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黄金の国の狩人  作者: 神誠
第一章 東方の狩人
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過ちは転じて


 その夜、アンナは遅くまで祈り続けた。

 祈ったからと言って本当になんとかなるとは思っていなかったが、愛する男の言葉通りに祈り続けたのだ。


 翌朝、アンナは物音で目を覚ました。

 いつのまにかベッドに寄りかかって眠ってしまっていたらしい。

 何かあったのだろうか? 随分と外が騒がしいように思える。

 部屋のドアを開けると慌ただしく動き回るメイドの一人と目があった。


「何かあったのですか?」

「これはアンナ様、おはようございます」

「おはよう。それで何があったの? とても騒がしいようだけど」

「それが、なんでも蛮族の軍勢が突然逃げ出したのだそうです」

「えっ?」


 一瞬、思考が止まる。


「……どういう事?」

「私も良くはわかりませんが、今朝早くに蛮族の軍勢が突然撤退しはじめたと聞いております」


 その確認と可能であれば追撃をするために一部の騎士を出撃させねばならず、そのために皆慌ただしく働いているらしい。


「それはその……本当に?」

「はい、間違いないようです」


 真十郎の言葉を思い出す。

 まさか本当に神が祈りを聞き届けてくれたのだろうか?

 何が起きたのかわからなかったが、間違いない事が一つだけあった。


 真十郎の言葉通り、本当になんとかなってしまったのだ。







 アンナが目を覚ます数時間前。

 草原の民の軍で百人長を勤めるクドゥンはまだ空が明るく成りきらぬ時間に部下に叩き起こされた。

 彼は眠りを妨害されたことでかなり不機嫌であったが、その部下のあまりに切羽詰まった様子に怒りを抑え込み、その報告を聞くことにした。


「落ち着け! いったい何があったというのだ?」

「それが、その……バトゥ様がお亡くなりになられたと……」

「何だと? どういうことだ?」


 その兵の報告によれば、今朝早くに篝火の下に彼らの大将たるバトゥの首がぶら下がっているのを見張りが見つけたと言うのだ。


「何を馬鹿な……」


 そう言いかけてクドゥンは口をつぐんだ。

 目の前の兵も自分で言っている言葉の意味がわかっていないはずなど無かった。


「……何かの間違いではないのだな?」

「はい、誓って」

「千人長の方々は既にご存知なのだろうな?」

「いえ、それが……」

「なんだ? まだ何かあるのか? いいから早く言え!」


 クドゥンは部下の態度に苛立ちながら命令する。

 朝目が覚めたら総大将が死んでいたのだ。

 今更どんな報告を受けたところでたいして驚くはずもない。

 そう思っていた彼の予想は見事に裏切られた。


「……千人長の方々も全てお亡くなりになられているのです」


 クドゥンはそれを聞いて唖然とする。


「亡くなられた? しかも全てだと?! そんな馬鹿なことがあってたまるか!」


 一万二千の軍勢なのだ。千人長は十二人。その全てが一夜のうちに命を落としたなどと言われて信じられるはずが無い。


「いえ、偽りでは……ございません。間違いなく全ての千人長が亡くなられております」


 兵が嘘や冗談を言っている筈がなかった。

 もしこれが嘘であったなら、この兵は即処刑されてもおかしくないだろう。

 それがわかっていても、にわかには信じがたい報告だ。

 しかも、それだけの人数が死んだことに朝まで誰も気づかなかったというのか?


「副官殿は無事なのか?」


 クドゥンの質問に対して、部下は一瞬硬直し、意を決したように口を開いた。


「それが……」

「いや、わかった。もういい」


 その部下の態度だけで答えがわかってしまった。

 一体、何が起こったというのか? 全く理解できなかった。

 しばらくの沈黙の後、なんとか落ち着きを取り戻し口を開く。


「ご苦労。下がれ」


 それを聞いた兵はホッとしたようにうなずき、天幕を出ていった。


 クドゥンは自分の天幕を飛び出し、同僚の百人長を見つけ声をかける。


「おい、聞いたか?」

「何を……などと尋ねるのは愚かだろうな。聞いているとも」


 振り返った同僚の顔は、今まで見たことがないほどに険しかった。

 自分も、この男と同じくらい険しい顔をしているのだろうか?


