第三百十三話 挨拶
さて、多くの人に見送られて、僕たちと冒険者パーティ・レーヴァテインはリースヴィントを旅立った。
……とはいえ、転移門による移動は一瞬。旅の情緒もなにもあったものではない。
一度目の転移でやってきたのはリーガレオ。
ラナちゃん謹製の携行式転移門が据えられた『駅』である。リーガレオに駅は複数あるが、中でもそれなりの身分の人が利用するやつだ。
今回使ったのは三番転移作業室。携行型の転移門は、サイズ的には一般の転移門より小さいので、一転移門につき一室が用意されているというわけである。
「えーと、次の転移まで、あと一時間と少しでしたっけ」
「そう」
転移門の術式がいかに優れていても、それを運用するのは複数人の魔導士――つまり、人間である。
体調不良、遅刻、その他なんらかのトラブル……など、十分に考えられる事態だ。そのため、本当の急ぎの用でなければ、転移門を乗り継ぐ場合、ある程度時間の余裕をもたせるのが通例となっている。
送り元と送り先で術式発動のタイミングを合わせる必要もあるし、実は結構面倒なのだ。
「わかっちゃいたが、ちと手持ち無沙汰だなあ」
「ジェンドさん、大丈夫です。この施設の周辺にはそういう客を当て込んで立ち飲み屋などがあります。なんでも、最近リシュウのものを真似したおでん屋台も出店したとか」
「……ティオ? それ、なにが大丈夫なんだ?」
冗談です、とティオはふっと笑う。
「屋台も気になりますが、カフェもありますし。そこで時間を潰しましょう」
……おでん屋台の情報も本当なのね。どこから仕入れたのやら。
まあ、その手のお店の情報は飲み屋に入り浸ってりゃ、適当に仲良くなった呑み友達が教えてくれるもんだが。
――入り浸ってるんだろうなあ。成人しちゃったから、きっと堂々と。
「んじゃ、僕とシリルはちょいと出てくる」
「おう」
これまた、事前に決めていたことだ。
リースヴィント、リーガレオ間の転移がそこそこお手軽になったので、ジェンドたちはたまにリーガレオに戻っていたらしいが、僕とシリルはクエストから出発して以来の帰郷――僕はともかくシリルは故郷と呼ぶほど滞在していないが――である。
こっちに住んでいる人に、この機会に挨拶しとこう、とそう手紙でも伝えていた。
……まあ、一時間ちょいしかないから本当に挨拶だけだが。
「俺はついていくぞ」
「なんだよ、ゼスト。お前も茶ァしばいてろよ。シリルの護衛なら僕一人で十分だって」
「それはできん相談だ。名目上だけのものとはいえ、俺たちレーヴァテインは二人の護衛だからな。一人くらいついていかないと格好がつかん」
くっそ、こいつ言い出したらきかねえからな。まあ、別に邪魔ってわけでもないしいいか。
「わかったわかった。じゃ、そういうことで。ジェンド、行ってくるわ」
「ああ。クリスさんとパトリシアさんによろしくな」
「あいよ」
そう。
会いに行くのは、僕が十年を過ごした宿、星の高鳴り亭の亭主とその夫人。
僕的には、第二の父と母とも呼べる二人への挨拶である。
「どうもー」
星の高鳴り亭の玄関の扉を開ける。
なお、ゼストは玄関前で待機だ。『父母への挨拶に水を差すこともあるまい』と、なんか気遣われた。
いや、他の客がいるかもだし……とは思ったが、入る前に宿の一階にいる人の気配が二人しかいないことに事前に気付いてたんだろう。昼間は、客は大体冒険か遊びに出るか部屋でのんびりしているかだしな。
そうして宿の中に入ってみると、予想通り受付のカウンターに座る短身のエルフの男性が、ペラリ、ペラリと本のページを捲っていた。
「こんにちは、クリスさん」
「ヘンリーか。あと二分待て」
……本に落とした視線を向けることすらせず、クリスさんは本を読み進める。
相変わらず過ぎて、僕は肩をすくめた。隣のシリルの方も、苦笑いを浮かべている。
来客を待たせること、宣言通り二分。うむ、と一つ頷いたクリスさんは、本に栞を挟んで顔を上げた。
「……本当に来たのか、ヘンリー、シリル」
「え。今日このくらいの時間に来るって手紙で伝えましたよね?」
「いや、今をときめくリースヴィントの英雄夫妻が、このような場末の宿に本当に顔を出すとは思っていなくてな」
なにを言うかと思えばこの人は。
「……今どころか、割とずっとリーガレオでときめいていた某聖女も、ここが常宿だったんですが」
「ああ。そういえば、それでミーハーな連中が宿を取り巻いていたこともあったな」
ユーが英雄になった直後は、結構野次馬が星の高鳴り亭に来ていたことを思い出す。
……まあ、『おいた』をしようとした馬鹿は、僕をはじめここの客全員で叩きのめしたし、そのうち落ち着いたが。
「懐かしいっすね」
「俺にとってはつい最近の話だがな。それで、うちになんの用だ?」
「なにって、折角リーガレオに来るんだから挨拶くらい、と思っただけですが」
律儀なやつめ、とクリスさんは嘆息した。
「えー、でも。クリスさん、私とヘンリーさんの結婚式に、新郎側の親役で出席されたじゃないですか。近くを通ったら、ご挨拶は欠かせないかと」
「……シリル、その話は思い出させないでくれ」
えっ。
な、なんだろう。もしかして、僕の結婚式への参加になにか不満があったのか? うう……親代わりに出席してもらうのは流石に失礼だったかもしれん。クリスさんとこ、実子いないしなあ。
「? なんでですか」
「なんでもだ」
シリルが理由を聞くが、取り付く島もない。
こ、これはもしかして、後で謝っておいたほうがいいのか?
