儚い希望
「この足跡はまだ新しいな」
男は一人つぶやきながら、地面に残った足跡を観察していた。
男はシャルロッテ王女の追跡の為に雇われた斥候であり、ここ数日王女の足取りを追い続けていた。
「ついに見つけた」
男は呟き、一人ほくそえむ。
追いつかれぬように森の中を歩いているのだろうが、熟練の冒険者である彼の目をごまかすことは出来ない。
足跡は三つ。
王女は戦闘では役に立たないだろうから、相手にするのは二人だけだ。
この人数なら、騎士が五、六騎もいれば難なく制圧できるだろう。
しかも前もって聞いていた情報通り、王女一行は徒歩で移動している。
少数の騎士を先行させれば、簡単に追い付くことも出来るはずだ。
彼が命じられた仕事は王女の痕跡の発見だけだ。
王女を捕らえるようにとは言われていなかった。
このままいけば、じきに王女を発見できるだろう。
発見したら急いで戻り、騎士団に報告せねばならない。
それが終われば、あとは王女のいる場所まで道案内をすれば彼の仕事は終わりだ。
追跡して報告するだけ。
命を危険にさらす必要も無い、楽で割のいい仕事だった。
さっさと終わらせて依頼料を受け取り、酒でも飲むとしよう。
そんな事を考えながら、残された足跡を辿って追跡を再開しようとした彼は、その踏み出した足が地についたと同時に前のめりに倒れた。
倒れてうつ伏せに地に伏した彼の頭には、一本の矢が突き立っていた。
彼は自分の身に何が起こったのか、気づく暇もなかっただろう。
穏やかな日差しに照らされた昼下がり。
虫のさえずりと風にそよぐ草木のざわめきの中、地に横たわる屍だけがその場に残されていた。
森の中をシャルロッテは黙々と歩き続けていた。
前方を歩くゾフィーはシャルロッテの身を気遣い何度も振り向いては心配げな視線を送ってくる。
そのたびにシャルロッテはゾフィーに心配を掛けてはいけないと思い、笑顔を向けてそれに応えていた。
もう何度目になるだろうか?
ゾフィーがシャルロッテの様子を伺うために振り返った。
自分は大丈夫だと、笑みを浮かべてその視線に答えようとしたシャルロッテは、ゾフィーの視線が自分の後方に向けられているのに気付いた。
ゾフィーの顔は一瞬緊張に強張り、そしてすぐに安堵したように表情が柔らかくなった。
何があったのかとシャルロッテも後方を振り返って見ると、少し離れた場所を歩いている何者かの姿に気が付いた。
それを見て一瞬驚き緊張したが、その相手が身に付けている濃緑色のローブを見て、すぐに安堵のため息を漏らした。
「真十郎殿。戻ってきたか」
背中越しにゾフィーの声が聞こえてきた。
「どこに行っていたのですか?」
単純な好奇心で、シャルロッテはそう尋ねた。
「追手の斥候だと思われる者がいたので対処していた」
「対処? 追手がいたのですか?」
「ああ、そうだ」
真十郎がそうやってシャルロッテ達の傍を離れる事は度々あった。
どうやら、真十郎はいなくなるたびに追手を撃退してきているらしい。
その相手は騎士であったり、冒険者であったり様々なようだ。
たった一人で一体どうやって敵を追い払っているのかわからない。
だが、ゾフィーの妹であるダニエラに襲われて以来、彼女たちが何者かに襲われることは無かった。
今はまだ、王女一行に追いついてくるのは少数の集団のみらしいが、いずれ騎士たちの本隊が行軍速度をあげて追いついてくるかもしれない。
そうなれば、真十郎一人で追い払うのは不可能だろう。
その疑問を真十郎にぶつけてみたが、その時は街道から離れて身を隠しながら進むつもりなのだそうだ。
大勢で森の中を行けば身動きが取り辛くなり、こちらにとっては好都合なのだと、真十郎はそう言っていた。
「ありがとうございます、真十郎様」
「気にしなくていい。やるべきことをやっているだけだ」
感謝の言葉に、真十郎はかすかな笑みを浮かべて答えた。
相変らず、その答えはそっけない。
彼はあまり自分のしていることをたいしたことではないと思っているように見えた。
だがシャルロッテはそうは思っていない。
ゾフィーもきっと同じであるはずだ。
彼が自分たちを助けてくれるなら、このまま無事神聖帝国にたどり着けるのではないだろうか?
