それぞれの記憶
『アデル、あの人達のこと知らないの?』
それぞれが胸を撫で下ろし、水を一口飲み込んで
落ち着いたところでフィオナはアデルに問いかけた。
二人の少年達はそれきり戻ってくる事は無かった。食堂内は何も変わらず騒がしい。
今しがた起きた一件に気付いた生徒はいないようだった。
アデルには検討もつかなかった。これまで、エイムとジャックテリー以外に交流があった人なんていないのだから。考えるまでも無かった。
『わからない。会ったことも無いと思う』
アデルはため息をついた。
『あれって、上級生だよな。兄弟って事はないのか』
ライラスが問いかけたが、やはりアデルにはわからない。
アデルは三人の顔を一度見渡して、しょんぼりと落ち込んだ気持ちに心のうちでため息をついた。
『話すと長いんだ。僕は小さい時の記憶がないし、兄弟がいたとしてもわからないんだ』
そう言って肩を落とした。
ジャックテリーはと言うと、アデルのトレイに置かれた鶏肉の照り焼きにかぶりついて、もしゃもしゃと昼食に勤しんでいる。
『だけど、なんであんなに怒ってたのかな』
ジェルトはテーブルに肩肘を付いて、ため息をついた。どっと疲れたような気だるい表情で自分の食事を眺めて、めちゃめちゃ怖かったよ、と続ける。
それにはアデルも双子も同感だった。
『あの平気で人を殺すような目、殺気だらけだな』
ライラスが続いて言った。
『そんな事、言ったらいけないと思うわ......』
そう言って俯いたフィオナも、内心では同感なのがみんなわかった。
しばしの沈黙を破ったのは、小さなドラゴンだった。
ジャックテリーがもう満腹と言わんばかりに、ぼふっと口から一息火花をちりっと上げてテーブルにこてんと横たわる。
フィオナがそれを見て、くすっと笑みを零すと
『可愛いわね』と言った。
ジャックテリーが満更でも無さそうに尻尾を一振り。
それを見て三人は目を真ん丸くして吊られて笑った。
ジェルトが空気を変えようと、アデルを向き直って言った。
『紹介してよ、アデル』
『そうだわ、ジャックテリーって呼んでたわね』
『うん。ジャックテリーって言ってドラゴンの末裔なんだって。エイムが、あの......お父さん変わりなんだけど。エイムがどこかから連れてきたらしくて、僕よりも昔から家にいるんだ』
アデルはエイムをお父さんと呼んだことに、なんだか恥ずかしさを覚えてそわそわした。
ジェルトが不思議そうな顔をして、首を傾げた。
『お父さんがわりってどうゆうこと?』
アデルは飲みかけのスープとスプーンを手に取りながら答えた。
『僕、小さい時の記憶が無いでしょ。僕の記憶って、三年前以上昔の事が何も無くて。ちょうどそれより前に......あれ?』
そこでアデルはふと脳に浮かんだ風景が、断片的にじわじわと心を侵食していくことに気が付いた。
『三年前以上の記憶......それよりも前......』
アデルはぽつぽつと呟きながら頭に広がる断片的な風景を、見逃さないように探っていく。
その記憶はなんだか、酷く寂しくて悲しくて。
どこか焦げ付いていて、酷く寒くて。
浮かんでくる記憶を、頭の中でひとつずつ掴み取って、ゆっくりと一歩づつ追いかけていく。
誰かが、見てる。
いや違う。誰かを見て?
