11-33 公妃パラメア(1)
フランカに髪を整えてもらい、議会用のドレスに一つ華やかなアルテンレースの肩掛けで華やかさを加えてもらったリディアーヌは、気持ちを切り替え、再びぐるりと廊下を巡って三階西の中央階段ホールへやって来た。
一階から三階まで吹き抜けのホールに大きな階段が備えられているこの東棟の正面扉に面するホールだが、相変わらず一階にしか窓が無いせいで吹き抜けという解放感はほとんどなく、薄暗いシャンデリアだけがぶら下がる暗い吹き抜けだ。その吹き抜けに面して左右に一つずつ騎士の守衛室があり、巡回時以外はその前に警備に騎士が立っている。
階段と吹き抜けの向かい、ホールから少し奥まった場所には二つの扉が並んでいる。北側は目立たないよう装飾が凝らされた深い色の扉。南側はどうぞ開けてけてくださいと言わんばかりの立派で重厚なノワイエの無垢材、両開き扉だ。選議卿らの部屋に使われている扉と同じデザインである。
何しろ古い建物であるせいか、これが無駄に重たい。そもそも公女は自分で扉を開けるだなんてことを早々しないが、これは群を抜いて自分では開けたくない扉である。今日もまた開けたくないですというオーラで扉の前に立ったら、フランカが手を伸ばしかけたところを制したエリオットが開けてくれた。エリオットも、一応淑女であるフランカを気遣ったようである。そのくらい、この扉は重たいのだ。
「一体、誰がどんな密談をするために、こんな重たい扉にしたのかしらね」
「古いヴァレンティンのお城でも、謁見の間と書庫くらいでしかこんな扉は見かけませんよ」
それは歴代ヴァレンティン城主が改装を加えさせてきたからであろう。それにあの城に、この重厚感は似合わない。
一度扉を閉めてしまうと開けるのも煩わしいので、扉を開けたままフランカが整えてくれた室内を見回す。
持ち込んだオイルランプが窓のない部屋とは思えないほど部屋を照らしてくれており、扉と同じノワイエの重たいテーブルも真っ白なクロスに覆われて明るい。簡単に外に花を摘みに行けるような環境ではないので花瓶は置かれていないが、代わりに良く磨かれた銀盆に盛りつけられた果物が香しく、目にも優しい。四角いテーブルは少人数のお茶会には不向きで堅苦しい印象を与えるけれど、添え置かれたクッションや広いテーブルを埋める小物の数々がそれも払拭している。とてもいい設えだ。
「一人なのに、よくやってくれたわね、フランカ」
「有難う御座います。姫様のお席はここですよ。山狼の毛皮に、混血鳥の羽、この柔らかさとこの弾力。イレーヌ商会いちおし、ベルテセーヌ北部産の姫様のお気に入りの最新作でございます。まだ羽もへたれていない一番ふかふかなものですよ」
一体どこの商売人だろうというノリで席をお勧めするフランカのテンションは侍女にあるまじきものだったが、このお気に入りを持ち込んだ功績は大変素晴らしいので、言葉の代わりによしよしとその頭を撫でておいた。
そんなことをしていると、「まぁまぁ、なんて目に優しいお部屋だこと」と、相も変わらず華やかな声色を響かせたコランティーヌ夫人がやって来た。
コランティーヌ夫人属するヘイツブルグはこの三階の南側に区域を与えられており、夫人の部屋は東側、リディアーヌ達の部屋のある並びの、ホールを隔てたすぐ傍に名札があったという。女性とあって警備の近い部屋が割り当てられているのだろう。名札と部屋割りに違いがないなら、夫人もリディアーヌ同様、東側からぐるりと廊下を回ってきたことになる。
しかし夫人は後ろに本日の主賓でもあるパラメア妃をお連れになっていた。どうやら一度わざわざ二階に降りて、ダグナブリク家の区域から夫人と合流し、再び階段を上がって来たらしい。どうりで、南の廊下ではなく中央階段からやってきたわけである。
夫人の方も先程より華やかにショールを纏って煌びやかなブローチをあしらっていらしたが、パラメア妃の方は元々議会のための装いをしていたリディアーヌ達よりもシンプルな、修道女と見まごうばかりの無地のドレスを纏っていらした。
一応裾丈はくるぶしまで完全に隠れる貴婦人の丈であるが、首飾りの一つもなく、髪も簡単に結い上げてリボンを結んだだけだ。それもこれも、侍女を連れているリディアーヌ達と違い、妃殿下には侍女がいないせいだろう。まったく、夫であるダグナブリク公は罪なことをなさった。
もっとも、妃殿下はもとは自分が侍女になってもおかしくはない子爵家出身の夫人である。自分の身の回りの事は最低限自分ででき、ついでに夫の身支度も手伝えているのだから、むしろ関心するべきなのかもしれない。
