第百二十二話 リオルという人
「ご馳走様。堪能させてもらった」
チョコレートケーキをじっくり味わいながら食べ終え、リオルさんは手を合わせた。
……こういう所作は、相変わらず本当に紳士なんだよなあ。
「むう。ヘンリーさん、口元のクリームがまだベタつくんですが。もうちょっと、渡し方を考慮して欲しかったです!」
シュークリームを口に押し付けてくれてやったこと、まだシリルはグチグチと文句を言ってきた。
「次回以降、もし機会があれば前向きに考えることを善処しよう」
言うと、シリルはジト目になり、
「……まったく反省していませんね?」
「結局、僕はシュークリームとシフォンケーキ、一口ずつしか食えなかったんだぞ。食い物の恨みは恐ろしいことを知れ」
「ヘンリーさんが勝手に丸ごと押し付けてきたんじゃないですかー」
お前が恥ずかしい真似をするから悪い。
しかし、やっぱ勢いでシリルにくれてやったのは惜しかったな。帰りにまたあのシュークリーム買ってくか。
「はっはっは、仲睦まじいようでなにより」
「……冒険中はちゃんとしてくれますが、それ以外は万事この調子で困ります」
リオルさんが上品に笑い飛ばし、ティオがこめかみをぐりぐり押さえながら煩悶する。
……え? 別に、普通じゃね?
「それはそうと、馳走になった礼をしなくてはな。私特製の珈琲を淹れてあげよう」
「珈琲、ですか? 先生、豆も珈琲用の道具もありませんけど。下の教会の酒場で調達を?」
「ふむ、そういえばラナ君には、理論ばかり教授して実演はしていなかったな。丁度いい、見せてあげよう」
リオルさんは、机に立て掛けていたステッキを手に取る。この複雑精緻な模様の付いた立派な一品は、勿論リオルさん愛用の呪唱石だ。模様のように見えるのは無数の術式であり、杖の先には特殊な加工をされた黒水晶が象嵌されている。
……その先の水晶に、光が宿る。
「? ヘンリーさん、なにが始まるんです」
「まあ見てろ、びっくりするから」
大体なにをするかわかった僕は、疑問符を頭に浮かべるシリルに適当に答える。
「ホッ」
トン、とリオルさんが軽く杖の先端を床に当てる。途端に、先端の水晶から光が溢れた。
溢れ出た光は、空中に幾何学的な術式を刻んでいく。部分部分は見覚えのある、クロシード式の術式陣が会議室いっぱいに広がり始める。
その術式の規模はあまりにも膨大すぎて、およそ個人が即興で使う類の魔導ではない。
長い時間をかけて術式を理解した一流の魔導士が複数人協力し、儀式や各種触媒による補助を受けた上でようやく発動するような、そんなレベルの術式だ。
「……《存在》、《此方》、《彼方》?」
「ほほう、ラナ君、そこまで読み解けるのかね。その他にも色々とあるが、確かに要点はそこだ」
……そんなレベルの術式なんだよ。なんかあっさり使う人と、初見で理解してしまうバグがこの場にいるが。
「さて、あとは仕上げを御覧じろ、と」
術式陣の展開が終わり、陣の中央部分が『開く』。
開いた先は、異なる風景。
「あっ」
ラナちゃんが声を上げる。その風景はラナちゃんは見覚えがありすぎるだろう。なにせ、毎日掃除している部屋の一つなのだ。
……リオルさんが泊まっている、熊の酒樽亭の一室である。
「ふむ、もう少し小さい扉でもよかったか」
そうして、リオルさんはその扉から自身の鞄を取り、中から珈琲を入れるための道具一式と豆を取り出して元の部屋に戻す。
そうした作業が終わると、会議室に展開されていた術式がゆるゆると消えていき、やがて空間に開かれた扉は閉じた。
「い、今の、なんなんですか」
「ふむ、シリルさんは転移門を使ったことはないかな? 基礎理論はあれと同様だ。この空間と、マーキングをした別の空間を繋げる。……まあ流石に、私個人だとこの街をカバーするくらいの範囲が限界だがね」
転移門はあれ、魔導士十人がかりだし、転移の駅と呼ばれる設置場所もあの術式のための諸々の設備が詰まってるし、触媒も潤沢に使っているし……と、高い金がかかるだけの事前準備があって始めて使える代物らしい。
「……凄いですね」
「なに、実用性に乏しい大道芸だよ。普通に持ち歩けば済むんだから」