「では……」

「到底、信じられぬがな。事実のようだ」


 こんなバカげた話が事実だなどと、にわかに信じられるものではない。


「だが、誰にも見つかること無く一夜で十人以上もの指揮官を暗殺するなど、そんなことが可能なのか?」

「兵の間ではこの地に潜む魔物の仕業だと言う者もいるようだがな」

「魔物が我が軍の指揮権の高い者だけを選んで殺したと? バカな話だ!」


 どうみても彼らの軍の指揮系統を混乱させるためにやられた事であり、明確な意思と目的を持った者の行いであることは間違いない。


「そうだな。だが、為した所業は人の業とは思えん。魔物の仕業と言われたほうが余程納得がいくと言うものだ」


 彼の言うとおりだ。

 まさしく、尋常ではない。

 この地にはそれ程に卓越した技量を持つ暗殺者の集団がいるとでも言うのだろうか?

 言葉を無くし、立ち尽くすクドゥンに同僚が語りかける


「これから、どうするのだ?」

「もはや撤退するしかあるまいよ」


 現在最も指揮権が高いのは百人長だ。だがその数は百二十。百二十人もいては、その意見をまとめることなど不可能だ。

 今の草原の民の軍は、ほぼ烏合の衆と言っていいだろう。


「急いだほうが良いぞ。このままではまとまって撤退することすら難しいかもしれん」


 クドゥンは全てを投げ出したくなる気持ちを押さえ込み、自分の部隊のもとへと戻っていった。

 百人の兵を預かる責任は果たさなければならない。

 生きて故郷に帰れるかどうか、今はそれすらも覚束ないのだから。







「真十郎はすごいって、みんなが言ってたよ」


 そういって幼馴染の少女が真十郎に微笑みかけてきた。

 それは遠い故郷での記憶。


 その少女の表情はまるで自分が誉められたかのように誇らしげで、嬉しそうだった。

 幼い頃、二人はいつも一緒にいた。

 彼女に会えるのが嬉しかった。

 彼女と話しをするのは楽しかった。

 彼女の近くにいるだけで心が躍った。

 今思えば、真十郎はあの少女に恋をしていたように思う。


 真十郎は忍びの里に生まれ、幼いころからありとあらゆる忍びの技を叩き込まれてきた。

 彼には才能があった。

 特にその隠形の術は優れており、一旦暗がりに身を潜めて気配を殺してしまえば、手が触れるほどの距離にあっても気付く事が出来るものはいなかった。

 その才能を認めた里の上層部の意向により、真十郎は忍びの技はもとより、あらゆる知識、教養を叩き込まれた。

 日々の学習と鍛錬は厳しく辛いものだったが、彼はそれに耐え抜いた。

 そうして、彼は着々と暗殺者としての腕を磨いていった。

 能力を認められ、周囲の期待の視線を浴びることに誇りを抱いていた。

 暗殺の道具として生きる自分自身に疑問を持ったことは無かった。

 そうやって鍛錬漬けの日々を送っているうちに、幼馴染の少女とは疎遠になっていった。




「久しぶりだね。真十郎」


 そう言って、幼馴染の少女は微笑んだ。

 彼女の言う通り、二人が会うのは久しぶりだった。

 疎遠になったからと言って、彼女のことを忘れたわけではなかった。

 彼女と話したいことは沢山あったはずなのに、何も言葉が出てこなかった。


「真十郎は変わっちゃったね」


 少女が少し寂しそうに微笑みながらそう言った。


「昔はもっと良く笑ってたのに」


 真十郎には最近笑った記憶がなかった。

 彼女の言う通り、自分は変わってしまったのかもしれない。


「ねえ、また昔みたいに笑って見せて」


 少女に請われ、真十郎は笑ってみた。

 だが、うまく笑えなかった。

 昔の自分はどうやって笑っていたのだろう?

