医療ドラマと期待の新人-3
私は、薬に関して若干のトラウマがある。幼い頃、それも小学校に入学する前、私は苦い薬がとても苦手だった。風邪をひいた時に飲む抗生物質が苦く、いつも吐き出していた。
実際に味覚が苦かった体験が、今になって脳裏に過る。
「はぁ……。味わいたくないぃ」
目の前には使用期限切れの粉薬が。私たちはこの抗生物質を子供に飲ませる際、親御さんにオレンジジュースや清涼飲料水はダメだと伝えている。粉薬の味を感じにくくするためのコーティングが酸によってはがれ落ちてしまうからだ。薬局長が期限切れの薬を味見しようだなんて言い出さなければ、こうしてクラリスを自分が飲むことなんてなかったはずだ。
薬局長が「子供の気持ちを味わうためだ」とセリフを付け足した頃には、私の逃げ場は消えていた。
「それじゃあ、このオレンジジュースで飲もうか!」
「ええー! それは味覚的によくないですよ瀬戸さん」
院内薬局のトップ、瀬戸康久。患者の服薬状況を向上させることにおいて、彼の右に出る者はいない。瀬戸薬局長は患者の話を聞くスペシャリストだが、若干の変わり者だ。変わり者であるゆえんは……目の前の粉薬にオレンジジュースが注がれた時点で大分察した。期限切れの薬を味見することに関しては実習生の頃に禁酒薬のシアナミドを試飲したくらいしかない。シアナミドですらかなり苦味とえぐみがあったのだから、クラリスはその比ではないだろう。
「瀬戸さん。これ、本当に飲むんですか……」
「もちろん。辛い条件で飲んでこそ、患者の気持ちが分かるものだよ」
「はぁい……」
コップに注がれたオレンジジュース……と、その中に溶け込んだ抗生物質。橙色の飲み物のはずが、どす黒い色に見えてくる。もうじき一時間の休憩が回ってくるはずなのに、これでは休憩をいただくことができなくなってしまう。
「空井さん、喉渇いてない? 喉を潤すつもりで、ぐいっと飲んでみようか」
「に、苦いのはちょっと……!」
薬局長の期待の眼差しに、私は断ることができなかった。
……コップの中身をぐいっと呷ってからのことは、正直よく覚えていない。覚えていることをふたつほど挙げると、舌の上がビリビリしていたことと、心配そうに顔を覗き込んでいる齋藤さんが見えたことくらいだ。
「おーい、大丈夫か?」
「ハッ! 私は、何を……」
一瞬の間、意識がトリップしていたようで、誰かの声掛けで元に戻る。慌てて時計を確認すると、時刻は午前11時35分。5分も休憩時間が無駄になってしまった。私は急いでコンビニ弁当を買いに行った。
「はあ、大変な目にあった……」
「空井さん、多分気を失ってたよね。突然だったからびっくりしちゃって」
私が休憩をとっていると、同期の小山さんがとなりのデスクに腰掛ける。彼女もちょうど休憩時間のようだ。コンビニで買ったと思われるフルーツサンドを2パック机に並べていた。
「小山さん、それはむしろおやつに入るんじゃ……」
「え? フルーツサンドならおやつじゃなくても無限に食べられるので。よく買うんですよ~」
反射的に、小山さんのお腹のほうに視線が向かってしまう。しかし脂肪は全くなく、ちょっぴり羨ましかった。そんなことを考えている間にもフルーツサンドを食べる手はどんどん早くなっている。
「なんだかすごい、よく食べるんだね……」
「うん、そうだね。沢山食べるほうだとは思うな」
そんな会話をしつつ、私もゴマ塩弁当を食べ進める。
「空井さんはきっと、期待されてるんだと思う」
ご飯を半分ほど平らげたところで小山さんは私に声をかけた。
「期待?」
「そうだよ。あの薬局長は確かに変人って言われてるけど、よほど目をかけてなかったらクラリスをわざわざオレンジジュースに混ぜてまで飲せないと思うんだー」
……本当にそうなのか? 嫌がらせの類ではなく? どうにもこうにも瀬戸薬局長の思惑が見えてこなかった。ぼうっと上辺だけ見つめていると、時計が12時半を示している。
「あ、私そろそろ休憩時間終わりだから行くね!」
「うん、午後もよろしくね~」
私は自分のデスクから離れ、調剤室の方へ移動した。
……ああ、今になって思う。抗生物質にはチョコ味という売り文句は、あながち間違ってないのかもしれない。