本当のところ、真十郎に会うまでシャルロッテはこの脱出行の旅を半ば諦めかけていた。
自分を守るために身を削って尽くしてくれている騎士達には申し訳なかったが、神聖帝国にこのまま無事たどり着けるとは思っていなかったのだ。
だが今は違う。
真十郎の存在が彼女にとって希望となっていた
シャルロッテは振り向き、後ろを歩く狩人に微笑んだ。
それに対して、彼は少し戸惑っているのか、少し困ったようなぎこちない笑みを返して見せた。
その二日後のことだった。
その日、朝からシャルロッテの様子がおかしいことに、ゾフィーは気づいていた。
彼女は王女の様子が気になり、何度も後ろを振り返っている。
少し前から歩みも遅くなっていた。
足元も少しふらついているように見える。
常に下を向いて歩き、その息も苦しげだ。
明らかに様子がおかしい。
ついこの間まで一人で着替えもしたことがないような少女が、連日朝から夜まで歩き詰めなのだ。
その体が限界を迎えていてもおかしくないだろう。
ゾフィーは立ち止まって振り返り、シャルロッテに声を掛けた。
「シャルロッテ様、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。気にしないで」
気遣わしげに尋ねるゾフィーに、シャルロッテは顔を上げて弱々しい笑みを返した。
だが、その様子を見る限りとても大丈夫とは思えなかった。
「ですが、顔色が真っ青です。少し休んだほうがいいのでは?」
「駄目……足を止める訳にはいかないわ。一刻も早く神聖帝国内に入らなければ追手に追いつかれてしまう……皆が私のためにしてくれた努力や思いが無駄になってしまうもの」
「ですが……」
「ゾフィー、一旦休憩しよう」
最後尾を歩く真十郎が二人の会話に割って入った。
シャルロッテが驚いたような表情を浮かべて、後ろを振り返る。
「ああ、そうだな。そうしよう」
ゾフィーは素早く返事を返した。
シャルロッテに反対させる暇を与えないために。
最後尾を歩いていた真十郎がシャルロッテに追いつき、その額に手を当てる。
「やはり熱があるな。しばらく安静にしておいたほうがいいだろう」
「そんな、私はまだ大丈夫です。これ以上私のために時間を無駄にすることは……」
「いいから横になって休め。ゾフィーもここで休んでいてくれ。周りを調べてくる」
真十郎はシャルロッテの訴えを強引に遮り、彼女の身をゾフィーに預けてそのまま離れていく。
「ああ、わかった。気をつけて」
離れていく真十郎の背中を眺めていたゾフィーにシャルロッテが弱々しい声で語りかけてくる。
「ゾフィー、私……」
何かを言いかけて、シャルロッテは悔し気に顔を歪める。
ゾフィーはそれに優しく微笑んで見せた。
「真十郎殿の言うとおりにしましょう。彼の言うとおりにして今まで失敗したことがありましたか? さあ、横になって彼が帰ってくるまで待ちましょう」
「そうね、わかったわ」
そう言って、シャルロッテは悲しげな表情を浮かべて、おとなしくその場に横になった。
それから一時間ほどして、真十郎が戻ってきた。
「休むのにちょうどいい洞穴を見つけた。そこに移動しよう」
「わかった」
「王女は背負っていこう。俺が背負ってもいいがどうする?」
「いや、シャルロッテ様は私が」
「そうか、ならば荷物は俺が運ぼう」
「ああ、頼む」
そう言って頷きあう二人にシャルロッテが抗議の声を上げた
「待って……私もまだ歩けます。これ以上足手まといになるわけにはいきません」
弱々しい声でそう訴えるシャルロッテの言葉を、真十郎は静かに拒絶する。
「無理をして容態が悪化すれば余計に足手まといになる。悪いが言うとおりにしてくれ」
その言葉に、シャルロッテの表情が悲しげに歪む。
「さあ、シャルロッテ様」
シャルロッテは差し出されたゾフィーの背にしがみつき、体を預ける。
そして、ゾフィーの耳元でか細い声で呟いた。
「本当にごめんなさい」
涙声で謝罪するシャルロッテに、ゾフィーは肩越しに優しく微笑んでみせた。
「どうかお気になさらず。シャルロッテ様」
そこから三十分ほど歩いたところに真十郎の言う洞穴があった。
さして広くはないが風や夜露をしのぐには十分だろう。
ゾフィーは洞穴の中に入り、シャルロッテを地面に横たえた。
疲れが溜まっていたのだろう。
シャルロッテはすぐに眠りに落ちていた。
その表情は苦し気で、安らかな寝顔とは呼べないものだった。
寝入ったシャルロッテの傍らに座ったまま、ゾフィーは真十郎へと目を向ける。
彼は火のそばに座ってじっと何かを考え込んでいるように見えた。
「真十郎殿」
ゾフィーの呼びかけに真十郎が顔を上げる。
「国境まであとどれくらいかわかるだろうか?」
「早ければ二日、遅くとも三日もあればたどり着けるはずだ」
「そうか……あと少しなんだな」
そう口にして、ゾフィーは歯噛みする。
どうして神はこのような試練をお与えになるのか。
シャルロッテが一体何をしたというのだろう?
