58:涙は男の―― 作戦
翌日、早朝――
場所はヘルプストのとある病院。
一人の若い看護婦と一人の初老医師が、急ぎ足で、病室へ向かっていた。
「意識がもどったのだな?」
「ええ、先ほど確認しました。思いのほか元気な様子で」
「そうか! いやぁ、よかった。なかなか目覚めんものだから、心配したわい。どこであのような怪我を負ったのか、ようわからんが、ここへ運ばれて早めに治療できたおかげじゃの」
豪快に笑う医師。
看護婦も喜びを表情に表す。
「本当ですね。恵まれているんですよ、あの“三人”」
「…………」
右端のベッド。ゴトーはうつろな左目を病室の天井に向けていた。
「……生きてたよ、オレ達」
ぽつりとつぶやく。
「ここは病院かぁ……。誰かがオレ達を見つけて運んでくれたんだなぁ」
となりのベッドで、ツッキーも同じように天井を見つめている。
ゴトーは頭と右目を包帯で覆われている状態。他に腕や足にも軽い怪我を負っているらしい。
ツッキーも頭に包帯を巻かれて、頬や鼻にも軽傷。左腕が骨折しているらしく、石膏と包帯で固定されていた。
「『ホッキョクグマ1.9号』の緊急脱出装置のおかげで助かったんだな」
ツッキーは「すばらしい技術だ」と言わんばかりに感動しているようだが、
「スイッチ一つで外へ放り投げられるだけのアレが、緊急脱出装置だって? もっとマシな物なら、オレ達軽傷で済んだはずだぞ」
「命があっただけでマシだと思おうぜー。――っつててて……」
頭の怪我を押さえるツッキー。
「……ツッキー痛そうだな。お前が一番ひどい怪我じゃないか」
「うん……、落ちたとき、何か重たい物が上に落下してきて……」
「そうか、大変だったな」
そして反対端のベッドのリートに目をやる。
手鏡を覗いてニヤニヤ笑っているリートに。
「小さな痕が一つあるだけ。これなら目立たないな、よかったよかった」
ゴトーは沸騰してくる怒りを覚えつつ、
「そしてなぜ、お前は無傷なんだい?」
力の限りツッコミたい衝動を精神力で抑えつけた。
「いやぁ、落ちたとき、ちょうど落下地点にほどよいクッションが落ちててねぇ」
「…………」
「…………」
ゴトーとツッキーは再び天井に目を戻す。
「オレ達、どうなるんだ?」
ツッキーがゴトーに訊くが、それに返す言葉などない。
任務は失敗し、持ち出した兵器はバラバラ。おまけに包帯ぐるぐる状態。
名誉挽回のために立てた作戦のおかげで、彼らの名誉は挽回不可能などのマイナス値。のこのこと窪井のもとへ帰ろうものなら、どんな目に遭うか想像すら恐ろしい。
「――いや、正直に話して素直に謝ろう! 頭領って、あれでも優しい人なんだ! 涙を流して必死に謝るオレ達を残酷な目で見るような人ではない!」
「涙を流して謝るのか、オレ達……」
「オレは嫌だね。涙でこの美貌を汚すなんてそんなこと―― いや、美形は涙を流しても美形に変わりはない。むしろ輝きが増して、より美しく成長するオレ!?」
「…………全員、心を決めたみたいだな」
そのとき、病室のドアへ足音が近づいてきた。
「まずは治療費踏み倒して、この病院を脱出するぞ」
――病室のドアが、ガチャリと開く。
「キミ達、先生を連れてきたわよ。ちゃんと傷を見てもらいなさ――」
「…………」
「…………」
誰もいない病室。空っぽの三つのベッド。看護婦と医師は言葉を失い、立ちつくす。
開き放たれた窓では、カーテンがそよそよと風になびいていた。
むなしく。
ここはヘルプストの十字通り。
大通りであるこの場所には、さまざまなジャンルの商店が軒を連ねる。
「――うまく抜け出すことができたが、さて、どうやって頭領に会おうか?」
