第百二十話 二人の天才
結局、いろいろと議論した結果、向かう先は最初に当たりをつけた『偉大なる鉱神の山脈』に決まった。
この山は貴重な金属を落とすゴーレムの類が多く、数は少ないものの魔獣の類も出る。しかも、職人のアテは山程あるドワーフの集落も近い。
ここまでいい条件なら他の冒険者も殺到しそうなものだが……幸運なことに、そんなことはないようだ。
まあ、気持ちはわかる。上級のゴーレムって、戦いたくなさじゃドラゴンと大差ないしね。
なにせ……デカイ! 重い! 硬い! の、三拍子が揃ったクッソ面倒な相手なのだ。
動きはドラゴンより鈍いから逃げるのはそっちよりマシだが、下手したら一戦で武器がボロボロになるような相手、そうそうしたいものではないだろう。
……なのだが。
うちの場合、こういう時に頼れる魔法使い、シリルさんがいる。適当にゴーレムを撹乱して、魔法ドーン! で一発よ。
「ふっ、勝ったな」
「なにが勝ったんですか、ヘンリーさん」
熊の酒樽亭のモーニングをいただいた後。今後の戦略を頭の中で再確認して、成功の予感にぐっと拳を握りしめた僕に、ラナちゃんが呆れてツッコミを入れてきた。
「いや、今度ヴァルサルディ帝国のドワーフ山脈に行くんだけどさ。割とガッポガッポと儲けられそうで」
正式名称『偉大なる鉱神の山脈』、長すぎて言いにくいので、通称はドワーフ山脈だ。
「そういえば、遠征に行くんでしたっけ? いつからですか」
「二週間後。方方に挨拶済ませて……まあ、もしかしたらこっちに帰ってもすぐにリーガレオ行くかもしれないけど」
「……寂しくなりますね」
なんだかんだで、ラナちゃんとも一年近くの付き合いだ。別れを惜しむ気持ちは僕にもある。
それに、フローティアで出会った人たちは、改めて考えてもいい人ばかりだ。結局、安全な街でヌルい仕事をしながらのんびり暮らす、という僕の目標は頓挫することになってしまったが、この街で過ごした日々は決して無駄ではなかったと言い切れる。
そうして、少し沈黙。
「そういや、僕たちがいない間、瘴気の回収は大丈夫か?」
と、暗い雰囲気になりかけたところで、僕はことさらに明るい口調で話題を切り替える。
ラナちゃんが研究している、魔性を帯びた魔力、瘴気。魔物が気化した時に空中に溶けるこれを、特殊な瓶で回収するというクエストを僕はたまに受けている。
「あ、それは平気です。ヘンリーさんたちが冒険に行かない間は、常連の冒険者さんにいつも頼んでいますし。あの程度の手間で一食もらえるなら上等って」
「そっか」
この店の常連で冒険者、っつーとキッド辺りかな。シリルやジェンドと同年代で、近所の幼馴染とともに『屠龍戦団<ナイツ・オブ・ドラゴンスレイヤー>』というパーティを組んでいるやつだ。ちなみに、そろそろパーティ名の改称を予定しているらしい。
「それより。ヘンリーさんがいなくなったら、リオルさんとのやり取りはどうすればいいでしょうか」
八英雄、大魔導士リオル・クロシード。クロシード式の開祖であるリオルさんへ、ラナちゃんは先日僕の紹介を介して手紙を送っていた。
「あー、リオルさんなあ。返事はあったけど、それきり音沙汰なし?」
「はい。ヘンリーさんも見ましたよね。クロシード式の術式の最小単位をまとめた冊子に、あとは『少しだけ待っていてくれたまえ』という走り書きのメモの返事。あれの後、お礼といくつか出てきた質問の手紙は送ったんですが、返信はなくて。やっぱりヘンリーさんにもう一度口添えしてもらったほうが」
……リオルさんの返事、改めて聞いても手紙の返事として成り立ってない。というか、なにを待てばいいんだ。
「ごめんなあ。あの人、学者肌でこう、ちょっと世間ズレしているところが」
「あ、いえ。冊子をもらえただけで、すごく助かりましたから」
「そうなの? あれで?」
僕も見せてもらったけど、クロシード式……開祖のリオルさんのを使いやすくした、エミルさん流クロシード式の使い手である僕も、さっぱり理解が及ばなかったんだが。
