10(最終話) 父の憂い
最終話です。
翌日の朝食の後、ディナシェリアは父親の執務室に呼ばれた。
執務室に入るとソファに案内され、父親と向かい合って座った。
「昨日はいろいろとあったようだな」
ネトビルア公爵は心配そうにディナシェリアの顔色を見ていた。
「はい。ヨーゼンバル王子殿下にもお母様にもたくさんお話が聞けました」
母親のことが出た時点で父親が少し動揺した。
「ああ、その、なんだ…… ジゼリアンナ―ネトビルア公爵夫人―のことなのだが……」
父親の見たことがない様子にディナシェリアは驚いたが、顔には出さずに頷くだけに留めた。
「私は……その……彼女を嫌嫌貰い受けたわけではないぞ」
「は?」
いきなりな話の展開にディナシェリアは理解できなかった。公爵令嬢らしからぬ反応をしてしまい、ディナシェリアは口を手で押さえた。
「ジゼには何度も説明しているのだがな。ジゼの控えめな性格が災いとなって、どうも、私の言葉を慰めだと思っているようなのだ。
私は婚姻前からジゼを美しく聡明な方だと慕っていた。
前国王からジゼを娶るようにと言われたときには、そのまま死んでもいいと思うほど舞い上がった」
ディナシェリアは知らず知らずに口をポカンと開けていた。父親のこれは惚気? 愚痴? とにかく、見たことがない父親の姿だった。
「アハハ」
ディナシェリアは思わず笑ってしまった。
「わ、笑い事ではないのだぞ。これに関してはジゼは本当に頑なで困っているのだ。デートをしても舞い上がっているのは私だけだし。邸内でも、隣にジゼがいることに喜んでいたのは私だけだしな」
父親のしょんぼりとした姿に、ディナシェリアは少しだけ可哀想に思った。
「お母様は婚姻後のことであっても、ちゃんとお父様のことを愛していると仰っていました。
わたくしのことも、『もしヨーゼンバル王子殿下でなくてもお父様お母様のような愛を見つけられただろう』とお話ししてくださいました。
それは、お母様が今とても幸せだからこそ、わたくしにいただけたお言葉だと思いますわ」
父親は赤くなって両手で顔を隠して肘を膝に乗せた。
「そ、そうか。私を愛してくれているか。今、幸せなのか。そうかそうか」
あまりに喜びを出し過ぎて手では隠しきれていない。父親がここまで破顔する姿を見たのは遠い幼い日々だった気がする。
『わたくしが邸内でも感情を表さないことがお父様お母様にも影響していたのかもしれないわ』
ディナシェリアは心を痛めだからこそ幸せにならなくてはと決心した。
「お前には辛い思いをさせてしまったな。次こそはゆっくりと相手を見てそれから婚約をと、考えていたのだがな……」
それは、母親から聞いた父親が身辺調査をしていた相手との話なのだろう。ディナシェリアは父親がそこまで心配してくれていたことにとても嬉しくなった。
ビルマルカスとは会う前から婚約者であった。ビルマルカスを好きかどうかなど考えることもなかった。ビルマルカスの不貞が明るみになるまでは。
そして不貞がわかったとき、ディナシェリアはビルマルカスを愛してはいないことを自覚し、公爵夫人としての責任の全うだけを考えるようになっていたのだ。
『子供さえ愛せればいい。そう思っていたわ』
ディナシェリアはビルマルカスを思い出し少し暗い顔になっていた。
父親はそれを早過ぎる二度目の婚約に不安であるのだと勘違いした。
「国王陛下に願い出て一年ほど待ってもらってもよいのだぞ。
早過ぎる婚約は悪し様に言う輩は絶対におるからな」
ディナシェリアはびっくりして父親の顔を見た。真面目な父親の目に自分が暗い顔をしていたことに気がついた。
「違いますわ。あの……少しだけビルマルカス様のことを思い出しておりました」
「そうか」
ディナシェリアより父親の方が苦々しい顔をした。ディナシェリアはそれを笑ってしまった。父親はハッとして照れていた。
「ヨーゼンバル王子殿下に対して不安はありません。それに、『王子殿下』との婚約ですもの。いつしたとしても悪し様に仰る方はいらっしゃいますわ。
そのような方々より、早期の婚約発表をしてヨーゼンバル王子殿下に王太子殿下となっていただくことが、民の心の安寧に繋がると思いますの。
わたくしどもの婚姻やまたいつか出産などで、国が賑わい、民の心がいつまでも平穏でいてくれることが大切ですわ」
ディナシェリアは余裕の微笑みであった。
「本当にお前は本物の公爵令嬢であるのだな。元王女であるジゼの賜物であろう。
自分の娘としてとても誇らしく思うよ」
「ふふふ。お父様の国への献身的なお心も見ているからでございますよ」
「ふっ。そうか。私も見本になっているか」
父親が自分のために破顔してくれたことに、ディナシェリアは喜びを感じていた。
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それから一週間で婚約発表がされたが、大抵の貴族には、ビルマルカスの不貞もヨーゼンバルの喪に服した時間も知られているので、概ねその点では騒ぎにはならなかった。
騒いだ者の方が『無知で情報収集もままならない愚者である』と判断されてしまったほどであった。
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ネトビルア公爵邸のディナシェリアの部屋のソファテーブルには、山のように貴族名鑑が積まれていた。国内だけでなく、隣国の分も含まれているし、他国から船で来る来賓の分も含まれていた。