 そんな事すらも、いつの頃からか思い出せなくなってしまっていた。


「ごめんね。変なお願いして」


 そう言って悲しげに微笑んだ少女の表情が何故か忘れられず、真十郎の心にずっと焼き付いていた。


 それから数年後。

 真十郎は十五歳にしてあらゆる忍びの技を習得し、里にも並ぶものが無い程になっていた。


 それと同じ時期に、幼馴染の少女が、間諜として潜伏していた先で死んだと伝え聞いた。

 正体が露見し拷問の末に殺されたのだと。


 それを聞いても彼の心は動かなかった。

 少なくとも、彼はそう感じていた。

 彼らは道具として育てられた。

 彼自身がそうであるように、彼女もまたそうだったのだ。

 道具がその機能を全うした。

 ただそれだけのことだと。


 それを伝え聞いた翌日の朝、目覚めたときに違和感を感じ、そして気づいた。

 自分は眠っている間に涙を流していたのだと。

 今思えば、彼の心はこの時から、いや、それよりずっと以前から悲鳴を上げていたのかもしれない。

 己の心を殺し、道具として生き続ける日々に。


 だが、そんな日常も、ある日唐突に終りを迎えた。

 それは真十郎が十六の頃の事だった

 彼はとある武将の家に匿われている少女を暗殺するようにとの命令を受けた。

 それ以上の詳しい情報は伝えられなかった。

 いつもどおりの、彼にとっては造作もない任務のはずだった。


 目的の部屋に侵入し標的を確認する。

 部屋の中央の布団の中に横たわっているのが標的で間違いないだろう。

 気配を消し、近付こうとしたときだった。


 突然標的が上体を起こし、こちらを見た。


「誰?」


 少女の声に誰何され、真十郎は驚いた。

 忍の里にも、真十郎の隠形の術を見破ることができたものは居なかったというのに。


 こちらに向けられた娘の顔を見て動きが止まる。

 月明かりに照らされたその顔が、あの幼馴染にあまりにもよく似ていたからだ。

 だが、あの娘が生きているはずなど無かった。

 心の動揺を押さえ込み、騒がれる前に息の根を止めるため娘に近づこうとした。


 娘が口を開いた。


「真十郎なの?」


 呼吸が止まる。

 ありえないと、そう思った。

 馬鹿な…… 何故? 生きていた? そんな筈は……。

 彼女は死んだ筈だ。

 そう聞かされていた。

 だが今、間違いなく眼の前の少女は自分の名前を呼んだ。

 真十郎は動くことができなかった。

 少女もまた驚きに目を見開き、こちらをずっと見つめていた。


 そのまま、どれほど時間が立っただろうか?

 少女が再び口を開いた。

 その声は少し震えているように思えた。


「真十郎なのね……。そっか。いつかこうなるとは思ってたけど、まさかあなたが来るとは思わなかった」


 混乱して未だ動くことができない真十郎を見つめながら、少女は言葉を続けた。


「でも良かったかも。また、あなたに会えるなんて思ってもいなかったから」


 真十郎は金縛りにあったかのように身動き一つできないまま、少女の言葉を聞いていた。


「最後に、お願いを聞いてほしいの」


 そう言って、彼女は微笑んだ。

 真十郎が何の目的でここに来たのかわかっている筈であるのに、それでも彼女は嬉しそうに微笑んでいた。

 それは見慣れた、そして本当に懐かしい幼馴染みの笑顔。

 自分を殺しに来た相手にどうしてそんなふうに笑えるのか?


「覆面を取って顔を見せて欲しいな」


 その言葉を聞いても、真十郎は動くことができなかった。

 彼女を殺さなければいけない。

 だが、自分にはそれを実行することなど出来ないということが、自分でもわかっていた。


「やっぱり駄目?」


 少女の表情が悲しげに歪んだ。

 その頬を涙が流れ落ちるのが見えた。

 真十郎は無意識のうちに覆面を外していた。

 何故か、そうしなければならないような気がした。


 それを見た少女が再び嬉しそうに笑みを浮かべた。


「ねえ、笑って見せて。昔みたいに」


 その言葉を聞いた途端、何故か涙がこぼれた。

 そして、自分でも理解できない感情が心の中で暴れているのを感じた。


 気が付けば、外に駈け出していた。

 隠形の術を使うことも忘れ、がむしゃらに走り続けた。

 遠くで何やら怒号のようなものが聞こえたが、そんなものに構っている余裕は真十郎には無かった。


 一体どれ程走っただろう?

 充分に逃げて、もう追手が来る心配が無くなっても彼の足は止まらなかった。

 俺は何をやっているのだ?

