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角が生えた少年  作者: 紅いろ 葎
第二部
26/31

少年の足取り Ⅱ

大きく広げられたタペストリーをぼんやりと眺めながら、時間はのんびりとマイル先生の軽快な説明とともに流れていき、長い長いメルンデール史の授業は鐘と共に終わりを告げた。


語り出すと止まらない条文なのだろうか、鐘が響き渡る音を残念そうに聞いたマイル先生は、鐘がなり終えると共にひとつ咳払いをして「ここまでにしよう」と渋々と切り上げた。




それを聞いた生徒達はいそいそと席を立ち初め、教室は次第に賑わいを見せ始める。

そんな様子を見たマイル先生が、荷物を雑に抱え込んで立ち去る準備を整えた所で教室に響き渡るように「早く次の講義へ向かいなさい!」と一度声を上げる。ちらちらと振り返る生徒達に満足すると、マイル先生はいの一番に教室を後にした。




ざわつく教室の中でアデル達は顔を見合わせると、各々立ち上がって無意識に軽くため息をつき合った。


「ジェルトは帰って来なかったわね」

フィオナが鞄を抱えて呟いた。

伏せられたままの顔からは表情が見えないが、その声を聞くに随分と落ち込んでいる。

「この状態だと、探しに行けるのは昼になっちゃうな」

そう言ったライラスも、あまり元気はなかった。


三時限目はこのまま三階で男女に別れての講義がある。

そして四時限目の数字学は同じ西棟の二階。今日の授業は西棟でしかないのである。


「お昼までの間に合流出来るかもしれないし、とにかく待ってみよう」

二人を励ませるだろうかと言った言葉だったが、アデルの声もどこか力無かった。無意識に拳を握り込む。



ジェミニ兄弟が項垂れたまま頷きあうのを見て、アデルも荷物を持ち直した。






生徒達も次の教室に移ったのだろう。

他にどうする術もなく閑散とした教室を出て、三人は重い足取りで次の教室へと歩き出した。











一方その頃。


闘技場の最奥にある扉のまたその奥で、ごそごそと這いずり回る一人の少年がいた。

ジェルト・ゴージである。



ジェルトは両腕を後ろに組ませるようにして、手際よく縄で縛られて、片足は一本の柱に結び付けられて無残に床に転がっていた。


天井に沿うように小さな窓が幾つもあるものの、ほとんど日差しが入ってこない為かそこは少し肌寒かった。

縄で縛られたせいで袖が引き上がっており、ジェルトは僅かに震えている。




「くそ!この!」

びちびちと魚のように跳ねて腕の縄を床に擦り付けてはみても、床はつるつるで滑るだけだ。そのうち打ち付けた頬や食い込む縄や硬い床で体重が掛かる肩は、もう随分前からじんじんと痛み出している。




ジェルトは一度動きを止めると、力尽きたようにごろんと天井を見て寝転がった。



「どうしてこんなことになっちゃったんだ......」

零れるように弱音を吐いた。






それは一限目の始まりを告げる鐘の少しばかり前の頃。


にんまりと不敵な笑みを見せるグレアと、おずおずとしながらもがっちりとジェルトを掴む少年。

その少し前を迷いない足取りで進むヴィルエッドにずるずると引き摺られ、闘技場の奥まで進んで来たジェルトは、この男子更衣室にたどり着くと床に向かって軽く投げ出された。




すると今度はグレアによって、あっという間に縄でぐるぐると縛り付けられる。

体が強ばって動けないうちに、グレアは手馴れたように器用な手つきで縛り上げた。足元だけはばたばたともがいていたのだが、結局自由をもぎ取れたのは片足だけだ。




「こんなもんね」

両手を軽くパンパンと叩いて、グレアが満足気にジェルトを見下ろして立ち上がり。

なんの躊躇もなく三人はジェルトに背を向けると、颯爽と授業に向かって駆け出して行ったのだった。



それでも、まだその段階での希望はあったのだ。

授業に使われる闘技場ならば、程なく誰かがやってくるだろうと思っていた。



しかし、誰も現れないまま遠くで鐘の音が響き渡り、授業の始まりを告げる。




拭いきれない不安を抱えながら、ジェルトは静かに待っていた。しかし、待てども人は誰も来ない。どれ程の時間が過ぎたのか、期待も虚しくまた遠くで鐘がなる。



いよいよもって不安は現実味を帯びていき、三度目の鐘が鳴り出した頃から脱出の方法を考え出して今に至るのだった。





「......誰も来ないな」

呟いてみるも、誰に伝わる訳でもない。

それは酷く心細さを際立たせた結果となった。


だらりと体の力を抜いて天井を見ていると、何度も何度もこれまでの経緯が頭の中を駆け巡る。何を間違えたのだろうか。どうしてこんな目に合うんだろうか。それと共にむせ上がってくるのは言い用のない恐怖だった。

いずれ三人は帰ってくるだろう。今の自分にとってそれは恐怖の塊と言える。



ヴィルエッド・グリフォンとは関わりたくない。

ずっとそう思っている。もちろん関わるつもりなんか微塵もなかったのだ。

臆病なのは分かっている。けれど自分の中の全てが、彼に近付いてはいけないと警笛を鳴らしていた。


それにグレア。彼女にしたってそうだ。

思えば初めて見た時からいい雰囲気はしなかった。何か不気味なオーラさえ感じる。不敵な笑みは不安を駆り立てる。そして彼女の声は刺すように体の奥を縮み込ませるのだ。

まるで尋問でもされているような気分だった。彼女の全てが自分から逃げ道を奪っていくような、言い知れぬ恐怖心を駆り立てられるような。



二人の顔が頭を過ぎると、ジェルトは目の奥が熱くなってふるふると震えを感じた。





とにかくここを脱出する事を諦めてはいけない。

三人が戻ってくるまでここに転がっていたら、次は何が待っているのかも分からない。なんの根拠もないけれど、とにかくここを出られたらいい。彼らがここに戻ってくる前に。


そう思い直すと、ジェルトはまた体を大きく捻りじたばたと動き出した。










またしばらく奥に向かって跳ねた頃、ジェルトはふと足元に目が止まった。そして、目に映る足元の縄を見て目を見開いた。足元の縄である。雑な作りの古い縄は、繊維が端から細かく飛び出している。そして、動き回っていつの間にか捻れたその縄は僅かにだが細さを増している。






「これは......これなら、いけるかも」


ジェルトはそれを見るや否や、捻れた方向に反るように一心不乱に転がりだした。

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