04 回想、魔王
悪意に飲み込まれ姿形すら変質したわたしは、湧き上がる衝動に任せて暴れまわった。
住み慣れた僻地の村は、すぐに地獄さながらの場所になった。
わたしは目に映るすべてのものを壊し、動くものすべてを殺して回った。
誰も、わたしを止めることはできなかった。
「やめろ! やめてくれリコッタ! 元に戻れ!」
フォルさまがわたしの前に立ち塞がった。
その後ろには、血にまみれたお母さまが横たわっていた。
まだ死んではいない。
だが大怪我だ。
そうしたのは、……このわたしだ。
「グルルゥ……」
「どうしたリコッタ! なぜこんな真似を……!」
フォルさまが悲痛な顔で叫んだ。
それをどこか遠い出来事のように見つめる。
わたしの足が勝手に持ち上がり、振り抜かれた。
「ぐあぁ……っ!?」
フォルさまが吹き飛んだ。
したたかに壁に激突したフォルさまは、そのまま動かなくなった。
でもまだ胸が荒く上下している。
死んだわけではない。
わたしは気を失ったフォルさまに歩み寄り、もう一度前足を持ち上げた。
今度はフォルさまの頭を踏み潰そうと狙いを定める。
(だめ……! だめ……! それだけは……っ!)
祈るように願う。
強く、強く。
私は前足をなんとか地面に降ろして、その場を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
魔王へと変じたわたしは、来る日も来る日も暴れまわった。
目の前にはいつも、阿鼻叫喚の地獄絵図が描き出された。
ぼんやりと薄く掠れた意識を通じて、その光景を見せつけられる日々。
わたしは願い続けた。
誰か……。
誰か止めて。
それが敵わないのなら……。
いっそ殺してください。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
今日もわたしは、吐き気を催すような凄惨な光景を見せつけられながら祈る。
フォルさま。
早く勇者に目覚めてください。
そして、わたしを殺しに来てください……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
暴れ続けてしばらくした頃、フォルさまが再びわたしの前に立ちはだかった。
ようやく待ち望んだこの時が来たのだ。
お母さまはどうなっただろうか。
死んでしまったりはしていないだろうか。
どうぞ仇を討ってください。
これでささやかな願いが叶いました。
もし相手を選べるのなら、わたしはフォルさまに殺してもらいたかったから……。
「グルゥ……ッ」
最後の精神力を振り絞った。
内から湧き上がる衝動を堰き止めながら、
ゆっくりとフォルさまの前に首を差し出す。
フォルさまがわたしの眼前に手を翳した。
「……待たせたな、リコッタ。辛かったろう」
従魔契約の魔法陣が虚空に現れ、光り輝く。
フォルさまは勇者を諦め、ビーストテイマーになっていた。
わたしはハッとした。
勇者じゃない!?
どうして!?
あんなにも勇者に焦がれていたのに!?
勇者になってわたしを殺してくれるんじゃないのですか!?
「勇者が魔王を、……お前を殺すものなら、そんなものにはならん!」
思わず震えた。
フォルさまは、わたしのために勇者を諦めたのだ。
「俺はビーストテイマー! リコッタよ、契約を受け入れろ。俺の……従魔となれ!」
フォルさまの命令なのだ。
戸惑いながらも契約を結ぶべく、意識を強く集中する。
でも従魔となったところで、魔王の悪意が収まる訳ではない。
主人たるビーストテイマーをも食い殺し、暴れ続けるに違いない。
それにどれだけわたしがフォルさまに隷属しようと頑張っても、魔王がそれを許さない。
従魔契約なんて仮に一時結ばれても、きっと数分で消し飛んでしまう。
契約の光が眩く光り輝き、集束していく。
フォルさまが苦痛に喘ぎ始めた。
それもそうだ。
魔王たるわたしを従えるなんて、そもそもが無茶なのだ。
たとえそれが僅かな時間とはいえ、無理を押し通せば激しい苦痛に襲われるのは必然だ。
わたしの胸に従魔の証が刻まれた。
フォルさまが血反吐を吐く。
刻まれた従魔印。
それは従魔を縛る隷属の楔だ。
ビーストテイマーはこの印に宿る契約の力により、己が従魔にどんな命令でも3度だけ命じることが可能となる。
フォルさまはこの力で、わたしが隷属している僅かなうちに、自害でも命じようというのだろうか。
……わたしはそれで構わない。
でも果たして魔王と化した今のわたしに、たとえ従魔印といえど、その力が通用するのものなのか。
フォルさまが真っ直ぐにわたしの瞳を見据えた。
「……がはっ。たくさん、調べたんだぞ? ない頭も捻った。ま、魔王は力の一部を別の生物に譲渡して、自らに従う魔人にすることができるらしいな?」
その通りだ。
魔王に堕ちたわたしには、本能的にそれがわかる。
でもそれがどうしたっていうのだろう?
