02 温泉はぽかぽかで気持ちがいい
温泉宿へとやってきた。
ここは王国僻地の有名な温泉地だ。
馬車では少々遠いこの温泉郷も、邪龍姿のモツァレラの背に乗ればひとっ飛びという寸法である。
「……なんじゃ。ぼろっちい宿じゃのう」
開口一番、モツァレラが不満を漏らした。
「なんだお前。リコッタが苦労して予算内で手配したこの宿に、なにか文句があるのか?」
「もっと立派な宿がいいのじゃ! お主らも言うてやれ!」
「僕はこれくらい老朽化が進んでいるほうが好きだぞ? だってわくわくするじゃないか!」
「余は、気にせぬ」
「このお宿は見た感じは少し古いのですけど、温泉やお料理なんかは評判いいのですよ?」
わいわい騒ぎながら旅館の扉をくぐると、仲居さんが寄ってきた。
リコッタが対応する。
「そうそう、みなさん。お部屋は2部屋とってあるのです。男部屋と女部屋なのです」
受付を済ませて従魔たちと別れた。
男は俺ひとり。
せっかくの旅行だというのに、すこし寂しい。
世話係もいたほうが便利だし、リコッタだけでも俺の部屋に泊めようか?
……いや止めておこう。
モツァレラあたりに、なにを言われるか分からん。
「おお……。案外、良い部屋ではないか」
俺に割り当てられた部屋は6畳間だった。
ちゃんと広縁もある。
少々古さは感じられるが、綺麗に掃除が行き届いて気分がいい。
手狭だが、ひとりなら十分だ。
逆に従魔どもはきゅうきゅうだろう。
女部屋も同じ間取りで、そこに4人だからな。
「じゃあさっそく。麦酒、麦酒……」
魔法冷蔵庫を開いて麦酒の瓶を取り出す。
瓶とグラスを手に、広縁の椅子に座った。
「ほう。眺めも良いな」
この宿は立地的に、少し温泉街の中心から外れた場所にある。
そのおかげで大きく開いた窓からは、小川を挟んで温泉郷が一望できた。
そこかしこで湯煙が上がり、足湯を楽しむ湯治客の姿が遠目に映る。
「んく、んく、んく……、ぷはぁ!」
冷えた麦酒がうまい。
昼日向から飲む酒は最高だ。
それがこのような慰安旅行での酒なら、尚更である。ごくごくと喉を鳴らし、景色を眺めながら麦酒を楽しんだ。
「さて。そろそろ温泉に入るか」
館内着を持って宿の廊下にでる。
これは浴衣とかいう独特な形状の着物だ。
温泉宿では、この着物に着替えて過ごすのが風情なんだとか。
「ふんふんふーん」
軽く酒も入って上機嫌。
鼻歌交じりに廊下を歩いていると、見知った顔に出くわした。
「……ぬ? お前は勇者ペコリーヌ」
「あ、あなたは、フォルマッジョ・クラフトマン!?」
出会った相手は、金髪碧眼の女勇者ペコリーノ・ロマーノだった。
聖女グリュイエールも一緒だ。
声を掛けられた彼女は、驚いた顔で俺を振り返った。
こいつらも慰安旅行だろうか。
「どうしてあなたが、こんなところに!?」
「それはこちらのセリフだ。勇者と聖女ともあろうものが、こんな安宿でなにをしている?」
「安宿って、ここは隠れた名旅館なのよ? お金じゃ買えない満足感があるんだから! あたしもお忍びで、何度も湯治にきてるし」
「そんなことはどうでもいい。それよりそっちの、目つきの悪い聖女はなんだ?」
「はぁ? 目つきが悪い? ルイエが?」
ペコリーノがグリュイエールを振り返る。
するともう彼女は、おっとりとした普段の表情に戻っていた。
なんだこの女?
