11-32 裏道探検家
そうして美味しいヴァレンティンの味と気に入ったバターの風味を楽しんだところで、このまま午後の予定まで居座りたい心地を圧して立ち上がる。さすがに何の準備もせず茶会に臨むのは淑女としてあるまじきことなので、部屋で身支度くらいは整えようと思う。
何ならこのまま居座ってしまいそうなくらい寛いでいるフィリックにも、「ほら、貴方も自室に帰りなさい」とせっつく。フランカと違って頑なに主君の前では食事よりも護衛を優先する職業意識の高いエリオットを見ても、開放して食事を取る時間を与えるべきである。
ということで無事にフィリックも追い出したところで、たまたま近くのホールを通過中だったらしい騎士がこちらに視線を向け、そのままピタッと一瞬足を止めた。
こちらも同じように足を止める。
普通なら気になど留めないが、それが見知った顔、エリジオ・フィンツ卿だったからだ。
「あら、ごきげんよう。東棟でお見掛けするのは珍しいわね」
「この辺り一帯も巡回のルートに入っております。どうぞご安心してお過ごしください」
あくまでも職務中とあってか、当たり障りのないことを言いながら一礼したエリジオ卿だったが、空気を読まないということに定評のあるフィリックは「ちょうどいい」などと言いながらそそくさとそちらに歩み寄り、何やらエリジオ卿が困った顔になるようなことをぼそぼそと吹き込んだようだった。
生憎とリディアーヌの耳にまでは届かなかったが、多分大声で話せない内容であることに違いない。ルゼノール家に縁があると知られたのが最後、すでにフィリックにとってエリジオ卿は都合のいい禁事棟内の情報源扱いになっているようだ。
無視して先に部屋に帰っても良かったのだが、つい足を止めたのは少なからず内容が気になったからだろうか。その少しの足止めが、時に、思いがけない出来事との邂逅を生む。
そう。例えば突然すぐ斜め向かいのなんてことのない壁が、ガコンッと変な音を立てて開いたり、あるいはそこからなぜかマクシミリアンが現れたり。
「……」
「あ、リディ」
どうしてこの人はいつもいつも、おかしなところから現れるのだろう。思わずフィリックとエリジオ卿まで振り返り、パチッと目を瞬かせた。
他に人がいなかったのは何よりだが……いや、いる。なぜかマクシミリアンに連れまわされているらしい、若くてひょろりとした見慣れない皇宮騎士の恰好の青年が一人いる。
「えーっと……どちら様?」
「さぁ? “裏”をうろうろしている内に遭遇して、出口探しを手伝ってもらったんだ」
出口……出口?
「公子殿下は、見つけた扉はすべてくぐってみたくなるご性分で?」
思わずエリジオ卿がそう突っ込んだ気持ちはすごくわかる。何しろ彼はすでにマクシミリアンがおかしな場所の隠し扉から出て来るのを三回は目撃しているはずだ。リディアーヌもこれには同意したい心地である。
だがそれに何かを答えるよりも早く、ぐったりしょんぼりしていたはずの騎士がぱっと顔を跳ね上げ、「先輩ッ!」と縋るような声をあげた。
どうやら同じ皇宮付きの騎士でも、エリジオ卿の顔見知り、かつ後輩に当たる騎士だったようだ。変に反目したりしている相手でなかったことは幸いだが、よりにもよって顔見知りというのも何である。
「そちらの方、なんだか泣きそうよ? ミリム、何をしたの?」
「何もしてないよ? ちょっと道が暗くて狭かったせいで落ちたりぶつかったりしたのと、道が無くなって身動きが取れなくなったりはしたけれど」
「落ちたり? 道が無くなったり?」
それは一体どこのアドベンチャーワールドの話だろうか。
それにひしっと先輩に抱きついて安堵に打ちひしがれているあの顔は、困難な道のり云々以前に、そんな場所に突然現れた一国の公子殿下に何かあったら首が飛ぶのではという恐怖心、そして断るに断れない極限状態という三重苦に見舞われていたせいであるように思う。
まったくご愁傷様である。
「裏道探検は貴方の趣味なのかしら?」
「段々と楽しくなりつつある事実は否定できない。今回は下の方で侍従が出入りしている回転扉という実に面白い扉を見つけてしまって、入ったはいいんだけど中々廊下に出られなくってしまってね。とても面白かったよ」
「えぇ、まぁ……我々の通る道を殿下方が通ってはならないなどという規則は確かに無いのですが」
エリジオ卿はそう言ったものの、顔は随分と複雑そうである。
