第三百十五話 フローティア帰郷
ベアトリスさんに『やはり直接剣を交えてみないと、フェリスを任せられるかは判断できん』とか言われて、ジェンドはこってりと絞られたらしい。
一応、それで認めてはもらったようだが、短い時間でだいぶ濃密な模擬戦をしたのか、帰ってきたジェンドは相当憔悴した様子だった。まあ、そりゃジェンドも強くなったが、流石にまだアルヴィニア女性騎士最強格にゃ届かないってことだろう。
さて、僕も前にやったときは分が悪かったが、今ならどうかね。
まあ、それで。そんなジェンドを、フェリスは甲斐甲斐しく世話をしていた。なんだかんだ、自分の男が頑張ってくれたのが嬉しいのか、その様すらなんか幸せそうだった。
閑話休題。
そうして二人と合流し、ラナちゃんが学んでいる大学の研究室へ。
彼女が所属するようになってからますます機密に関して厳しくなっており、ある意味王城以上にここが転移作業に適している……という理由である。
研究室を片付けて臨時で据えられた携行型転移門に、今回の転移のために派遣された、普段はリースヴィント・リーガレオ間の転移作業に従事している魔導士さん。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「はい」
一言声をかけて、転移門の上に乗る。
今日何度目かの転移。もうだいぶ日も傾いてきているが、これがラストだ。
いつもの転移反応の光が瞬き、それが収まると、ふわっと涼やかな風が頬を撫でる。
目を開けてみると、そこは懐かしのフローティア。転移先は屋外だったらしい。確かここは領主館の中庭だ。
ふと目に入った、かつて僕たちが冒険をしていた、万年雪の積もる霊峰アルトヒルン。
……それに郷愁を抱く間もなく、転移門のすぐ前に待ち構えていた人物が大げさに手を広げた。
「はるばるリースヴィントよりようこそ。シリュール女王の来訪を、このアルベール・フローティア、心より歓迎いたします」
ホストとして当然のことながら、領主様の直接のお出迎えであった。
背後には文武百官……と呼ぶには領地の規模的にいささか数は少ないが、それでもおそらく手すきの家臣の人たちが全員集まっているのだろう。何人もの人が領主様の後ろで頭を下げていた。
「歓迎痛み入ります、フローティア伯爵。フローティア奉花祭、大変楽しみにしています」
「はい、是非とも楽しんでいってください。我が街自慢の祭りです」
と、形式に則った――というには少々砕けた挨拶のあと、ぷっ、とどちらかからともなく笑い声が漏れ出た。
「アルベール様、身内しかいないのに大仰すぎます」
「おや、そうかな? 今や一国の女王を迎えるのに、まだまだ不足していると私は思っているんだが」
まあ、立場的に特殊であることは確かだが。……街一つしかなく、その街も三大国と教会の支援がなければすぐさま滅んでしまう、吹けば飛ぶような国である。
まだフェザード王国復興! ととても口に出して言えない状態だ。
「はいはい。あなたも悪ノリしないの。シリル、おかえりなさい」
「はいっ、ただいま帰りました。姉様!」
領主様の隣に立つ、元フェザードの王女でこの領に嫁いだアステリア様が、たおやかな笑顔を浮かべて妹――シリルを迎える。
かつてはシリルも名前で呼んでいたが、もう立場が公開されたので、堂々と姉と呼んでいた。
「他のみんなも、よく帰ってきてくれた。我が領の誇る才媛ラナ嬢も、おかえりなさい」
「はい、ただいま帰りました。でもご領主様、ちょっと恥ずかしいのでそういうのはやめていただけると」
「はは、そうかい?」
そうです、とラナちゃんは主張するが、当然の評価である。
「まあ、久々の帰郷だし、存分に羽を伸ばしてくれ」
「えっ」
「えっ?」
「いえ、花祭りの時期は実家も忙しいですし。そのお手伝いが帰省の目的なんですが。表向きはお休みすることにしていますけど」
なに言ってんのこの子。
「そ、その……普段、大変なんだろう? 休んだほうがいいんじゃないかな」
「大丈夫です、お宿の仕事をしていると、元気が出るので」
首刈ってれば元気になるというどこぞの英雄を思い出すなあ!
