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ザマァ後のこの国をどうしてくれる―亡き王女の悔恨―  作者: 灯月 更夜
第十一章 <帝暦732年春-後半>
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11-41 夜の散歩(1)

side マクシミリアン

 慌ただしい午後が過ぎ去ったその夜、リディアーヌは『今日は大層疲れました』と理由を述べて、晩餐に顔を出すことは無く、マクシミリアンを連れて東棟のヴァレンティン区域へ引っ込んだ。

 そんなリディアーヌがエリオットの部屋という名の鳥小屋風臨時公女府にフィリックやケーリック、フランカと共に押し寄せて、小さなテーブルを囲んで素朴な食事を取りながら、エリオットに『何故こんな私の寝起きしている小部屋に姫様達がいらして食事をしているんでしょう。マーサに知られたら恐ろしいです』などと苦言を吐かれていた頃、マクシミリアンは目立たない暗い色のローブに身を包み、こそこそと屋根伝いに抜け出し、小聖堂へと向かっていた。


 このルートを指示したのは前回同様アセルマン家の二男パトリック氏である。すでに日も落ちた薄暗い屋根の上から、渡されたロープを片手にそろそろと抜け出して、木々の間をせっせと小聖堂に向かう……確かにそんなルートでも無理ではないと証明したのは自分だが、この容赦のないルート指示にはさすがに冷や汗が出た。

 まったく、アセルマン家というやつは……。

 それでも何とか無事に東棟を抜け出して、中央棟を通り過ぎ、小聖堂の裏手にがさごそと出てきたところで、コンコンと手前の部屋の窓を叩く。ゆらりと揺れた中のランプが馴染みのあるアルセール先生の顔をよぎらせる。その先生が何事もなかったかのように窓辺にランプを置いたまま顔を引っ込めたのを見てから、再びこそこそと外壁のとっかかりに足を乗せ、窓枠に飛びつき、薄く開いていた窓の隙間から室内へと滑り込んだ。

 禁事棟はすべて窓が少なく、あっても空気取り程度にしか開かないのだが、小聖堂はそうではないらしい。小さな窓に大きな体を滑り込ませるのはそれなりに窮屈だったが、なんとか室内に入り込んだところで、机の前で書籍を広げて背を向けるアルセール先生が振り返ることは無い。その後ろ姿に一つ手を合わせ、声はかけずにそそくさと扉を目指した。


 部屋を出ると、すぐ右手の階段を上る。この小聖堂には聖騎士が二人ほど番としてついているが、どちらもエティエンヌ猊下の息がかかっているものだから、階段を上ったところで、その先のホールに立っている騎士もこちらを振り返りもせずに無視をする。それを横目に暗い廊下に出て、すぐ傍の部屋に入った。

 アルセール先生の部屋のすぐ上、ただの空き部屋である。だがそこにはすでにエティエンヌ猊下と、そしてその猊下が連れてきたテスティーノ枢機卿と、ザクセオンの聖職者枠であるトレファーノ司教が待ち構えていた。

 彼らは教皇聖下と晩餐を共にするという名目で集まっているはずだが、勿論、ここは小聖堂の食堂でもなければ、聖下もいらっしゃらない。ただテーブルには聖職者仕様の食事が並んでいた。どうやら配膳にと、エティエンヌ猊下がフィレンツィオも連れてきているようだ。


「無事にいらっしゃいましたね、公子殿下」

「いやぁ、骨が折れましたよ」


 パサリとローブをめくったマクシミリアンに、フィレンツィオが甲斐甲斐しくローブを受け取ってくれた。友人に頼むには気が引けなくもないが、今優先すべきは目の前の高位聖職者達である。有難く任せて、猊下に勧められるままに席に着いた。

 そんなマクシミリアンに早速苦笑を浮かべたのは、ザクセオンの聖職者枠であるトレファーノ司教だ。


「昼にはテッサーリ修道士が下手をうったばかり。中央棟の警戒は厳としていましょうに、まったく、貴方は相変わらずですね、殿下」

「城や聖堂を抜け出すのは得意だけど、まさかこんな風に役に立つ日が来るとは思わなかった。あぁ、トレファーノ司教、当然だが今日のことは父上達には内緒で頼むよ」

「勿論です。言いたくても言えませんよ」


 馴染み深い故郷の司教とのやり取りに、どうやら緊張感のある関係ではないらしいと見て取ったテスティーノ枢機卿も面差しをやわらげた。こちらはこちらで元々温厚な人格者である。最初からうるさいことを言うつもりは無かったようだ。

 そうしてひと心地吐いたところで、フィレンツィオが林檎酒を注いでくれると、エティエンヌ猊下がグラスを持ち上げて「歓談を楽しもう」と晩餐会の開始に当たる文言を告げた。

 勿論、晩餐などというのはただの名目である。多少喉を潤し空腹を満たしたところで、すぐに話題は昼間のアンジェッロ司教に関する雑談から、今少し踏み込んだ昨今のクロイツェン派やセトーナ派の動向といった内容に切りかわっていった。

