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黄金の国の狩人  作者: 神誠
第一章 東方の狩人
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狼の群れ

 その日、真十郎が狩りを終えて帰ってきたのは、日が暮れてしばらくたってからだった。

 馬を繋ぎ、荷物を小屋に運び込む作業をしていた彼のもとに一人の男が訪ねてきた。


「やあ、真十郎」


 良く見知った顔。

 トーマスの父親のハンスだった。

 ハンスはベテランの狩人だ。

 粗野な人間が多い狩人にしては珍しい、思慮深く落ち着いた男だった。

 真十郎に声をかけるハンスの表情には、いつも落ち着いている彼には珍しい焦燥の色が見えた。


「もう夜なのにすまないが、トーマスを見なかったか? 今日の朝早くに山に入っていったきり戻ってこないんだよ」


 トーマスは最近やっと一人で狩りに行かせてもらえるようになったばかりだ。

 一人で森の奥まで入ってはいけない、夜になる前に帰って来いとハンスに厳命されていた。

 それがこの時間まで戻ってきていないのであれば、何かあったのではないかと疑うのは仕方のない事だ。


「すまないが、わからないな」

「そうか」


 ハンスの顔に浮かぶ焦燥の色が一段と濃くなる。


「探すなら手を貸そうか?」

「ああ、そうしてくれるなら助かるよ。本当にすまない」

「気にしなくていい」


 真十郎は腰の両側に差した二本のナイフを叩いて確認した後、弓と矢筒を担いで馬小屋へと向かった。


「って、おい! 今から行くのか!?」

「ああ、急いだほうがいいだろう?」

「気持ちはありがたいが、夜の森に入るのは危険だ。探すのは明日の朝からでいい」

「俺なら大丈夫だ」


 そう言って馬に跨り、森に馬首を向ける真十郎をハンスが焦ったように呼び止める。


「いや、いくらなんでもお前一人で夜の森に入らせるわけには……」

「気にするな。俺一人なら問題無い」


 ハンスは何か言い返そうとするが言葉が出てこなかった。

 一緒に行こうかとも思ったが、真十郎は”俺一人なら”と言った。

 ハンスがついて行っても足手まといになるということだ。

 狩人としての能力は真十郎のほうが数段上なのはハンスも認めていた。


「……わかった。本当にすまない」

「見つからなかったとしても朝までには一旦戻る」

「わかったよ。ありがとう」


 ハンスの言葉に手を振って応え、真十郎は馬にまたがり森へ向かって走り出した。







 どれほど進んだだろうか?