あまりに爽やかに言い切られて、『そ、そう』と口を挟めなかった領主様は、今度はジェンドに向く。
「こ、こほん。えー、その。ジェンドもおかえり」
「あ、はい。ただいまです」
ラナちゃんに調子を崩された領主様は少し間を置いて、
「えーっと、そうだ。君のパーティ『レーヴァテイン』の勇名は、この街まで聞こえてきているよ」
「そ、そうですか。大仰なパーティ名で少し恥ずかしいですが」
「はは、気にすることはない。ただ、この街出身の君が出世したおかげでフローティアじゃ冒険者志望の少年が増えてて、将来悩みのタネになりそうだ。ここはアルトヒルンを除けば、初心者向けの狩り場しかないからね」
要は、将来的に人口が外に流出する、ということだろう。まあでも、
「きょ、恐縮です、領主様」
「冗談さ。今の少年も、そのうち大人になるしね」
命懸けの仕事で、才能や運、人に恵まれないとやっていけない稼業である。大きくなるにつれ、現実ってもんが見えてくるだろう。
冒険者に憧れる子供が、そのままなる確率など……この平和な街じゃ、一割もあれば高い方じゃないだろうか。
ぽん、とジェンドの肩を叩いて、最後に領主様は僕の方を見る。
「ヘンリーも久し振りだ。君の結婚式以来だね」
「はい、領主様におかれましてはご機嫌麗しく」
少し迷ったが、フェザード式の騎士の礼を捧げた。
「おいおい、前にも言ったろう? もう義理の兄弟なんだ。かしこまらず、アルベールと呼び捨てにしてくれればいい」
「……うちの嫁は様付けですが」
「はいっ、シリルさんはこれが素ですので!」
横からシリルが割って入る。……いや、知ってたけどさ。
「と、とりあえず恐れ多いので、このままにさせてください」
「そうかい。まあ、そのうち慣れるか」
慣れない慣れない。
「さて、歓迎の宴……といきたいところだが、皆それぞれ旅疲れもあるだろうし。それは明日にして、今日は予定通りといこうか」
「はい」
きっちりスケジュールは事前に打ち合わせている。
まあ、休暇を兼ねた訪問だから自由時間は多いが、今日の夜は、
「じゃ、俺たちは実家に顔出してくるよ」
と、ジェンドとフェリスは当然、ジェンドの実家行き。久々の家族団らんといくのだろう。『子供せっつかれそうだ』と、少し愚痴ってた。
「ではエミリー。早速私の部屋に行きましょう! 今日は友達もたくさん呼んでいるので、パジャマパーティーです!」
「ええ、楽しみにしていたわ!」
今日は僕とシリルは別行動。フローティアの友達との再会を優先して、女子会と洒落込むらしい。エミリーもそいつに便乗。
「おーい、領主様のお館なんだから走るなって」
「ヘンリー、シリルさんの守りは任せておけ」
フレッドとゼストも領主館に泊まりである。
ただゼスト、お前その言い方は、
「おや、ゼストさんだったか。我が館の防備に不安でも?」
「……失礼いたしました。その、言葉の綾でございます」
「はは、冗談ですよ。あなたも歴戦の勇士と聞いています。いつもより賓客が多いのは確かですしね。頼りにしていますよ」
……当然、領主様に突っ込まれた。
ゼストはでかい図体を小さくして、ふかーく頭を下げている。
「じゃ、ラナちゃん、ティオ。僕らもいくか」
「はい」
「了解です」
……そして、僕たちが赴くのは、ラナちゃんの実家、熊の酒樽亭。
滞在した期間は短いが、僕にとって思い入れ深い宿である。シリルが今日は友達と過ごすというので、一泊そちらに泊まらせてもらうことにした。
花祭りで宿泊客も多いところ申し訳ないが、まあ明後日開会であることだし。
「……楽しみです」
なお、ワクワクが隠せない様子のティオの目的は、熊の酒樽亭での呑みである。
なんか、あそこはお酒も料理も美味しい、フローティア時代はあまりあそこで呑んでなかった、惜しいことをした、今日はヤります。と、断固たる決意を表明していた。
……先に実家に顔出せよ、と言いたかったが、到底聞きそうにないのでやめた。
「ラナちゃん、エールおかわり!」
「はーい!」
相変わらず、楽しげな喧騒が溢れる熊の酒樽亭。
名物である腸詰めをつまみに、僕はエールをやっていた。
……なお、ラナちゃんは帰るなりエプロンに着替え、速攻で仕事に入った。流石にご両親も止めようとしていたが、いいからいいからと押し切っていた。
「んー、美味ぇ……」
腸詰めを一齧り。スパイスを効かせた肉の味が口いっぱいに広がり、
「お待たせー」
そこに絶妙なタイミングで運ばれてきたエールをかっこむと、もうたまらん! って感じである。
ぐびぐびと、勢いおかわりのエールを半分も呑み干してしまった。
「ヘンリーさん、食べるの早すぎます。ラナ、腸詰めの盛り合わせをもう一皿。あと私もエールのおかわりと……それとオムレツを頂戴」
「わかったー。すぐ持ってくるからね」
伝票に素早く注文を書きとめ、ラナちゃんが厨房に戻っていく。
「……いきいきとしてんねえ」
「そうですね。ラナは確かに学問の方に才があるんでしょうけど、ここで働いている方が私にはしっくりきます」
幼馴染として、ティオはそう感想をこぼした。
「しかし、ここも変わってないなあ」
「……そうですね。まあ」
ちらっ、とティオは不意に視線をとあるテーブルに向ける。
そこの客は、酒ではなくソフトドリンクで食事を摂っており……一般の人にはわからないだろうが、常に周囲を警戒している。
「お疲れ様だなあ」
「ですね」
言い方はアレだが、ラナちゃんの価値が諸国にとって絶大なものとなり。
当然、彼女に言うことを聞かせたいと思う輩の発生は抑えられない。
……で、人質、など。実にありふれた手段である。
そのため、フローティア全体の警邏も増えたらしいし、特に実家である熊の酒樽亭は腕っこきの騎士が数人、王都から派遣されているそうだ。
店の雰囲気を崩さないよう変装までしている。業務中にウマい飯を食えるのは役得だろうが、ありゃ大変そうだ。
特にラナちゃんが帰ってきている今日は警戒も厳にしてるんだろう。ここの客の人たちは、ラナちゃんの功績にピンときていない人が多く、大体は『おー、久し振りー!』くらいの反応だったが。
「ティオ、おまちどうさま! エールね。追加の注文もすぐだから」
「ありがとう」
そこでティオのおかわりが到着する。
また仕事に戻っていくラナちゃんを見送り、
「……ん、ティオ、乾杯するか。なんとなく」
「はい」
そうして僕とティオは、なんの気なしにジョッキを掲げ乾杯する。
その音は、妙に僕の心に残るのだった。