あれ、なんだか......気持ちが悪くなってきたな。
と思ったところで、アデルは視界にノイズが散らばり始めて灰色に途切れて行くのを感じた。
『アデル!』
がたん、と音を立ててアデルは椅子からずり落ちた。
力の抜け切ったアデルの頭ががくんと落ちて
帽子が床に落ちる。
慌ててフィオナがアデルの腕を引っ張って、床に倒れ込むのを阻止した。
驚いて途端に立ち上がったジェルトが、反対側に駆け寄ると、すかさずアデルを支え込む。
よいしょ、と体制を立て直してもう一度しっかりと自分の方に引き寄せると、アデルを伺うように顔を向けた。
そこで、ジェルトは気が付く。
『え、これって』
ジェルトは驚いてアデルの頭部を見入った。
アデルからずり落ちた帽子を拾ったライラスが
ジェルトの驚いた声を聞いて、その視線が見つめるものを覗き込んだ。
『なんだ......角?』
三人は息を飲んだが、そのまま意識が無くなってしまったアデルを見て、それどころでは無いと慌てて思い直した。
『ライラス、早く先生を呼ばなくちゃ!』
それを聞いたライラスは、返事をするよりも先に
飛び出して言った。
ジェルトが支えているのを確認して、フィオナはアデルの頬にそっと触れた。
『熱は無いわ......それどころかとても冷たい』
アデルの顔色はとても悪かった。
土気色に淀んだ色白の肌が、妙に不安を駆り立てる。
フィオナはアデルの角を隠すように、ライラスが置いた帽子をそっとアデルに被せた。
昼食を終えたアディ達と、ヴィルエッドは
揃って闘技場へと足を向けていた。
生徒達が増えて、廊下はいくらか騒がしい。
いつもの学校のいつもの風景だ。
しかし、うきうきと足取りが軽いのはヴィルエッドだけの様子だ。
アディとリヴの少し前を、年相応にはしゃぐのを
隠しきれない様子で歩いている。
それを見ながら後ろに続く二人の顔は、あまり楽しそうとは言えなかった。
アディは暗く、何かに耽り込むような思案顔で歩いていたし、リヴは不機嫌そのものだ。
『兄様!早く参りましょう!』
そんな兄を引っ張り込むように、強引に前に進むヴィルエッド。いつもは弟をなんだかんだと甘やかしてしまうリヴも、今はあまり興味がないようだった。
『リヴ、弟君が呼んでるぞ』
アディがリヴに一応呟いたが、そんなのお構い無しで不機嫌な顔は怒りさえ混じって、アディを見返した。
『お前何とも思わないのかよ!名前だけじゃない、あんなの!』
立ち止まってそう声を上げるリヴを見て、同じく立ち止まったアディは何も言えなくなった。
何も思わないなんて、あるわけが無いじゃないか。
アディは顔をくしゃりと歪めて俯くと
黙り込んでしまう。
あぁ、くそ。と心の中で自分に悪態をつくと、
リヴは頭を抱え込んでアディを見た。
『いや、ごめん。アディを責めたいんじゃない。俺だってわけわかんないけど......お前の方が、混乱してるよな』
『いや、ありがとう』
アディは顔を逸らした。
わかっているのだ。自分が素直に動けないから、リヴはその分一緒に抱え込んで、代弁してくれるのだと。
そんな行動力のあるリヴを心強いと思っている。
先程だってそうだった。
自分はあの時、どうした?ただ見つめていただけだ。
あんなにそっくりな見た目で、自分に無関係な訳がない。なのに、自分がいの一番に思った事と言えば......怖かったのだ。
そう、怖いと思った。
リヴがいなかったら、また自分は逃げたのだろう。
『え?』
そこでアディは不可思議な事に気が付いた。
『また?』
『おい、アディ?』
リヴが覗き込んだ事に気が付いて、アディは咄嗟に思考を払い去った。
慌ててリヴに向き直る。
『いや、何でもないんだ。弟君が行ってしまうよ』
そう言ってアディは一足先にまた廊下を歩き出した。
リヴはその背中を見つめてため息を静かに吐き出すと、仕方がないかと肩を落として後に続いた。
アディがまた何か考え込んでいる事は、すぐに察しがついた。そうやって咄嗟に何事も隠してしまうアディの癖を、リヴは良く知っている。
昔はそれが大嫌いだったのだ。
そう、昔は。




