第二百七十四話 模擬戦
それは、最終遠征の前の休日のとある朝のことだった。
朝のピークタイムがはけた頃を見計らって食事を済ませ、僕は食後の珈琲を一口……
「……んお、前より美味くなったな、シリル」
「ふっふっふ。そうでしょうそうでしょう。クリスさんの淹れ方を参考にして改良した、シリルさん流珈琲マークツーです」
シリルの戯言はともかくとして、確かに美味くなっている。
たまーにここの宿の留守を預かる時、シリルも付き合ってくれて、お茶係は任せていたのだが……『続けるなら少し仕込んでやる』と、クリスさんの手ほどきを受けたのだ。
それを休日を使ってシリルなりに研究して、上達したらしい。
「うーん、しかし折角美味しくなったのに、次この宿で活かす機会があるかどうか」
……まあ、ないだろうな。
でも、リースヴィントのトップに収まった暁には、部下に振る舞ってやればいいんじゃないかね。ウケるぞ、きっと。
……とまあ、そんな風に穏やかなお茶の時間を過ごしていると、のそっ、と見知った顔が食堂にやって来た。
「ん? おう、ジェンド、フェリス。おはようさん、てっきり僕らより先に飯済ませてるもんだと思ってたけど」
「ああ、おはよう、ヘンリー。ただ、飯食いに来たわけじゃないんだ。朝は済ませてるから」
なんか、ジェンドの様子がおかしい。ぎこちないっつーか、落ち着きがないっつーか。
「ええっと。なら、くっちゃべりにでも来たのか? そろそろ食堂閉まるから、それなら談話室の方に」
「いや、そうでもないんだ。その、ヘンリーに、少し用事が」
? ならすぱっと言えばいいだろうに。今更遠慮するような間柄でもなし。
「なんだ、改まって? なにか厄介事かなにかか?」
「そういうのでもないんだが……その、この後、模擬戦やってくれないか」
ますます意味がわからん。
今はクエストの準備のため休養しているが、休みっぱだと勘が鈍る。クエストに影響が出ない程度に、体も動かしており……ジェンドと模擬戦も何度もやっている。こんな言いよどむようなことじゃない。
「……ジェンド、それじゃ伝わらないだろう」
「わ、わかってるよ」
僕の困惑に、フェリスがジェンドの背を押した。
ジェンドは、二度、三度と深呼吸をし、真剣な目で僕を見据え――ふと、実戦でもそうそう見せないほどの戦意を向けられ、僕は思わず腰を浮かせた。
そうして、ジェンドは先程までの優柔不断な態度とは打って変わって、こう断言した。
「ヘンリー。今日は、全力でやって欲しい。それでも、俺が勝つ」
魔物相手の戦いとは勝手が違うことも多いが、冒険者同士の模擬戦は訓練の定番の一つである。
なので、ジェンドとは会ってからこれまで、幾度となくやってきた。数えてるわけじゃないが、その数は四桁にはゆうに届いているだろう。
……でも、今まで僕は全力でジェンドとやりあったことはない。
駆け出しの頃は当然だが、今でも魔導や投げを全部駆使した戦法を取れば、実力にまだ大きな差がある。魔物はあまりしてこない搦め手も、僕はバンバン使うし。
訓練にならないぞ、と言いはしたが、ジェンド曰く、
『俺の冒険者としての目標は、会ってからずっとヘンリーだったから。どこまで届いたか、見てほしい』
……とのことである。
ま、まあ? 身近に強いやつがいれば、そりゃいい目標になるだろう。い、一応、それなりにいいところを見せてきたし、そりゃね?