「あー、シリルちゃん、気にしなくていいから」
と、食堂の方から、手を拭きながらパトリシアさんが登場した。
「おい、パティ」
「この人ね、その結婚式で近くのテーブルの人に、『……お二人はもうあんなに大きなお子さんが?』なんつって言われて超凹んでたの。流石に式当日は取り繕っていたけど」
……あー。僕はフェザード出身で、親類縁者が全員死んでいることは知られているし。
そこで、僕側の親族席にクリスさんが座っていればそう思っても……いや、流石に身長低いとはいえその誤解はおかしいけどな! 発言した人、もうちょっと考えよう!
「うおおおおーーーーー!!?」
ほら、うちの父代わりが思い出しただけで頭を抱えてる!
「あー」
「……なんだ、貴様。シリル。その納得した顔は?」
「い、いえいえ! 決してそのような顔はしておりません!」
身長が特大のコンプレックスであるクリスさんが、ジトっとシリルを睨む。
「そ、それよりお土産持ってきたんですよ! ヘンリーさん!?」
「はーい」
誤魔化すようにシリルが発言し、僕を促す。
容量拡張の魔導のかかったポーチから箱を取り出す。まあ、特に珍しくもない菓子折りである。
「……クッキー? リースヴィントにもそういう店が出始めたのか」
「はい。それにちょっとビックリしますよ。それ、魔物素材を使ったやつなんです」
魔物が稀に落とす食材として利用できるドロップ品。瘴気が残留しているので、そのままでは普通の人は食べられないが、それを除去して食べられるようにする料理人。
……ここのパトリシアさんも身に付けている技術を持った料理人が、リースヴィントの一角に店を構えたのだ。
物珍しかろうと、手土産にできるクッキーを作ってもらったというわけである。
「へえー。普通の人は魔物食材なんて忌避するから、それを商売にしようって人珍しいのに」
同職のパトリシアさんが感心したように声を上げる。
まあ、実はそうなのだ。面白がって一回、二回ならともかく、一般人からしたらあまり日常的に口にしたいもんじゃないだろう。
この技術持ちが少ないのもそれが理由の一つだ。覚えた人は、大体が趣味か、そうじゃなきゃ美食家のお抱えみたいな人である。
「『この街ならそういう人は少ないし、食材の仕入が楽だからイケると踏んでます』……ってのが、出店許可をもらいにうちに来たときの店長さんの台詞です」
最前線で、胡散臭い商人に商売なんぞさせられないので、基本的に新規出店は城を通すことになっている。
「実際、結構繁盛してますよ。材料持ち込めば、色々リクエストに答えてくれるらしいですし」
「なるほどねー」
うんうん、とパトリシアさんは頷いて、
「どう、クリス? うち、今は基本的に宿泊客向けにしか食事出していないけど、昼とか食堂開いてみる? 件の人みたいに、魔物料理を名物にしてさ」
「今でさえ読書の時間が削られているんだ。これに加えて飯屋などやっていられるか」
パトリシアさんの提案に、しっし、とクリスさんは手を振って断る。
……相変わらず商売っ気のない人だ。
「残念」
「まったく。……おい、ヘンリー、シリル。お前ら、あまり時間はないという話だが、あとどれくらいだ」
僕は、城で仕事するようになって、必要に迫られて購入した懐中時計を見る。
「あと四十分くらいです」
「そうか。忙しないことだ」
とか言いながら、クリスさんは立ち上がった。
「どうしました?」
「わざわざ挨拶に来たやつをそのまま追い返すのもなんだろう。珈琲の一杯でも淹れてやるから、それくらい飲んでいけ。パティ、土産のクッキーを開けておいてくれ」
「了解ー」
ふん、とクリスさんは面倒そうに鼻を鳴らしているが、あれは割と機嫌がいい時の感じだ。
……多分、さっきの結婚式の時の話は無理矢理意識から消滅させたんだろう。
「さぁて。じゃ、二人は適当に食堂でくつろいでいて」
「なんか手伝うこととかは?」
「いーのいーの。そんなにすることもないし。ほら」
とん、とパトリシアさんに背中を叩かれ、僕とシリルは食堂の席についた。
で、いくらも待つまでもなく、クリスさんが珈琲を持ってきて。
僕たちはそれを飲みながら、近況について話に花を咲かせた。
……なお。なんかそこで結婚生活の話題になり、パトリシアさんが『こういう男どもはね……』と、実体験に基づいたアドバイスをシリルに贈り、男二人は大変肩身の狭い思いをすることになった。
「んじゃ、どうも」
「帰りも寄りますねー!」
で、あっという間に時間は過ぎ。
駅の方に帰る時間になった。
「まあ、元気でやれよ」
「はいっ」
そうして、僕たちは星の高鳴り亭を後にするのだった。
 