ゴトーはツッキーとリートに相談。
「その前に涙を流す練習をしておかないと……」
「美しい涙をね。まるで海の宝石のような、ダイヤモンドのような……」
「――もうええわ。お前らの脳ミソなんぞ当てにしてない」
この二人の性格ほど、傷にしみるものはない。
ゴトーは一人で考えることにした。
「その言い方はヒドイよゴトーくーん」
「そうだそうだ。オレの脳ミソは、シワ一つない、磨きぬかれた真珠の輝きを放っているのだ!」
「知ってる」
――今この三人がニュートリア・ベネッヘに帰ったとしても、門前払いを受けることは見え透いている。
直接、頭領に会う方法を考えなければならない。
たやすくそうできるほど、彼らの組織は甘くない。どれだけ難しいことか、ゴトーはよく知っている。
「よい方法は……」
と思案していると、
「――むむ! オレの美形センサーが反応している!」
突然リートがワケのわからないことを言いだし、アクセサリー商店に目を向けた。
「おどきなさぁいよ、チミぃー。このボクちゃんがドアを開けようとしたでしょうー」
「うわーん! こわいよー!」
ちょうど店から出てきたところらしい少年が、小さな男の子に絡んでいた。
「ボクちゃんの顔を見て恐いとは何事か!? この美しい顔に恐いなどと―― あぁ、そうかぁー。恐いほど美しいって意味だねぇ? よぉしよし、良い子だなぁー、チミはぁ」
少年は男の子を見下ろしてニタリと笑うと、とうとう泣き出した男の子そっちのけで歩き出す。
「……何か見慣れた性格のやつだ」
リートを目の端にも入れないようにして、ゴトーは言う。
「あれ、美形かぁ? 化粧濃いだけでしょ」
「いや美形だぞ、ツッキー。オレのセンサーが反応したから間違いない」
「自分と同じ種族に反応しただけだと思う」
「……ん? ていうかオレ、あいつ知ってる」
リートが言う。
「ニュートリア・ベネッヘの美形クラブのメンバーだ」
「……リート、お前、生まれて初めて人の役に立ったな」
「失礼な。オレの存在そのものが世界の利益だ」
「はいはい。とにかくあいつを見逃すな。追っていけば頭領に会える!」
なぜニュートリア・ベネッヘの一員がこの町にいるのか。ゴトー達はそんなことを気にも留めなかった。
「美形クラブって、お前みたいなのが何人もいるのか?」
「オレが部長であいつが副部長。現在の部員は二名だ。キミは入れないよ、悪いけど」
「頼む。絶対に勧誘しないでくれ」
――それから三人は、ヘルプストの外れにある森の中へ。
少年は鼻歌を吹きつつ、警戒する様子もなく整備された道を歩いていく。
「うわぁっ! 蚊が、蚊がボクちゃんの美しい顔を……! ぎゃあぁぁ!!!」
「……うるさいなあいつ」
騒がしいおかげで、尾行に気付かれていないのだが。
「ふ……、あいつもまだまだだなぁ。蚊に刺されたくらいで下がる美など、真の美ではないわあ! ――痛てっ! 草の先っぽが! ぶつぶつができてしまう!!」
「……ツッキー、こいつを黙らせてくれ」
――しかしこんな森の奥に何があるのか。
それを想像するより先に、三人は驚きで立ち止まる。
そこにあった物は――
「……な、なんじゃこりゃあ!?」
同時刻、宗萱とグラソンは港町の展望台で、黒く曇っていく“空気”を感じていた。
「何でしょうか、この感じは?」
「……ああ、“嵐”が来るかもしれないな」
殺気と狂気が、どこからから風に乗って流れてくるようだ。
「調査が必要ですね」
「ああ、すぐにでも、な」
宗萱はうなずいて去っていく。
グラソンは手すりに寄って遠くを見る。
「……来るか、窪井」