第五章3 『蝶の羽ばたき』
ドアには鍵がかかっていないのか、凪はさらりと入った。俺もそれに続く。
動力室は薄暗い。
「うん。ここなら安心だ」
「で、話って?」
凪はもったいぶったように手をヒラヒラさせて、
「せっかちだな~。たいした話じゃないのに」
「いいから早く言え。こっちもこんな場所にはいたくないんだ」
「なんでさ」
俺は凪のほっぺたをうにょーっと引っ張る。
「それは、ここにホワイトプリンセスがあるからさ」
「ふーん」
俺は凪のほっぺたから手を離して、ジト目で凪を見る。
「おまえ、驚かないのかよ」
「うわ~! なんでホワイトプリンセスがあるのさ」
ポーズがしぇーって感じなのはさておき、俺は息をつく。
「そんなに驚かなくてもいいだろ」
「驚けって言ったり驚くなって言ったり忙しいなぁ」
結局、こいつは驚かなかったってことでいいのか?
「話を戻すけど、ホワイトプリンセスはここにあるんだ」
凪は不満そうに口先をとがらせて、
「品森社長はホワイトプリンセスは社長室の金庫の中にあるってぼくと開だけに教えてくれたじゃないか」
「あれは嘘だよ。どこで怪盗ゼロが聞いているかもわからないからね。俺のことを信頼していたからおかしなSF話をしてくれたみたいだけど、怪盗ゼロがどこに潜んでいるかはわからない」
「ほうほう。あの人もなかなかのたぬきじじいですな」
「死んだ人を悪く言うな」
「悪いのは品森社長なのに」
まあ、それは警戒のためだからやむなしだったんだよ。
「それで、俺はこの話をするのにおまえが怪盗ゼロじゃ困るからほっぺたを引っ張って、変装してないか確かめたんだ」
「だからって、どうして開はここにホワイトプリンセスがあるって知ってるのさ」
当然の凪の疑問に、俺はさらりと答える。
「さっきも言っただろ? 誰も入らない場所って言ったらここだからだよ」
そう凪と話しながらも会話中この動力室内の機械類を調べていると、ホワイトプリンセスが見つかった。
サイズはそれほど大きくない。手のひらに収まる程度だ。
「せっかくここまで来たことだし、これはあとで俺から高菜さんに渡すとするか」
なくさないようにシャツの胸ポケットにしまった。
凪は驚いた素振りはやめて頭の後ろに手を回す。
「怪盗ゼロか~。この飛行船にいるとは限らないんじゃないかい?」
「いや、わからないぜ。いまもすぐ後ろにいるかもしれない」
「背後霊じゃないんだからやめてよ」
俺は改めて凪に向き直った。
「で。そろそろ聞かせてくれる?」
凪は機械に背中を預けて目を閉じる。
「わかった」
そして、マジメな顔を俺に向けた。
「さっきは鈴ちゃんがいて言えなかったことなんだ。藤堂くんについてなんだけど、彼女が来たのは一五〇年後。もうちょっと近い未来かと思ってたら意外と遠いね」
「は? おまえ、高菜さんが未来人って知ってたの!?」
高菜さん自身は凪のこと知らないのに(さらに三年後の高菜さんは凪のことを知っていたけどさ)。しかし凪は優位性を持った未来人を手玉に取って遊んでいるみたいに言った。
「当然じゃないか。ぼくを誰だと思ってるんだい? 情報屋だぜ? 彼女のことを調べたらいろいろおかしいのがわかったから、さらに詳しく調べ直したんだ。そうしたらついでにそこまでわかった」
「ついでって……」
どんな調べ方したらわかるんだ。
「凪。それじゃあ、それ知っててずっと高菜さんにあんな絡み方してたのかよ?」
「そうだけど」
ケロッとした顔で答えやがった。
なんてやつだ。悪魔か。高菜さん、可哀想に。今回の任務が終わったら教えてやるか。それまでは本人のためにも黙っておこう。
「ま、サンキュー。それだけも知れてすっきりしたよ」
「なに言ってんだこの人」
「お礼を言ったんだっ」
「礼を言うにはまだ早いぜ、相棒」
「相棒じゃない」
まあまあ、となだめるように手のひらを俺に向ける。
「大事なのはそこじゃない。彼女がキミに接触した目的さ。彼女は、未来を変えようとしている。悪い未来を良い未来にね。どう良いのかはぼくも未来人じゃないからわからないけど、バタフライ効果のようなものらしい」
「バタフライ効果か」
前に逸美ちゃんに聞いたことあるけど、確か小さな変化がひとつあるだけで結果が大きく変わるって現象だったと思う。
「なんでも、『ブラジルにいる一匹の蝶が羽ばくと、遠く離れたテキサスで竜巻が起こる』、というように、小さなことが大きな事象を呼び起こす様に由来したらしい」
さすがは凪、雑学や普通の人が知らない知識ほどよく知ってる。
「つまり、その最初の変化をここでつけようってことか」
「おそらくね」
「すると、俺たちは羽ばたきを起こす蝶ってことか。どう未来につながるんだろう」
俺がつぶやくが、凪はそんな俺を気にせずくるりと背を向けて、軽い足取りで動力室の外に歩き出す。
「まあ、そういうことで~。一応、キミの耳に入れておいたからね」
なるほどな。一応、俺のほうも了解したよ。