感嘆の声を上げるティオに、リオルさんは珈琲豆の詰まった瓶を開けながら答える。
「それに、クロシード式はここからが真骨頂だ。私の長年の研鑽を見ていただきたい」
ニヤリ、とリオルさんは笑う。……真骨頂、ねえ。
「おおー、これは流石のシリルさんもワクワクが止まりませんよ。さっきのより凄いのって、どんなのでしょう」
「……いや、シリル。こっからは別に見なくてもいいよ」
「はい?」
リオルさんが、更に杖を一突き。次に空中に投影された術式は、先程よりも大分こぢんまりしている球形。その中に、おもむろにリオルさんは珈琲豆を突っ込んだ。
「は?」
直後、その球形の術式が熱を発する。
「せ、先生。なにをなさっているんですか」
「ん? なにってラナ君、見ての通り珈琲豆の焙煎だが?」
ふん、ふん、と鼻歌まで歌いながら、リオルさんは術式を維持していく。
「魔導を用いれば、焙煎器などよりはるかに細かな調整ができる。最高の珈琲を淹れようと思うのであれば、皆もクロシード式を覚えるべきだろう」
相変わらず、論理が飛躍どころか明後日の方向にカッ飛んでやがる。あと、そんな細かく火力調整できるのはアンタだけです。
「……へ、ヘンリーさん。リオルさんって、英雄の割にはまともな人かなー、と私は思っていたんですが」
「リオルさんは、まともな振りは得意だぞ」
比較的に! 誰と比較しているのかはあえて言わんが!
ぼけー、と呆れながら見ていると、焙煎の終わった豆をリオルさんが愛用のミルに入れる。
「あ、あれ。えーと、リオルさん。豆を挽くのは魔導を使わないんです? 焙煎する時は、細かな調整がー、って言ってましたけど」
「私はミルで豆を挽くときの音や感触が好きでね。珈琲は飲む時だけでなく、淹れる過程も楽しむものだよ」
シリルが助けを求めるようにこっちに視線を向けてくるが、ほっとけ、とジェスチャーを返した。趣味人になにを言っても無駄である。
そうして待っていると、いよいよドリップだ。
「さて、ここからが肝要だ。珈琲を淹れるのに最適な温度、速度……薬缶などでは実現不可能な妙技をお見せしよう」
そう前置きし、魔導で熱湯を注ぐリオルさん。
ラナちゃんは困惑するだけだったが、僕とシリル、ティオは、しらーっとした視線を向けるのだった。
リオルさんが珈琲を淹れ終わったあとは、軽く雑談。
なお、僕とリオルさん以外の三人にはブラックは苦すぎるので、結局下の酒場でミルクと砂糖を分けてもらった。
「そうか、偉大なる鉱神の山脈へ向かうのか」
「ええ」
話題は自然と、僕たちパーティのこれからの話になる。今年中にはリーガレオに行くことになるのだ、リオルさんも興味があるらしい。
「リオルさんは行ったことありますか、ドワーフ山脈」
「ある。山脈の中にあるドワーフたちの街は、一見の価値があるぞ」
……偉大なる鉱神の山脈は、半分以上が魔境である。高い価値のある鉱物をドロップするゴーレムを発生させるため、わざと残してあるわけだが、当然、そんなところに定住はできない。
しかし、職人気質の人物が多いドワーフは、この山脈がまだ誰のものでもない昔から、是非ともこの貴重な鉱物が取れる土地の近くに住みたいと思っていたらしい。
そして、大昔のイカれたドワーフの指導者が、『……だったら、山ぁくり抜いて中で暮らしゃいいんじゃね?』とかなんとか言い始めた。
……そして、なにがどうしてそうなったのか、見事にその妄言を実現し。
今でこそヴァルサルディ帝国の版図に含まれているが、半ば自治を認められるほど、ドワーフたちと偉大なる鉱神の山脈は切り離せないものとなっている。
「一応、そこで装備整えた後は、僕とシリルはサンウェストの賢者の塔で、実戦的な魔導や魔法の使い方を学ぼうと思ってます。ティオと、ここにいないもう二人の仲間は、イストファレアで武術の方を」
「ほう、それはいい。あの塔は研鑽に余念のない人物ばかりだ。きっと糧となるだろう」
「……やっぱリオルさん、コネ持ってんすね」
「創設者の一人だぞ、私は。長命種が上に立つとどうにも組織が固まっていかんので、軌道に乗ってからは離れたが」