 真十郎は遠くで狼が唸る声を耳にした。

 馬から降り、弓と矢筒を肩に担ぐ。

 そうして馬の尻を叩くと、馬はもと来た道を駆け足で戻り始めた。

 大事な馬を狼の群れの中に連れて行くつもりはなかった。

 あれは賢い馬だ。自力で家まで帰り着いてくれるだろう。


 真十郎は擬態用のローブを身に着け、足早に声のする方へと近づいていった。

 そのまましばらく進んで行くと、狼が樹上に向かって吠えているのが見えてきた。

 近くの茂みに身を潜めながら様子をうかがう。

 樹上には人の姿が見える。おそらくはトーマスだろう。

 距離は二百五十歩程。

 狼はまだこちらの存在に気づいてはいない。


 真十郎は茂みから身を乗り出し弓に矢をつがえた。

 弓を斜め上方へと向け、強く引き絞り矢を放つ。そしてすぐに伏せて身を隠した。

 放たれた矢は放物線を描いて飛び、群がる狼の中の一匹に命中する。

 他の狼たちが一斉に動きを止め、矢の飛来した方角、つまりは真十郎のほうに目を向ける。

 矢を受けた一匹は悲痛な鳴き声を上げ、しばらくもがき苦しんだ後に動かなくなった。

 狼たちが吠えるのをやめ、警戒するようにあたりを見回し始める。


 真十郎は身を低くし、見つからないように移動を始める。

 狼はそれに気付いた様子は無い。

 そうして百五十歩ほどの距離まで近づいた真十郎は身を起こし、弓に矢をつがえる。

 今度は弓を水平に構え、弦を引き絞り矢を放った。

 真っ直ぐ飛んだ矢は一匹の狼の耳のすぐ下を射抜いた。

 脳を射抜かれた狼は一瞬痙攣してすぐに動かなくなる。

 他の狼たちが矢の飛来した方角に向き直る。

 さすがに今度は見つかったようだった。

 かなりの数の狼が真十郎に向かって吠えながら猛然と駆け寄ってくる。

 真十郎は慌てる様子もなく次の矢をつがえ、それを放つ。

 先頭を走る狼が、その矢を真正面から受けて悲鳴を上げ、転がった後に動かなくなる。

 狼の群れは五十歩ほどの距離まで近づいている。

 真十郎は再び矢をつがえる。

 そこには一切の焦りも恐怖もない。

 弓を引き絞り矢を放つ。

 矢は先頭を走る狼の顎を射ち抜き、即座にその命を絶つ。

 それを確認すると同時に真十郎は擬態用のローブを脱ぎ捨て近くの木の上に駆け上がった。

 駆けてきた狼たちが跳び上がって食らいつこうとするが届かない。

 真十郎は樹上から狼たちを見下ろしながら弓を引き、矢を放つ。

 一匹の狼が首に矢を受けのたうち回る。

 さらに別の狼を射抜くため矢をつがえようとしたが、狼たちは踵を返して走り去っていった。


 狼たちが距離をとったのを確認して、真十郎は木から飛び降り、トーマスの登っている木に速足で近づいて行った。


「無事か? トーマス!」


 木の下にたどり着いた真十郎が樹上のトーマスに声をかける。


「真十郎!? 助けに来てくれたの!?」

「そこでじっとしていろ。何があっても降りてくるな」

「え? うん。わかった!」


 狼が走り去った方角に目を向ける。

 そこには十匹余りの狼たちが集まってこちらを見ていた。


 このまま木の上に登り時間切れを待ってもいい。

 明日の朝になればハンスがそれなりの人数を引き連れて探しに来るはずだ。

 それまで待てば助かるだろう。

 だが……。

 狼の群れを見る。

 ひときわ体の大きな狼が群れの中央にいた。

 おそらくあれがボスだろう。

 弓で直射できる射程内に入ろうとせず、こちらの様子を伺っている。


 真十郎は斜め上向きに弓を構えて矢を放った。

 それを見た狼の群れのボスが吠える。途端に群れが散会した。

 当然、真十郎が放った矢は的を外し、地面に突き立つ。

 直射であれば射止められるだろうが、曲射では矢が届く前にかわされてしまう。


「頭のいいやつだ……」


 群れのボスを見ながら、真十郎はつぶやいた。

 あの群れのボスだけは仕留めておかねば後々厄介なことになりそうな気がした。


「トーマス」


 樹上のトーマスを見上げながら声をかける。


「何?」

「そこでじっとしていろ。声も出すな。何があってもだ。できるか?」

「うん、そりゃあできるけど……。何するつもりなんだよ?」

「見ていればわかる」


 真十郎は弓と矢筒を地面におろし、両手にナイフを持つ。

 そしてそのままただそこに立ち、動きを止めた。

 まるで彫像になったかのように、真十郎は動かない。

 刻々と時が流れていく。

 ナイフを持った両手をだらりと下げた姿勢のまま、微動だにせず待ち続けた。


 狼のボスは真十郎のその姿をしばらく眺めていたが、一声吠える。

 その声を聴いた周りの狼たちが四方に散らばりながら走り出し、じきに木や草に隠れて見えなくなる。


 それから、半時間ほどたった頃。