「あー、そうですね。あれは要は文字一つ一つの解説みたいなもので、あれだけで文章を作るのはちょっと難しいかもです。私も色々教えてもらいたいことが出てきていますし。だから、お返事いただきたいんですけどね」
『あれだけで文章を作るのはちょっと難しい』……多分、いや絶対にちょっとじゃない。
「そうだ、いくつか意味のある術式作ってみましたけど。ヘンリーさん試してみません? 《反射》とか。私の魔力じゃ発動まで足りなくて」
いやいやいやいや。
「……えっ、マジで? 自分で作ったの?」
「はい。ただ、私のはちょっと『重すぎ』で。エミルさんという方が作った術式みたいに、他の術式と組み合わせたりすることはできないんです。あんなに自在に組み合わせできるように作るなんて、凄い人ですね」
……多分、エミルさんより凄い子がここにいる。あの人エルフだから、百年以上研究してるはずだし。
「い、一応見せてもらおうかな」
「あ、はい。じゃ、ちょっと待っててください。部屋から取ってきますから」
トタトタと、ラナちゃんが軽やかな足取りで階段を上っていく。
それを見送って、僕はすっかり冷めてしまった珈琲を一啜り。
そうして息をついて、改めて思う。
……相変わらず、やっべぇ娘っ子だ、彼女。
「っと、ん?」
と、そこで。コンコン、と熊の酒樽亭の入り口が控えめにノックされた。
? なんだ。業者さんとかなら裏口から入ってくるし、朝は宿泊客向けにしか営業してないから、表の看板はまだ開店前となっているはずだが。
……んー、
「ノルドさん、表からお客さんが来たみたいですけどー?」
厨房に大きめの声で話しかけると、昼の仕込みをしていたノルドさんがぬっと現れる。
「……どうも、ありがとうございます、ヘンリーさん」
いつもの無愛想で礼を言って、ノルドさんは手を拭きながらのっそのっそと入り口のドアへ向かう。その辺りで、もう一度ノックの音。
「――はい。どちらさまでしょうか」
「朝から申し訳ない。熊の酒樽亭というお店はこちらかな? 私は、リオルと申して……」
ぶぅぅぅーーー!! と。
僕は、飲みかけの珈琲を吹き出した。
「ん? おお、ヘンリーではないか。久し振りだな。折角後方に引いたのだ、学問に精は出しているかね?」
「……生憎ですが、僕は相変わらず勉強嫌いですよ、リオルさん」
大きな図体のノルドさんの脇から見える、紳士然とした風体の男性。
いつも身に付けている礼服とつばの長い帽子がトレードマークの、長い耳をしたエルフ族。
ついさっきまで話題に出ていた英雄、リオル・クロシードが当たり前のような顔をしてそこにいた。
「ほう……ほう、ほう!」
僕への挨拶もそこそこに、丁度下りてきたラナちゃんの持つ紙束に興味を奪われたリオルさんは、熱心な目でそれらに書かれた術式を読み解いている。
「ヘンリーさん。あの人が?」
「ああ、リオルさんだ。……見た目は紳士だけど、あの人も英雄だからな。気を付けろ」
あの礼服と帽子も、実はバリッバリに戦闘用に仕立て上げられた一流の装備だったりするし。……あの人、冒険に出かける時もこの格好だから、すげえ浮くんだよなあ。
「……ふむ、ふむ。ああ、君君。君がラナ君だね? 少々こちらに来て、私にこの術式の解説をしてもらえないかな」
「あ、はい。わかりました」
リオルさんに呼ばれ、ラナちゃんは臆することなく向かう。
まあ、ラナちゃんはあのむくつけきエッゼさんにも物怖じしていなかった。見た目はあのおっさんより大分大人しいリオルさんに気後れするはずもなかったか。
「あ、これですか。これはサークルの基点を三つに分散させて、共鳴効果による増幅を狙ったもので」
「成程。意図は理解した。しかし、ここはリバース一字にした方がね」
「それをすると込められる魔力が少なくなるので……」
初っ端からかっ飛ばすな、二人共。会ってすぐさま術式談義とは、もう少しお互いのことを知ってからでも遅くはないだろうに。自己紹介すらしてねえぞ。
僕は呆れの溜息をつき、隣でどうしたものかと悩んでいる様子のノルドさんにこそりと伝える。