 この内テスティーノ猊下の方は、すでにジャンポール・マシェロン伯を通じて、クロイツェン派を装ってはいるものの旧ベルデラウト系出身として派閥が揺れていることを聞いている。あちらもジャンポールとマクシミリアンが通じていることは聞き及んでいるだろう。直接的に顔を合わせ本心を窺うのは初めてながら、目的は分かっているだろう。

 一方、セトーナ派のトレファーノ司教の方は、すでに揺さぶるためのとっかかりを得ている。


「以前、デルフィン離宮にてセトーナの国王陛下が随分と厳しくアブラーン殿下に苦言をこぼされたとか。この噂は真なのでしょうか」

「事実だね。すぐにコランティーヌ夫人が国王陛下を(たしな)められて、それからヴァレンティン公女がフォローしたけど、私もこの目で殿下を殴打する陛下を目にしたよ。セトーナはどうやら、アブラーン殿下を皇帝候補に出したことに後悔でもあるらしい」

「はぁ……なんということでしょう」


 少々言葉に色を乗せつつ答えたところで、馴染み深いトレファーノ司教はそんなマクシミリアンの性格は百も承知だろう。だが嘘は言っていない。それを汲み取った司教はすぐにも嘆きのため息を吐いた。


「昨今、教会にセトーナ派が増えているのは、セトーナ派を率いていらっしゃるラモーディオ猊下へのご敬愛もさることながら、何かと混乱甚だしいベルテセーヌやフォンクラークとは距離を置きたいという気持ちの表れです。それは殿下もご存じの事でしょう」

「ああ。それに気持ちも分かるよ。だけど本当に混乱甚だしいのはどっちだろうね」

「仰る通りになってまいりましたね。良かれと思っての派閥でしたが、どうしたことか、この目で見ている限り、殿下方のおられるそちらが随分とまとまりがよく思えて羨ましくてなりません」

「私のリディは素敵でしょう?」

「ふふっ。殿下、今私共はそんなお話をしていましたか?」

「ベルテセーヌの急速な安定と団結はリディのおかげだからね」

「なるほど」


 そりゃあ贔屓目が無いとは言わないが、それを差し引いたって、リディアーヌが果たしたベルテセーヌに対する功績は計り知れないだろう。

 もたもたと王位の不安定を正すこともできず内乱を起こしていたベルテセーヌは、リディアーヌ元王女により瞬く間に転換を迎え、新たな王を立て、皇帝候補を立てることに成功した。あと少しでも遅ければこうはなっていなかっただろうし、リディアーヌがありとあらゆる貴顕の居並ぶ場で堂々と自分の立場を明らかにし、皇帝候補などという肩書きを投げ捨てて見せなければ、現状はもっと複雑になっていただろう。

 内心では多くの困難と苦悩を抱えていたであろうに、対外的にそれを感じさせることは無く黙ってついてこいとばかりの求心力を持つのが、マクシミリアンの惚れたリディアーヌである。その存在無くしては、今のベルテセーヌ王だって、大人しく皇帝候補として名を連ねはしていないはずだ。


「それに何より、公女殿下は自ら聖女としてのご自分をお認めになられました。私としてはその点がどうにも気がかりでいたのですが、すっかりとご自分でご精算なさいましたね」


 そう言うのはテスティーノ猊下である。

 東大陸出身のマクシミリアンは、それなりに信仰心は持ち合わせているつもりであったものの、やはり聖女信仰には(うと)く、ヴァレンティンでその神秘に触れたことでようやく急速にこの国の聖女信仰の重要性を実感しているところである。しかしやはり本山所属の聖職者にとって、それは話題に挙げるだけの注目すべき点であったようだ。


「猊下はどこぞの大公閣下のように、リディこそが皇帝候補であるべきだ、などとは仰らないんですね」

「そうですね……本音で申し上げると、もし公女殿下が自ら皇帝候補として名乗りを上げることがあったなら、私に限らず、大半の聖職者が何の愁えもなく公女殿下をご推戴申し上げたでしょうね」

「リディには聞かせられない話ですね。きっと腰に手を当てて深いため息を吐くでしょうから」

「ええ、承知しておりますよ。ですがそれでも……」


 その先を口にすることは無く、ふるふると首を振って噤んだけれど、言わんとしていることは分かった。

 マクシミリアンにとって、出会った頃からヴァレンティンの公女であったリディアーヌは、やはり公女だ。元王女だと聞いて、それを知識として理解しても、やはり彼女は皇帝候補ではなく皇帝を選ぶ者である。だから中々ピンとは来ないが、一部の者達にとってそれが随分と気にかかる事であるのは確からしい。