「ようこそお出で下さいました、妃殿下、コランティーヌ夫人。この通り、うちのフランカが頑張ってくれましたわ。どうぞお入りになって」
すぐに対外用に切り替えて招き入れたリディアーヌに、「私の侍女も連れて入っていいかしら?」と求めたコランティーヌ夫人に「是非」と答え、三人を招き入れた。
パラメア妃には護衛の一人すら着いて来ていない。こういう所が、実にダグナブリクだ。これがヴァレンティンなら、まず側近達がリディアーヌが一人でうろうろするだなんて許さないし、そんな危険なことはさせない。ただおかげで、余計な手間は省けた。
コランティーヌ夫人の侍女は、以前、クロイツェンでも見かけたことのある侍女だった。うちのエステル侍女長と同世代か少し上くらいだろうか。すっとして穏やかな面差しの貴婦人で、コランティーヌ夫人が何かと印象がお強い人物な分、控えめな態度でさっと細かいところをフォローする、寡黙だか気の利いた印象の侍女だ。
今も何と指示をされたわけでもないまま、さっと周囲を確認し、お茶の準備に隣の家事室への扉をくぐったフランカの後を追った。彼女がいればフランカもこのお茶会中、随分と楽になるだろう。ただそのほかにこの部屋には侍従がいないので、客人が揃い重たい扉をきっちりと閉めたエリオットがすかさずテーブルに付き、「不得手で恐縮ですが」と言いながら椅子を引いた。
この無駄に重たい椅子を動かすには、エリオットくらい強靭な方がむしろよかったかもしれない。
「この建物は椅子も扉もどれもこれも、重たくってい嫌になりますわね」
「見た目は美しいですけれど、私も侍女も難儀していますわ」
「妃殿下は如何です?」
「ええ。ですがダグナブリクは寒冷な土地。冷たい風を凌ぐための重厚な扉や窓の少ない作りには慣れています」
まだこの状況に馴染んでいないのか、少し居心地悪そうにしているパラメア妃の緊張を解きほぐそうと、堅苦しい挨拶の代わりに雑談から入ったコランティーヌ夫人に、リディアーヌも便乗する。この建物に関する話題であれば、いくらでも愚痴れる自信があるが、どうやらパラメア妃はそこまで難儀していないようだ。
「ダグナブリクはカクトゥーラと並ぶ豪雪地ですものね」
「おかしいですわね。うちもそれなりの豪雪地帯なはずですけれど、これでもかというほどに窓は大きく、扉は軽量化重視、それどころか何をとち狂ったのか、雪が吹き込む吹き抜けの四阿や塔屋がそこら中にありますわよ?」
緊張をほぐすための軽口のつもりだったのに、パラメア妃には「えっ……」と、心の底からどんびいたような顔をされた。げせぬ。
ただこれは岩肌の山が多く燃料に苦慮するダグナブリクと違い、ヴァレンティンはこれでもかというほどに森林資源が豊富で、燃料に困るということがないからだ。窓が多かろうが風通しがよかろうが、すべて暖炉と火鉢で解決するのがヴァレンティンである。
「私はこの暗さが、どうにも慣れませんわね。中央棟はまだましですけれど、東棟の暗さといったらありません」
「私もです。時間感覚が狂ってしまいます。それにいつもなら机の上にある物がないのも落ち着きません。妃殿下は日中、何をしてお過ごしなのですか?」
「私は侍女代わりでもありますから。少しばかり殿下のお部屋を整えて……あとは部屋で、縫物や編み物をして過ごしていますわ。他に、することもないものですから」
一国の公妃なのだからもう少しそれっぽく振舞ってもいいものだが、この妃に関しては言っても無駄であろう。最初から自分で自分を卑下する方であったし、そもそも今も昔も、どうして自分が公妃なのかと一番疑問を抱いているとも言っていた。
現ダグナブリク公は兄の死により思いがけず辺境公の地位についた方なので、元々選帝侯家育ちでそれを受け入れられた公と違い、公妃なんてものになったのはパラメア妃にとって想定外、まったく自分の人生の予定としてなかった出来事なのである。
風の噂という名のアンジェリカという他人の懐に入るのが上手い妹分が聞きだしてきた内容によると、当初は何度も離縁、あるいは正妃の座を降りることを夫に懇願したという。だが臣下達の余計な介入を拒みたかった辺境公により、強引に正妃の座に据え置かれたのが、このパラメア妃であると。
正直、この夫婦の事はよく分からない。子も持たず、それも求められず、妃殿下らしい振舞いも強要されず、それでもいいとダグナブリク公がこの妃殿下を大事に扱っていることは間違いないだろうが、なんとも一国の国主の在り方としては異質に感じる。