「……ノルドさん。ちょい、珈琲をもらえますか。人数分」
「? は、はい」
ノルドさんが厨房に取って返し、約五分後。
「……お待たせしました」
ラナちゃんが捕まっているので、ノルドさん自ら湯気を立てるカップを持ってくる。
無類の珈琲好きのリオルさんが、そこでようやくはたと手を止めた。
「やや、この香りは」
「珈琲、頼んどきましたよ。まず、自己紹介でもしましょうよ」
「ふむ、一理ある。やあ、ラナ君。すまないね、我が術式のこととなると、やや我を忘れがちになるのが私の悪い癖だ。玉に瑕、というやつだな」
玉に瑕、って自分に対して言う言葉だっけ……
ともあれ。ようやくリオルさんは落ち着きを見せ、ちゃんとテーブルにつく。
「では、やや間の抜けた感じは否めませんが。……コホン、私はリオル・クロシードと申す者。以後、お見知りおきを」
ようやく帽子を取って、リオルさんが挨拶をする。
「はい、お手紙ありがとうございました。ラナです」
「……ラナの父の、ノルドと申します」
「ご挨拶、痛み入る」
互いに頭を下げ、リオルさんが珈琲を啜った。
「……うむ、この芳醇な香り。頭が冴え渡る。リーガレオのそこらの店で出される泥水とは雲泥の差だ。ご主人、いい腕ですな」
「ありがとうございます」
実に美味そうに珈琲を味わい、リオルさんが幸せそうな顔になる。
……まあ、あの街でまともな豆を取り揃えている店なんて、あんまりなかったからなあ。
それはそれとして、
「で、リオルさん、なにしにきたんです。最前線の範囲攻撃役筆頭でしょう、貴方」
「最前線の方は、昔の弟子を呼び寄せてしばらく代役を頼んでおいたから大丈夫だ。やつも忙しい身だから、やたら時間がかかったがな」
「弟子?」
「ヴァルサルディ帝国の宮廷魔導士をやっているアラスという者だ」
……その人は知らないが、宮廷魔導士ってかなりのエリートだった気がする。
「そして、なにをしに来たのかと問われれば、勿論我がクロシード式に興味を持った若き天才への教授をしに来たのである」
「そ、そんな理由で?」
「そんな理由、とは失礼な。私は冒険者である前に、一人の学徒であるつもりだ。後進への指導も立派な仕事の一つだ」
そうだった……こういう人だった。
リオルさんは、本業は学者と自称して憚らず。今現在英雄なんてやってる理由も『人々が心安らかに学問に励む環境を守るため』である。
本当は自分で研究とかしたいが、自身の魔導で人々を守っていたほうが結果的に学問がより早く先に進むだろう、という判断らしい。
今回のこれみたいに、よくその目的を忘れたりするが。
「若き天才だなんて……リオルさん、ちょっと褒めすぎですよ」
「なにを言う、ラナ君。現時点でさえ、君のクロシード式への理解は我が妻に比肩するぞ」
「でも、エミルさん程の術式はまだちょっと作れそうにありません」
……まだ、とか言ってるよ。
「それはそうだ。あれは大分試行錯誤した結果でのもの。流石に、そこまで再現されては妻も立つ瀬がなかろう。しかし、このようなオリジナルの術式まで作り上げたのだ。胸を張りたまえ」
「は、はい」
「うむ。まあ、私が滞在できるのは一週間程だが。その間、できる限りのことは教えよう。なにか、やりたいことがあると手紙にあったが?」
「はい。実は私、今瘴気に関して調べているんですが……」
そこからは、専門家トーク。僕が知らない単語がバンバン出てきて、紙に数式やらグラフやらが書かれ、議論は続いていく。
……うむ、これは退散だな。
「ヘンリーさん、あの人は……」
「あー、ちょっと変人ですけど、信頼できる人です。一応、英雄の人ですし。学者としても、一角の人らしいですよ」
「……そんな偉い先生が来ているのでしたら。あの方がいらっしゃる間、ラナはそちらに集中したほうが良さそうですね。さて、リンダには頑張ってもらおうか」
と、こんな感じで。
リオルさんが、しばらく熊の酒樽亭に滞在することになった。
ナイツ・オブ・ドラゴンスレイヤーはルビではありません。とりゅうせんだん・ナイツ・オブ・ドラゴンスレイヤーと読みます