まじかー。いやまあ、そんくらいやっててもびっくりしないが。
「んじゃ、ちょいと紹介状とか頼んでも……?」
「別に構わんが、融通は効かせてもらえても、優遇はされんぞ。およそ学ぶ立場の人間は皆平等だからな」
「それでいいですから、頼んます」
どうもリオルさんはその辺り浮世離れしているが、信頼できる人物からの紹介があるかないかで、やりやすさはダンチだ。是非ともしたためてもらわねば。
リオルさんに助けられたことは多々あるが、僕がリオルさんを守ったことも一度や二度ではない。持ちつ持たれつってことで。
……いや、こっちの借りの方がだいぶ多いのは自覚しているが、僕だけじゃなくシリルもいるしな。なるべく居心地は良くしてやりたいのである。
「しかし、あと一週間と少しで出発か」
「はい、リオルさんが帰ったちょっと後ですね」
「出発を早められるようなら、イストファレア辺りまで送っていってやってもいいぞ? 少し迂回して行けばいいのだから」
あ、その発想はなかった。
イストファレアまで連れて行ってもらえれば、ヴァルサルディ帝国との国境にあるドワーフ山脈に行くのも大分楽になる。
「ええと、仲間と相談しますけど、もし行くとなったら同行させてもらってもいいですか? すごくご面倒をおかけすることになりますけど……」
「なに、構わんよ。強い冒険者に貸しができれば、私としてもプラスだからな」
……折角リーガレオに戻るのだ。積もり積もった恩の精算も、リオルさん相手に限らず考えておかないといけないな。
「? えーと、魔導車でも持っていらっしゃるんですか」
と、その話を聞いていたシリルが聞いてくる。
魔導車。魔導の力でもって、馬なしで走る乗り物。単にクルマとも呼ばれる。
デコボコした道なんかでは使い物にならないが、ちゃんと整地された道であれば馬車よりずっと速い。
……が、そうではない。
「飛ぶんだよ」
「と、飛ぶ?」
「飛行の魔導。飛べる人自体めっちゃ少ないけど、他の人を何人も運べるのは、僕はリオルさんしか知らん」
何回か一緒に飛ばせてもらったが、多分、フローティア、リーガレオ間なら二日はかからないくらいか? 障害物や道に関係なく真っ直ぐ進めるし、リオルさん自分で風とか吹かせて速度上げるし。
「飛行ですか……一応、叢雲流の魔導で、空中に足場を作ることはできますけど」
あ、なんかティオが対抗心燃やしてる。
「サギリ君も使っていたな、そういえば」
「あれねー、便利そうなんですけど、クロシード式――エミルさんのクロシード式にはないっすよね」
みんなが使えるクロシード式を考案したエミルさんは魔導畑の人だから、戦士系の補助みたいな魔導は割と少ない。
「欲しいと思った効果の魔導を自分で作れる、というのが我が術式のいいところなのだが」
リオルさんが嘆息する。自分の術式の真髄が余人に理解し難いものであることは、流石のリオルさんも痛感している。
「私はどうも、エミルのようにコンパクトに纏めるのは苦手だしな。……丁度いい、ラナ君、作ってみるかね?」
「わ、私ですか?」
「そう。意外と難しいぞ。前衛の冒険者の踏み込みに耐えられるレベルとなると、かなりの強度が必要になる。それでいてかつ、小さな呪唱石に刻めるレベルに簡略化する……と」
お? なんか丁度いい課題になった?
もしかして、僕も空中戦参戦?
割とラナちゃんにとっても興味深い題材なのか、言われて真剣に考えているみたいだし。
「もし完成したら、協会には私の方で申請しておこう。面倒だが、一応あの協会の顔を立てねば」
……そうだった。クロシード式魔導は、ちゃんと管理している協会があって、資格制度がある。何級までならどこまでの術式を使っていいか、が割と厳密に定められているのだ。
大体、組み合わせの難度によって等級は左右される。なにせ、組み合わせミスったら暴発するからして。
「……さて、そのためにも。ラナ君への教導は続けなければ。さあ、休憩は終わりとしよう」
「はいっ」
天才二人が再起動する。
……僕たちはお邪魔にならないよう、『失礼します』と声をかけて、部屋から出ていくのだった。




