苦い罪悪感
目が覚めると、医務室のベッドの中だった。
開かれた窓から秋の涼し気な風がふんわりと入り込んでくる。
しばらく呆然と白い天井を眺めたままだったが、
その様子に気が付いたフィオナが、優しくアデルに声を掛けた。
『目が覚めたのね。具合はどう?』
窓の反対側に置かれた椅子に、フィオナは座り込んでいた。そんなフィオナの後ろに、ライラスが、
横にジェルトが立っているのが見える。
視界がはっきりしてくると、三人の姿はより鮮明に見えてきた。
アデルは体を起こして、一度頭を抑えた。
動いた瞬間に鈍く体内が軋んだ気がしたが、その感覚はすぐに消えた。
『ここはどこ?昼食を食堂で......あれ?』
アデルはそこまで言ったところで、自分の指が角に触れたことに気が付いた。はっとして髪の毛をくしゃりと握りこんで、そこに帽子が無いことに気が付く。
そして、掛けられた布団の上に帽子がちょこんと乗せられているのが目に写った。
そんなアデルの様子に慌てて、フィオナはアデルの肩に手を置いた。
『落ち着いて、怖がらないわ』
『そうだよアデル。大丈夫だから』
双子は揃ってアデルを宥めた。
アデルは乗せられたフィオナの手がとても暖かくて、知らずに目元が熱くなった。
じわじわと何かが込み上げるようだ。
双子の顔に目を向けると、それはますます強くなった。二人とも、本当に怖がる様子は無かった。
『まずはこれを飲むといいわ。お水を汲んでおいたの』
フィオナはそう言って、小さなテーブルに置かれたグラスを差し出した。アデルは何も言わずにそれを受け取った。
一口飲み込むと、枯れ果てた体に染み渡るように
それはすっと喉を潤した。
『ありがとう......』
アデルはグラスを握ったまま、お礼を言う。
外の風が心地よく髪を撫でる。
どのくらいの時間が流れたのだろう。
それよりも、何故自分はここにいるのだろう。
ライラスは、アデルのベッドに腰掛けると、アデルの髪をくしゃくしゃと撫でてにかっと笑って見せた。
『もう顔色もすっかり良くなったな。何が起こったのか覚えてるか?』
『僕......ご飯を食べてて。上級生に会って。僕に凄く似てる人がいた。その後......』
『貴方、突然倒れてしまったのよ。何かを考えてるようだった』
アデルはもう一度その時の事を思い出そうとしたが、不思議と何も思い出せない。
何かを考えていた?しかしわからなかった。
『わからない。何を考えていたんだろう』
頭の中はぼんやりと渦巻いていて、声は掠れた。
ライラスとフィオナは顔を見合わせた。
『今は何も思い出さなくていいわ。ねぇ、ジェルト』
ジェルトを振り返ったフィオナにつられて、アデルはジェルトの方に顔を上げた。しかしジェルトはどこか複雑な顔をしてうんと答えただけだった。
アデルの方には目を向けてはくれない。
フィオナの横にぽつんと立ち竦んだまま、ジェルトはずっと俯いている。
ジェルトの姿を目に写した途端、アデルの心臓は凍りついたように冷たく感じて、胸に染みる何かが体を冷やすのを感じた。
怖がらせてしまったと、すぐに気が付いた。
初めて声を掛けてくれた人なのに。
ジェミニ兄弟とこうして話すきっかけを作れたのだって、ジェルトが仲良くしてくれたからだ。それなのに自分は、こんなふうに初めての友人を怖がらせてしまった。
酷く胸が傷んだ。チクリと針が差し込まれたように
それはじわじわと染みて広がった。
何か申し開きをしようにも、アデルには言葉が出なかった。安心させてあげられる術を、自分は持っているか?得体の知れないものだと言われたら、もうそれまでだ。自分だって自分が何者なのかわからないのだから。
自分がこれ以上拒絶されてしまったら、もうジェルトを友人だと呼べなくなってしまう。
そう思うと、ますます何も言葉は浮かばない。
ジェルトはそれきり、何も言わなかった。
もちろんアデルに目を合わせてはくれなかった。
そんなジェルトを見るのが、アデル自身も辛くなってそっと目を伏せた。
それから程なくして、三人は寄宿寮の入寮式があるからと医務室を後にした。
窓の外を眺めながら、孤独感に震える胸の痛みを静かに噛み締めていた。ジェルトが声を掛けてくれて、一緒に校内を歩いて、浮き足立っていた。
そんな気持ちがなおさらに胸を痛ませた。
けれどアデルは、ジェルトが今何を思っているのかと思うと、何よりも申し訳ないと思った。
ジェルトが初めて声を掛けたのが自分でなければ、あんな顔をすることはなかったかもしれない。
こんな角が無ければ、ジェルトを失望させることも無かったかもしれない。
医務室に戻ってきた医師教員は、エイムを連れてきた。足音のする方に振り返ってエイムの姿を見た途端に、アデルは感情が抑えきれなくなって、糸がぷつんとはち切れたように抱き着いて泣き出してしまった。
そんなアデルを、エイムは優しく撫でて抱きしめた。
医務室を出てしばらく歩いて、階段に差し掛かったところで、フィオナは我慢ならなくなった。
足をぴたりと止めると、ジェルトに向かって声を張り上げた。
『どうしてあんな態度がとれるのよ!信じられないわ。アデルがどんな顔をしていたか、貴方気が付かなかったの!』
驚いた二人は、足を止めてフィオナを振り返った。
フィオナは顔を赤らめて、興奮気味にジェルトを睨み付けた。そのままにじり寄って、ジェルトの胸に指を突きつけた。
『貴方が今、どれほど、アデルを、傷付けたのか!少しでもわかるの?!』
止まらないフィオナを、ライラスが慌てて止めた。フィオナの手を掴んで、ジェルトとの間にすっと体を挟める。
『何よ!ライラスはそれでいいって思ってるの!』
掴まれた手を振り払おうと腕にぐっと力を込めたが、ライラスの手はびくともしなかった。
『落ち着くんだよフィオナ、誰でも何でも受け入れられるわけじゃない。ジェルトだって、頭の整理がつかないだけだ』
ライラスはフィオナの手をしっかりと握り込むと、怒りにわなわなと震える肩を優しく撫でた。
ジェルトは何も言えなかった。
アデルが嫌いになった訳では無い。ライラスの言う通りだ。ただ自分はあの角が目に映った瞬間、驚きを通り越して、恐怖を感じた気がした。医務室に運ばれて寝かされたアデルを見て、安心しながらも少し怖く思えたのだ。
その恐怖が具体的に何に怯えたからなのか、ただ混乱して声にならなかった。
それだけに、フィオナの怒りが当然とも思えた。
フィオナはライラスに宥められながらも、涙ぐんだ声で呟いた。
『あんなの......なんてことないわ。私たちだって、そんな奇怪なものを見る目でどれ程傷ついて来たと思うの』
そうして、フィオナは絶えられずに少しだけ涙をこぼした。ライラスも複雑な気持ちを抑えられなかったが、それでも着丈に振る舞ってフィオナの肩を撫で続けた。
ドッペルゲンガー。
そうやって忌み嫌われた子供時代が、この二人にはあるのだと実感した。ジェルトはますます、苦い罪悪感に苛まれるのを感じて俯いた。




