセーヌ派であるリディアーヌ公女に迎合した。であれば如何ですか? テスティーノ猊下。猊下は、純ベルテセーヌ派ではなく、ザクセオンからベルテセーヌへと投じる“マクシミリアン迎合派”としてベルテセーヌに投じてみるというのは」
「……」
「……」
キョトリとした丸い目が一つ、二つと瞬いて、思わずテスティーノ猊下とトレファーノ司教が一つ顔を見合わせ、それからまたマクシミリアンを見る。
それで何の問題もないだろうとばかりにただニコニコと微笑んでいれば、ほら、そう言葉を尽くす必要もなく、もれなくテスティーノ猊下は「はははっ!」と笑い声をあげた。
「まったくっ、なんという乱暴で、しかしなんと魅力のある案なのでしょう!」
「私は聖女であらせられる公女殿下に心酔し、公女の推戴する王に私の二票を預けることにしました。猊下も、旧儀派というからには聖女信仰はおありでしょう。教会に聖女という不文律が存在する以上、猊下が派閥を越えて私と志を同じくし、聖女に票を預ける選択をすることは、教会内のバランスを崩すことにも、猊下の派閥の根幹を揺らすことにもならず、エティエンヌ猊下との迎合という事にもならないのではありませんか? ふむ、我ながら中々の妙案だな。どうですか?」
決して威圧することも強制することもなく、ただニコニコ、ニコニコと教えを乞うかのように問うマクシミリアンに、エティエンヌ猊下の後ろで意味ありげにフィレンツィオが肩をすくめてクツクツ笑う。
あの友人にはマクシミリアンの意図などお見通しだろうが、今は余計なことを言われては困るので無言の圧力をかけておく。もっとも、こんなところで無駄にこちらの意図を砕く様な無意味なふるまいをする友人ではない。
テスティーノ猊下もほどなく、「なんと堂々とした詭弁なのでしょうか」と続けて再び肩を揺らした。
「一見して温厚。言葉に険はなく、この紅茶にはあの蜂蜜があうのでは、などと言わんばかりの口調で……まったく。貴方方は実にバランスのいい公子殿下と公女殿下ですね。公女殿下が暗闇を照らす閃光の如く人々を惹きつける存在なら、貴方はその強すぎる光をじわりとやわらげて陽光のように広げ、人々の興奮や恐怖を宥め諭してゆく。公女殿下の強すぎるご威光に委縮していた私を、なんと少ない言葉と穏やかな物腰で解きほぐすのか」
聖職者は妙に言葉を凝らすものだから、意図が読みづらい。だがこれはきっと悪い反応ではないのではなかろうか。
「ただ、セトーナ派として敗北することとベルテセーヌ派として敗北することとでは重みがまったく違います。旧儀派として、公女殿下がご敗北なさろうとも聖女のご威光に揺るぎはないと断じることができますが、私共聖職者が多く加担すれば、それだけ公女殿下には聖女殿下としてのご威光が高まります。それにもかかわらず敗北してしまえば、一体教会の威光、旧儀派の存在価値はどうなりましょうか」
確かにそれには一理ある。そもそもテスティーノ猊下は今現在、表向きはクロイツェン派である。セトーナ派に寝返ったとしても、現状ではセトーナから皇帝が立つことは無く、敗北したところで旧儀派としての面目がつぶれるわけではない。だがクロイツェン派と拮抗するベルテセーヌ派に移ってなおクロイツェン派に敗北したとなれば、さすがに教会内でのテスティーノ猊下の進退、派閥の存続にも不安が生じよう。
テスティーノ猊下は、「さすがにエティエンヌ卿はそのご覚悟なのでしょうが、私はとても」と言葉を続けたが、それには次期教皇として最も近い場所にいる猊下に対する少しの皮肉もはらんでいるように聞こえた。おそらくこの皇帝戦とは別に、教会内でも次期教皇の座を巡る見定めが始まっているのだろう。
だがその両方を解決する、最も簡単で最も確実な方法が一つだけある。
「論じるまでもないですよ。とても簡単な話です」
もう話は終わったも同然と手を打ったマクシミリアンに、テスティーノ猊下は首を傾げる。
だが一体、何を疑問に思う必要があるだろうか。
「リディは負けませんよ。絶対に」
「……ッ」
詭弁? いいや、違う。これはただの確信だ。
リディアーヌは負けない。大事な友人を蹴落としてでも、必ず自らの王を皇帝にする。
彼女に敗北は似合わないし、有り得ない。漠然と、そんな絶対的な確信がある。
理由なんてない。ただそう思うだけだ。
「はっ、はははっ! まったくっ……貴方という方は!」
「先程猊下は、リディは閃光であり、私はそれをやわらげる陽光であると例えました。ええ。私もまたその閃光に引き付けられ、それを周囲に広めたくて仕方がない、リディに惚れ、引き付けられた一人なです」
「神々にお認めになられた聖女殿下の婿殿は、やはり一味違いますね」
「おっと、いい話を思い出してくださいましたね。あれは私も印象的でした」
ケロリと笑って話を転がして見せたところで、話題は皇帝戦から離れていくが、問題はない。会話をしていればわかる。これは十分に、“落ちた”。
それからはかつて議会で神々を降ろしたリディアーヌの神秘や、教会に伝わる聖女の話などを聞きながら、核心には触れないまま時間を費やした。それ以上の無意味な勧誘も揺さぶりもなく、ただ黙々と、当然のように、“聖女”の素顔について話して差し上げた。
やがてゴォン、ゴォンと響きだした夜の鐘に、そろそろ時間だろうかと誰からともなく腰を浮かせた。
「今宵は実に有意義なお話が聞けました。聖女殿下の学生時代のエピソードとは、まったく貴重なお話しでした」
