ありふれた結末
アーデルラントを混乱に陥れていた暴君は倒され、彼の地には平和が訪れた。
ゲオルグ亡き後はエーリヒが王として即位し、荒れ果てた国の復興のため今もなお奮闘している。
無事任務を達成して帰還した真十郎はオステンブルク候ヘルマンに仕える騎士として取り立てられた。
そして当初の約束通り、彼はアンナの婿として迎えられた。
そうして六年の歳月が流れた。
アンナはオステンブルクの領内の屋敷を貰い、真十郎と共にそこで暮らしていた。
真十郎は時折家を留守にすることがある。
帝都から、あるいはオステンブルク候であるヘルマンからの依頼により、極秘の任務に携わっているのだそうだ。
どのような任務なのか、アンナにも教えては貰えない。
今も彼はその任務のために家を留守にしている。
アンナは今、暖炉の前で五歳になる双子の娘と共に過ごしていた。
彼女はソファーに座り、二人の子供はその両側に座っている。
さっきまで絵本を読み聞かせていたのだが、いつの間にか二人はアンナの膝に頭を載せてうとうととしはじめていた。
二人とも髪は茶色で目の色も薄い茶色だった。
性別が同じだからなのか、顔立ちはアンナのほうに似ているように思える。
アンナがそうやって子供たちの寝顔を眺めながら静かな時間を過ごしていた所に、召使いが現れた。
「アンナ様、カール様がおいでになられました」
「お兄様が?」
アンナはわずかな驚きを含めて召使いに尋ねていた。
兄が今日訪ねてくるなどという話はしていなかったはずだったが、何か用事があって来たのかもしれない。
玄関まで兄を迎えに行かなければと思い、子供たちに視線を向けた。
二人は召使いの声が聞こえていたのか、既に起きてアンナの膝から顔を上げていた。
「おじさまがきたの?」
「ええ、そうよ。一緒にお迎えに行く?」
「いく!」
「わたしもいく!」
さっきまでうとうとしていた筈の二人は、そういって元気に返事をして立ち上がっていた。
今にも駆け出しそうな二人の子供に手を引っ張られながら、アンナは玄関へと向かう。
そして玄関の前の階段を、子供が転げ落ちたりしないように注意しながら、ゆっくりと下りていく。
その途中でカールの姿が目に入ってきた。
「お兄様? 今日はどうなさったのですか?」
「いや、近くを通りかかったので寄ってみただけだ」
階段を下り切った途端に子供たちは手を放して、パタパタと走って行きカールの脚に抱き着いていた。
「おじさま!」
「いらっしゃい、おじさま!」
子供たちにしがみつかれたカールがその相好を崩し、笑顔を浮かべた。
それはかつての兄……真面目で堅物であった彼からは考えられない、だらしなく緩んだ笑顔だった。
カールは二人の姪をことさらに可愛がってくれていた。
父であるヘルマンも同じで、二人の孫を相手にしているときは、何ともだらしなく顔が緩んでしまう。
「おお、二人とも元気だったか? ほら、おみやげだ」
そう言って、カールは子供向けにしてはかなり分厚い本を娘たちに差し出した。
「ごほんだわ!」
本を受け取った娘は満面の笑みを浮かべてアンナの方に顔を向ける。
そして胸に抱えた本を見せ付けるように持ち上げて見せた。
「おかあさま! おじさまからごほんをいただいたわ!」
「まあ、良かったわね。きちんとお礼を言わないとダメよ」
「ありがとうございます、おじさま!」
「ありがとうございます!」
元気良く、声を上げて礼を言う二人を見て、緩んだカールの表情がさらにだらしなくなったように見えた。
娘が抱える本の題名を見て、アンナはわずかに苦笑を浮かべる。
それはアンナも良く知っている物語だった。
だらしない笑顔を浮かべていたカールが、急に思い出したようにアンナに視線を向ける。
「ああ、そういえば友人に頼まれてな。今度また”アンナの愛”を見せて欲しいと言われているんだ」
そのカールの言葉に、アンナは思わず顔をしかめてしまっていた。
「お兄様……お母様の形見をそんなおかしな名前で呼ぶのはやめてくださいませんか?」
「お前がその名前を嫌っているのはわかるが、世間一般ではもうその呼び名で定着してしまっているんだ。いい加減受け入れろ」
渋い表情を浮かべたアンナの顔を見て、カールは苦笑を浮かべていた。
アンナの愛などというおかしな名で呼ばれているのは、ゲオルグに止めを刺した短剣だ。
真十郎がゲオルグの暗殺任務のためにアーデルラントに向けて出発するとき、護り刀としてアンナが彼に手渡した物が今はそう呼ばれていた。
どこぞの吟遊詩人がその短剣をそのような名で呼びはじめ、いつの間にかその呼び名が広まり定着してしまったのだった。