この優しい王女が何故これほどに苦しまねばならないのか?
これからどうするべきか?
急いで歩けば二日。
無理をして進んだとして、王女の体は持つだろうか?
せめて馬があればと思うが、無いものねだりをしてもどうにもなりはしない。
「今日はここで休もう」
真十郎の言葉にゾフィーは頷き、言葉を返す。
「これからどうする?」
表情には出さなかったが、ゾフィーは内心すがるような思いでその言葉を口にしていた。
追手がどこまで迫っているのかわからない。
本来ならこんな場所で足を止めている余裕など無いが、あんな状態のシャルロッテを運ぶ方法もない。
このままここでじっとしていれば、遠くないうちに追手に見つかってしまうだろう。
あとはもう神頼みをする程度のことしか出来そうにない。
だがそれでも、この男なら何とかしてくれるのではないかと、淡い希望を抱いてしまう。
「とりあえず朝まで様子を見て決めよう。王女の容体が良くなるようであれば先に進めばいい。そうでないならその時はまた考えよう」
「そうか、そうだな」
「君も休め。見張りは俺がやる」
「わかった。いつもすまない」
ゾフィーはシャルロッテの傍まで行って体を横たえた。
シャルロッテの苦し気な呼吸音が聞こえてくる。
彼女は、自身の意識が眠りに落ちるまで、ずっと心の中で神に祈っていた。
どうかこの哀れな王女を救ってくださいますようにと。
翌朝、目を覚ましたゾフィーはかすかに鼻を突くような匂いが漂っていることに気づいた。
洞穴の入口のほうに目をやると、真十郎が皮袋に入った液体のような物を振り撒いているのが見えた。
「真十郎殿、それは何をしてるんだ?」
ゾフィーの呼びかけに、真十郎が肩越しに振り返った。
「獣はこの匂いを嫌う。これを撒いておけば獣は近づいて来なくなる」
「そうなのか。助かるよ、ありがとう」
礼を言うゾフィーに真十郎は微かに笑みを浮かべて答えた。
真十郎は皮袋の中身を撒き終わると洞穴の奥、シャルロッテが寝ているほうへと歩いて行った。
シャルロッテの寝ている場所の近くには、いつの間に集めたのか大量の枯草が集められていた。
「枯草を集めておいた。ここに横になったほうが楽なはずだ」
「何から何まで……本当に済まない」
ゾフィーはまだ眠ったままのシャルロッテの体を抱き上げ、枯草の上に寝かせた。
シャルロッテは苦しげな表情を浮かべ、その呼吸も苦しげだった。
「この様子ではまだ出発は無理なようだな」
「ああ、そうだな……」
真十郎の言葉にゾフィーはただ頷くことしかできなかった。
こんな状態では背負って運ぶのも難しいだろう。
追手は今どのあたりまで近付いているのだろうか?
シャルロッテが回復するまで、追手に見つからずにいられるだろうか?
今の自分にはこの絶望的な状況をどうにかする力は無い。
ゾフィーはすぐそばに立つ狩人を見た。
この狩人であれば、この状況も何とかしてくれたりはしないだろうか?
そんなゾフィーの思いを知ってか知らずか、真十郎が口を開いた。
「何か方法を探そう。少し出てくる。昼頃には戻る」
そう言って、真十郎は洞穴の外へと出ていった。
ゾフィーはその後ろ姿を、縋るような想いで見つめていた。
真十郎はその言葉通り、昼頃に帰ってきた。
その肩には人が一人入れそうなほどの大きさの麻袋を担いでいた。
「食料を手に入れてきた。それから薬草も。王女に煎じて飲ませてやってくれ」
そう言って、真十郎は背に負った麻袋と腰に吊るした小さな布袋をゾフィーの前に置く。
「もう一度出てくる。しばらくは戻れない。もし王女の容態が良くなったなら、俺を待たずに出発してくれ」
「了解した。すまないが何処に行くのか教えてもらってもいいだろうか?」
「敵の調査と、可能であれば進行の妨害をしてくるつもりだ。二、三日後には一旦戻ってくる」
そう言って出て行こうとする真十郎の背中にゾフィーは声をかけた。
「気を付けて」
「君たちもな」
真十郎は肩越しに振り返りながら答え、洞穴の入口の向こうへと消えていった。