俺と凪が廊下を歩いていると、凪はトイレの前で止まった。
「ちょっと待っててくれ。ぼくはトイレに行ってくる」
「早くしろよ」
「イエッサー」
凪がトイレに駆け込む。
すると、それと同時に正面から料理人の桐沢さんが歩いてきた。
「やあ。開くんもトイレかい?」
「俺じゃなくて連れが」
短く答えて、様子を見る。
桐沢さんは周囲を見回してから言った。
「どうだった? オレの作った料理は」
なんて答えよう。
「あ、開くん。胸の辺りに糸くずがついてるよ。とってあげるから動かないで」
俺の胸に伸びてくる手を払って、俺は言った。
「いつから俺たちの会話を盗み聞きしてたんだ?」
「どうしたんだい? 藪から棒に」
「いいから答えろよ」
「急に言葉遣いまで変えて、どうしたの? 開くん」
そう言われて、俺は小さく笑みを浮かべて言った。
「どうしたもこうしたもねーよ、怪盗ゼロ」
「なにを言ってるんだい? キミ」
「とぼけたって無駄だぜ。俺の胸ポケットに入った宝石が目当てなんだろ?」
料理人の桐沢さんに変装した怪盗ゼロは、手を引っ込めてフっと薄く笑った。
「よくオレの正体に気づいたな、探偵王子」
声が変わった。桐沢さんの柔らかい声質から、気取った怪盗のモノに変わった。余裕綽々なのが腹立たしい。
「気づくに決まってるだろ。あの予告状、ニューヨークの披露宴パーティーで盗むとは書いていなかった」
日本語訳の全文は――
『品森轟社長へ 5月1日、パーティーの中ホワイトプリンセスをいただきに参上する 怪盗ゼロ』
となる。
「でも、宝石ホワイトプリンセスが披露されるパーティーがあるのはニューヨークだし、予告状も英語で書いてあったから当然――ニューヨーク時間で披露宴がある日だとマスコミが思い込み、そう報道していたんだ。だが、パーティーはこの飛行船上で行われる品森社長の趣味でもある、天才たちによる催し物パーティーを指し、日時は日本時間だった。おまえ自身も差し出す先が日本の品森社長の元だったし、日本時間のつもりだったんだろうけどな」
大人しく話を聞いていた怪盗ゼロは、余裕をたぎらせ拍手を送った。
「お見事。キミの言う通りだよ、探偵王子。それで、いまオレを捕まえるか?」
「そうしたいのは山々だけど、いまは品森社長の密室殺人事件がある。おまえに構ってるヒマはない」
「ははっ。随分な言われようだな」
「安心しろ。ここは逃げ場のない飛行船の中、ニューヨークに到着する前に密室殺人事件は解決して、到着と同時に警察におまえの身柄を届けてやるよ」
「言うね~。生意気な王子様」
「誰が王子様だ」
「だって探偵王子だろ?」
「それはメディアが勝手に呼んでるだけだ」
「本当は満更でもないくせに」
「そんなことないし」
いちいち親しげに茶化してくるところも腹立つんだよな。
俺は話題を変える。
「ところで、マッドカッターの噂を流したのはおまえだろ?」
「ほう。誰から聞いた? 情報屋の相棒くんかい?」
俺はかぶりを振った。
「違うよ。理嘉有加里が言っていたんだ。料理人から聞いたって。どうしてそんな噂を流したんだよ。そして、マッドカッターってなんだ?」
「んなもん、オレだって知らねーよ。言われている通り、上空で死者が出るとさらに死者が現れる、そういう誘発現象のことを指すんじゃねーか?」
「ねーか? ってなあ……」
と、俺はため息をつく。
「オレも左遠右近の秘書の入江杏に聞いただけだからな」
「ふーん」
あの宇宙人が最初に噂を流したのか。なにを企んでいるんだ? 藤堂さんがある未来へ誘導しようとしているように、あの入江杏さんも誘導が目的なのか?
そこまで話したとき、ひょいっと凪はトイレから出てきた。
「やっほー。料理人さん」
まだ料理人さんの恰好をしているから、怪盗ゼロだとは凪にはバレてないので、このペテン師はにこやかに手を挙げる。
「やあ。実は、キミも気づいてるのかな?」
怪盗ゼロのやつ、さっそくかまをかけたようだ。
しかし。
「なんのことだかわかんないけど、ちょっと待っててくれ。それどころじゃないんだ」
凪のやつ、やけにせわしなく言うんだな。
怪盗ゼロは、目を丸くして聞いた。
「お? どうした?」
「思い出したんだ。料理人さん、キミも協力してくれ」
「なんだい?」
余裕の笑みを浮かべる怪盗ゼロ。
凪はスマホをいじって、それを怪盗ゼロに渡した。
「これでぼくを映しておくれ」
「なんだ? これは、ビデオカメラかい?」
「もう録画状態にはなってるから、ぼくさえ映してくれたらいい」
言われるままに怪盗ゼロは凪を映す。
どういうことなんだ? 俺と怪盗ゼロが顔を見合わせると、凪はポケットからトランプを取り出した。
「トランストランプ!」
「おまえ、また勝手に使いやがって!」
「今回だけ~。許してちょんまげ」
バカっぽいポーズで謝る凪。むかつく。いつも以上にむかつくのは、凪が変身したのが、あの怪盗ゼロだからだ。その恰好でなにするつもりだ。