60:動き出す波
西の町、『ゾンマ』――
まちの入り口には大量の松明が焚かれ、そこへ続々と町の住民達が集まってくる。
「できる限り荷物は持たないように! お年寄りや子供への付き添いを率先してください!」
SAAPが叫びながら住民達を整列させる。
「詳しく説明しろ! 突然、避難だなんて言われてもどうすりゃいいか!」
「そうよ! モンスターが攻めてくるって、それを退治するのがあなた達の仕事でしょ!?」
「守民軍の姿が見えないぞ! どうなってる!?」
住民達の罵声や不安の声。その前に宗萱が立つ。
「事態は一刻を争います! 詳しい説明は避難先の寺院でいたします! 今はどうか落ち着いて我々の指示に従ってください!」
「ふざけるな! 町の外はモンスターがうろついてるんだ! オレ達をやつらのエサにするってのか!?」
「心配は無用です! 我々が全力で被害を阻止しますので! ――そこの人、写真を撮っている場合ではありません!」
住民達が納得しなくても、強制避難させるしかない。
「(窪井は感染者達をすべて放つつもりでしょうか……)」
そのとき、人の波をくぐってマハエがやってきた。
「小守真栄、ただいま到着!」
ビシッと敬礼する。
「意外と早かったですね」
「いやぁ、遅れちゃマズイと思って、魔力フル活用して“跳んで”きた」
笑顔で「ふーっ」と“良い汗”を拭うマハエ。
「……これから戦いが始まるのですよ? 無駄な労力でしたね」
「……うっ。――そ、それよりも、オレの役目は?」
「真栄さんはわたしと共に、住民達を援護します。SAAPが寺院へ避難する最短ルートの安全を確保しているので、それが確認できしだい、住民達を移動させます。その後から感染者達の進攻を阻止するのが、わたしと真栄さんの役目です」
「そう、それが厄介だな。ワクチンもなしに感染者を止めるのは……」
「そのための準備はできていますよ」
宗萱がマハエに小さなスプレー缶を渡す。
「『気化催眠剤』です。強い催眠作用のある薬剤をスプレー式に作らせました。対ニュートリア・ベネッヘ用に開発していた物です。これを感染者の顔面に吹き付ければ、一瞬で動きを止めることができますが、ただ、風向きを考えてくださいね」
「……戦いの真っ只中で眠りこけるのは嫌だからなぁ……」
そしてふと思ったことを口にする。
「眠らせた感染者をどうやって運ぶのかも、バッチリ考えちゃってるよね?」
「え? ……あー……」
SAAPが駆け寄り、宗萱に言う。
「チーフ、避難ルートの安全を確認しました」
「……さて、それでは移動を開始しましょう」
「『え? ……あー……』の後は何? ねえ」
「適当な場所に集めて保護します」
「適当な場所ってどこですかー!?」
先行き不安だが、今は住民達の避難が最優先である。
――騒ぎは収まっていなかったが、強制的に避難移動は開始された。
『ゾンマ』から寺院までの距離は最短ルートで約ニキロ。年寄りのペースなら一時間近くかかる。
「軍からの支援は?」
「年寄りや障害者のために、馬車を何台か手配してくれるそうです」
「……それだけ?」
「極力、モンスターとの戦いには関与しない。それが彼らの新しい規律らしいです」
そう言うが、宗萱は少しも呆れたり怒ったりする様子がない。
軍がモンスターとの戦い自体には関与しない。『シラタチ』という“便利な”モンスター処理係が存在する上では、それも理解できることだった。
「感染者は、ヴァルテュラの森に潜伏しているのか……。動きがあればわかるのか?」
「……いえ、もう動き出しています」
宗萱が言った直後、森の入り口からユラリと黒い影が現れた。
