表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄金の国の狩人  作者: 神誠
第一章 東方の狩人
1/51

東から来た男

「真十郎は変わっちゃったね」


 そう言って目の前の少女が小さく微笑む。


「昔はもっと良く笑ってたのに」


 その少女の言葉と表情を見ていると、何故か心が苦しくなった。


「ねえ、また昔みたいに笑って見せて」


 そう言われて、彼は笑おうとしてみた。

 だが、その試みはうまくいかなかった。

 鏡を見たわけでもないのに、笑みと呼ぶには程遠い表情を浮かべているのがわかってしまった。

 笑ったつもりだったのに。

 どうしてだろう?

 いつから自分は笑えなくなったのか?

 そう考えているうちに彼は気づいた。

 いつの頃からか、楽しいという感情を無くしてしまっていたことに。

 その時の少女の表情は今でも目に焼き付いている。


「ごめんね。変なお願いして」


 そういって彼女は笑った。

 その表情は間違いなく笑顔と呼べるものだったのに、何故かとても悲しげに見えた。

 見ているこちらが辛くなってしまうほどに。







 彼は自身がうつぶせに倒れていることに気付いた。

 歩いている途中で意識を失って倒れてしまったようだ。

 倒れる時に地面にぶつけたのだろう。額と左肩が激しく痛む。

 どうやら、そうして気を失っている間に夢を見ていたらしい。

 忘れることの出来ない、かつての記憶。

 思い出すたび、胸が締め付けられるような気持になるのは何故なのか?

 思い出したところで気持ちが沈むばかりだというのに、それは決して心から離れて行ってはくれない。


 歩かなければ……。


 立ち上がろうとこころみたが、四肢に力が入らなかった。

 もう何日も、水以外のものを口にしていない。

 森の中を走る街道の脇に彼はその体を横たえていた。

 このまま先に進めば、オステンブルクという名の町にたどり着くらしい。


 太陽は中天に昇っている。

 街道の上には穏やかな風が吹いていた。

 木漏れ日の下、春の温かい風が流れる中に横たわる薄汚れた彼の体は、一体どれほど無様な姿を晒しているのだろうかと、想像して笑いたい気分になった。

 彼はここまでずっと一人で旅をしてきた。

 はるか東方の地から、海を越え、雪原を越え、砂に覆われた大地を越えてここまでやってきたのだ。


 いったい、どこへ行こうというのか?

 いったい、何のために歩き続けているのか?


 今まで様々な人に出会い、そして問われた。

 何度も投げかけられたその問いに対する彼の答えはいつも同じだった。

 行先の当てなどない。何のために歩いているのか自分でもわからない。

 ただ、どこか遠くに行きたいと思っていた。


 彼はそれまでの生活の全てを捨てて、故郷から逃げ出した。

 その時に生きる意味をも失ってしまった様な気がする。

 生きるための理由すらわからないというのに、何故歩き続けているのか?

 それすらもわからないまま、まるで何かから逃げているかのように、彼はその足を止めようとはしなかった。


 だが、それもじきに終わるだろう。

 そろそろ限界が近いようだ。

 死にたいわけでは無かった。かといって生に執着する理由も、もはや無い。

 どちらにしろ、じきに彼の生は終わるだろう。

 運命という言葉があるが、こんなものが彼の運命だったのだろうか?

 遥か東方の島国から海を渡り、この西方の地に辿り着いた。

 そして……死ぬ。

 滑稽以外の何者でもない。


 まあいい。

 いまさら何を考えたところで、彼の人生の結末は変わることは無いのだろうから。

 もはや立ち上がることもできない。

 このままここで寝ていれば、獣の餌にでもなるのだろうか。

 ここは人里離れた森の中だ。町からは離れている。

 彼の命が尽きるまでに誰かが偶然通りがかる確率は低かった。

 通りがかったとして、彼のような異国からの放浪者を救ってくれるとも思えない。

 やっと終わる。これで全てが終わるのだ。

 死を前にしても恐怖は感じない。それどころか穏やかな安らぎすら感じていた。



 だというのに。



 地面に這いつくばり、死を待つだけであった彼の耳に物音が聞こえてくる。

 これは馬蹄と馬車の車輪の音だろうか?

 彼の生まれ故郷に馬車などというものは存在しなかったが、この西方の地で何度も見かけたためその存在は知っていた。

 その音が彼のすぐそばで止まったように思えた。


 何故止まる?


 ここは森の中。周りには木以外には何もない。彼以外には人もいない。

 とすれば、彼に用があるということか。


 こちらに近づいてくる足音が聞こえる。

 軽い足音。大人の足音ではない。

 近寄ってきた人物が何かを叫んだ。

 少女の声だった。

 その少女は、随分と苦労しながら彼の体を仰向けにし、その顔を覗き込んできた。


 美しい少女だった。

 まるで光を浴びて輝く蒼玉サファイアのような瞳がじっとこちらを見つめていた。

 年のころは十歳前後といったところだろうか。

 その少女が何かを話しかけてきたが、異国の人間である彼には大部分の言葉が理解できない。


 俺にかまうな


 そう口に出そうとしたが声が出ない。自身が思っていた以上に彼は衰弱していた。

 意識が朦朧としてきた。頭もうまく回らない。


 少女が大声で誰かを呼んでいた。

 重い、大人の足音が近づいてくる。

 低く落ち着いた男の声が彼に話しかけてくるが、その内容の大半は理解できなかった。

 だが、その声に込められた優しさは感じ取れた。

 少女も必死に彼に声をかけ続けていた。

 彼を助けようとしているのだろうか?

 何故自分なんかを助けようとするのだろう?

 こんな、汚い身なりの異国の人間を。

 何のために生きているのか、自分でもわからないような男を助けて何になるというのか?

 その疑問を声に出せるほどの力は彼にはもう残っていない。


 目の前が暗くなってきた。

 自分はこのまま死ねるのか?

 それとも生き永らえるのか?

 そんな思考を維持するにも限界が訪れる。

 必死に呼びかけてくる少女の声を耳にしながら、彼の意識は静かに闇へと落ちていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