 いったい何から逃げているのか、どこへ逃げるつもりなのか、自分でもわからないまま彼は走り続けた。

 そうしてひたすらに逃げ続けた。


 気が付くと、どこともしれぬ山の中を歩いていた。

 一体どれほどの時間走っていたのかもわからない。

 夜はとうに明け日が高く登っていた。

 走り続けたせいで乾ききっていた喉を潤そうと真十郎は近くにあった川へと降りていった。

 そうして川を覗き込み、そこに映る自分の顔を見た。

 そこには涙を流したせいで、真っ赤に充血した目をした自分の顔が写っていた。

 何故自分は泣いていたのだろう?


 自分は暗殺のための道具であり、たとえ相手が何者であろうと躊躇い無くその手に掛けることが出来るとずっと信じていた。

 そうではなかったのだと、そのときに初めて気づく事ができたのだ。


 そうして、真十郎は逃げ出した。

 目的地があったわけではない。

 ただどこか遠くへいきたいと、そう思った。

 どこまでもひたすらに逃げ続けた。

 やがて海を越えて大陸に渡り、いつのまにか遥か西方の地にたどり着いていたのだ。

 そうして、六年前に行き倒れていたところをアンナに拾われた。




 真十郎は庭の木に背を預けたまま、まどろみの中でかつての自分を思い出していた。

 あの日、真十郎は全てを捨てて故郷から逃げ出した。

 あの時、自分でも何故逃げ出したのかわからなかった。

 ただ、それ以来何かをずっと求め、探し続けていたような気がする。

 この西方の地で拾われてからの生活は心地の良いものだった。

 得体の知れない異国の人間である自分を、この地の人々は優しく迎え入れてくれた。

 温かい人々に囲まれた穏やかな日々。

 幸せというものがあるのなら、これがそうなのではないかと思えるほどに。


 そうして、初めて気づいた。

 きっと、自分はこんな生活に憧れていたのだと。

 幼いころ、あの少女と共に過ごしていた頃のような、優しい日々を。


 だが幸せだと思える時間を過ごすほどに、自分はここにいて良いのか? 周りの素晴らしい人々とともに過ごす資格など、自分には無いのではないだろうか? そんな思いが強くなっていった。


 自分は人を殺す事しか能のない、暗殺者だった。

 ただ暗殺の道具として生きてきた人間が、その唯一の特技すらもうまくこなせずに逃げてきたのだ。

 自分のような人間が生きていて何の意味があるのだろう?

 そんな自分が彼らとともに過ごしていても良いのだろうかと。

 周りの人々を見るたびに、自分のような存在がここにいることは許されないような気がした。

 自分は、あの日に死んでしまったほうが良かったのではないか?

 何故死のうともせず、未だにのうのうと生き永らえているのか?

 今までずっと、そんな思いを心のどこかに抱いたまま生きてきた。


 だが今はもう、あの時死ぬべきだったなどとは思っていない。

 何故なら、あの日逃げ出し生き延びたおかげで、この西方の地で一人の少女を救うことが出来たのだから。


 もし、あの日故郷を捨てて逃げ出していなかったなら……。

 もし、遥か西方のこの地まで流れてこなかったなら……。

 もし、自分が暗殺者としての訓練を受けていなかったなら……。


 自分はアンナを救うことは出来なかっただろう。

 そう、これで良かったのだ。

 生きていて良かったと……今なら心からそう思える。


 遠くから馬蹄の音が聞こえてくる。

 まどろみの中から抜けだし、真十郎は立ち上がった。

 音のするほうへと目をやると、見慣れた少女が馬の上から手を振っているのが見えた。

 その顔には満面の笑み。

 昨日見た、今にも泣きだしそうに見えたそれとは違う、いつもの彼女の笑みが浮かんでいる。

 故郷を捨てて逃げ出したあの日、幼馴染の少女が口にした言葉を真十郎は思い出していた。


 ……ねえ、笑って見せて


 自然と表情が緩むのを感じて、そっと頬に触れてみる。

 アンナにはいつもヘタクソだと言われてきた。

 今はどうだろう?

 自分はうまく笑えているだろうか?


 いや、きっと大丈夫なはずだ。

 何故なら、彼が救った少女があんなにも喜びに満ちた表情で近づいてくるのだから。

 そして、彼女を救うことが出来た事に、彼自身こんなにも喜びを感じることが出来ているのだから。



これにて、第一章は終了となります。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 途中までしか読んでないけど、とても面白いです。 [気になる点] 例え相手が何者であろうと躊躇い無くその手に掛けることが出来るとずっと信じていた。 「たとえ~だろうと」という意味で「たと…
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