先ほどまでは、噛み殺さんばかりの勢いで俺を睨みつけておったというのに。
「……目つきが悪いなんてぇ。心外ですよぉ。見間違えじゃないですかぁ?」
よく言うわ、この銀髪乳デカ女。
殺気まで放っておいて、心外もなにもあるまい。
「……ふん。まぁそういうことにしておいてやる」
聖女から視線を外す。
もう一度ペコリーノに、なにをしているのか尋ねた。
「えっと、あたしたちは温泉に浸かりに来ただけよ。この子、ルイエが、用があってしばらく聖国に戻るらしいから、その前に暖まりにね」
「聖国は寒いですからねぇ。……ここで貴方に会ったのはぁ、ほんとに偶然ですよぉ?」
なんでもふたりは温泉旅行を終えて、今からチェックアウトするところらしい。
「おい乳女。聖国へは、なにをしに戻るのだ?」
「……それはぁ、貴女に言う必要の、ないことですぅ。それじゃあペコぉ。行きますよぉ」
「あ、待ちなさいよ、ルイエ!」
彼女たちは背を向けて慌ただしく去っていった。
俺はふたりの背中を見送ってから、再び廊下を歩き始める。
さて、温泉に向うとしよう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ふぉぉ……、最高だ……」
思わず声が漏れてしまう。
肩まで湯船に浸かった俺は、足先から全身の隅々まで染み渡る温泉の熱さに、たまらず顔をほころばせた。
実にいい湯だ。
ここは露天の岩風呂。
澄み渡った青空の下、遠くの風景に目を向ける。
赤茶けた山肌を見せつけるように晒した、どデカい活火山が目に飛び込んできた。
その山頂付近では、ワイバーンの群れがギャアギャアと喚きながら空を舞っている。
あ、いま火口から火の鳥が飛んだ。
なんとも幻想的だ。
壮観な景色を眺めていると、日頃の疲れが熱い温泉の湯に溶けていくような心地がした。
「ふぅぅ……。来てよかったなぁ……」
なんだかんだで俺も、慰安旅行を楽しんでいる。
たまにはこういうのもいいもんだ。
のんびりひとけのない露天風呂。
ゆったりとした時間を楽しんでいると、女湯のほうからカラカラと引き戸を開く音がした。
続いて姦しい声が聞こえてくる。
「わぁ! みなさん見てください! いい景色なのです!」
「ふむ。誰もおらぬのか。余と貴様らだけなのだな」
「不便な立地のせいか、僕たち以外には宿泊客も少ないみたいだしな。でもおかげで露天風呂を占有できるんだし、なんだか得した気分だ」
「妾が一番乗りなのじゃ! とーうぁっ!」
ざぶんと、湯の跳ねる音がする。
どうやら従魔たちが女湯に入ってきたようだ。
「こら、モツァレラ。飛び込んじゃいけないぞ」
「ふふーん! 誰もおらんからいいのじゃー! それよりオスト、お主も飛び込んでみい。気分爽快なのじゃぞー? マルツも早う湯に浸かるのじゃ!」
「ん……。熱いな。なるほど。これが温泉なるものか。はぁ……」
「マルツさんは、温泉初めてなのですか? 気持ちいいですよねぇ。ではわたしも失礼しまして」
ちゃぽんと、ひとが湯に浸かる音がした。
「ふぉぉ……。最高なのですぅ……」
「あぁ……。僕の内側から疲れが流れ出していく……。心地いいなぁ」
従魔たちも温泉を楽しんでいて、なによりだ。
折角連れて来てやったのだし、帰ってからの労働に備えて、思い切りリフレッシュしてもらわんとな。
俺も肩まで湯に浸かり直した。
再び温泉を堪能し始める。
湯船の縁にもたれかかって大空を仰いだ。
体は芯からぽかぽかだ。
のんびりゆったり。
これはちょっと眠たくなってくるな。
……というか少し寝よう。
眠気に任せて瞼を閉じた。
女湯から届く声に無意識に耳を傾ける。
「ふわぁ……。マルツさんのおっぱい、大きいのです。羨ましいのですよー」
「これか? そんなにいいものではなかろう? 余は人化の術を得て間もないが、それでもこの脂肪の塊が、なんの役にも立たぬことくらいわかるぞ」
「ちっちっちぃ。甘いぞマルツ。乳房というものは、役に立つとか立たないで推し量るものではないんだ」
「ほう? ではどのように推し量れと?」
「それはだな……。こうやってえいっ!」
ざぶざぶとお湯を掻き分けて進む音。
続いて、バシャッと勢いのある水音がした。
「触って楽しむんだ! どうだマルツ! ……おお、柔らかいじゃないか!」
「きゃあっ!? オストさん、破廉恥なのですよー!?」
従魔たちがはしゃいでいる。
楽しそうで結構なことだが、これでは騒がしくて眠れん。
俺はひとりでため息を吐く。
その間も女湯では、従魔たちがじゃれ合い続けていた。
「まぁ好きに揉むとよい。ところでモツァレラよ。貴様はそのように隅っこで、なにをしておる」
「わ、妾のことは放っておくのじゃ!」
「ふふ。きっと、モツァレラさんは恥ずかしがっているのですよ。ふふふ、可愛いのです」
「は、恥ずかしがってなどおらぬわ! 第一妾がなにを恥じるというのじゃ!」
「この小さい乳房のことだ! ほらお前の胸も、僕が揉んでやろう!」
「や、やめるのじゃ! うぉぉ。まとわりつくでないわ、お主!」
「安心してください! わたしも昔は小さかったですけど、いまはそこそこ育ったのです。だからモツァレラさんも、恥ずかしがることないのですよ。洗濯板でも!」
「誰が洗濯板じゃ! 少しくらい膨らんでるのじゃ! ええい、お主はさっさと離れよ!」
「……ふ。騒がしいことだ」
ようやく意識が落ちていく。
その後もしばらく女湯からは、羽目を外した従魔たちの、賑やかな声が聞こえ続けていた。