「くく、まるでビーストテイマーだ」
再びフォルさまが吐血した。
「ぐぅぅ……。だ、だから俺は考えたんだ。それならこうすれば、お前を救えるかもしれないってな!」
フォルさまが、わたしに向けて手をかざした。
「……ビーストテイマーたる俺が、従魔印を持って命じる! 我が従魔リコッタよ! お前の内に眠る魔王の力を『余さず』この俺に寄越せ!」
ビクンと体が震えた。
破滅を望む内なる魂が、従魔印の強制力と激しくせめぎ合う。
微かにわたしから漏れだした力が、フォルさまに吸い込まれていく。
「グ、グルゥゥ……」
「ぐ、ぐは……っ。従魔印の力を持って、重ねて命じる! リコッタよ! 魔王の力をひとつ残らず俺に委ねろ! 悪意の魂よ! リコッタを解放しやがれ! それはこの俺のものだ!」
体内で魔王の悪意が、フォルさまを殺そうと暴れ出した。
わたしがそれを無理やり抑え込む。
力が少しずつ外へと溢れ始めた。
黒い瘴気が噴出し、凶悪な魔獣の姿に変じたわたしから、フォルさまに流れ込んでいく。
「がはぁっ! ま、まだまだぁ! こ、この程度、どうということもないわ!」
「グルゥ……ッ!? グギギギィ……ッ!?」
激しく抵抗していた魔王の悪意が、迷い始めた。
蠢き、抵抗しながらも、目の前の男を新たなる魔王となすべきか、御せる器かどうか見定めはじめる。
天秤が傾き始めた。
だがあと一押しが足りていない。
なにかが力の移譲をとどまらせている。
きっとそれは、わたしの迷いだ。
すべての力をフォルさまに移せば、おそらくわたしは元に戻ることができる。
でもそうしたら、今度はフォルさまが……!
「ぐぐぅ……! 魔王の悪意とはこの程度か! 大したことはないなぁ! じゅ、従魔印の力を持って、三度命じる! リコッタ! すべての力を俺に譲れ!」
「グルゥ……ッ!(フォル、さま……。でもっ!)」
「ふ、ふはは……。ようやく話したなリコッタ! 心配するな! 俺はこんなちゃちな悪意に負けたりはせん! 戻ってこい! お前はすべてを、この俺に託せばいいのだ!」
「グ、グルァアアアアアッ!(フォ、フォルさまああああああ!)」
堤防が決壊した。
魔王の力が残らず、わたしから失われていく。
フォルさまとわたしを黒い瘴気が包み込んだ。
「ぐぅ! ぐおおおおおおおお! 魔王! お前は黙って俺に従えええええええええ!」
天地が激しく明滅する。
せめぎ合う魔王の悪意とフォルさまの意思。
「あああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっつ!」
咆哮が大地に轟いた。
瘴気がフォルさまに吸い込まれ、消えていく。
辺りを黒く染め上げていた瘴気が収まった。
いくらかの時間が過ぎた。
どうやらわたしは倒れているようだ。
「……うぅ。……わたしは? はっ!? フォルさま! フォルさまはどこなのですか!?」
周囲を見回す。
すぐそばで倒れているフォルさまを見つけ、抱え起こした。
「……ん、……んんぅ」
「フォルさま! フォルさま! 目を開けてください!」
胸に抱いたフォルさまがゆっくりと瞳を開いた。
瞳は虚ろで、正気を保っているかは定かではない。
フォルさまが何度か瞬きをした。
瞳に光が戻り、覗き込むわたしを見上げ返してくる。
「…………誰だ、お前は?」
「ひどっ!? 酷いのですよ、フォルさま! リコッタに決まっているのです!」
「はぁ? リコッタ……? お前、人間だろ? だが、あれ? 頭に耳が……」
戸惑う様子を無視して、わたしはフォルさまに抱き着いた。
「おぶっ……!? なにをするのだ! 離せ、小娘! こらっ、泣くな!」
そのままわんわん泣き出してしまう。
そんなわたしの頭にぽふっと手を置いて、フォルさまは困ったように眉間に眉を寄せて、あやしてくれた。