黒いマントとドクロの仮面。感染者『黒猫』の一人だ。
「来た!」
マハエは右手に『壊波槍』を出現させ、左手に催眠スプレーを構えて一歩踏み出す。
――先頭の一人に続き、後から続々と姿を現すドクロ面。
一人ひとりが、殺傷のための武器を手に、振りかざして歩み寄る。
「一人残さず止めますよ! 町の人々に近づけさせはしません!」
宗萱も刀とスプレーを構えた。
全身が覆い隠されて本来の姿は確認できないが、中には女性や老人もいる。手荒な扱いは避けたいものだが――
「うわっ!」
大きなナイフをかわした直後、マハエは尻餅をついてしまった。
再び振り上げられて落とされるナイフを槍で受け止めるが、その攻撃力には微塵の容赦もない。
「手加減するのは難しいか」
一言「ごめん」と謝っておいて、マハエは覆いかぶさる人物を足で蹴って退ける。そしてすぐに起き上がるとその顔面にスプレーを吹きかけ、停止させた。
黒猫集団は目測でも十数人。
それだけの数ならば時間をかければどうにかなりそうだ。しかしSAAPは皆避難民の保護に当たり、黒猫
相手にしているのはマハエと宗萱の二人だけ。
“逃さず止める”というのは難しい。
さっそく三人の黒猫が町から出ていて、それをマハエが追おうとする。
「――グルル……!」
不吉なうなり。
「くそ! こんなときに厄介な要素が!」
町の外にはモンスターがうろついている。
移動開始前に一掃されていても、この騒ぎをかぎつけたのか、数匹が集まってきていた。
まず現れたのはドラゴン。そしてそいつが真っ先に獲物として目を向けたのは、町を出た黒猫だった。
「まずい! 宗萱、ここは任せた!」
言って、マハエは黒猫を助けるべく、『壊波槍』に魔力を込めてドラゴンへ走る。
黒猫集団を阻止しつつ、同時に彼らをモンスターから守らなければならない。
「泣きたいぞ、チクショウ!」
槍を振り、その刃でドラゴンの頭を一撃で落とした。
――しかし安心はできない。その背後から助けた黒猫が棍棒を振り下ろしてきたのだ。
「“人”にもどったら、一言でもお礼を言ってほしいね!」
武器を弾き飛ばし、スプレーで三人を眠らせた。
「真栄さん!」
宗萱の叫び声にマハエは休む間もなく振り向く。
黒猫は次々と町の出入口を目指してきていて、立ちはだかるマハエに攻撃の構えを見せている。――と同時に、モンスターの影も反対から彼に近づく。
「対処しきれないって!」
挟み撃ちの真ん中で迷うマハエ。
黒猫の数は多いが、モンスターのほうはそうでもない。さいわい、ドラゴンのように厄介なモンスターは見えず、二足歩行のトカゲや巨大なクモだけ。そちらを蹴散らしてから黒猫に移るほうが安全ではある。しかし、町から出た黒猫に分散されてしまってはその後の対処が面倒になる。
宗萱は町の中で戦っていてとても手を回せる状況ではない。
「ああ、くそおっ!!」
一瞬で判断できない自分にもどかしさを覚えるマハエ。
――だがそのとき、モンスターの悲鳴が響いた。
見ると、トカゲモンスターが倒れ、“何か”の痛みに悶えている。
マハエはモンスターの後ろに立っている人物を見て驚く。
「モンスターはオレに任せてくれ!」
そこには男の姿があった。
巨大グモが男に跳びかかるが、投げられたナイフの一撃を頭部に受け、ひっくり返って絶命した。
「アオバさん!」
マハエは驚きとともに安堵する。
「よう! また会ったな、シラタチ!」
「どうして、アオバさんが?」
――いや、訊くまでもないことだ。
彼は行動していたのだ。ヴァルテュラの件と同じように軍とは別として。
「よし!」
この状況ではたった一人の加勢でも、とてもありがたい。
やる気を出し、マハエも黒猫に向かった。