や、やっぱちょいと恥ずいな。ジェンド、よくあそこまで真っ直ぐ言えるもんだ。
……まあ、順当にいけば、次のクエストで僕は引退。
その後もなにやら忙しそうだし、もしかしたら今が強さのピークかもしれない。今ジェンドが言い出したのは、そういう面もあるのだろう。
腰の如意天槍を引き抜き、投げに向いた形に伸長、変形。くるりと回して、感触を確かめる。
少し離れた位置で同じように素振りをしているジェンドを見て、ふう、と一つ息を吐いた。
「……うむ、双方準備は良さそうであるな」
と、僕たちの様子を見て頷いたのは審判のエッゼさんである。
なんでこの人がいるのかというと、ジェンドの仕込みである。
普通に考えて、僕が全力で暴れるには、星の高鳴り亭の訓練場はいかにも狭い。
……ということで、ジェンドはエッゼさんに話を通して、この黒竜騎士団所有の訓練場を使えるよう頼んでいたらしい。
『二人の戦いであればみなの参考にもなろう』と、エッゼさんも快諾し……果たして、僕たちの模擬戦の観客は、パーティメンバーだけでなく、黒竜騎士団の非番の面々も加わることになった。
「ヘンリー、不覚取るなよー! お前に千ゼニス賭けてるんだから!」
「騎士が賭けんなよ!?」
丁度今日休みだったオーウェンの野次に、僕は思わず返す。
……さっきから、なにやら小銭が行き来していると思ったら、賭けなんぞやってんのか。
「いいんですか、エッゼさん」
「うむ、よろしくはない。よろしくはないが……我も弟子のジェンドに三千ほど賭けているからして、咎められないのだ」
駄目だこの騎士団!
いや、でかい金が動かなければ、黙認されっけどさあ! 一応、アルヴィニアの顔なのに、なにやってんだ。
……という、スチャラカな空気にも、ジェンドは動じていない。周りの雑音など一切耳に入っていないらしく、落ち着いた様子だ。
「ジェンド、負けるなよ!」
「おう!」
そうして、当然いるフェリスの声援にだけ、短く応えた。
一応シリルもいるんだけど、あいつ今回は『どっちも頑張れー』スタンスである。ティオとゼストも同じだ。
かくして、僕の応援をしてくれるのは、僕の勝利に賭けた騎士団のむさ苦しい面々だけとなった。
「はあ~~」
……まあ、いいさ。
ジェンドとの全力の勝負、というと、僕も滾るものがある。駆け出しからこっち、ずっとあいつの成長を見てきたのだ。どこまでやれるようになったのか、見てほしいっていうなら見てやろう。
「うむ……では、そろそろ開始とするぞ」
中央のエッゼさんが、手を上げ。
僕とジェンドの間に、ピリッとした空気が流れる。
「……始めぃ!」
そうして、開戦の合図が訓練場に響くのだった。
「《強化》+《強化》!」
開始と同時に、二重の強化を槍にかける。
模擬戦の開始位置は、一息に斬りかかれる間合いではない。僕が全力で戦うとなると、初手は決まっている。
「ジェンド! これで落ちんなよ!」
「っったりまえだ!」
如意天槍の投擲攻撃。
穂先を十五に分けた槍が、ジェンドに襲いかかる。
当然予想はしていたのか、ジェンドは慌てず飛来する槍に対して大剣を一閃。直撃しそうだった三本の軌道を逸らす。
……だが、それだけだ。
僕の投げた如意天槍は次々に着弾し、大きな土煙を巻き上げる。
いつもの模擬戦であれば、これで勝負ありとして終わるところだが、
「……ふっ」
すぐさま、僕は如意天槍を『帰還』の能力で引き戻す。
手応え的に、ダメージはあったがまだ仕留めていない。僕はもう一度《強化》をかけるべく意識を集中し、
「っ!?」
ジェンドを包む煙の中から炎の刃が飛んできて、回避をせざるをえなくなった。
しかし、一つ躱しても、二つ、三つと次々に飛んでくる。