アンナは真十郎の無事を願って、親の形見である短剣をお守りとして彼に預けた。
誰かを想う強い気持ちが込められた道具は、邪悪な存在に対しては強力な武器となるのだそうだ。
それゆえにアンナの渡した短剣は、異界の悪魔であるゲオルグに対する切り札となったのだという。
そのような事を意図して渡したわけでは無かった。
しかしそれが想い人の助けになったのであれば、これ程嬉しいことは無い。
そう、それは悪くない。
問題なのはその短剣がおかしな名前で呼ばれ、有名になってしまっていることだった。
確かにアンナの想いがあったからこそ、それはゲオルグに通用したのかもしれない。
だとしても……
「もうちょっとましな呼び名があったでしょうに……」
そういってアンナは溜息をつく。
一体何を考えてこんな名前を付けたのか。
その吟遊詩人のセンスの無さに頭が痛くなってしまう。
「そういえば真十郎だがな、無事任務を終えたと報告があった。じきに帰って来るだろう」
「ああ、そうなのですね」
それを聞いたアンナは表情には出さなかったが内心で安堵していた。
彼の身に何かがあるとは思っていなかったが、だとしても多少の不安はあったのだ。
「では、邪魔をしたな」
そう言って、カールは出口へと向かおうとした。
「もう帰られるのですか?」
「ああ、本当にちょっと寄ってみただけなんだ。この後の予定もあるしな」
「おじさま、もうかえってしまうの?」
「あそんでくれないの?」
そういって哀し気な表情を浮かべる二人の子供を見て、カールは困ったような表情になる。
「ああ、今日はまだ用事があるんだ。またアンナに言って城に遊びに連れてきてもらいなさい。その時は相手が出来ると思うから」
そのカールの言葉を聞いた子供たちは揃ってアンナに視線を向けてきた。
おそらくアンナの言葉を待っているのだろう、そのまま何かを期待しているかのような視線で二人はじっとアンナを見つめ続けた。
二人は優しいおじさまが大好きだった。
城には優しいおじいさまもいる。
アンナは笑みを浮かべて二人の子供の視線に応えた。
「ええ、また今度みんなでお城に遊びに行きましょう」
その言葉を聞いたとたんに、二人の娘は喜びの表情を浮かべて再びカールの足に抱き着いた。
その後、帰途に着く兄を三人で屋敷の外まで見送りに行った。
カールは最後に娘たちを抱きしめてから帰っていった。
それまでの間ずっとカールの顔はだらしなく緩みっぱなしだった。
カールがいなくなった後、アンナは娘たちと共に元居た部屋に戻っていた。
二人の娘はアンナの元にカールに貰った本を抱えて持ってきた。
「おかあさま、ごほんよんで!」
娘が本を差し出しながら、期待に満ちた視線でこちらを見上げていた。
アンナは娘から本を受け取り、その表紙に大きく書かれている題名を見る。
”黄金の国の狩人”
それがその本の題名だった。
それは遥か東方の島国から流れてきた一人の狩人の物語だ。
その狩人はたった一人で万の軍勢を退けた。
その狩人は一人の騎士を助け、巨大で狡猾な魔獣を仕留める手助けをした。
その狩人はたった一人で隣国に潜入し、その身を狙われていた王女を追手から守り抜き、国外へと脱出させた。
その狩人は隣国の王に成り代わって異界の軍勢を呼び出そうとしていた悪魔を打ち倒し、その国のみならず世界の危機を救った。
「本当に……冗談みたいな話よね」
この六年の間に、辺境に住む異国人の狩人の物語は神聖帝国内において知らぬ者が無い程に有名になっていた。
その物語はカールと皇太子であるエルヴィンの思惑により国中に広められた。
吟遊詩人がその物語を歌にして各地でその歌を披露した。
その物語を元にして劇作家が脚本を書き、帝国内の各地の劇場で上演された。
今彼女が手にしているような書籍としても出版されている。
何も知らぬ者たちは、この話を聞いても大半が作り話であると思うのだろう。
だが、アンナを含めたその狩人を良く知る者達は、これらが作り話などでは無い事を知っていた。
帝都の劇場でもこの物語は大人気になっているという。
当然ながら、その物語の主人公である真十郎はもちろん、アンナの名も国中で知らぬ者は無い程に有名になってしまっているらしい。
そう言ったものの影響で、この物語の舞台となったオステンブルクにも観光客が増えているのだそうだ。
貴族の晩餐会や夜会などの誘いも増えていた。
誰もが当事者の一人であるアンナの話を聞きたがった。
今は皇太子妃となったシャルロッテも、その劇が好きで何度も劇場に足を運んでいるのだという。
彼女も物語の登場人物の一人の筈なのだが、それをどう思っているのだろう?