もっともそんなことを言おうものなら、結婚もせず姪と甥の子を溺愛しているうちの養父も相当変わっていると突っ込まれそうだが。
「聞きましてよ。閣下がいつも髪を結わえていらっしゃるリボンは妃殿下の手作りなのだとか。いつも綺麗な刺繍が入っていて、凝っていると思っておりましたら」
「まぁ、そうなのですか? 針を使う淑女らしい嗜みにとんと無縁な私からしてみれば、尊敬しかありませんわ」
多少おべっかを使いながら言ったリディアーヌに、少しだけ妃殿下の口元がほころんだ。
刺繍は東大陸では特に女性の嗜みとして知られているが、西大陸ではそれほどでもない。なのでリディアーヌもその手の嗜みを強要されたことは無かったが、パラメア妃にとってはそれを褒められることは何よりの誉れなのかもしれない。
ただ、自分は西大陸の人間だから、などという甘えはコランティーヌ夫人には通用しなかったらしい。もれなくため息をこぼし、「うら若い淑女がなんてことでしょう」と苦言を吐かれてしまった。
「ヴァレンティンに後継者が少なく、公女殿下がそのお役目を担っておられることは承知しております。しかし淑女たるもの、東大陸なら刺繍、西大陸ならレース編み。そのくらい、やってしかるべきでございますよ」
「うっ……」
思わず言葉に詰まったところで、お茶を注いでいたフランカがクスクスッと肩を揺らして笑ったのを見てしまった。くぅ。
「西大陸ではレースをお編みになるんですか?」
「……幸い、ヴァレンティンにはない慣習です」
「まぁ! ですってよ。貴女、公女殿下のお言葉は真実かしら?」
苦し紛れのリディアーヌが珍しくて興が乗ったのか、夫人がフランカに話を振る。フランカは一瞬チラリとリディアーヌを気にしたようだったが、すぐにニコリと微笑むと、「我が国においては公女様以外の嗜みでございます」と答えた。
まるで公女のような貴い方には必要のないものですと言っているようでもあり、あるいはリディアーヌが興味を持たなかったがゆえに公女の嗜みにはしないというお養父様の溺愛ぶりが慣例を変えたんですとでも言っているようでもあり。その気の利いた答えには、夫人も大いに明るい顔でお笑いになった。
ただ、その手の嗜みに精通しているらしいパラメア妃の様子はあまり芳しくない。少々物事を悪い方向に取りがちな妃殿下なので、自分の趣味を妃殿下らしくないと遠回しに突かれたかのように感じているのかもしれない。
何かと腹を読んでわざと嫌味を言ったり皮肉を言ったりして会話を楽しむリディアーヌとしては、こういうタイプはやりにくくて仕方がない。どんな人にでも共感して優しく寄り添えるアンジェリカとは違うし、何でもかんでも大層明るい笑顔で帳消しにし、かつ相手の反応などまるで気にしないコランティーヌ夫人とも違うのである。
「淑女の嗜みの大先輩として、妃殿下。参考までにお聞きしますが、刺繍と編み物、どちらの方が初心者が始めるのにふさわしいですか?」
「まぁ……興味がおありなのですか?」
「正直、うちの子達は大変優秀なので、わざわざ私が下手な手習いをするよりずっといいと思っていますけれど……淑女の嗜みと言われれば、ぐっと胸に刺さるものがございます。私の選んだ方は、何しろ東大陸の殿方ですから」
「ふふっ。そうでございましたね。ザクセオンの刺繍は大変著名で、私もよく図案の本を取り寄せてもらいますよ。ただあちらは刺繍よりも織物などが淑女の嗜みとして知られているようですが」
「織物……それはまたハードルが上がりましたね」
「ヴァレンティンは織物も著名でございますよね。ダグナブリクでもヴァレンティン産の絨毯は重宝されますし、私も小さなタペストリーの類など、昔からよく集めていました」
どうやら好きなことに関しては饒舌になるようだ。この辺りの話題は正解だったようで、ついでにフランカが最初に選んで淹れてくれた花の香りが心地よいハーブティーが気持ちも和らげたのか、少しずつ妃殿下も強張っていた肩の力を抜いてくれ始めたようだった。
「刺繍も編み物も、教えてくれる人がいれば、始めるのにそんなに難しいものではございませんよ。是非、公子様に差し上げてみてくださいませ」
その手の話は苦手だけれど、妃殿下の気を引くためだけに「下手と笑われないかしら」などとのっていたら、ふとコランティーヌ夫人が思い出したように「そういえばコサージュは上手にお作りになられていましたわね」と言った。