 真十郎はいまだその場から動くこともなく、彫像のようにただ立っていた。

 樹上でトーマスが息をのむ気配が感じられた。

 狼たちの姿を見つけたのだろう。

 真十郎が言った通り、声を出さずに堪えてくれているようだ。

 既に気配は察知している。

 身を低くした狼たちが、真十郎の周りを取り囲むように忍び寄ってきていた。


 深く、ゆっくりと呼吸する。

 姿勢を維持する最小限の力のみを残し、脱力する。

 そうして、気配が動くのを待った。


 気配が動いた。

 ほぼ同時に、四匹の狼が真十郎に飛び掛かった。

 それと同時に、真十郎は右斜め後方へと跳びながら左手を振るった。

 真後ろから真十郎に飛び掛かった狼が、そのナイフに首筋を切り裂かれ、悲鳴を上げて地に倒れ、のたうち回る。

 それを確認しながら、真十郎はさらに右斜め後方へと跳ぶ。

 右から飛び掛かってきていた狼の真後ろに回り込む形になった。

 着地した狼が背後へと向き直るとほぼ同時に、その首筋にナイフを突き立て、いったん捻りを入れて傷口を広げながら引き抜く。

 さらに一匹が仲間の体を飛び越えながら飛び掛かってくる。

 今度は右へと移動しながら左手のナイフを上方に振り上げ、その喉を刺し貫いた。

 致命傷を負い足元に落ちる狼には目もくれず、残る一匹に目を向ける。

 瞬く間に三匹の仲間が狩られたのを見て警戒したのだろう。唸り声を上げて威嚇するだけで向かって来ない。

 まだ、周囲にはかなりの数の狼がいるはずだが、皆同じように警戒しているのか、動く気配は無い。

 あと、何匹の息の根を止めれば奴らは逃げ出すだろうか?


 そんな疑問が頭に浮かんだが、すぐにそれをかき消す。

 あと何匹であろうとやることは変わらない。

 彼はただひたすらに狼を屠り続けるだけだ。

 目の前で唸りを上げる狼との間合いを少しだけ詰める。

 狼が怯えたように後方へと跳び退る。


 真十郎は周りの気配を確認する。

 他の狼たちはこちらを遠巻きに包囲しているが、それ以上近寄ってくる者はいなかった。


 目の前の狼が飛び掛かってきた。

 それを右方へと身を躱しながら、体を捻り右手に持ったナイフを突き出す。

 突き出されたナイフは狼の首に根元まで突き刺さった。

 真十郎は手首を捻りながらナイフを引き抜く。

 そうやって広げられた傷口から鮮血をまき散らせながら地に落ちた狼は、その口から血を吐きながら足掻いていたが、すぐに動かなくなった。

 その直後、狼の吠え声が響き渡った。

 途端に周りの狼の気配が乱れ、離れていく。


 吠え声の聞こえた方角を見る。


 そこにはひと際大きな体躯の狼が逃げる姿が見えた。

 弓を拾い矢をつがえ、素早く引き絞る。

 現在の距離は五十歩程。外すことは無いだろう。

 ゆっくりと息を吐いて矢を放つ。その直後、狼の影が一瞬跳ねた後に転がるのが見えた。

 再び矢をつがえる。

 狼が立ち上がるのが見えた。

 足を引きずりながら尚も逃げようとして、数歩歩いたところで立ち止まった。

 その顔がゆっくりとこちらを向いた。

 闇の中で二つの目が怪しく輝く。

 二本目の矢を放つ。

 その矢は狼の額の中心を射抜き、狼が倒れた。


 あたりの気配を探ってみる。

 どうやら他の狼は全て逃げ去ったようだった。

 ボスを仕留めたのだ。

 しばらくは、あるいは二度と襲ってくることは無いだろう。

 真十郎は大きく一つ息を吐き、樹上のトーマスに声をかけた。


「トーマス、もう大丈夫だ」





 木から降りたトーマスは自分の手が震えているのに気づいた。

 他人が見れば恐怖に震えていると思われたかもしれない。

 だが、実際はそうではない。彼は興奮していたのだ。


 トーマスは真十郎が戦うのを樹上でずっと見ていた。

 真十郎の弓の腕が素晴らしいのは良く知っていた。

 だが、近接戦闘においてもこれ程に強いとは思ってもいなかった。

 地面をまるで滑っているかのように素早く移動し、攻撃を行うときにも姿勢がぶれることすらない。

 動作に淀みが無く、軽く腕を振っているだけのように見える動きで狼達を屠っていた。


 まるで踊っているみたいだ……。


 危機的な状況も忘れ、真十郎の戦う姿に見入ってしまっていたのだ。


「スッゲーな! 真十郎! 俺、ナイフで狼仕留めるのなんて初めて見たよ!」

「弓で倒せれば良かったんだがな」

「もしかして昔は戦士だったの? ってか絶対そうだよな? じゃなきゃあんな強え筈ねえもん!」

「戦士か……」


 そう言って、真十郎は自嘲するように小さく笑う。


「そんな大層なものでは無かったよ」


 真十郎のその声と表情を見て、トーマスは興奮の熱が冷めていくのに気づいた。

 自分は何かマズイ事を口にしたのだろうか?