さもありなん。公子含む選議卿達の安全を担わねばならない騎士としてはあまり目につかない場所をうろうろして怪我でもされたら責任問題であるし、そもそもそういった隠し通路を移動することで貴顕の目に触れず仕事をしている使用人達が遭遇したら、動揺してとんでもない大事故を起こしてしまいそうである。今回遭遇したのはたまたま騎士だったからよかったものの、メイドや使用人であればどうなっていたことか。
「今回は彼がいたものの、公女殿下、どうぞあの方をあまりうろうろさせないでください」
最終的にエリジオ卿は、そうマクシミリアンではなくリディアーヌに忠告した。後輩の手前、言葉は厳しめであるようだが、本音は『危険な場所もあれば危険な人に遭遇することもありますから、出歩く際はもっと慎重になった方がいいです』という心配と忠告が含まれているのだろう。
マクシミリアンはいつも何かと言葉を軽くして、さも自分の奔放ぶりのせいだと振舞うところがあるが、おそらく根は真面目な性質である。たまに調子には乗るが、基本的に無意味なことはしない。ちょっと探検してみた、だなんていう軽口とは裏腹に、その一瞬過ぎったひんやりとした微笑の向こうにある狡猾な公子の顔がある。
目端の利くエリジオもそれを感じているのかもしれない。
そんな空気の中、二人の間に割って入るように進み出てきたフィリックが、「大変良いお仕事をしてくださいましたね、公子様」などと言いながらニヤニヤと戻って来た。
こちらはこちらで、まったく隠す気もない顔である。
「これで埋まりきらなかった箇所も埋まりそうです。早速詳しくお聞かせいただきたいのですが」
「いいけど、危険手当は出るんだよね?」
「ふむ。姫様七歳の頃の大変可愛らしいエピソード三選で如何でしょうか」
「買った」
「ごほんッ!!」
この人達、まさかいつもこんな感じでやり取りしているんじゃないだろうな。ちょっと目を離したらすぐにこれなんだから。
「エリジオ卿、このことは他言無用よ。それからそちらの……」
「私から言い聞かせておきます」
「頼りにさせていただきますわ」
取りあえずここで遭遇したのがエリジオ卿で良かった。これ以上は騒ぎを大きくするのも人を集めるのも御免である。この賑わいが広がらないうちに、色々な意味で危険な会話をしているマクシミリアンとフィリックの間に割って入り、エリジオ卿に手綱を握るよう言われたばかりのマクシミリアンの腕を掴んで引っ張り、連れて帰ることにした。
おそらく途中で出会ってしまったあの騎士はイレギュラーだったのだろう。それでいてその騎士を言い含められそうなエリジオ卿がたまたまいたタイミングで、堂々と隠し扉を開けて出てきたのだから……一体マクシミリアンは、どこまで想定していたのだろうか。
「一体貴方のアレコレはどこからどこまでが計画なのかしらね」
「私は特に何か考えているわけでもないのにいいことが起きる幸運体質なんだ」
嘘か本気か分からないけれど、その屈託のないニコリとした微笑みが罠なのだ。肩をすくめながらフィリックの部屋の書斎に連れ込んだところで、喜々とした顔のフィリックが早速机に見取り図を広げだした。
「さぁ、公子様。お話しくださいませ」
「なんか売ってはならない情報を売ってはならない人に話す気分になるね」
えぇ、えぇ、分かるわ。こういう時のフィリックの顔、ちょっとアレですよね。ぞわってしますよね。
しかし結局澱みもなく、迷子だなんて嘘だろうというほどすらすらとフィリックと語らいながら隠し通路と隠し扉の情報を埋めて行くマクシミリアンの背中を見つめながら、リディアーヌは密かな吐息をこぼした。まったく、悪だくみが楽しそうで何よりである。
ただあの二人がそんな話ばかりしているせいだろうか……壁か、天井か、それとも床下か。まるでどこからか誰かにずっと見られているような寒気を感じ、「おかげさまでちっとも落ち着かなくなったわ」と腕をさすった。
フィリック達が言うに、二階と三階、三階と屋根裏、床と天井の間から何気ない壁の隙間まで、何処にどんな通用路があるとも知れないという。
そんな話を聞くと余計にぞわぞわするではないか。今まで聞いた話の中で一番ホラーな心地にさせられてしまった。
ただくしくもそんな悪だくみがお得意な二人のおかげで、この後の計画については大層すんなりと決まったのである。
※ちょっと短すぎ失礼。