……ジェンドの師匠、リカルドさん直伝の『飛炎剣』。
射程はリカルドさんには敵わないようだが、威力と連射は既にジェンドの方が上だ。
煙が晴れる。
初手の投擲のダメージで、ジェンドは額から血を流しており、脇腹辺りを痛めたのかどこか動きがぎこちない。
それでも、なんでもないように剣を振り、炎刃を飛ばしてくる。
「いつまでも続けさせねえよ!」
僕は炎の刃をかいくぐり、そのまま投げ。
ジェンドは前に踏み込みながら、強化なしの槍を弾く。
……ちっ、今のはちょっと失敗。ジェンドに近寄らせる隙を作ってしまった。
槍を引き戻しているうちに、ジェンドが間合いに入ってくる。
「おおおおおっっ!」
かつてとは比べ物にならない一撃が、僕に迫る。
大剣の縦一閃をステップで躱し、その攻撃が弾かれたように横薙ぎに変化したところで、
「《強化》+《強化》+《固定》」
「!?」
魔導でその攻撃を止めにかかる。ガクン、と勢いが死んだ大剣を僕は如意天槍でカチ上げた。そうして、死に体となったジェンドの喉元へ穂先を突きつけ……
「ああああっ!」
る、直前。大剣から片手を離したジェンドが、手甲でそれを払い除けた。
予想外の防御に、今度は僕が態勢を崩す……ことはない。
振り払われた勢いの槍を手放し、すぐさま『帰還』で手元に戻す。ジェンドの片手での振り下ろしにも、防御は間に合った。
ドンッッ、と、上に掲げた槍と、ジェンドの攻撃が交差し、落雷かなにかのような音が轟く。
~~っ、片手の癖におっも! んで炎纏ってるから熱い!
「ぐ、くくく!」
「押し合いなら、俺の勝ちだ!」
もう片手も添えられ、ぐいぐい、ぐいぐいと押される。
膂力や体重であれば、素の僕だとジェンドには敵わない。確かに、追い詰められているとも言える、が、
「……《水》」
「うお!?」
なんの変哲もないただの水を出す魔導。
……煌々と燃え盛っているジェンドの剣にかけてやれば、当然一瞬で蒸発だ。目論見通り、発生した水蒸気でジェンドは一瞬怯み、ふっと力が弱まったところで僕は脱出した。
「ふう~」
少し背筋が寒くなった。接近戦だと、もう全然油断なんてできない。
「~~、くっそ! もう一度!」
「《光板》」
「は!?」
追撃を仕掛けようとしてきたジェンドの踏み込みに合わせ、光の板を生成。
それを踏むことで、ジェンドの態勢が崩れ、その間に僕は距離を取る。
「ジェンド、悪いが……もう近付けさせないぞ!」
接近されると、負けの目がある。
速度ではこちらが上。それを活かして距離を取り、投げで仕留める。
卑怯にも思えるが、僕がジェンド相手に『全力』でやるとなれば、この戦法になる。
「……いいさ! 絶対に仕留めるからな!」
「上等!」
……なお、その後。
エッゼさんの仕込みなのか、スピードでは僕に届かないものの、ジェンドの距離の潰し方は極めて上手く。
三度ほど、近接戦を強いられることになり。
最終的にはなんとか勝利したものの、内容的には僕の負けと言われても仕方がないものとなった。
……むむむ。
「……ジェンド、ジェンド。もう一回やらないか? そういえば、全力って言いながら強化ポーションキメるの忘れてた。……いや、ちょっと待ってろ。ユー呼んで強化かけてもらうから」
「い、いやいやいや!? 流石にそれされたら全然敵わねえよ!」
「全力で戦いたいと言ったのはジェンドくんじゃあないか」
「ええい、ここは素直にお互いの健闘を称え合うところだろ!?」
健闘を称えているから、こちらが本当の意味で全力でなかったのが申し訳ないんじゃないか!
……と。
いつものような、馬鹿話で盛り上がり。
こういうのも、あと少しで終わると思うと、なんとも物寂しい気持ちになるのだった。