「せっかく仕留めたんだ。狼の毛皮だけでも持って帰ろう」


 そんなトーマスの戸惑いをよそに、真十郎は倒れている狼の毛皮を剥ぐ作業に入り始めた。

 それを見たトーマスが不安の声を上げる。


「え? 今? 大丈夫なの? 早く逃げたほうがいいんじゃ……」

「問題ない。獣が近づけば気配でわかる」

「いや、平然と言ってるけど、普通わからねーから」


 流石に狼はもう寄って来ないかもしれないが、それ以外にも危険な獣は森の中にはたくさんいるのだ

 不安は拭い切れなかったが、真十郎の言うとおりにすることにした。

 松明の明かりがあるとはいえ、夜の森のなかでの作業は困難を極めた。

 トーマスが四苦八苦しながらやっと二匹目の狼の毛皮を剥ぎ終わった頃、真十郎は残りの七匹の狼の毛皮を剥ぎ終わっていた。


「真十郎、早すぎんだろ」

「そうか?」

「そうだよ。ホント、スゲーよな」


 感嘆の声を上げるトーマスに、真十郎は自分が剥いだ皮のうちの二枚を差し出して言った。


「四枚はお前の物だ」

「え、いや、これ仕留めたの全部真十郎だろ?」

「狼をおびき寄せたのはお前だ」

「いや、おびき寄せたっていうか、あれは……」


 ただ単に狼の群れに襲われて木の上に逃げただけだ。

 おびき寄せたなどとはとても言えない。

 だが、真十郎は手に持った毛皮を差し出したまま、動こうとしない。

 数瞬の間、トーマスはそれを眺めていたが、諦めたようにため息をつく。


「わかったよ。ありがたく貰っとくよ」


 そういって、苦笑いしながら毛皮を受け取った。


「さあ行こう」

「え? まだ暗いのに? 危ないんじゃ……」

「大丈夫だ」

「ホントかよ……?」


 呆れたように呟くトーマスをよそに、真十郎は毛皮を担いで歩き出す。


「ああ、もう!」


 トーマスは諦めたようにため息をつき、毛皮を肩に担いで真十郎の後を追って歩き始めた。







 空が白み始めた頃に、二人は町外れの真十郎の小屋に辿りついた。

 そこでは既に数人の村人が集まり、トーマスを探しに行く準備をはじめていた。

 もちろん、そこにはトーマスの父親であるハンスの姿もあった。


「トーマス!」

「ごめん、父ちゃん」

「いや、無事で良かった、本当に」


 そう言って、ハンスはトーマスを強く抱き締めた。

 トーマスの後ろに佇んでいた真十郎に視線を向ける。


「ありがとう、真十郎。本当に何と礼を言えばいいか」

「気にしなくていい。収穫もあったしな」


 そういって担いだ毛皮を叩いて見せる。


「この毛皮は?」

「収穫だ。俺とトーマスで仕留めた」

「いや、俺、何もやってねーし」


 そう言って苦笑いするトーマス。


「こんなに沢山? 狼の群れに襲われたのか?」

「うん。でも真十郎が半分以上仕留めて、残りは逃げていったんだ」


 そうして、トーマスは狼に襲われてどうやって逃げたか、そしてどうやって真十郎に救われたのかを集まった狩人たちに話しはじめた。


「真十郎、スゲーんだぜ! 飛びかかってくる狼をナイフで仕留めるとか、俺初めて見たよ!」


 特に真十郎が狼を仕留めた話については、今だ興奮覚めやらぬといった体で激しい身振り手振りを交えて語ったのだった。


「真十郎。本当に助かったよ。お前がいてくれて良かった」

「じゃあ、またな! 真十郎」


 そう言って手を振り、ハンスとトーマスは背を向けて歩き出した。

 集まっていた他の狩人たちも皆手を振りながら去っていく。


 立ち去る彼らが見えなくなるまで、真十郎はその場から動かなかった。


「お前がいて良かった……か」


 誰も見えなくなった後に呟きを漏らす。

 感謝をするべきなのは自分のほうだ。

 何者かもわからない異国の人間を、彼らは暖かく迎えてくれている。

 国を捨てここまで流れ着いてきた放浪者の自分を仲間として扱ってくれている。

 何のために生きているのか、自分自身ですらわからないような、こんな得体のしれない男を彼らは受け入れてくれているのだ。

 それに対して、真十郎には感謝の気持ちしかなかった。


「ありがとう」


 皆が去り、自分以外誰もいなくなった小屋の前で、真十郎は一人そう呟いていた。


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