アリナとナーダがお茶の準備をして部屋に入ってきた。
「お嬢様。少し休憩になさった方がよろしいですよ」
ナーダは心配そうに声をかけた。
「お嬢様。お約束のお菓子ですわ。お勉強が大変になったときには甘い物ですよ」
アリナはにっこりと笑ってディナシェリアの前に香り高い紅茶を出した。
「そうね。いただくわ」
ディナシェリアは栞を挟んで、名鑑を山の一番上に置いた。
ヨーゼンバルと婚約するということは、ディナシェリアに王妃教育が施されることになるのだ。ディナシェリアはビルマルカスがキャリソーナを連れてきた日には、ヨーゼンバルの婚約者になるのだと覚悟していたことになる。
しかし、その時は覚悟であったが、ヨーゼンバルや両親のお陰で、覚悟から決心に変わっていた。自分のため、ひいては国のための決心なら、自然に頑張れる。
ヨーゼンバルとの婚約からすでに半年が過ぎており、結婚式まで半年となっていた。
結婚式や披露パーティーの招待客はあらかた決定しており、その人たちのことを名鑑で勉強していたのだ。
「マリー様が『また優秀なメイドがランチーリー男爵家からノッスタン公爵家へ戻ってきた』と仰っていましたわ」
ナーダが何ともないことのように話した。ランチーリー男爵家のことは、ディナシェリアにとってすでに一つの貴族家の話でしかない。
「そう。ビルマルカス様は頑張っていらっしゃると聞いているわ。奥様が改心してくださらないのは辛いところでしょうね」
ナーダとアリナが小さく頷いた。
「それにしても、そのようなお話が聞けるほど、マリーはノッスタン公爵家の皆様に可愛がっていただいているようね」
ディナシェリアが満面の笑顔になった。ここ数年、笑顔でも影が見え隠れしていたのを知っているナーダとアリナは、今のディナシェリアを見ると、あれから半年も経っているのにまだ涙ぐむ。
「もう、二人ともっ! わたくしは大丈夫よ。一緒にマリーの幸せを喜んでちょうだいな」
「「はい……はい……」」
二人は喉を詰まらせながら頷いた。
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ヨーゼンバルとディナシェリアの結婚式は他国からの招待客も多く、盛大に執り行われた。国民にも歓迎され、王都の祭騒ぎは一週間も続いた。
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二年後、ディナシェリアが王子を出産したとのニュースが国中に流れ、再び各地でお祭り騒ぎとなった頃、ランチーリー男爵家ではキャリソーナを除くメンバーで家族会議が開かれていた。
猶予まで後一年であるが、総意としてキャリソーナの教育は無理だろうという結論になった。しかし、ランチーリー男爵も男爵子息もビルマルカスの改心と成長を認めていた。
会議の結果、ビルマルカスに男爵位は継がせないものの市井には落とさず、キャリソーナとの間に子をもうけ、ビルマルカスはその子の教育に全てを注ぎ、その子に男爵位を与えることに決めた。
兄はすでに騎士団師団長となり、領地経営より騎士団での仕事を選んだというのも大きい。
ヨーゼンバルにその旨を報告したところ、ビルマルカスとキャリソーナが王都には来ないことを条件に承認された。
ビルマルカスは子供に恥ずかしくない親となるため、さらに努力した。
キャリソーナはマナーなどの勉学は諦めたものの、従来の明るさで領民との関係はよく、男爵家の者というより平民に近い状況で元気に暮らしていった。子供の教育については父親とビルマルカスに任せたものの、愛情を持って子供たちと接した。
二人は一男一女をもうけた。男の子はビルマルカスが教育し、女の子にはノッスタン公爵家のメイドを呼び家庭教師をしてもらった。
二人とも男爵家の者とは思えぬほどの知識と教養を身に付けたが、キャリソーナを無下にすることはなかった。
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ヨーゼンバルの治世はとても安定し、国の隅々まで治安のよい国となった。それもこれも二大公爵家が、多大な収益により多大な税金を納めたからだ。
特に、新しいノッスタン公爵閣下―ザクダイト―は知識が大変豊富で、海洋にも詳しく、海に面していたノッスタン公爵家は貿易でも栄えた。
それを機に、鉱物のある山を完全にネトビルア公爵家に委譲し、そのおかげでネトビルア公爵家も栄えた。ネトビルア公爵家は、そのノッスタン公爵閣下の『鉱物はいつかなくなります』とのアドバイスで、林業にも確実に出資していき将来的にも安定を目指している。
そして、ヨーゼンバルは、その税金を己の贅沢に使うのではなく治安と教育に力と金を注いだ。
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数十年後、春うららかな離宮、いや、離宮の離れの小さな館では、いつまでも仲睦まじい元国王と元王妃が、自分たちで手入れをした庭を見ながらゆっくりとお茶を楽しんでいた。
「シェリー。明日から孫たちが来るな。釣り道具の手入れでもしよう」
「ふふふ、あの子達が来てくださるのは嬉しいですわねぇ。
ナーダ。後でケーキでも焼いておきましょう」
「はい。奥様」
倹約を好む元国王夫妻は使用人を三人しか置かず、日々の生活を楽しんでいた。
〜 fin 〜
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