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門番、魔王軍と交渉する〜ハズレジョブでも、話を聞く奴が世界を動かす〜  作者: ハル
門番、世界と話す

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187/233

第187話「連れて行かない理由」

「なぜダメなんだ」


ゴブはもう一度、同じことを言った。


声を荒らげたわけじゃない。三年前なら、こいつはもっと甲高い声で、もっと早口で詰め寄ってきた。今は違う。低く、ゆっくりと、門番の声で言う。だからこそ、本気だとわかる。


俺は囲炉裏の灰を火箸でならしながら、すぐには答えなかった。朝の冷気が小屋の隙間から忍び込んで、足の指先が冷たい。茶はもう冷めきっている。ガレスは部屋の隅で腕を組んだまま、こちらを見ないようにしていた。見ないふりが、いちばん聞いている男の姿勢だ。


「ゴブ」


俺は火箸を置いた。


「お前は今、第七迷宮の門番だ。王国公認の。書類にもそう書いてある」


「知ってる。だから何だ」


「人類連合は、その書類を欲しがってる」


ゴブの眉が、わずかに動いた。


俺は冷めた茶をひとくち飲んで、続けた。


「考えてみてくれ。俺が査問会に出る。隣に、魔物の門番を一匹連れて立つ。連合の議員たちはそれを見て何を思う?『脅威に指定された男が、議会に魔物を連れ込んだ』——そう書く。そう叫ぶ。そう記録に残す」


「俺は脅したりしない」


「お前が一言もしゃべらなくてもだ」


俺はゴブの目を見た。


「お前がそこに立っているだけで、絵が完成する。『人類最大の脅威が、魔物を従えて人類の議会に乗り込んだ』——連合がいちばん欲しがっている絵だ。俺が言葉でどれだけ平和を語っても、その一枚の絵が全部ひっくり返す」


ゴブは黙った。


囲炉裏の薪が、ぱちりと爆ぜた。



 



「……俺は」


ゴブが、ぽつりと言った。


「俺は、レンを守りたかった。それだけだ」


俺はその言葉を、すぐには受け取らなかった。受け取ってしまったら、たぶん連れて行くと言ってしまう。こいつの「守りたい」は、三年前にドランがこいつに遺した「ゴブを頼む」と、同じ重さでできている。


「わかってる」


俺は言った。


「わかってる。だからこそ、置いていく」


「意味がわからない」


「お前が俺を守るいちばん確実な方法は、ここに残ることだ」


ゴブが顔を上げた。


「いいか。俺が査問会で何を言おうと、向こうは最後にこう問う。『その平和は本物か。証拠はあるか』ってな。そのとき、証拠はこの第七迷宮しかない。三年間、溢出ゼロ。魔物と人間が同じ門をくぐって、誰も死んでいない。それを守ってる門番が、ここにいる——その事実が、俺の言葉の後ろ盾になる」


俺は灰の上に、指で小さく丸を描いた。


「お前がここを空けたら、後ろ盾が消える。連合は『ほら、門番が逃げた。やっぱり魔物は信用できない』と言うだろう。お前は、俺の隣じゃなく、ここにいることで俺を守るんだ」


ゴブは、長いこと黙っていた。


火が顔を照らして、その目が赤く見えた。煙のせいか、別のせいか、俺にはわからない。聞かないでおいた。聞かなくていいことも、世の中にはある。


「……ずるいぞ、レン」


ゴブが、かすれた声で言った。


「残れって言うのに、それがいちばん大事な役目だって言い方をする。断れないじゃないか」


「断ってくれてもいい」


「断らない」


ゴブは袖で、ぐいと目元をこすった。門番の顔に戻ろうとして、半分しか戻れていない顔で、こう言った。


「……まあ、聞いてから、判断する。レンの言うことを、全部聞いてからだ」


俺は、少しだけ笑った。


こいつが俺の口癖を、こいつのやり方で言うようになって、もうずいぶん経つ。最初は真似だった。今は、ちゃんとこいつ自身の言葉になっている。「聞いてから判断する」と言うとき、ゴブはもう、ただ俺をなぞっているんじゃない。自分の頭で、聞いて、決めている。


それで、いい。


「ありがとう、ゴブ」


「礼を言うな。腹が立つ」


ゴブはそっぽを向いた。けれど門の方へは行かず、囲炉裏のそばに座り直した。まだ、もう少し、ここにいるつもりらしい。



 



「賢い判断だ」


部屋の隅で、ガレスが初めて口を開いた。


連合最強と謳われた重騎士が、ゴブリンの小屋の壁に背を預けて、低く言う。


「魔物を連れて議会に立てば、貴公は一言も発する前に終わっていた。連中は……そういう絵を、何百枚も用意して待っている」


「経験者の言葉ですか」


「私も、その絵を信じていた側だ」


ガレスは自嘲するように口の端を歪めた。十二人の名は、まだ俺に渡されていない。渡すには、こいつにはまだ時間がいる。俺は急がせない。急がせて聞き出す名前に、意味はない。


そのときだった。


部屋の空気が、ふっと震えた。


俺の中の——いや、もう俺の中にはない。三年前にカイルへ渡したスキルの、その向こう側から、声が届く。第七迷宮の核を通して、カイルの『迷宮管理』が俺に届く回線。普段は使わない。使うのは、急ぎのときだけだ。


『レン。聞こえるか』


カイルの声だった。


「聞こえてる」


『査問の数字を送る。今朝、更新された』


俺の視界の端に、見慣れない、けれど忘れたくても忘れられない表示が浮かんだ。カイルが転送してくる、連合査問会の集計。


【査問集計:賛成97/反対18/保留12】

【出頭期限まで:残り29日】


九十七。


三年間、誰も死ななかった平和の上で、九十七の国が、俺を消すべきだと言っている。過半数は六十四。とっくに超えている。数字だけ見れば、もう終わっている話だ。


「変わってないな」


俺は言った。


『変わってない。一票も動いてない』


カイルの声には、いつもの軽口がなかった。


『……レン。本部に問い合わせた。査問会への同行者の規定だ。被指定者は、王国公認の調停者を一名、補佐として帯同できる。これは連合自身が作った規則だ。連中も、消し忘れてた』


俺は、その意味を一拍遅れて理解した。


「カイル」


『ゴブは連れて行けない。お前の言う通りだ。魔物を連れたら絵が完成する。でも——人間の調停者なら、絵にならない。むしろ連中の規則の内側だ。文句の付けようがない』


「お前」


『俺が行く』


カイルは、言い切った。


『お前の補佐として、俺が査問会に立つ。スキルを持った二代目調停者が、初代の隣に立つ。連中の規則に従って、堂々とな』


「カイル、お前にもリスクが——」


『あるに決まってる』


声が、少しだけ笑った。


『でもな、レン。三年前のことを、ずっと考えてた。最初にゴブがお前の扉を叩いた夜のことだ。あのとき俺は、扉を叩かれる側ですらなかった。叩く勇気も、開ける勇気もなかった。ただ、お前を見てただけだ』


煙が一筋、天井へ昇っていく。ゴブが、息を詰めてこちらを見ていた。


『今度は、逆だ』


カイルは言った。


『今度は俺が行く。今度は——俺がお前の扉を叩く側だ』

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