自分を演じる役者を見て、羞恥心に苛まれたりはしないのだろうか?
アンナはそれが嫌で、未だにその劇を見に行ったことが無かった。
さらに隣国アーデルラントでも、その物語は有名なのだという。
シャルロッテの兄であるエーリヒもその劇が好きで良く見に行くのだそうだ。
アーデルラントにおける真十郎の英雄としての知名度は、神聖帝国以上であるらしい。
現国王を助けて悪魔と戦い、遂にはそれを打ち倒した救国の英雄の一人として、真十郎はその名を知られていた。
真十郎の任務の中にはアーデルラントでの物もあると聞く。
任務について詳しいことは教えて貰えないが、国王であるエーリヒに絶大な信頼を寄せられており、彼から直接依頼を受けているらしい。
アンナも一度、真十郎と共にアーデルラントに招待されて行ったことがあったが、その時は驚くほどの歓待を受けた。
たまにエーリヒから真十郎宛に個人的な手紙が来たりもする。
一介の騎士で、かつては只の狩人であった男が隣国の王と友人関係にある。
それは、事情を知らない者からしたら随分と奇妙な関係であるように思えるのではないだろうか。
アンナは手にした本を開いて目を通してみる。
子供向けの本だからだろう、大きな挿絵と簡単でわかりやすい文章で物語が綴られていた。
アンナのすぐそばで、二人の娘たちが物語について語り合っている。
自分の両親についての物語だ。
彼女らも幼いながらに、その物語についてある程度のことは知っていた。
「わたし、しってるわ。おとうさまとおかあさまのおはなしでしょ?」
「それくらい、わたしだってしってるわ!」
二人の娘はどちらの知識が上かを競い合っているようだった。
自分がヒロインとして登場する物語を子供に語って聞かせるのはアンナにとって、なかなかに恥ずかしい行為だった。
羞恥心に耐えながら、だがそんな様子を表に出して子供に気取られたりしないように注意を払いながら、本を読み聞かせなければいけないだろう。
そんなことを考えながら、アンナはなんとなくその本の最後の章を開いてみた。
そこには狩人が隣国の王子と協力して悪魔を打ち倒す物語が綴られている。
横から本を覗き込んだ娘が得意げな表情で声を上げる。
「おかあさま? それ、おとうさまがあくまをやっつけるおはなしでしょ?」
「ええ、そうよ。読んだことがあったかしら?」
「おとうさまからきいたことがあるわ」
そう言って娘は今度は双子の姉妹に向かって話し始める。
「おとうさまがどうやってあくまをやっつけたかしってる?」
「しってるわ」
「じゃあゆってみて」
「えーと、あくまのだいじなものをにせものととりかえてだましたのよ」
「そうよ。あと、おかあさまのあいもつかったのよ」
二人の娘のおしゃべりの中に出てきた単語を耳にしたアンナは、わずかに頬を引きつらせた。
「おかあさま?」
アンナの表情の変化に気付いたのだろうか?
娘がじっとアンナの顔を見つめて不思議そうな表情を浮かべていた。
……ああ、いけない、いけない
心の中でそう繰り返しながら、何とかその顔に笑みを浮かべて見せる。
子供たちは、そのままどちらがこの物語についてより詳しいか、その知識の競い合いを始めたようだった。
アンナは笑みを浮かべたまま、二人の娘のおしゃべりを見守る。
娘たちの討論が一段落して、またせがまれたら本を読んでやればいいだろう。
あるいはそのまま疲れて眠ってしまうかもしれない。
どちらにせよ、本の続きを読むのは二人が落ち着いてからでいい。
娘達の様子を横目で眺めながら、アンナは手にした本の最後のページを開いてみる。
そうしてそのページの最後の行、物語を締めくくる一文に目を留めた。
それはこの手の子供向けの物語の定番ともいえる、何のひねりも無いありふれた文章だった。
だが、アンナはそのありふれた結末が嫌いではなかった。
今の彼女はそこに書かれたとおりになっている。
これから先もそうでありますようにと……そう願いながら、アンナはその一文を指でなぞる。
そこには、こう書かれていた。
”そうして二人は、いつまでも幸せにくらしたということです。”
これにて本作は完結となります。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
もしよろしければ感想、評価等も頂けたら嬉しいです。
なんとか完結までたどり着けたのも応援してくださった皆さんのおかげだと思っております。
本当にありがとうございました。