「まだまだ語りつくせないくらいありますがね」
当たり障りのない言葉を交わしてみたところで、こちらを見てニコリと微笑んだテスティーノ猊下に、もう最初にあったようなよそよそしさはない。
「最終票まで、私の票は動かしません。下手な駆け引きに巻き込まれるのは、今日だけでもう十分ですからね」
ただ去り際にそんなことを言いマクシミリアンの手を固く握ったその顔は、マクシミリアンを満足させるのに十分すぎる言葉だった。
そんなテスティーノ猊下に続けて、「私はまぁ、言うまでもありませんね」と苦笑しながら後ろをついて出て行ったトレファーノ司教の言葉の意味は、きっと明日にでも明らかになるだろう。
今回はトレファーノ司教よりテスティーノ猊下の攻略により時間を割いたが、トレファーノ司教の方はすでにセトーナ派として心は離れかけていたのだ。それでいいと後押しをすれば、十分にこちらに転がりこんでくれた。
これで二票。ヘイツブルグ家の票がこれからどう流れるのかはまだ不透明だが、ひとまずこれで明日はクロイツェンに並ぶ。
「うん、我ながら頑張ったんじゃないかな?」
二人を見送ったところで思わずそうほくそ笑んでいたら、「普通は教え子の成長を喜んだりするんでしょうが」と、アルセール先生の声がした。いつの間にやらこちらにいらしていたようだ。
「貴方の場合、喜ぶよりも“相変わらず”と呆れる心地ですね」
「酷いなぁ、先生。リディを任せるのに頼もしくて仕方がないと、褒めてくれていいんですよ?」
「私はできればそこそこの立場でそこそこの仕事をして、学院などで長く学びを与える方が性に合っています。けれどかつての教え子達が、こうして国の頂点を揺るがす瞬間を、今この目で見たのだと思うと……なるほど、そんなに悪い気はしませんね」
それは質問に応じるというよりも独り言に近い呟きだったけれど、マクシミリアンの頬を緩ませるには十分すぎる独り言だった。
その物言いでは、まるですでに自分やリディアーヌ達の勝利が決まったと言わんばかりではないか。それは物言いこそいけずなものの、最大の誉め言葉である。
「おい。私は手塩にかけた愛弟子をそこそこの立場でそこそこの仕事に甘んじさせるつもりは微塵もないぞ、アルセール」
「……空気を読んでください、猊下」
「読んでたまるものか。お前はすぐにそうやって中枢から逃げたがる」
「……ご心配なさらずとも、本気で距離を置いたりは致しませんよ。ベルテセーヌから皇帝陛下が立ち、ヴァレンティン家がその後見をするというのであれば……私も、黙ってのらりくらりとはしていられませんからね」
「馬鹿もん、そこは嘘でも、お師匠様が教皇になられるのなら、と言っておきなさい」
「……」
どうやら日常らしい師弟のやり取りに一つ肩をすくめつつ、あぁそうか、このアルセール先生を今以上の地位に引っ張り上げるのもまたリディアーヌなのかと納得して苦笑を浮かべた。
ルゼノール家は誰も彼も、リディアーヌに甘過ぎなのだ。嫉妬する。
だがその気持ちも分からないではないので、言い返す言葉は思い浮かばない。
「はぁ。ほら、もう良い時間ですから。マクシミリアン公子は早く東棟にお戻りなさい。一体どうやって帰るつもりなのかは知りませんが……」
そのジロリとした視線は、先程事情説明もなく突然窓から侵入したマクシミリアンに対するあてつけであろうか。勿論、帰り道もアルセール先生の部屋の窓を拝借する予定である。
「じゃあ先生、ちょっと部屋の窓を借りるね」
「私は何も見ていません。さっさとお行きなさい」
そうヒラヒラと手を振られたので、フィレンツィオから行きに着てきたローブを受け取り、エティエンヌ猊下に軽く退席の挨拶をしてから部屋を出た。
さて……ここまでは実に上手くことが進んだ。進んだけれど。
狭い窓を潜り抜け、行きよりさらに濃くなった闇の中に身を投じ、がさがさと木々をかき分けて、威圧的にそびえたつ東棟を仰ぎ見る。
「小聖堂を出るまではいいとして。壁を下りるだけでも冷や冷やしたのに、帰りはこれを上らないといけないわけだよね?」
この高い高い、建物壁を……。
「……」
うん。何というか……これは、素人がすることではないと思うんだよね。今更だけど。
いや、まぁ? 行きに垂らしたロープが今もゆらゆらと風に揺れていて、これを回収しないといけないのは確かで、ついでにこれ以外に人目に付かずに東棟三階のヴァレンティン区域にこそこそ戻る方法もないわけだけど。
いや、でもね。うん、でもね?!
「……ふぅ」
まいったな。無事に帰りついたあかつきには、今日の成果と合わせて、リディアーヌにたっぷりと褒めて甘やかしてもらわないと割に合わない。
うん。そんなご褒美が待っていると思えば、この無骨な縄を体に巻き付け、せっせと壁を上るのも苦には……ぐふん、ごふんっ。まぁ頑張れる。
さぁ、早く帰ろう。早く帰って、こんなに頑張ったのだと愚痴って、そして頭を撫でてもらおう。それを思えば、たとえ壁をよじ上らねばならなかろうが屋根を這わねばならなかろうが、足が止まることは無い。いっそ弾んで歩けるくらいである。
待ってくれている人がいることは、それだけでも大きな恩恵なのである。
だなんて思っていたら、屋根に突き出した物見塔から内部に潜り込もうとしたところでエリジオ・フィンツ卿に遭遇してしまった。
目を覆ったその人に何とも言えぬ重くて長ったらしいため息を吐かれたことは、ただのちょっとした余談である。