「それで、テスティーノ猊下。猊下は結局、どこを推すつもりでいらっしゃるんですか?」

「さて……困っているところですね。公子殿下はすでにマシェロン伯から、私の出自についてはお聞き及びでしょうが」

「ええ」

「それを加味した上でも、聖女殿下が推戴なさり、恐らく今後も後見してゆかれるであろうベルテセーヌ王は魅力的です。ただし」


 そういうテスティーノ猊下は、チラリとエティエンヌ猊下へと視線を投げてよこした。

 この二人はさほど意見割れしているとか不仲であるとかの悪い関係性ではないはずだが、その視線には随分と含みがある。その理由はエティエンヌ猊下も承知しているようで、「確かに、バランスとしては良くない」と頷いた。


「バランス、ですか?」

「私は教会本山では教学派のエティエンヌ卿と違い、どちらかというとラモーディオ卿に近い保守派です。ただあちらが保守伝統派であるのに対し、私は旧儀派……まぁ、そうですね。保守派の中ではややエティエンヌ卿の派閥にも近い立場といいましょうか。しかし両派閥間においては中立的な立場でやってきました。それが今更エティエンヌ卿と同派閥に(げい)(ごう)したとなっては、教会内の派閥のバランスに大きな(かたよ)りが出来てしまいます」

「あぁ、なるほど」


 確かに、本山推薦枠の三人の枢機卿らは、セトーナ派、クロイツェン派、ベルテセーヌ派と、バランスを考慮して選ばれている。テスティーノ猊下はあくまでも表向きクロイツェン派であるが、現状ではバランスを考慮して、セトーナでもベルテセーヌでもない皇帝を選ぶつもりでいたのだろうか。あるいは保守派内の派閥であることを思えば、エティエンヌ猊下に迎合するのはまずくとも、ラモーディオ猊下に迎合するのは“アリ”なのかもしれない。


「確かに仰ることにも一理ありそうですが。ですが猊下、旧儀派というくらいですから、猊下の派閥は教会の中でも古い信仰形態に理解のある派閥なのでは?」

「ええ、その通りですよ、公子殿下」

「だとしたら……」


 つまり、と思わず笑みを浮かべたマクシミリアンに、テスティーノ猊下もクスクスと笑い声をあげた。

 ラモーディオ枢機卿の保守伝統派は、安定と、教会が今に至るまで築いてきた“教会教義”への保守派だ。だがテスティーノ猊下の保守旧儀派は、もっと原点時代の教会の意義に復古することを掲げた派閥になる。そのため、保守派の中でも古い教義や経典に関する研究と実践を是とするエティエンヌ猊下の教学派に少し近い系統になるのであろう。

 そして教会の原点時代の姿、旧儀が何であるのかは……そう。すでにリディアーヌが、その身に神々を降臨させ、証明した。


「もしかして、猊下はすでにすっかりと心をベルテセーヌ派に傾けておいでなのでは?」

「誤解はしないでいただきたい、公子殿下。私が心を傾けているのは、あくまでも教会の旧儀を明らかとなさった聖女殿下に対してです。勿論、その聖女がベルテセーヌにご降臨なさってきたという事実は承知していますが」


 つまり、表立ってベルテセーヌ派だと名乗りたいわけではないが、心はすでにベルテセーヌ派と言っているも同然なのではなかろうか。

 リディアーヌとヴァレンティン大公は随分と深刻な顔で、『聖女というのは皇帝戦において良くも悪くも影響力が強いんだ』と頭を抱えていた。それはなるほど、決して大げさなどではなかったのだと実感する。


「その辺、どちらにも所属していない教会の聖職者として、どうなの? トレファーノ司教」

「相変わらず、貴方は軽い物言いで言い辛いことを聞いてきますね、殿下」

「皆からは、私が気軽にこうやって問うものだから、気兼ねせずペラペラ口が滑ってしまうとの評判だよ」

「それっていい意味の評判ですか?」


 思わずフィレンツィオが口を挟んだが、聞かなかったふりをしておいた。


「まぁ、そうですね。我々いち司教らにとっても、それぞれに枢機卿猊下方が派閥を異としておられるのは理想的な構造です。ラモーディオ猊下が揺るぎないセトーナ派であり、エティエンヌ猊下がベルテセーヌ派でいらっしゃる以上、テスティーノ猊下はクロイツェン派でいてくださらねばバランスとして気がかりであるのは確かです。偏りが出来てしまえば我々もそれに影響を受けないわけには参りませんし、それは印象もよくありません」

「そういうものか」


 いまいち教会内のバランスとやらはよく分からない。誰も彼も聖女信仰への厚さは確かなようだから、そのままリディアーヌについてしまえばいいではないかと思わないでもないのだが、しかしそのリディアーヌがベルテセーヌの王女ではなくヴァレンティンの公女であることが、ことを複雑にもしているのだろう。

 ただマクシミリアンとしては、リディアーヌが公女であることを選んだその苦悩と覚悟を良く知っているし、個人的にもリディアーヌには王女ではなく公女でいてもらわねば困る。さすがにベルテセーヌの王女では婿入りさせてはもらえなさそうだからだ。であれば、あまり聖女という存在を頼りにせずに彼らを説得せねばならないわけだ。

 ふむ。では一つ、いつものように()(べん)でも垂れてみようか。






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