医療ドラマと若人の悩み-1
外傷性ショック(大ケガ)に対する描写があります。苦手な方はご注意ください。
救急車のサイレンが響く。
「トラウマコール」
病院内に響くアナウンスに私はすぐさま立ち上がった。夕方に差し掛かろうとするちょうど境目の時間に、私は救急外来に蘇生薬の入った薬箱を持って駆けつける。救急車から運び出されたのは、セーラーを身に着けた少女。おそらく高校生だろうか。しかしその四肢は悲惨なことになっている。あらぬ方向へ折れ曲がっていた。担架に乗せられた少女の手足はひとまず包帯で固定されていた。口から飛び出しそうな悲鳴は、なんとか喉奥に押し込められた。
「あー、きっと飛び降りね……」
隣でベテラン看護師たちが状況の推測――もとい、噂話をしている。状況的に一目瞭然なのにわざわざ患者の噂をしているのは、私的にあまり気分の良いものではなかった。
「この患者のCTを、至急撮ってもらえる?」
「はい、急ぎで進めます」
救急医と検査技師が連携して、CT室へと患者を運ぶ。急ぎレントゲンを撮影し、その結果を救急医が確認する。救急医は外科のドクターへ連絡をとり、やがて時計を確認した。
「内蔵の損傷はそれほどひどくはないな。まずはショック状態の回復か。今が17時15分ってことは、ここに搬送されてきたのは約30分前か……」
救急医の口角がぼんやりと広がる。しばらくして、当直担当の外科医が外来にやってきた。私は思わず目を丸くした。
「小鳩先生……!」
天才外科医、小鳩莉子。7C病棟の一件にてお世話になったドクターだ。小鳩先生は救急医から印刷されたカルテを受け取ると、情報を確認する。
「今日遅番だからこのまま私が受け持つわ。これだとショックから回復した次は整形に回されるでしょ?」
「ええ、そうですね。……小鳩先生、お願いします」
若干悔しそうな表情で救急医は頭を下げた。
「あら、空井さんも来ていたの?」
ちょうど私と目が合う。いや、合ってしまった。かたや天才医師、対して私は……言ってしまえば新米薬剤師。7Cで物申してしまったせいで、若干気まずく感じる。
「……はい。ちょうど近くにいたので、薬箱を運んできたところです」
薬箱の中身は心肺蘇生のアドレナリンや輸液セット、痙攣予防のミダゾラム等々、ショック状態に対処できるような薬が多く積み込まれている。
今回使うことになるのは、主に電解質と乳酸の入った乳酸リンゲル液。
「それじゃあ、ラクテックでまず容量負荷をお願い」
私は小鳩先生の指示で箱から輸液を取り出してアルコール綿で表面を拭う。そして注射針と一緒に看護師へ手渡した。外傷性ショック後は血圧も下がる上、体内のミネラル諸共のバランスが悪化する。そのため、なるべく早めに低下した血圧を元に戻していきたいところだ。
看護師は輸液をルートに繋ぎ、軽く湯せんする。冷たいままの輸液では低体温症を誘発しかねないため、湯せん――とにかく、温めることが大事だ。
輸液バッグを温める様子をじっと眺めていると、小鳩先生が私に質問をしてきた。
「空井さん。出血性ショックなら末梢から投与するとき、最初は早めで投与するじゃない? この患者さん、かなり血圧が下がっているみたいでねー、空井さんは何リットル必要だと思う?」
そ、そんなこと新人に言われましても……。
そして、小鳩先生の顔を見て気づく。この人の目は笑っていない。目力に圧があるような感覚。きっと私が生意気をはたらいてしまったためだろう。
流石に急ぎの状況で新人にこんな質問をするなんて何かの冗談だと思いたい。
「それで、この輸液は何リットル必要かな? 新人の空井さん?」
前言撤回。この人の目は本気だ。
「ええとね空井さん。……別にあの一件を怒っているわけではないの。私は貴女の将来に期待しているから、だから質問しているのよ。この症例なら私の手にかかればちょちょいのちょいだから。さあ、答えてみて?」
――二度目の前言撤回。
「私は――まず急速投与で1リットルの輸液を投与するべきだと思います!」
「大正解」
看護師から渡された温い輸液を小鳩先生は受け取ると、完璧な手技で患者に投与していく。無駄のない御業に私の目は奪われていった。
【用語解説】
・トラウマコール
主に救急車で運ばれる患者に使われるサイン。具体的には事故などで身体を損傷した患者に対して急ぎ処置を行うために医療従事者を呼び集めることを目的とする。
・アドレナリン(エピネフリン)
血圧調節をつかさどるホルモンの一種。薬としても用いられているが、常に一定量のアドレナリンが人の体内にも存在している。アドレナリンは少量でも血圧を一気に上げてしまうため、注射で投与する際は投与速度に細心の注意を払う必要がある。
・ミダゾラム
ベンゾジアゼピン系とよばれる向精神薬の一種(抗てんかん薬)。救急の現場では子供の熱性けいれんの治療などに用いられている。
・ラクテック
別名、乳酸リンゲル液。これは血管を流れる血液と同じ圧力(浸透圧)の輸液であり、ナトリウムなどのミネラルのほか、乳酸イオンを含んでいる。よく生理食塩水(生食)という言葉を耳にするかもしれないが、つまりは生理食塩水と同じ圧力(浸透圧)だということ。乳酸はいずれ肝臓で炭酸水素イオンに変換(代謝)され、中性よりも若干アルカリ性へ傾くことになる。そのため、アシドーシスの是正にも用いられることがある。




